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新連載です。
宜しくお願い致します。
なだらかな丘が幾重にも連なり、緑豊かなこの土地はいわゆる田舎だ。
一年の半分は気候が良く、農作物もよく取れ、領民の生活は豊かとは言えずともそれなりに安定している。ただこれからの季節は寒さが厳しく領民は殆ど働かずに家にこもる月日が始まる。
この広い領地ベアナを15歳になると同時に僕は与えられた。
「殿下ッ! お待ちください。どちらへ行かれるのですか?」
そう言って後ろから馬を走らせながら追ってくるのは僕の側近のコルムだ。
僕はその声に馬の脚を止め、馬ごと振り返る。彼が側まで来ると右手を空中に掲げ、人差し指を伸ばすと、文字をなぞった。
『少し馬を走らせてくる。少し一人にしてくれるか』
文字は空中で光の文字となり彼に伝わると順にふわりと消えていく。
「急に駆け出すから、びっくりするじゃないですか。きちんと私にその旨伝えてからお出かけになって下さい」
『そう伝えれば、もれなくお前が付いてくるだろう? 私もお年頃なのだ。一人になりたい時もある。少しは気を利かせてくれ』
再び空中に書く。
「ですが……」
『大丈夫だ』
ただ馬を走らせるだけだ。人と話をしにいくわけではない。
この僕の文字は彼を含めて三人に対してのみ使うことを許されている。何故だかは分からないが、母上がそう言ったのだから、僕はそれを忠実に守っている。これは、いわゆる魔法を使った空中になぞる文字———魔法文字だ。
しょうがないではないか、僕は声が出せないのだから。
いつも横に彼がいないと人との会話一つも出来ない。そのため普段日中は必ず彼を側に置かなければならない。だから、たまには一人になりたいのだ。
……というのは、表向きの理由。
「どうせまた、あの者の家の様子でも見に行かれるのでしょう? あの家も、空き家になってからどのぐらい経つのでしょうね」
嫌味たらしく言うコルムに口で言い返す事もできず、また空中に文字を書く。
『うるさい。少し放っておいてくれ』
僕はそのまま彼をその場に置いて一人で馬を走らせ、ある目的地を目指した。
こうやって描く魔法文字は、他人には手話に見えるだろうが、それとは全く違う。空中に文字を書くだけだ。他人とは手話も使わない。
僕は聞こえない訳じゃないし、それに亡くなった母上に手話をしてまで他人と直接かかわるな、とも言われたからだ。母上は、恐れていらっしゃった———-僕の潜在能力が徐々に開花していき、僕が兄上を差し置いて次期国王の座をめぐる争いに巻き込まれることを———母上は、コルムにそう話したことを後から知った。僕が10歳の時のことだ。
***
———5年前。
いつもと違う朝のざわつきに10歳の僕はベッドの上で目を覚ました。ガタガタと吹雪が窓を揺さぶる音のせいだけではない気がした。何か分からないが、人の動きにいつもの落ち着きが感じられない。なんとなくそんな屋敷の空気が、僕に嫌な胸騒ぎを感じさせた。
ここは母上が療養のために住んでいる屋敷。大きくはないが、周りより高台にある広大な敷地の中に静かに佇む二階建てのこの住処に、僕は1週間前から滞在している。
昨夜は、滞在期間最後の夜を母の寝室で、母の隣で眠ったはずだった。しかし、目を覚ました部屋は母の部屋ではなく、自分が寝室として与えられた客室のベッドの上だった。
いつの間に此処へ運ばれたのだろう。はて、と首を傾げ、窓ガラスの揺れる音にベッドの上から窓の外をうかがうと、外は日が昇っているにも関わらず、どんよりと暗くヒューヒューと雪混じりの強風が吹き荒れている。
朝は母と朝食を取りたい。
そんな小さな幸せを描いて、ベッドから降りると速やかに着替えを済ませた。
早く母上を迎えに行こう。
部屋の戸を開け廊下へ一歩踏み出した時、真横から声をかけられる。
「セドゥリウス様、おはようございます」
「おはよう」と反射的に返しかけた挨拶は声にならなかった。年は二つ上、いつも側に置いているコルムの顔があまりに酷かったからだ。
「ファーラ様が……お亡くなりになりました」
「……ッ?」
これも声にならなかった。
全身の血の気が一気に引いていくのが分かった。身体中に鳥肌が立つ。
しかし、どんな事があろうとも常に冷静で居るように、と教育を受けている僕はそれの感情を外に現す事を許されない。
「分かった。母上の所へ行く」と喋ろうとしたが、声に出せなかった。母の死で声も出ないとは、日々何の鍛錬をしていたのかと、自分が情けなくもなった。
声に出せない代わりに、コルムに一つだけ頷くと気丈に振る舞い、真っ直ぐ母の寝室を目指す。
廊下を歩くその間も心臓がうるさく、心の中では「嘘だろ、嘘だろ」と繰り返す。
昨晩、元気そうだったではないか。
頭を撫でてくれたではないか。
一緒にベッドに入ったではないか。
昨夜僕を呼んだのは『お別れ』のためだったのか。
堂々巡りをしながら、母の寝室をノックしようとすると、カチャ、と戸が開き、中から人が出て来た。
「セドゥリウス様」
母をいつも診てくれる医師だと分かると、僕は落ち着いて口を開こうとした。
「母上は?」と。
また、声が出ない。しかし、開いた口だけでその医師はこちらの意を察したらしい。年老いた彼は、ただ静かに首を数回横に振り、「失礼致します」とゆっくり礼をして前を通り過ぎて行った。
側に行くと、母は死後の始末を施された後で、まるで眠っている様にベッドに横たわっていた。相変わらず綺麗な顔のままの彼女の横に跪き、その顔を見つめる。
「二人にしてくれないか」とコルムに伝えたい……が、もう声が出ない事を何となく理解出来つつあった。コルムに向けてアイコンタクトを取ると、彼は人払いをしてくれ、母と僕は部屋に二人きりになれた。
母の世話人やコルムが部屋から出て行ったのを確認すると、「母上」と小さく呼んだつもりだった。動かす口に声は伴わない。
母上……母上ッ。セドゥリウスです。聞こえているのでしょう? お願いです。起きて下さい……目を覚まして……ッ。母上。
手を伸ばし、揺さぶる彼女の身体は動かず、もう昨夜の温もりも無かった。
そして、僕は徐々に確信しつつあった。
母はもうこの世に生きていない。
それから、僕の声もこの世に存在しなくなったことを。
————-昨夜。
深夜、僕は誰にも見られないように寝室を抜け出した。母上がそう言ったからだ。
しかし、その夜は、なぜか使用人達も早々と仕事を切り上げたようで、薄暗い廊下や階段にも人気がなかった。念の為足音が出ないように靴を脱いだ素足で目的地へ急ぎ向かう。
トントンと分かるか分からないかの加減でその部屋の扉を叩いた。それに返事がない代わりに、しばらくすると戸が引かれ、わずかに空いた扉の隙間から僕は母上の寝室に入った。
僕は久々に母上と一緒に眠れるのだと思っていたから、ウキウキしてその部屋にはいり、彼女を見上げた。
すると、母上は僕をギュッと抱きしめると、ベッドの上に座るように僕を促した。彼女も僕の隣に座ると、小声で話し始めた。
「今から私が言うことを良く聞いて、セドゥリウス」
母上は僕の片手を取り、両の手で挟み込んだ。
「あなたはまだ10歳だけれど、今からあなたに話すこと、起こることは全てあなたを守るためなの。そして、何が起きてもその現実を受け入れ、生涯自分のすべきことをしっかり全うすること、いいわね」
「はい、約束します、母上」
僕は母が何をいっているのか、半分も理解できなかったが、彼女が言う事に間違いなどあるはずはないと確信し、即答した。
「いい子ね」と彼女は頭を撫でてくれた。僕はそうされるのが好きだった。彼女に褒めて欲しくて毎日頑張っているのだから。
「あなたは兄上のギャリーの事は好きかしら?」
「うん、大好きだよ」
「そうよね」とまた頭を撫でられる。
「兄上の事をずっと好きでいてあげて頂戴ね。ギャリーもきっと心強いわ」
「はい」
「そうそう、セドゥリウス、あなたは文字を書くのが得意だったわね」
恐らく彼女がで言っているのは空中に書く魔法文字の事だろう。魔女である母からそれだけは使えるようにとここに滞在している間はいつも母と一緒に訓練してきた事だ。それ故に僕はその魔法が好きだった。
『はい』
僕は得意になり、それを空中に書いた。青白くキラリと光って書いた文字は瞬時に消えていく。
ふふふ、と母は笑った。
「その調子よ。上手だわ。だけど……」
彼女はそこで言葉に詰まった。
「母上?」
「だけど、これからはその文字は婚約者のリーシャと側近であなたの理解者のコルム、そして兄上にだけに使うのよ。ほら、私みたいに貴方が魔女の子だと非難されるのが悲しいのよ。分かるわね」
「わ……分かりました。でも何で? 沢山練習頑張ったのに」
「そうね。でも、すぐに分かるわ。だから、約束出来るかしら?」
僕は納得いかないながらも母の言うことを素直に受け入れることに迷いはなかった。そして、首を大きく縦に振り頷いて返事をした。
彼女は安心したように僅かに笑顔を見せた。
「それじゃあ、今からあなたにお守りの魔法をかけてあげましょうね。私が良いというまで目を閉じてくれるかしら? そして、その後は眠るまで口を開かず朝を迎える事、それがこの魔法のお約束なの」
僕はただ母と布団に入れる事が嬉しくて、素直に彼女のその言葉に従ったのだった。
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