第九章 葬られし幻
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九章 葬られし幻
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泣き叫ぶ声は、自分のものとは思えなかった。ただ燃え盛る炎に包まれた館の前で立ち尽くす。
デジャブみたいだ。組織のアジトに火を放ったあとのように、あたしはその建物が燃えて消えていくのをながめている。
ただ、今はあのときとちがって取り乱している。自分でも驚くくらい、悲しみが押し寄せてきた。
「フィリップさまぁあぁぁあ!」
呼ぶ。声を限りに出して叫ぶ。
けれど返事はない。ただ沈黙と、炎の唸りしかなかった。
――どうして、こんなことに。
あのとき――目が覚めたあたしは、すぐにいやな予感がした。心臓は変に脈打ち、不安が喉をしめつけて、カラカラにさせる。
なんとか震える身体を抑え、部屋を飛び出した。
なにが起こったのか、すぐにわかった。
廊下では人々が血相を変えて走り回り、口々に叫んでいた。兵士も侍女たちも、老若男女それぞれが恐怖に顔を引きつらせていた。
「火事だ!」
「くそっ。取り逃がした組織の連中か?!」
「王子は――」
「裏の館に火が放たれた。すぐに人々を避難させよう」
「でもあの館は今はだれも使っていないはずです。死傷者はでないでしょう」
「公爵さまにご連絡を……」
「民は……」
「はやく火を消して、他の建物に移るのを防げ!」
「ああ、隊長!騒ぎに準じて盗賊らしき輩が館に!」
「小癪な!衛兵はなにをやっておるのだ!さっさと捕まえろ!」
「王子に連絡しなくては……」
「荷物をまとめて!」
「消火班はすぐに迎え」
「王子はどこだ!?」
ああ、苦しい。どうか嘘だと言って。
せわしなく走り去る人々をどうすることもできず見送りながら、あたしはただあえいだ。
うまく息が吸えない。呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだ。
「リア殿!」
突然呼ばれて、我にかえる。そこには息を荒くした、動揺を隠せずにいる隊長がいた。
四十歳くらいだろう。まばらに白くなりかけた髪をかきむしり、彼はあわてた様子で口を開いた。
「王子を――フィリップ王子を見なかったか」
ふるふると首を横に振り、すがるように彼を見つめる。
どうか、嘘だと言って。
「あにが、あったのですか――フィリップ王子は……?」
「この屋敷の裏の奥に、最近ではめったに人の使わない館があるのだが、そこが火事になったのだ。原因もわからないんだ」
隊長はすこし顔を歪め、再び歩き出そうと踵をかえす。
「それだけだ。君は心配しなくていい……では」
最後まで隊長の言葉を聞かず、あたしは彼と逆方向に歩き出していた。早鐘のように鳴る心臓を握りしめながら、走るように。
直感なんて、正しいのかただの勘違いなのかわかったもんじゃないけれど。それでも人間は、ときに悪い予感がぴたりと当たることがある。
あたしにはわかる――火を放ったのは、フィリップ王子。
そしてあの燃え盛る炎のなかにいるのも、フィリップ王子だ。
原因?そんなの手にとるようにわかるわ。彼はあたしを守るために、あたしを生かすために、自らの死を選んだのよ。
デジルの言葉が頭から離れない。フィリップ王子は救われない――彼が死ねば、あたしは生きていける。
そんなの、まちがっているのに。
からからに渇いた喉が痛い。足が思うように動かなくて、苛立つ。
あたしが生きていれば、王子の暗殺の依頼主は、計画がばれるのを恐れてあたしを亡きものにしようとするだろう。けれどもし王子が死んでしまったら――あたしは用なし。もう無関係でいられる。
だってあたしは依頼主の顔を知らない。組織に縛られることもない。晴れてお役御免となるわけだ。
だから……彼はあたしのために、自らの死を選んだというの?
嘘だと言って。だれか。
だってそんなの、エゴじゃない。あたしはちっとも幸せなんかじゃないわ。
どうして好きだなんて言ったのよ。
どうしてキスしたのよ。
どうか間に合えばいいと天に祈って、あたしは煙をあげる建物まで走った――。
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『カスパルニア王国・第一王子・フィリップ様が行方不明』
『フィリップ王子、焼死か?』
『火災のあった日、フィリップ王子が例の館に入っていくのが目撃されている』
『事故死か?他殺か?』
その日のうちに、国中に貼り紙が出され、フィリップ王子の捜索が開始された。城のなかは混沌とし、急に色を失っていくかに思われた。
あたしはフィリップ王子の客人として、しばらく城で滞在することができた。けれど、あたしはフィリップ王子の死が確定的になった翌日に、城を後にすることにした。
苦しくて仕方がない。ぎしぎし骨が痛むように、心臓に激痛が走るのだ。気を緩めればすぐに涙があふれてくる。
彼と出会って三年……けれど、本当の彼を知ってまだ間もない。それなのに、失った重みは大きく、心に深く大きな穴をあけた。
彼は……彼だけが本当のあたしを知っていてくれた気がする。あたし自身の気づかなかった 本当を見つけてくれた、そんな気がする。
あたしの歌を心から賛美してくれたのも、きっと彼だけだった。
城にいるのが苦痛で、風に当たりに外へ出た。いつもはだれかかれかがいるであろう庭園も、今は静かに沈黙を守って、気配を絶っていた。
しばらくじっとなにをするでもなく立ち尽くしていたが、やにわに感じた気配に目を見開く。
振り返るとなんとそこには、ぼろぼろの衣服に身を包んだ、デジルがいた。
「あっけないね」
彼女は口の端に嘲笑いをのせて、皮肉をこめてそう言った。
「なんて不敏な王子さま。あんたはまたおやさしい彼に助けられたってわけね」
にらみつけ、身構える。緊張が走った。
けれどデジルにはまったく戦闘の気配はない。ただせせら笑い、軽蔑のまなざしをこちらによこすだけだった。
「昨日の混乱に便乗して、脱獄できたのよ。警備も手薄……王子さまがいないと、みーんな愚鈍ね、この国は」
あたしはなおも彼女をにらみつけたまま、動かなかった。耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、なんとか耐える。
「あんたも、王子さまも愚劣ね。ばっかみたい」
「……うるさい」
唇が震える。なにも考えたくなかった。
「わたしはこれからも、いつも通り生きていく……あんたはどうするんだろうね?」
デジルはふんと鼻先で笑うと、背を向けて立ち去った。あたしはただそれを見送る。
もう、会うこともないだろう。
きっと、ずっと。
だれを憎めばいいのかなんてわからない。ただ、いちばん憎たらしいのはこの自分自身だということは、よくわかった。
「……あたしはっ……」
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙の粒を握りつぶし、訴えるように言う。声は驚くほどか細く、うちひしがれていた。
「……もう暗殺はしない……王宮にもいたくない……もう、やだ――生きたくない……」
――あたしはまた、王子さまに助けられた。
泣くことすら許されない気がして、嗚咽をこらえて城へ戻った。
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彼が死んだなんて、嘘よ。
「ほぼまちがいなく、フィリップさまは他殺でしょう」
「おいたわしい……あれほど心根のおやさしい、慈悲深い方もいますまい」
白髪混じりの隊長や、でっぷりした初老の男たちが話しているのが聞こえてきた。
「フィリップさまが……亡くなっただなんて……そんな……」
「だれがこんなひどいことを。許せないわ!」
侍女たちが城のあちらこちらで口々に嘆いていた。
だれもフィリップ王子が自殺しただなんて考えない。そんなこと、すこしも想像できないだろうから。
あたしだってそうだ。なぜ急に自殺を決意したのか、まったくわからなかった――もし、あの最後の言葉を聞かなかったなら。
――「リア、好きだよ」――
やさしく、甘美に響く声で、深く包み込むようにささやいてくれた。それはこがれるような熱をもつと同時に、手の届かないところまで切なく胸をしめつける。
あたしのせいだ。あたしのせいで、彼はいなくなってしまった。
これは天からの制裁なのだろうか。王子を殺そうとした報いなのだろうか。
もう、彼がいないだなんて、信じられなかった。あの瞳が、声が、ぬくもりが、やさしさが、すべてが幻になってしまうだなんて、信じられなかった。
信じたくなかった。
☆余談☆
最後までわたしも決めかねていたといいますか、わからなかったのがデジル。
彼女は悪役に収まるのか、よい人なのか……謎です(笑)。
彼女をどの立場にするか、かなりふらふらしてましたね。結局最後まで曖昧です。
まぁ最終的には、彼女のような人もいる……ということです。
デジルにはデジルの生き方があります。辛い過去もあっただろうし、ひとえに悪役だなんて決めつけられない!←という裏設定?(笑
彼女はリアの将来にすくなからず影響を与えたことでしょう……これはまた別のお話(*^^*)
それでは引き続き、どうぞ。