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コルムと目が合うと、彼は「リーシャ様」と胸に片手を当て、礼をとった。「どうぞ中へ」と執務室へ入るように促され、私はセドゥリウス殿下の執務室に入った。
彼の姿が目に入ると、胸から熱いものが込み上げてきた。
泣いてはダメ、と自分を制す。でも、もう限界だった。彼に会いたくてしかたなかったのだから。
思わず、セディの胸に飛び込む。
すると、彼はぎゅっと私を抱き寄せてくれた。
でも、私は分かっている———これが演技だということぐらい。ただの上辺だけの婚約者としてとしか見られていないのだ。
私だけがセディのことをこんなに想っても無駄なことも分かっている。
でも、昨晩みた夢のせいで私はセディのことが心配で、心配で、恋しくて、こうして無礼にも約束もなく朝から彼に会いに来てしまった。
あなたの本当の愛で包まれる日が来て欲しい。それだけではない……あなたと助け合いながら次期国王になるギャリーを盛り立てていけたら、どんなに幸せだろう。それが私の夢だ。
でも、今、あなたに私の夢なんて語っても理解してくれないでしょう、セディ。
彼の目を見つめて訴えるけれど、彼に伝わる事はない。
ただ、昨夜の夢のように私の傍からあなたが一人で何処か遠くに行ってしまうのだけは、やめて欲しい。
「セディ、無事に帰ってきてね。今日はお会いできて良かったです」
だから、それだけ伝えた。それが今の私の細やかなわがままだから。
帰る前に、外の庭園に寄った。侍女のルーマーに少し一人にして欲しい、と伝え、庭園の中央にある東屋の椅子に腰掛ける。しばらく鳥のさえずりに耳をすましていると、幼い頃この庭を駆け回った日々を思い出す。
まだ何の縛りもなく、将来など心配することのなかった私たち。
私とセディ、それに彼の兄ギャリー、そしてコルム。
しかし、大人に近付くにつれ、それぞれがそれぞれの役割を果たそうともがき始めた。
「はあ、大人になりたくなかったな」
見上げると、2階のセドゥリウスの執務室の窓が見えた。
「こちらに気付くわけないわね」
「どうした? セディに会えなかったのか?」
突然背後から聞こえた声に振り向く。
「……ギャリー。びっくりさせないで下さい」
慌てて起立して、軽く礼をとると、彼は「ごめん」とニコリと笑う。
ああ、癒される。
セディにこの方ぐらいの愛想があればな、と思ってしまう。まあ、セディの悲哀に満ちた瞳もまた大好きなのだが、とも思う。
「急に話しかけてすまなかった。……リーシャ、大丈夫か? ……何かあったのなら僕が……」
「いいえ。幼い頃のことを思い出していただけです。あの楽しかった頃がなつかしくって」
戸惑いながらも心配してくれるギャリー殿下を私如きの心配事に巻き込むことはできない。
「そう……なのか。……それならいいけど」
「殿下こそ、どうしてここへ?」
「いや、君が……」
「私が……何か?」
言葉につまるギャリーに、私は首を傾げる。
「……何でもない。ただ通りかかっただけなんだ。そうだ、リーシャ、とうとう来月は婚約の儀だね。おめでとう」
「ありがとうございます、殿下。殿下も来年は、ご成婚とお聞きました。おめでとうございます」
「ああ、……ありがとう。再来月には彼女も入城する予定だから、君も仲良くしてやって欲しい」
『彼女』というのは、ギャリーと幼い頃から婚約を結んでいる女性だ。ギャリーの管理している領土との国境を挟んだ隣国の王女と聞いている。いわゆる政略結婚だ。そういう私たちもそうなのだが。
「かしこまりました。楽しみですね、殿下」
「……そう、だな。と言っても、今までに数えるほどしか会ったことがないのに……いや、リーシャの言うとおり、楽しみだな」
何か戸惑いを見せながら話すギャリーだったが、最後はまたニコリと笑顔をみせた。
「お時間大丈夫でしたか? つい長話を……」
「いや、こちらこそ邪魔して悪かった。今日は君に会えて良かったよ。ゆっくりして帰るといいよ」
「はい、ありがとうございます」
去っていくギャリーの背中を見送っていると、姿が見えなくなる直前で彼はこちらを振り返った。軽く手を振る彼に私も小さく手を振った。
控えめで優しいギャリーは、幼い頃から変わらない。
変わってしまったのは、セディだ。いつの頃だったか、彼の母ファーラ様が滞在されていたベアナから帰ってくると彼は宣言した。
「僕は将来、兄上を支えるために頑張ることにした」
と。
それからのセディは、私たちと遊ぶことは二の次で、王室教育に対して必死に取り組むようになった。その結果、彼は自分の感情を表に出さず、常に冷静でいようとした。
兄上のため、というよりは、おそらく彼の母上のためではなかったのか、と今では思う。ファーラ様に何か言われたのだろう。それほどの影響力がファーラ様にはある。
が、その頃の私は兄のために動き出したセディの姿が心からカッコいいと思ったし、私もがんばろうと思った。そして、セドゥリウス殿下の役に立つんだと切に誓ったのだった。
なのに、今日の私はどうだ?
幼い頃の誓いとはまるでかけ離れた、言動。セディの仕事の邪魔をし、困らせてしまった。
「はあ」と深いため息をつき、もう一度セディの執務室の窓を見上げる。
すると、窓際にコルムの姿が映った。彼はこちらに気付いたらしく、軽く会釈をしてきた。私は小さく手を挙げ、返事をした。
そう、コルムこそ、セドゥリウス殿下を支えている人物だ。コルムなしではセディは成り立たないと言えるほどに。
そして、私はふと5年ほど前のことを思い出した。
***
「あなた達二人は、セドゥリウスのことを生涯支える覚悟はあるかしら?」
ファーラ様は城内の一室に私とコルムを呼び出して、そう聞いた。
「はい」
間髪入れずにコルムは答えた。
「もちろんです。ファーラ様」
私も続いて答えた。
「分かったわ」といつも穏やかな印象の彼女はいつになく張り詰め、真剣な眼差しで私たちの顔を一人ひとり順に確認した。
しかし、次にはニコリと元の柔らかな表情に戻ったファーラ様は、「よかった」と言う。
「あなた達二人にお願いがあるの。大切なお願い。セドゥリウスを守るため、二人に特別なお願いよ」
ファーラ様はそう言うと、一度俯いてから顔上げ、意を決したように告げる。
「セドゥリウスを守るため、近いうちにあの子にある魔法をかけます。その魔法をかけると、あの子は声が出せなくなる……つまり、あなた達とセドゥリウスは魔法文字のみで会話をする事になるということ」
「そ、その魔法はいつになれば解けるのですか?」
セディの声が聞けなくなる残酷な悲しみでつい問い返す。
「できれば……生涯」
躊躇しながらも彼女は事実を告げた。それを聞いた私は、その場に立って居るのが精一杯なほど動揺した。小刻みに手が震えた。その両手をギュッと握る。泣くまいと必死に耐えた。
「あなた達が大人になれば、ギャリーが後を継いで王になるでしょう? でも、セドゥリウスの方が王に相応しいと、ギャリーの王座を良しと思わない人が出てくるかもしれない。
だから、そんな争いを防ごうということなの。セドゥリウスが彼の持っている能力を発揮し出す前に、……その前に、あの子の声を……」
「なぜッ! なぜ、そこまでしてセドゥリウス様を苦しめる必要があるのですか? 僕はセドゥリウス様が王でもいい……のに」
コルムがたまらず口を挟む。
「どうしてもッ! どうしても……ダメなの。それにもう……陛下にもご了承を頂いているわ。決まった事なの。
でも、これは私が陛下に提案した事。だから決して陛下を責めてはダメよ。二人とも分かってくれるかしら?」
ファーラ様は、珍しく声を荒げたかと思うと、悲しげな表情で話してくれた。彼女の必死さが伝わってきた。もう、覆せない決定事項なんだと、私たちは理解した。
「申し訳ありませんでした。……分かりました。生涯セドゥリウス様をお守りすると誓います」
「いいのよ、コルム。それだけあなたがあの子を大切に思ってくれているということだもの。ありがとう」
「私も……生涯セディの味方でいることを誓います。セディにどんな事があっても、きっとそばにいることを誓います」
「リーシャもありがとう。あなたにも感謝するわ」
ファーラ様は私たちの手を片手ずつ握ると、順にキスを落とした。そして、私たちを抱きしめた。
その後、ファーラ様から魔法文字はギャリー殿下と私たち二人にしか使わないように、セディに伝えるつもりだということを聞いた。
皆んなで王になったギャリーを支えてほしいとも懇願された。
ああ、ファーラ様はセディにもこうやってこの国の役に立つようにと奮起させたのだ、とその時理解したのを覚えている。
最後にファーラ様は、私たち二人に掌ほどの小さな透明の瓶を手渡した。それは、綺麗な瓶で中にはコバルトブルーの液体が入っていた。
「これは、もしセドゥリウスが……」
***
「リーシャ様、そろそろお時間です」
侍女のルーマーの呼ぶ声に「分かったわ」と返事をして席をたった。最後にもう一度セディの執務室に目を向けると、窓際にセディの姿が現れた。きっと、コルムが知らせたのだろう。渋々という感じで笑顔も見せず、肘を曲げて手を振る彼に、それでも嬉しいと感じてしまう。
もう一度、セディに会いに行きたくなる衝動を必死に抑えて、こちらからも手を振りながら彼に最大の笑顔を返した。
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