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ここパールア国の王都グリテラスは国の商業の中心で、国内外の商業者が行き来し、年中活気に溢れている。これが何百年も続いていると言うから驚きである。
そんな商業の街に今日は朝からしとしとと雨が降り続く。
———-雨は不吉を導く。
王都グリテラスではそう言われる。だからこんな日はほとんどが店を閉め、街の中はまるで人々に忘れ去られた遺跡のように静まり返っているに違いない。
コルムと街に繰り出したのが昨夜で良かった。雨が降ると街の商売人達は冬眠にはいった動物のようにすっかり屋内に閉じこもり、ひたすらに雨が上がるのを待つからだ。
「グリテラスでこのように一日中雨になるのは珍しいですね」
執務室の窓からその雨を眺めていると、コルムがさりげなく言った。
『本当に 魔物が 近くにいるかもしれん』
雨になると街の近くに魔物が近付いている証拠———つまり、不吉=魔物———これはグリテラスの住人ならば幼い頃に必ず聞かされる話だ。僕も幼い時分、コルムやリーシャが大人達から聞いたと、魔物の話してくれた事があった。しかし、それを母に聞いても「目にしたことのないものを信じない方がいいわ」とあっさり否定されたため、僕は魔物を恐怖や不吉とは思わなかった。
「ハハハッ、迷信ですよ。魔物の話など……殿下ッ! どうされましたッ!?」
ズキンッ! ズキンッ!
「殿下ッ、殿下ッ!」
急に背後から硬い金属で頭を殴られたような、前触れもない頭痛に襲われた。そうかと思えば、キーンと強い耳鳴りが周囲の音を消し去っていく。頭を抱えその場にうずくまる僕にコルムが必死に呼びかける声も徐々に遠ざかる。
しかし、しばらくそのままじっと痛みに耐えていると、耳鳴りも遠ざかり頭痛も治っていった。
やっとのことで目を開いて顔を上げるとコルムが不安な顔でこちらを覗き込んでいた。
「殿下、……大事ございませんか?」
優しく声をかけてくれるコルムに「大丈夫だ」と頷いて示す。コルムの肩を借り、立ち上がると意外に何ともなかった。
『問題ない このこと 大事にするなよ 医師もいらない』
他人に迷惑をかけるのは好まない。ましてや第二王子が病などとなれば城中の騒ぎとなる。初めて襲われた症状だったが、それもほんの一時の間で、少しじっとしていれば症状は無くなった。そして、今は全く元通りだ。恐らく疲れているのだろう。一時的なものだ。そう思ったし、コルムもそう言ってくれた。
しかし、なぜか翌朝執務室にやって来たリーシャには、昨日の頭痛のことがバレていた。
———コルム! あれだけ大事にするなと言ったのに!
流し目で彼を睨みつけると「リーシャ様にだけです」と耳打ちしてくる始末だ。一番信頼しているお前に裏切られ、しかも一番知られたくないリーシャに知られてしまうとは、もう呆れて文句も言えない。
『あれから 何も起きていない 問題ない』
そう伝えたところで、リーシャが納得してくれるはずもない。
「今日は一日、ここに居ても構いませんか? 家に帰っても外は雨で庭に出ることも出来ませんし、……何より殿下のご容体が心配なのです」
『構わない 居てくれ』
こういった事を言葉でリーシャに伝えるだけでも、いちいち鼓動が早くなるから、どうしたものか。リーシャが執務室にいる状況で一日仕事がまともに出来るのだろうか。
いや、今まで何のために王子としての教育を受けて来た? どのような状況下でも動じない精神力を鍛えるよい機会ではないか。
途中お茶を淹れてくれたり、香を焚いてくれたり細々世話をやいてくれる彼女に何度も惑わせられながらも、とりあえず、一日が終わろうとしていた。まだ降り止まない小降りの雨のせいで、日の入りの時間をくり上げたようにどんよりと薄暗い外の景色は自然と気持ちを暗くさせる。
「リーシャ 日がすっかり落ちる前に 帰った方がいい」
昼食の時間も惜しんで仕事に打ち込んでしまっていた僕は、軽食を運んでくれたリーシャにそう伝えると、彼女は素直にそれを受け入れた。
「……分かりました。セディ、ご無理はなさらないで下さい。お願いですから早めに寝台にお入り下さいね」
片手にトレイをもつリーシャの反対側の手を取ると、白い美しい手の甲に唇を寄せた。
『君も 無理しないで』
リーシャは頬を薄く赤らめて可愛く微笑むとゆっくり頷いた。君の微笑みが一番の癒しかもしれないな。そう思っても言葉には出来なかった———コルムの奴が横から口出しをして来たからだ。
「あの、お二人とも僕がいるの分かってます? 幸せそうなお二人をみるのは嫌いじゃないですけど、なんか僕が空気みたいな存在になってるのが、いい加減虚しくなってくるんですが?」
一気にムードをぶち壊したコルムを無言の横目で睨みつける。
「こう見えてコルムも殿下を酷く心配してるんですよ。今朝一番で私の所にセディの事を知らせに来たコルムの焦りようを見せて差し上げたかったです、ね、コルム」
「そ、それは……。勘弁して下さい、リーシャ様」
「昨夜は殿下のご容体が心配で夜も眠れなかった、と申してたんですよ」
「ハハハッ……。これは参ったな。リーシャ様には敵わない」
「ふふふッ……ハハハ」
リーシャとコルムはお互いに声を上げて笑い合っている。ああ、なんて幸せな時間なんだ。まるで楽しかった幼い頃に戻ったようだ。
しかし、ふと我に返る。そこに声の出ない僕は入っていけないのだ。目の前でそうやって思い知らされるた自分がいた。窓の外の暗さに引き寄せられるように一瞬暗い気持ちに襲われる。
「それでは、殿下、失礼致します」
ひたすら笑うと、僕に向かって礼をとり扉を開けて出ていくリーシャを廊下まで迎えに来ていたルーマーに任せ、扉を閉めた。
しかし、すぐに部屋の外から聞こえて来た声に、僕とコルムはどちらからともなく互いに目を合わせた。
「結婚の儀の日取りも決まらない女性がこんな時間に殿方のお部屋から出てくるんて、何て非常識なんでしょう!」
「カリエル様、ご機嫌よう」
冷静に挨拶をするリーシャの声がした。
「はしたないあなた様の笑い声が隣のギャリー様の部屋にまで聞こえて来ましてよ。全く、何をとっても王族に相応しくないお方ね」
容赦ない言葉の暴力をリーシャに浴びせるカリエルに、すぐさま飛び出して行きたかったが、その腕をコルムに掴まれ、「やめろ」と無言で首を横に振って牽制される。
「ご指摘ありがとうございます、カリエル様。今後は気を付けて参ります。他にご用件がなければ、私はこれで失礼致します」
カツコツとリーシャが去っていくヒールの音に耳を澄ます。
『カリエルは いつも リーシャに きついのか?』
冷静にカリエルの話を躱しているリーシャはその対応に慣れているように感じた。しかも、リーシャはどこか自信に満ち溢れたように話を返していた。リーシャは強い。そして、その強さはカリエルよりも何倍も王族に相応しいように思われた。
リーシャの意外な一面を知れたことは嬉しかったが、城の中でこのような会話が日常的に行われるのは、城で働く者たちによい影響を与えない。城だけでなく、下手をすれば街、そして国全体の風評を汚しかねない。どうしたものか。
数日後の就寝中の事、扉を遠慮がちにノックする音に加え、「殿下、セドゥリウス殿下」と、これまた控えめに呼ばれて、目を覚ました。目を開けて高い天井を見上げると静かな闇夜に未だに降り止まない雨音だけが窓越しに聞こえた。再度のノックと「セドゥリウス殿下」という呼びかけに何事かと扉を開ける。側にはコルムが息も荒く険しい顔で立っていた。
「殿下、お休みのところ申し訳ありません。今、ベアナの使者が早馬で寄越した知らせによりますと、アープダの工事中の河川がこの長雨により氾濫したとの事です」
頭の上から冷たい水を被せられたように全身の血の気が引いた。僕は一度ぎゅっと瞼を閉じ、自分を落ち着かせようとした。
『被害は?』
「アープダの多くの農地と住宅が河川にのみ込まれているようです」
『分かった 至急現地へ向かう準備を
コルムは人員を集めてくれ 僕は陛下へ報告にいく』
陛下とは魔法文字での会話は出来ない。必然的に筆談になるが仕方がない。今コルムに通約役をしてもらう時間的余裕は無かった。
そして、リーシャに会って説明をする時間も無かった。ただ、朝が明けてから、陛下を通してリーシャの父であるマッカー公爵へ伝言を依頼するしかなかった。
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