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 例年より二ヶ月早くやって来たベアナの雨季は、想像を超える豪雨となり、工事中だった河川の氾濫はアープダの村の半分をのみ込んだ。

 あれから一ヶ月。

 高台にあるアープダの母上の屋敷とその広い敷地内は領民の避難場所の中心となっている。

 僕たちと言えば、日々、村民の行方不明者の捜索や救助、家を失った者への援助に奔走するのみだ。

 アープダの豊かな農地は大打撃を受け、青々としていたハーブなどの農作物は収穫されずに泥に埋まってしまった。

 先日やっと王都からの救援物資が届き出したが、領民の気力は失われたままだ。肝心の声の出せない領主は一人では何もできず、取り敢えず一日中体を動かし、彼らの手助けをしようとする。それで自分の気持ちは紛れた。

 もうしばらくすれば、農地や家屋を失ったものの中にはアープダを離れ、親類や知人を頼って村の外へ行く場合もある。

 一方で僕は焦っていた。見つからないのだ———-彼女が———ケイが。こんな毎日の中でも合間をぬってはコルムに捜索をさせているが、見つからない。

 情報が無いわけではない。ケイの夫については、残念ながら死亡が確認された。一方、ケイの夫の両親の無事が分かり、ケイの行方を尋ねたが、彼女の行方は分からないと言う。そして、幸いなことに今のところ、ケイの遺体は見つかっていない。

 だから、こうしている今もケイはどこかで救助を待っているかもしれない。そう希望を持つしかなかった。


「今日も行方は掴めませんでした」


『そうか 毎日 手を煩わせてすまない 感謝する』


 こんな会話をもう何夜続けて来たのだろう。もうそろそろ、彼女の生存を諦めるべきなのかもしれない。それに、一旦王都へ帰って陛下へ現状報告し、アープダの今後についても相談しなければならない。


『コルム 明後日には王都へ向かう そちらの準備を頼む ケイのことは もう 仕舞いにしよう』


 そう伝えても胸の奥は苦しいだけだった。


「かしこまりました。仰せのままに」


 いつもならケイのことなど放っておけ、リーシャを大事にしろと言いそうなコルムだ、が、今回のことについては、何も言わず、ただ僕の話を聞き入れ、動いてくれた。だから、僕の方もいつまでもケイのことを引きずってはいけないような気がした。これ以上コルムに迷惑は掛けられない。

 一人になった寝室で、眠れない夜を過ごす。手には若草色の一枚の紙。一度泥水に浸され乾いたそれは、僕がケイに飛ばした紙ひこうきだったものだ。文字は水に流されてしまっているが、魔力を使って作ったその紙は、水に強く、灰汁あくの強い植物で染めた若草色。これは間違いなくあの紙ひこうきの紙だった。

 領民の救助中にたまたま見つけた泥だらけの一枚の若草色の紙。この地で見つかったということは、一旦はケイの手に渡ったのだろう。そして僕の所に返ってきてくれた。文字のない紙ひこうき。彼女が大事に取っておいてくれたのだろう。僕のことを少しは覚えていてくれたのだろうかと、期待もしてしまう。

 しかし、毎夜、こうやってケイに思いを馳せながらこの紙を見つめてみたところで、何の意味がある? もう何の意味もない。

 ため息を知つきながら、そうやって気持ちの整理をつけていると、左手の指輪が青く光った。

 ———リーシャ。

 久しぶりにこの光をマジマジと見つめた。しかし、今……君の指輪を光らせる余力が僕には……無い。




「セディ? ……泣いてるの?」


 立ったまま僕の腕に抱かれたリーシャがそう囁いて、自分が泣いていることに気付く。陛下への報告を終えた僕を執務室で待ち構えていたリーシャ。そんなリーシャにまた同じ過ちを繰り返す。

 ケイで埋め尽くされた頭の中を君で塗り替えられたらと、リーシャを利用するなんて。

 ……すまない、リーシャ。

 謝りたいのに、顔を上げる事ができず、もちろん声も出せず、ただ涙が頬を伝い続ける。

 それ以上、涙の理由さえ聞く事もなくリーシャはじっと僕に体温を送り続けてくれた。

 そのリーシャの体温は、ここ一月あまり、ろくに睡眠がとれていなかった僕に睡魔を引き寄せる。そして、未だ満たされない気持ちのまま、僕の意識は遠のいていった。



 目を開けて繋がれた手を辿りながら顔を上げると、僕は自分の目を見張った。


「ケ……イ……」


 その瞬間、自分の声が出たことにも驚く。

 彼女に体を預けたまま木陰で眠っていたらしい。隣にいるケイは僕に「ふふふ」と楽しそうに微笑み掛けた。


「ポタ、大きくなったね。やっぱりあなた声も出せるのね! ハハッ、また会えて嬉しいな」


 10歳の僕を「ポタ」と呼んだケイ。その時、あまりにも美味しそうにさつまいものポタージュをたべていた僕をみて彼女が名付けたのだ。


「僕も、ケ……ケイにず、ずっとあ、会いたくて」


 声は出せても上手く言葉が出てこない。「ふふっ」と彼女はまた笑う。


「ちょっと、待ってて」


 手を離して立ち上がったケイは、クルリとこちらに振り向き、もう一度眩しい笑顔でニコリとすると丘を下って行こうとする。


「ま、まっ、待って……ケ、ケ……イ……」


 どうにしてか、立ち上がりたくても腰が上がらない。


 行かないでッ! ケイ、お願いだッ!


 彼女の背中はどんどん遠ざかって行ってしまう。

 嫌だ……!



 やはり、夢だった。

 握られた片手を辿るとその先はリーシャに辿り着く。

 どのくらい寝ていたのだろう。窓の外は暗く、周りは物音一つなく静まり返っている。

 見慣れた天井。

 僕の寝室か。僕の手を握ったままベッドの上にうつ伏せて眠るリーシャ。そっと手を引き抜き、彼女の頬に触れる。

 リーシャはきっといい伴侶になる。こんな僕に尽くしてくれる女性ひとはもうリーシャ以外にいるはずがない。

 それを頭では分かっているのだ。分かっている。

 ベアナにいた一ヶ月余りの間、指輪の通信も疎かになっていたにもかかわらず、こうして僕を待っていてくれたのだろう。

 精神が弱っているのか、また、涙が一筋頬を伝う。


「セディ? ご、ごめんなさい。私、寝てしまって……」


 急に目を覚ましたリーシャに、僕は慌てて腕で顔を伏せ、顔を背けた。もうリーシャに涙を見られたくなかった。

 そうして、もう大丈夫、とリーシャの方に顔を向き直すと、急に彼女の顔が目の前に接近してきた。優しく重ねられた唇は、一瞬だった。


「私はいつも隣にいます、殿下」


 耳元で囁くリーシャの言葉に胸が熱くなる。だが、今の僕には彼女の言葉に応える権利はなかった。こんな近くにリーシャがいるのに、ケイの夢を見てしまう僕は君に何を言えばいい? ありがとうなんて、感謝を述べるべきなのか。


『君はベッドに 僕は向こうの部屋に行く』


 未婚の男女が一つの部屋で一晩を過ごすことは許されないし、風邪を引かれては、と判断し事務的に伝えた僕は、ベッドを降りた。

 「セディ」と呼び止められても僕は振り向かなかった。僕の正面に周りこんだリーシャは必死だったが、しかし落ち着いていた。


「あなたが壊れてしまいそうで、心配なのです。朝まであなたの側に居させて下さい。お願いします」


 リーシャは僕の袖を掴んで言った。

 君と一緒にいても僕は君を傷付けるだけなのに。君でケイの代わりをさせてしまう最悪の男なのに。

 そう言えるはずもなく、しかもリーシャの意思はかなり固い事が表情から読み取れた。リーシャは、どんな時も僕のために力を尽くそうとしてくれる。


『夜着に着替えた方がいい ルーマーはいるのか?』


「は……い」


『ルーマーをここへ 僕は着替えが終わるまで 隣の執務室にいる』


「はい……。ありがとうございます、殿下」


 まさか、一緒のベッドで朝まで二人で眠ると思っていなかったのか、リーシャは着替えを促されて戸惑っている様だった。一瞬しまった、とは思ったが、その時の僕にしてみれば、誰に何を言われてもリーシャという味方がいれば強くなれる気がしていた。

最後まで読んで頂きありがとうございます。


何か感じるものがありましたら、評価や感想などで教えて頂けると、大変喜びます。

次話も頑張ります。

宜しくお願い致します。

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