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 母の亡骸の横にいると、昨夜の母との最期の会話が何度も頭の奥で再生された。

 しかし、少しの間だけでもこの悲しみを断ち切り、立ち直らなければならない。何故ならば、僕は王子だからだ。いくら10歳の子どもであろうが、関係ない。いつでも強く居なければならない。彼ら城の者達の前では特にだ。

 僕は最後に母の額にキスを捧げると、涙を拭き、顔を上げた。

 そして、母の部屋の戸を開け、廊下に出た。部屋を出た所にコルムがいた。


『少し一人にしてほしい。付いてくるなよ』


 魔法文字で彼にそう伝えると、僕は必死に平常心を保ちながら一気に階段を駆け降り、上着も身につけず外に飛び出した。

 その時の僕にはそれが精一杯だった。まだ子どもだった僕は鍛え方が足りなかったのだと思う。

 僕は外へ出ると、屋敷敷地のすぐ隣にある女神殿を目指した。母が生前好んで通っていた場所である。母を失い、心の拠り所を無くした僕は誰かにすがりたい一心だった。この地を守って下さる女神様なら、もしかして僕の心に寄り添って下さるかもしれない。そんな気がしたのだ。

 外を走っている間、たとえ冷たい強風が降り掛かろうが、寒ささえも感じなかった。ただ、自分の涙が風に吹き消されて行く。それが僕にとって好都合だった。誰にもこの涙を見られる訳にはいかなかったからだ。

 どうか、今日だけは許して欲しい。

 母の死を受け入れるのに……悲しむのに時間が欲しかった。

 今日で弱い自分を捨てるから、どうか、許して欲しい。


 女神殿の重い開き扉の片側を開けて中へ入ると、中は灯りも灯っておらず、澄んだひんやりとした空気が漂っていた。幸い、誰もおらず————こんな吹雪の日にここにやってくる者などいるはずもなく————僕はゆっくり女神像の側で過ごせることに感謝した。

 50人程が座れる長椅子が並べられ、前方中央には女神像が掲げられている。椅子の中央を抜けてまっすぐ女神像を目指し歩いて行くと、なぜか少し気分が落ち着いた。

 しかし、女神像を手で触れると、また静かに涙が溢れた。

 ……母上。

 僕はその像に背をもたれ掛かり、そして膝をたたんでうずくまった。泣いても声は出ず、鼻を啜る音だけが屋内に響いた。


 いつの間に眠っていたのだろう。肩にフワリと何かの重みを感じ、膝を抱えたまま目を覚ますと、ハーブの心地よい香りが鼻を掠めた。人の気配にゆっくり顔を上げると、目の前には女性……いや少女がしゃがんでいた。


「何か悲しいことがあったの?」


 目の前で僕の顔を覗き込んでいる彼女ひとは、ゆっくりとした口調で話しかけて来た。

 僕は彼女の姿を目にした時、それが女神様なのではないか、とさえ思った。長く綺麗なふんわりとした金髪に色白な肌をもち、長いまつ毛の下には若草色の瞳がこちらを見ている。薄暗くても彼女が美しい少女であることが分かった。僕が彼女に見惚れているのも知らず、彼女はにっこりとしながら首を傾げた。

 彼女のその笑顔が、綺麗だと思った。

 すると、彼女は僕の隣に腰を下ろした。そして僕の背中に片手で触れると、ゆっくりと上下に動かした。彼女は「おまじないだよ」と言った。


「私もよく母さんにこうやってしてもらったの。母さんがね、人の手には心の手当てをする力があるんだよ、っていつも言ってた」


 「どう?」とまた横から顔を覗かれる。僕は彼女の顔の近さに驚いて思わず顔を伏せてしまった。


「あれ? 私の手には手当ての力がないのかな」


 背中の手を止めて、手のひらを眺め出す彼女に、僕は慌てて首を左右にブンブン振った。

 違う。そうじゃない。

 貴女の手は暖かい。

 そう伝えたいのに、開いた口から声は伴わない。


「あーあ。私も本当に魔法でも使えたら良かったのになぁ。知ってる? 本当に魔法を使える人が今もいるんだって。すごいよね。そうしたら、私も君のこと魔法で元気にしてあげられるのにね」


「……」


 僕は彼女の瞳を見つめた。

 僕、魔法使えます。

 そう言いたかった。もし、そう言えたなら、この人は喜んでくれるだろうか。

 しかし、そんなこと伝えられる訳がなかった。

 伝えてしまったら、僕の正体もバレてしまうかもしれない。

 それは嫌だった。


「あなた、どこの子? どこかのちょっと良いところのお坊ちゃん、って感じよね。なんとなく品があるもの。あ、家出とかじゃないよね? だめだめ、小さい頃は家出しても無駄なんだよ。所詮お子様なんだから、すぐに大人に見つかっちゃうんだから。ふふふっ。だから、ね、送って行くから、お家に帰ろうよ」


 僕は左右に首を振った。

 彼女のような成人した女性———でも15歳ぐらいだろうか———からみれば、僕みたいな子どもがこんな天候の日に一人でこんな所に居れば、親切にしてくれるのは当然かもしれない。それに、この領地にいる時は、目立たないように平民の服装に近いモノを来ているから、そんなに不審がられてもないらしい。品があるとか言われてしまったが。

 しかし、僕はまだ帰れなかった。もう少し母の死について気持ちの整理に時間をかけたかった。それに、もう少し目の前の彼女の笑顔を拝みたいとも密かに思った。

 すると、自分の意思に反して僕の腹は正直に空腹を訴えた。


 ぐーーッ、ぐぅ〜〜ッ。


 僕は恥ずかしさのあまり、咄嗟に腹を押さえるが後の祭りだ。こんな綺麗な女性ひとに恥をさらしてしまい、顔面から耳までが熱くなって行くのがわかった。しかし、腹の音は止まってくれなかった。

 そう言えば、今朝は朝起きてから何も口にしていない。


「あらら」


 彼女は声を殺しながら、楽しそうに笑っていた。

 僕はまたそんな一面をみせた彼女の姿に釘付けになった。

 本当に美しい女性ひとだ。


「帰りたくないのなら、うちに来る? 暖かいスープぐらいならご馳走できるけど」


 僕は反射的に頷いていた。色々な感情の相乗効果による返事だったと思う。空腹。寒い。寂しい……。彼女の側にいたい。


 彼女が掛けてくれたショールを肩にかけたまま僕は彼女と二人で女神殿を出た。外はいつの間にか日が差し始めており、雪もほとんど降っていなかった。


「晴れたわね」


 柔らかい彼女の話し方が、僕をさらに暖かく癒した。まるで、彼女といると母上といるような感覚にも囚われる。10歳の男の子でいていいのだ、という安心感があるのだ。

 彼女を見上げると、彼女は頭をポンポンと撫でてくれた。そして差し出された手に僕は手を重ねた。


「あの丘の上にある柳の木から私の家が見えるのよ」


 しばらく歩くと彼女の言った通り、小高い丘がありそこに一本の柳の木が立っていた。僕たちはその木の横を通り過ぎ、丘を降りたところにあるポツンと建つ小さな家に辿り着いた。

 家の中に入ると仄かに暖かかった。そして、ハーブの香りがフワリと体を包んだ。

 すごく……落ち着く。


「ここが私の家なの。1週間前までは母さんと二人だったんだけど、今は一人なんだ。気にしないでこっちに入って。そこに座って。今、スープを温めるわね」


 僕はこくりと頷いた。

 一室しかない部屋の中は小さなテーブルが一つと椅子が二脚それに煮炊きと暖炉を兼ねた古いストーブがあった。物といえばその程度だが、売り物だろうか、至る所にハーブが干されており、その香りが部屋の中を気持ちよく満たしていた。奥にはカーテンで仕切られた寝具らしきが少し覘いており、首をぐるりとひと回しただけで見渡せてしまう粗末な家だった。

 この時、僕は初めてベアナの領民の実際の生活を目の当たりにした。しかし、綺麗に手入れされた彼女の家の中は決して悪い印象はなく、逆に住人の充実した生活感にあふれていた。


「そうだ……ところで、あなたお名前は?」


 密かにそんなことを考えていると、意外な質問を投げかけてきた。

 いや、そうか。名前ぐらいは知りたいのが人というものだろう。

 しかし……。


「……」


 本名を名乗れば、自分の立場を彼女に知られてしまう。この居心地の良い安心感が終わってしまう。それに……声も出せない。紙とペンを頼んで文字に書いて示すことも何となく躊躇された。


「私はケイよ。ヴィーン•ケイ。ねぇ、あなた耳は聞こえるみたいだけど、喋れないの?」


 そうしているうちに先に名乗った彼女の続きざまの質問に僕は俯いたままこくりとと頷きながら、彼女の差し出したスープを受け取った。

 喋れないのはウソではない。

 ポタージュらしきのスープをスプーンでひと匙掬って口に入れると、体の中からじーんと温かくなった。

 サツマイモのポタージュ……美味しい。

 僕は言葉にできない代わりに、ケイにニコリと笑顔を向けた。


「あー! やっと笑ってくれた。君にはスープの方が効果があったみたいね。 そうだ! じゃ私、君のことポタージュスープのポタくんって呼んじゃおうかな」


 「あはは、決まり、決まり」と楽しそうなケイはその日別れるまで、僕を『ポタくん』と呼んだ。


 ***


 ケイに対しての感情については、15歳の今の自分にもよく分からない。愛と恋とかの類とも違うような……と言っても、それ自体が何なのかも分かっていない僕なのだから、仕方がない。

 ただ、ケイには僕のことを覚えていて欲しかった。また、彼女のそばで安心感を得たかった。そう言う感情はある。

 僕には10歳の頃、すでに婚約者がいた。その婚約者とは幼馴染だったし、彼女のことは嫌いじゃなかった。そして、将来は彼女、リーシャと夫婦になることを承知し、納得もしていた。……当たり前のように。

 そして、それは15歳になった今でももちろん変わらない。

 ただ、ケイと出会ったあの時から、僕はいつもケイのことが頭の片隅にあった。

 だから、僕は彼女に手紙を送り続けている。

 ケイの瞳の色と同じ若草色の紙に


『15歳になったら、会いに行きます』


 と。いつもそれだけを記して。

 ただ、初めは5年前のお礼を必ず、という思いで送っていた。大人になれば自分の力でできることも増えるし、大人になった僕を彼女に見せに行きたかったからだ。

 しかし、次第に———事あるごとに———つまり、僕がケイを恋しくなる度に、書いて、そして空に飛ばした。相手を想って飛ばす紙ひこうきは、真っ直ぐ迷いなくケイに届くように、魔法の力を借りている。

 だから、ケイには何通も届いているはずだ。


 今いるのは、そのケイが住んでいた家を見下ろせる柳の木の丘の上だ。子供の頃を思い出しながら、あの家からいなくなった彼女に向けて今日も紙ひこうきを飛ばした。


『15歳になりました。会いたいです』


 ケイ、貴女に会いたいのです。



最後まで読んで頂きありがとうございます。


何か感じるものがありましたら、評価や感想などで教えて頂けると、大変喜びます。

次話もがんばります!

宜しくお願い致します。

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