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丘の上から若草色の紙ひこうきのいく先を目で追うしかなかった。
その紙ひこうきは、やはりケイの家の方向ではなく、東の森の中へ消えていった。しかし、それを自ら追うことはしなかった。領主が当てもなく領内を一人でうろつくなど、またコルムにうるさく言われそうだ。それに、ケイの生活の邪魔をしたくなかった。
***
「ベアナの領地内では随分前から当たり前のように行われているようです」
「殿下?」
話を上の空で聞いていた僕は顔を上げた。また、数ヶ月前に飛ばした紙ひこうきのことを思い出してしまっていた。
15歳になって2度目のベアナへの訪問。今度こそケイに会えるだろうか。
『その件に関しても幅広く聞き込みをして行こう。僕も同行する』
領地訪問を明日に控え、コルムも準備に忙しく動いてくれている。
「そうしていただけると、心強いです」
二人だけの朝の執務室で、明日から10日ほどの予定でベアナ訪問を控えた僕たちはその打ち合わせをしている。
「それから殿下、たまには殿下の方から会いに行って差し上げては?」
『会えないから困っているんだ』
「誰のことをおっしゃっているかはしりませんが、ゴホンッ」
コルムの指摘に、またケイの事を考えていた自分に改めてはっ、とする。
「今日、夕刻にでもリーシャ様を訪問されてはどうですか? 喜ばれると思いますよ。マッカー家へ直ぐに文を……」
コンコン。
そこまで言ったコルムは、扉の方へ目を向けた。扉をノックする音に、僕はいつものように手を2回打って返事をした。
「殿下、リーシャ様がお越しですが、お通ししますか?」
扉の前で待機していた従者が用件を告げに部屋に入って言った。
「ほら見ろ」とばかりにコルムに流し目で睨まれる。
僕はため息を着くと『通してくれ』とコルムに文字を送る。
コルムと入れ替わりにリーシャが部屋に入ると、彼女からほわりと甘い香りが漂った。
「殿下」と言い、膝を曲げて礼をとる彼女の所作は完璧だ。
「お忙しいところ、朝から執務室まで押しかけたことをお許しください」
『問題ない。何かあったか?』
空中に文字をなぞって告げ、彼女の片手を取った。
「……」
僕を見上げるリーシャの瞳が潤んでいるように見えた気がした次の瞬間、彼女は僕の胸に体を寄せた。ぴったりと身を寄せた彼女は、しかし何も言わない。
僕は彼女を落ち着かせようと、彼女を両腕で抱き寄せる。
彼女のローズブロンドの長い髪はいつものように後ろで緩くまとめられている。僕は彼女の頭をさらに抱き寄せて頭頂部にキスを落とす。
すると、リーシャは安心したのか僕から体を離した。
「急にこんなこと……申し訳ありません」
俯いた彼女は、何かを思い詰めているようだった。
僕が彼女の肩をトントンと叩き注意を引くと、彼女の青い瞳がこちらを向いた。
『僕の方こそ、会いに行けず、すまない』
彼女は首を左右にゆっくり振った。
しかし、彼女は目で何かを訴えつつも何も喋らない。
『時間があるなら、今日はゆっくりここにいたらいい』
「……」
彼女の返事を待っていると、彼女はまた首を振って否を示した。そして、彼女の目から一筋の涙が溢れた。
僕はリーシャをそんなに悲しませ、不安にさせていたのか?
心当たりが無い……わけではないが、自覚がなかった。
これはヤバい。
焦った僕はもう一度彼女を抱き寄せた。そうするしか、方法を知らなかった。
「セディ、無事に帰ってきてね。今日はお会いできて良かったです」
リーシャは僕の胸の中で囁くように僕を愛称でよび、無理やり作ったような笑顔で僕を見上げた。
そんな彼女の顔を見ても、リーシャの悲しみをほとんど分かってやれていない気がして、無力な自分が情けなくなる。
『リーシャ、ベアナから帰ったらすぐに会いにいくから、待っていてくれるか』
僕はリーシャにわずかな希望を与え、「はい」と小さく返事をした彼女に安堵した。実際、リーシャは少し落ち着いたようで、名残惜しそうにしながらも執務室を出て行った。
再びリーシャと入れ違いで入ってきたコルムがすぐに口を開く。
「どうやってリーシャ様を慰めて差し上げたんです? かなり深刻そうに中に入っていかれましたが?」
『なんでコルムにそれを教える必要がある?』
「殿下がリーシャ様に出来ない約束などしていないかと心配になっただけです」
『余計なお世話だ。ただベアナから帰ったらすぐに会いに行くと伝えただけだが、問題あるか?』
コルムは「問題はないですね」と腕を組みながら目を細めてこちらを不満そうに眺めている。
「ベアナから帰ってきてすぐに会いにいくなど、約束するまでもないことですよ、殿下。当たり前のことです。ひと月余りで殿下とリーシャ様の正式なご婚約の儀が執り行われるのですから。もっとしっかりなさって下さい」
「……」
色々言いたいことはあるが、コルムの言うことは決して間違っていないのだから、上手く言い返せない。
それにしても、コルムはリーシャの事になると異常に干渉してくる。毎度毎度……イラつきさえ覚える。
しかし、こうやって僕のために厳しめに声を掛けてくれるのは、彼しかいないのだから———彼のことも大事にしなければならない。
もちろん、リーシャのことも。これからは、自覚を持って彼女に接しなければならないのだろう。
三日後。
僕はまたベアナのあの丘の上の柳の木の下にいる。その日の仕事を終えた僕は、夕暮れ時にあの柳の下から紙ひこうきを飛ばした。ケイに届けと強く願って。
が、その紙ひこうきの進む方向は、やはりあの小さな家ではなく森の方へ飛んでいく。
『僕は15歳になりました。柳の木の下でお待ちしています』
そう記した紙ひこうきは、ケイに届いてくれるだろうか。様々な不安も込み上げてくる。
彼女が不幸になっていないか。
紙ひこうきの相手が存在しない場合はこちらに返ってくる。しかし返って来ないところを見ると、彼女に届いていることは確かだ。
確かだが、……幸せでいるだろうか。
そう考えるだけでズキリと胸が痛んだ。
彼女が誰かと幸せに暮らしているのならば……幸いだ、と思う————-のに、なぜか胸が苦しくもなる。
そのとき、昔の記憶がふと蘇ってきた。
***
母が亡くなって一年後、僕は再び母のいたベアナを訪れた。母の屋敷を片付けるためだった。
そのとき、僕は初めて紙ひこうきを柳の木から飛ばしたのだった。
すでに日は暮れていた。が、僕はコルムの目を盗んで屋敷を抜け出していた。紙ひこうき———ケイへの初めての手紙を送るために。そして、僕は彼女の目の色と同じ若草色の紙を折って魔法の力を借り、念じて飛ばした。
ケイに届きますように。
彼女の家にまっすぐ飛んでいく若草色の紙ひこうき。
それを眺めていると、後ろから声を掛けられた。
「まさか、坊ちゃんも彼女の順番待ちか? お前みたいな子どもが……まさかな。じゃ、俺が先に行かせてもらうぜッ」
機嫌良く横を通り過ぎていった、ひょろっとした男性に見覚えはなかった。その時の僕はまだ子どもで、ケイの親戚の者か何かだろうと思ったし、その男性が言っている話の内容など理解できるはずもなかった。
そう。暗闇の中、男性が何の目的でケイの家に入っていったのか、その時の僕には分からなかった。
***
しかし、あれは———。
何故今ごろ気付く。遅すぎるだろう。
今回王都からベアナ出発前にコルムと話していた内容———つまり、ベアナの地では「夜這い」が日常的に横行されているという問題だ。
4年も前からケイは……ッ!?
もしかして性病に侵されてはいないだろうか。
誰の子かも分からない子どもを抱えて、一人で苦労しているのではないだろうか。
いや、セドゥリウス、そうではないだろう? ケイが……あんな女神のようなケイの体が無数の男の遊び道具にされていること、それに対する怒り、悲しみ、苦しみが僕の呼吸を荒くした。そして、そうとも知らず、4年間、いやもっと前からか……ケイの力になれなかった自分の無力さに失望した。息もまともに出来ないほどの恐怖の感情の波に押し潰されそうになる。
クソッ! クソッ! なんでなんだッ!
ケイ、ケイ……。
屋敷に向かって馬を走らせながら心の中で何度も叫んだ。
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