13
朝から良く晴れた日の昼過ぎ。
執務室の窓を開けた。暖かな日差しと共に爽やかな風が部屋の中に入り込んできた。
その日差しの中に向けて僕は久しぶりに紙ひこうきを飛ばした。もちろん若草色の紙で。------ケイ、あなたに届きます様に------と魔力を念じながら。
———ケイ、無事ですか?
返ってこなければ、彼女がこれを受け取った証拠だ、生ている。
サインもなく返ってくれば、生きていない。
サイン入りが返ってくれば、彼女は無事だ。
生死だけ、それだけ分かればいい。
再びベアナの洪水跡に向かう三日後まであの紙ひこうきを待とう。そう自分で決めた。
『これから 街へ出ないか? 久々にお前とゆっくり話したい』
紙ひこうきを飛ばしした後、しばらくするとコルムが部屋に入ってきた。今日はこれで帰宅するというコルムを引き留めた。
まだ途中ではあるが、彼には激務だったアープダでの働きに対して労いをしたかったし、それに一人でいるとついケイの事を考えてしまう気持ちを紛らわしたかった。
「……」
『アープダの民のことを考えると それどころではないか?』
いつもなら、二つ返事で帰ってくる彼の返事は珍しく無言だった。
「あ……、いえ。まあ、それもそうなんですが。殿下は最近、私如きに時間を割くよりリーシャ様のことを一番に考えていらっしゃったので、少し意外だと思いまして」
リーシャのことを考えなかったわけではない。机の上を見やると、今日も彼女が持って来てくれた草花が可愛らしく存在していた。だが、今の僕の気持ちをリーシャで埋めるのは嫌だった。
『リーシャには 明日会いに行く』
「本当はリーシャ様に時間をお譲りしたいところではありますが、まあ、殿下がどうしてもと仰るのならお供致しましょう」
『もう少し 素直に 言えないのか?』
「それは、そっくりそのままいつもの殿下にお返しするべき言葉ですね」
そう言ってクスクスと笑うコルムを見て、何処か安心する。僕が僕でいるためには一人では敵わないことであると改めて痛感する。
*****
今日は時間もあり、せっかくだから城から離れた所に行こう、というコルムの提案で昼間の街中を町人姿の二人は肩を並べて歩く。大通りの縁を店々の様子を観察しながら歩くだけでも気分転換になる。
「この辺りは王都の入り口に近いので、飲食店や宿屋が立ち並んでるんですよ。あ、そうそう、もう少し行くと今女性に流行りの茶菓子の店があるので、明日リーシャ様にお持ちしてはいかがですか」
『帰りに 買って帰ろう』
賑わう街並みにコルムの街解説が加わると気持ちの高揚が止まらなくなる。
「では、この辺りで食事にしましょうか。食べたいですか? それとも飲みたいご気分ですか?」
コルムの好きにしろ、と人差し指をコルムに向ける。
「そう仰るなら、食べた後に飲みに行きましょう!」
今日はいつもより饒舌な上、飛び跳ねるような足取りで上機嫌なコルムに全てを任せたくて、うん、と頷く。いわゆるお忍びで街に出ている僕の事を「殿下」ではなく「セディ」と呼びながら会話をし、コルムと幼い頃のように過ごせる時間がありがたい。コルムは、ああやって先程は、街に出るのを一度は断りかけていたくせに、本当は僕と出かけたかったのか、と分かると、また彼を誘ってやろうと思うのだった。
コルムも可愛いやつだ。
と、その時、ふと女性が横をすれ違ったかと思うと、ふわりと懐かしい香りが鼻を掠めた。
……ハーブの香り。
僕はハッとし、後ろを振り返った。
気のせいか。
振り返って辺りを見渡してみても……いるはずは、ない。
ましてや、ここは王都だ。ここにケイがいるはずがない。
だが、気になった。何故か妙な胸騒ぎがした。来た道を店一、二件分戻りながら流れていく人の流れにケイの面影を探した。もし、声が出せたなら、こんな時あなたの名前を呼べるのに。今ほど声の出ない自分がもどかしいと感じたことは無い。
ケイ、ケイッ!
すると、一瞬だが彼女のローズブロンドの頭が見えた気がした。そこの暗い路地の向こうに!
僕は諦めて膝をつきそうになっていた脚を伸ばしなおし、その路地へ急いだ。
あれ? なぜだ?
確かに目にしたのにッ!
暗い路地を奥へと入って行っても人一人として存在しない。
それでも僕はしばらく周辺の路地を探し回った。さらに大通りに戻りそこでももう一度探した。
見間違いでもいい。ただ確かめたかった。ケイなのか、ケイじゃないのかを。
「セディッ!!」
呼ばれて道に膝をついていた僕は顔を上げた。
「何て顔をなさってるんですか! 何があったんです?」
叫ぶに叫べず、コルムは声をひそめながら隣に屈んだ。
『……ッ!』
迷いながらも空中に指をゆっくり動かす。
『ケイが いた』
「えッ?」
コルムは息を呑んだ。
「会ったんですか?」
地面に両手をついた僕は、俯いた頭を大きく左右に振った。
『見失った』
すると、コルムは目の前に手を差し伸べた。
「セディ、立ってください。あなたのそんな姿を見たくありません」
その手の上に僕の手を重ね、コルムに身を委ねた。肩に手を回した彼は、前を向いたままゆっくりとそして子を宥める母親のように優しく諭す。
「もう、彼女のことは諦めて下さい。あなたをこんな風にしてしまう彼女に、私はお味方することはできません」
コルムの言っていることは正しい。頭では理解できる。ただ、僕の精神が未熟なだけなのだ。ケイのことになると理性を保てず、王子としての振る舞いが出来なくなる。それではダメだとも分かってもいる。
「セディ、やっぱり飲める店に入りましょう。彼女の事をすっかり忘れてしまうまで、とことん付き合いますから。ほら、こっちです」
コルムに肩を支えられ、半分引きずられながらしばらく歩いた後、店に入った。
それから後の事はほとんど覚えていない。お陰でその記憶のない時間だけはどうやらケイのことを忘れられたらしい。次の日の朝、ベッドの上で目を覚まし、酷い頭痛で頭を抱えるまでは。
二日後、僕はもう限界を迎えていた。もしあの後ろ姿がケイだとすれば、この二日の間に王都を離れてはいないだろうか。そうなればもう一生彼女には会えないかもしれない。
早く探さなくては!
ケイが何処かへ行ってしまいそうな気がして、焦っていた。その焦りを抑えるのが、もう限界なのだ。
街へ下りるのに、ケイへの僕の想いを否定されたコルムを頼る事は出来ない。
一人で行くしかない。
何度も二人で繰り出した街中の地理が全く分からないわけではない。喋れなくてもケイを探すことぐらい一人で出来るはずだ。そう自分に言い聞かせた。
「殿下、それでよろしいですか?」
明日の昼過ぎにはベアナへ向けて立たなければならない。後悔はしたくない。今夜、決行しよう。人目の付かない夜中に。
「殿下?」
リーシャに呼ばれて彼女を見ると、上の空で聞いていた問いかけに、とりあえず頷いた。
「では、ご無理を言いますが、お待ちしておりますね」
笑顔で話すリーシャ。明日の出発前に会いに来てもらえないか、という話だったのだろう。問題ない。
『分かった マッカー公爵殿にも よろしく伝えてくれ』
「かしこまりました」
礼を取り、一旦執務室のドアを開けようとノブに手をかけたリーシャだったが、その手はノブを引かずに固まり、そして彼女は再びこちらを振り返った。その顔は何か思い詰めたような表情だった。
「……セディ」
彼女は川にでも落ちそうな僕を引き上げるかのように慌ててこちらに近付くと、僕の片腕をグイッと引っ張った。リーシャは、僕の胸に一旦顔を埋め、そして僕を見上げた。彼女の目は潤んでおり、泣くまいと必死に涙を堪えているようだった。しかし、僕は彼女の瞳を見つめることしかできない。
「セ……ディ」
喉の奥から漸く吐き出したように僕の名を口にすると、リーシャから口付けを受けた。突然、一方的に唇を押し付けられた僕は一歩後ろに退いた。
リーシャは、やっと我に返ったかのように僕から離れ、俯いて立ち尽くす。
「……」
そのまま無言で僕にもう一度礼をとると、振り向いて僕に背を向けた後、彼女は行ってしまった。
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