10
静寂に包まれた夜の寝室で、僕は二つの指輪に集中していた。先日コルムと町に下りた際に手に入れた物だ。透明感のある青い小さな石の付いたお揃いの指輪。僕とリーシャの秘密の通信機にすべく、この石に魔力を注ぐ。
10歳で声を失ってからというもの強力な魔力を発揮する詠唱魔法は使えないが、それ以外の無詠唱魔力は使える。魔法は母に教わり、母亡き後は自分でもずっと鍛錬や学びを怠ってはいない。剣は人を傷付けるだけだが、魔法は人を助けることもできる。そこが良い。
もうこんな時間か。
気付いた時には、すでに日付けが変わっていた。思ったより時間は掛かったが何とか出来た。自分に魔力があって良かった。こうしてリーシャのために力を使えることが嬉しかった。
「そんなにピコピコ光らせ合って、嬉しいならもう少し嬉しそうにしたらどうですか?」
ベアナに着いた日の夜、コルムを部屋に呼んでお互いに酒を飲み交わしていると、彼が呆れ気味に言った。
『お前に 恋人が出来たら 同じものを作ってやる』
そう話している間も左手中指の指輪の石が光を発して瞬く。僕とリーシャ、お互いの左手中指にはめ合った指輪は、相手の事を想い念じると光を放つ仕組みになっている。
「僕に小道具はいりません。本物の愛で相手を愛し尽くしますよ。……でも、僕には恋人は要りませんね」
『なぜだ?』
「そんな余裕ありませんって。あなた様とリーシャ様をお守りするためだけに生きてますから、もうそれで精一杯なんですよ」
『それなら 僕たちのする事に 小言を言うのはよしてくれ』
「そりゃ、そうですね」
コルムはそう言うと「ハハハッ」と笑った。
「殿下、それじゃあ、僕はそろそろ失礼します」
『分かった 明日からは宜しく頼む』
立ち上がったコルムに続いて立ち上がる。
「明日は一日中、河川の堤防の視察があるのですから、殿下も早くお休み下さい。それも程々にお願いしますよ。リーシャ様も眠れないですから」
最後に僕の指輪を指差しながら言ったコルムに首を縦に数回振って頷き「分かった、分かった」と示す。
リーシャと指輪で光を放ち合うだけの通信。ただそれだけなのに、リーシャが恋しかった。今すぐにでも君の細く白い手を取り、唇を寄せたい。
愛し合うという事はこんなにも気持ちが満たされるものなのかと幸せを感じる。
大丈夫だ。もうケイを求める自分はいない。彼女も僕たちのように愛し合い、あの男性と結ばれた結果、子もいる。心から良かったと思う。
翌日からは河川の堤防や工事の視察に一日中時間を費やした。ベアナの地では毎年十日ほど雨の降り続く期間がある。集中して降る雨は農地を潤す恵みの雨である一方、振り方によっては水害を引き起こしても来た。
数年前から着手した堤防工事も最終段階に入り、このアープダの村の工事を残すのみとなった。アープダでは河川の災害の報告は今までにないと把握しており、その安全性からベアナの中でも人口が集中している。さらに農地も多いため人々の暮らしは安定している。
このアープダの工事の竣工が二ヶ月後。その翌月の雨季には充分に間に合う予定だ。
『この調子なら 二ヶ月後にまにあいそうだな』
「そうですね。現場の管理者もそれは大丈夫だろうとのことでした」
『間に合わなくても アープダは災害が起こる確率は低い 安全に そして 完璧な工事を と伝えておいてくれ
それから 彼に感謝を』
「承知いたしました」
数日間共に視察に付き合ってくれた管理者に労いの言葉をコルムに託す。
そうして、ベアナでの河川工事の視察を終え、王都への帰路についた。王都に帰ると真っ先にリーシャに会いに行った。それがどんなに待ちきれなかったことか。
「殿下、……お仕事を沢山された香りがします。お疲れ様でした」
リーシャにそう言われ、抱き合っていた体を慌てて彼女から離す。
ベアナからの帰路の数日は湯浴みもせずであった事に今更気付く。部下も皆そうなのだから、僕一人だけ湯浴みするのも気が引けるため、いつもベアナと王都の道中は湯浴みをしない。
『すまない』
「いいのです。真っ先に私に会いに来てくださった事が……嬉しいです。それに殿下のお疲れ様の香り……好きなのです」
リーシャは恥ずかしそうにそう言ったかとおもうと、その紅くなった顔を隠すように僕に身を寄せ、僕の胸にそっと頬を寄せた。そんなリーシャがたまらなく愛しかった。この気持ちをどう表せばいいのか。僕は彼女の頭の先にキスをし、キツく抱きしめた。そして、僕たちは暫くぶりに唇を重ねた。
『リーシャ 君を 愛してる』
じっと彼女の瞳を見つめ、空中にゆっくり文字を描いた。この溢れる気持ちを僕はリーシャに初めて言葉で現した。
早くリーシャを城に招き入れたい。毎日、いや、いつでも傍にいてほしい。結婚の儀を早めてもらうように陛下に進言しよう。
その時の僕は心に偽りなくそう思っていた。思ったらすぐに行動に移さないと気のすまない性格の僕は、その日のうちに陛下へそれを伝えたのだった。
陛下へのベアナ訪問の報告と、リーシャとの結婚についての進言を無事済ませ、それを否定される事もなく父上が話を聞いてくださったと言う結果に満足しながら、自分の執務室へ気分よく向かっていた。
しかし、その気分は突然に打ち消された。
「カリエル、花は綺麗だが、わざわざそんなに高価なものにしなくても……ほ、ほら、外の庭園の物を譲ってもらったりしては……」
「リーシャ様の汚い野花を羨ましそうにされていたから、私もこのように毎日豪華なお花をお持ちしているのに……酷いですわ、ギャリー様。……酷すぎますッ!」
大きな声が聞こえてきたかと思うと、兄上の執務室からカリエルがドアを勢いよく開けて出てきた。そのすぐ近くにいた僕は咄嗟に彼女の腕を掴んだ。
カリエルがリーシャの可愛い花束を「汚い野花」と言い放った事を許せなかったからだ。しかし、腕を掴んだまでは良かったが、僕にカリエルと会話をする手段は無かった。そう気付いて、すぐにその腕を離した。
ところが、彼女は何を勘違いしたのだろう。次の瞬間、事もあろうかカリエルは僕に抱きついてきた。しかもその状況をカリエルの後を追いかけてきた兄上に見られてしまう始末だ。兄上とガッチリ目が合う。
「セ……ディ?」
戸惑う兄に向かって『違う』と首を振る。彼女が勝手に抱きついてきたんだ、そう訴えようとしても抱きつかれた腕は自由にならず、魔法文字を描けない。
「カリエル、すまないが席を外してくれないか」
いつも穏やかな兄の口調は、何時になくきつかった。
カリエルは僕から離れると自室の方へとそそくさと入っていった。それを二人で見届けると、兄は僕に彼の執務室に入るようにと促した。
兄の執務室は僕の執務室と隣り合っている。そこから左右に別れてそれぞれ執務室、僕たちの寝室、配偶者の寝室が並んでいる。もちろん、僕の配偶者の寝室は将来を見越して用意されている訳だが。
ギャリーの執務室ならばカリエルの部屋まで一部屋挟むため、会話の声が届かないと見積もったのだろう。
僕たちは険悪な空気のまま静かに兄の執務室へ入った。
「セディ、なぜ僕の大切なものを次々に奪うんだ?」
初めて見せる悲しみと怒りに満ちた兄の表情に僕は戸惑った。その上、全く心当たりのない事を唐突に言われて頭が混乱していた。
『大切なものを 奪った記憶は ないです』
「カリエルを奪うなら、僕にリーシャをくれよ」
……リーシャ?
僕の瞳孔は開ききり、併せて心臓の鼓動も速くなる。涙目になるギャリーの表情が本気でそれを言っているのだと、疑う余地もなかった。そして、僕は言葉を失った。
「父上の愛情は……い、いつもセディに注がれ、リーシャにはセディしか見えていない、おまけにカリエルまで?
わ、分かっているよ。僕が弟より、何においても劣っている事ぐらい。……分かってるんだ。仕方ないんだ」
片手で顔を覆い、嘆き苦しんでいるギャリー。
兄上が誰に劣っているって言った? 僕は一度もそんな事を思った事はない。誰からも耳にした事はない。いつも尊敬している兄だ。大好きな兄だ。
だから、その時、兄上がずっと一人で思い込み悩んでいたことを初めて知った。僕が兄上をこんなにも苦しめていたなんて!
「兄上」と声を掛ける事もできず、その代わりゆっくりと兄に近付き、彼の肩にそっと手を置いた。そのまましばらくお互い無言の時が流れた。
僕は兄上が言葉を発するのをゆっくり息をしながら待った。そうしているうちに、彼は顔を覆ったまま声を振るわせながら口を開いた。
「す、すまない。……言いすぎた。カリエルの事は誤解だと……わ、分かってる。リーシャのことも……お前に……」
「お前に任せた」と言い掛けたのか、言葉に詰まる兄に「もう喋らなくていい」という思いで彼の肩から背中に腕を回し、背中をポンポンと軽く叩いた。兄から苦しみを除いてやりたかった。
僕は兄上にずっと寄り添う。ギャリーが次期国王となった後も兄上を支えると決めている。それは、母上とも約束した事だ。それが揺るぐ事は、生涯ない。
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