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城の一室。いつもに比べ華やかながらも、落ち着いた薄いブルーのドレスに身を包んで僕の前に現れたリーシャは、綺麗だった。
首には先日贈ったチョーカー。彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめ、僕を見上げると、首のチョーカーに指で触れた。
「素敵な贈り物をありがとうございます、殿下」
『とても似合っている それに 今日の君は とても綺麗だ』
「あ、……ありがとうございます」
俯きついでにリーシャは僕の足の先から頭の上まで順に視線を送ると、少し表情が暗くなった。
「でも……」
言葉に詰まるリーシャに首を傾げてみる。
「いいえ、殿下。……今日は宜しくお願い致します」
彼女はドレスを引き、僕に礼をとった。差し出した僕の腕に彼女は腕を絡ませる。そして、僕たちは会場に向けて歩みを進めた。
婚約の儀と言っても、城の関係者達に囲まれ、陛下の前でそれを宣言するだけだ。つまり人前儀式。
今までの僕たちの生活が何か変わるわけでもない。一緒に暮らすわけでもなく、今まで通りお互いが行き来し、夫婦になるべく自覚を強める期間に入るということ。つまり、お互いの家同士の確約のようなものなのだ。
———-そう思っていた。
が、その考えを正さねばならなかった。彼女を「愛したい」と本人の前で宣言し、それを「信じる」と言ってくれたリーシャ。
だから、僕はこの婚約の儀を経て、本気でリーシャとの関係を築かねばならない———愛さなければならない———のだ。
儀式が終わった後、僕はリーシャを執務室へ誘っていた。今日は儀式のために一日空けていたから、時間を気にせずリーシャとゆっくり過ごせると思ったからだ。
『疲れただろう?』
リーシャの細い肩にトントンと手を触れ、視線を合わせてから話しかける。
正装から着替えた僕たちは、執務室の応接セットのソファに並んで座っていた。
「少し疲れました。……殿下は?」
『慣れないことをすると 疲れるものだな』
「私は儀式よりも……」
ボソッと聞こえた彼女の言葉が聞き取れず、首を傾けてみる。
「いいえ。な、何でもないです」
俯いたリーシャは、両の掌を胸に置いていた。
彼女の肩にポンポンと手を触れ、視線を合わせる。
『体調が悪いのか 無理せず休んだらいい 少し横になるか?』
「いいえ。そうではないんです……」
僕は少し様子のおかしいリーシャを案じた。しかし、彼女のためにどうすれば良いかもわからず、目の前のティーカップに目を落とす。先程リーシャの侍女、ルーマーが淹れてくれたお茶だ。
リーシャのカップとソーサーを手に取り、彼女に差し出す。少し冷めた中身に片手をかざすと、魔力によって程よい温度になったはずだ。
「あ……ありがとうございます」
カップを受け取った彼女はこちらに顔を向けて僅かに微笑んだ。お茶を一口啜ると、リーシャはほぅと息を吐き少し落ち着いたようだった。
「これ、ベアナのハーブなんですよ。ルーマーが取り寄せてくれたんです」
そう言われて、僕もそのハーブティーを一口、口に含んだ。ハーブには詳しくないが、カモミールだろうか優しい口当たりが心身を落ち着かせてくれる。
『おいしいな』
僕の任されているベアナの地に関心を持ち、ハーブを取り寄せることまでしてくれるリーシャ。僕のためにすでに妻になるべく尽力してくれている。その気持ちが嬉しかった。
僕はリーシャの片手を取った。そして、手の甲に口付けを落とす。
「……セディ」
顔を上げると、リーシャの潤んだ瞳とぶつかった。しばらくお互いに見つめ合う。
「セディは、私を……その……愛したいと言ってくれたけれど、……それをもちろん信じてるけど。
……でも、私ばかりがあなたのことを好きすぎて。いつもあなたの前でドキドキしているのは私ばかり。 それに私は本当にセディとつり合うのか、とか……いつも不安で苦しくて。
こんな事、あなたに言ってはいけないのに……ごめんなさい。セ、セディが、……優しいから……つい、甘えてしまって。……ごめんなさい」
とうとう一筋の涙を流した彼女の瞳から目を離さず、見つめ続ける。
『君は 僕にはもったいない女性だ
不安になる度に 僕に確かめて欲しい 僕には君が必要だ』
すかさず僕は彼女の唇にそっと口付けた。彼女の気持ちがありがたく、それを上手く受け止めることが出来ない自分……だから、僕はそうせずにはいられなかった。こうやって、愛情表現するのはずるいだろうか。
しかし、その後益々泣き出したリーシャを胸に抱き、僕たちは彼女が落ち着くまで抱き合い、お互いの体温でお互いを慰め合った。
そうしているうちに落ち着くと、リーシャは一緒に庭園を歩きたいと言った。
城のこの庭園に足を踏み入れるのは何年振りだろう。青空が気持ちよく広がっているにもかかわらず、少しばかり冷たい風が時折二人の間を通り抜けて行く。
両腕を自らさするリーシャがとてもか弱く見えた。僕は歩きながらリーシャの肩を自分の方へ引き寄せた。風除けになるだろうと思ったからだ。
「あの……殿下? 良かったら代わりに手を……繋いでも? そ……その方が歩きやすいかと……」
僕はリーシャの肩から手を離し、一瞬視線を逸らした。見上げてきたリーシャが不意に可愛く見え、また加えて自分の行為が彼女にとってはありがた迷惑だったことに気付き、恥ずかしくなったからだ。
しかし、もしかしてそういうリーシャは僕と手を繋ぎたかっただけかもしれないと気付き、僕はそっと彼女に手を差し出した。
リーシャとこうやって手を繋いだのは、恐らく子供の頃以来だった。
僕たちはそのまま無言で庭園をゆっくり歩き、東屋に着くと椅子に腰を下ろした。
すると、彼女は城の建物に向かって誰かに軽く手を振り、ニコリとした。僕の位置からは相手が誰なのかは分からなかった。ただ、リーシャは、身分に関係なく誰とでも付き合いをする。しかも、男女問わず誰とでも彼女と挨拶をするし、そして誰もが彼女に惹かれてしまう。そんな彼女だから、リーシャが誰かに手を振っても特段気に留めなかった。
「セディ、ギャリー殿下がこちらに手を……」
僕はその時、風に乗ってきた懐かしい香りに心を奪われていた。一人東屋を離れ、香りを辿って行くうち、その香りの元へと辿り着いた。その植物に鼻を寄せて香りを嗅ぐと、ハッとした。
————ケイ。
ケイの香りだった。
「これはラベンダーですよ」
その声に我に返った僕は、隣にしゃがんだリーシャを見た。
また、ケイのことを思い出した自分の弱さに気付く。僕は慌ててリーシャを抱きしめた。僕からケイを追い出したかった。
「セディ……、どうされたので……」
リーシャが喋り終わる前に僕は彼女の唇を塞いだ。離して……そして、また塞ぐ。
「セディ……人に……見られます」
途中そう言ったリーシャに、構わないとばかりに彼女の顔を両手で固定する。ケイを忘れようと激しくなるキスにリーシャが抵抗するはずもない。
しかし、彼女の体が突然ふらりと倒れそうになり、それを慌てて支える。
僕は……何をしているんだ……。
こんな愛の表現の仕方、最悪だ。
後悔した僕はリーシャを立ち上がらせると、彼女に背を向けた。自分の浅ましさに彼女の顔を見られなかった。
「セディ、好きです」
僕の腰に腕を回し、後ろから僕に抱きつくリーシャ。そんな彼女に申し訳と思うと同時に《愛しい》と思った。
僕は腹部にあるリーシャの手に自分の手を重ねた。
ありがとう、リーシャ。
君がいないとやっばり僕はダメだ。
君に傍にいて欲しいんだ。
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