第五章 月影の涙歌声
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五章 月影の涙歌声
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エメラルドのような、澄んだ、それでいてどこか深い瞳。暗闇のなかでも、不思議な光を帯ている。
「……なぜ泣くの」
そっとこぼされる言葉に、答えられない。
だってあたしもわからないから。なぜ涙が出てくるのか、わからないから。
「それは君が悪人ではない証拠だよ」
そう言って彼はほっとさせるようにほほえんだ。
この人は柔く笑う。穏やかに、角や刺がなく、安心させるような笑みをする。
けれどその眼はどこか鋭い。やさしさのうちに秘めた、鋼のような強さがある。
振りかざしたナイフをぽろりと落とす。腕を彼の顔の横につき、視線を合わせた。
どこまでも深く沈んでしまいそうな、そんな緑の瞳を見つめる。海の底のようだ。
溺れてしまいそうだ、と思った。その深みに一度はまったら、もう逃げられない気がした。
「わたしを捕まえるの」
尋ねる。じっとその瞳を見つめて。
フィリィップ王子はしばらく見つめかえしていたが、やがて遠くを見やるように目を細めた。それからそっと口を開く。
「……母が死んだ日は、すごく悲しかったんだ……信じられなくて、受け入れられなかった」
しっとりと、どこか切なさを帯て、彼はつづける。
唐突な話に一瞬戸惑ったが、あたしは構わずに話を聞くことにした。
「月がきれいな夜だった。事故死として処理されてからしばらく、僕はただ呆然と過ごしていた。抜け殻のような状態だったと思うよ。だれとも口をきかず、ぼんやりと外をながめるだけの人形になってた」
ふふと苦笑し、回想する彼に、あたしはなぜか親近感がもてた。この人もこんな顔をするのかと驚いた。
「みんな僕を哀れんでくれたよ。かわいそうな第一王子さまってね。けれどはっきり言って、僕には重かった。第一王子という地位は、よりいっそう僕の枷を重くしたんだ」
――泣いている。
思わず、そう思った。よく見れば涙なんて流していなかったけれど、あたしには彼が声をあげて泣いているようにしか見えなかった。
「第六王子の母上も僕の母とともに亡くなってね。それなのに、同情の的は僕だけなんだ。君はこれを、幸せなことだと思うかい?」
彼は食い入るようにこちらを見つめてきた。まるであたしがその答えを持っているかのように。
けれど彼はあたしの応えを待たず、次の言葉をつづけた。
「傲慢かもしれないけれど、僕はなにも言われない弟がうらやましくなったんだ。『かわいそう』、『きっと母上を想い努めてくださる』、『将来は立派な国王さまになるだろう』……そんなこと、ないのに」
それは彼がはじめて見せた弱みなのかもしれなかった。強靭に見えた完璧な王子さまの内には、とても儚げな傷ついた姿があった。
フィリィップ王子の評判は、よく聞いていた。聞きたくなくとも耳に入ってくると言ってもいいかもしれない。
慈悲に満ちた方、武術にも長けた方、歌をこよなく愛する方、賢明で謙虚な、すばらしいお方だと。
そんな王子の裏側には、ひどく殺伐とした傷があったのかもしれない。いつしか称賛は重圧に姿を変え、あこがれと尊敬のまなざしは完璧な姿しか許さない見張りになった。
苦しみもあったのかもしれない。悲しみも人一倍。
だから彼は他人にやさしくなれるのではないか。
「あなたは痛みを知っているのね」
ささやくように言葉を落とす。すこしでも彼の足枷を軽くしてあげたいと思うのは、おかしなことかしら。
「その分、愛を知っている……そうでしょ?」
彼は民から広く慕われている。それは彼の善行がすばらしいからだ。苦しんでいる者には分け隔てなく慈愛をそそぐ。
貧困の土地では重税を避けてほしいと王に進言したことも、地位の失った子供を引き取ったことも、噂ではささやかれていた。
それは彼がみなの求める型にはまるためだろうか。すくなくともあたしには、そんな風に思えなかった。
「愛を思い出したのは、君のおかげなんだよ、リア」
ほほえみを口の端に浮かべて、彼はそう言った。
わけがわからず顔をしかめると、おかしそうにくすくす笑ってから、彼は話しはじめた。
「月がきれいな夜だったんだ。その日も、僕は窓から外をながめていた……」
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彼の話はこうだ。
母を亡くしたフィリィップ王子は、はじめて身近な者の死を経験し、悲しみにうちひしがれていた。
それでも第一王子として、落ち込んでもいられなかった。ともに母を亡くした弟の第六王子はまだ十歳にもなっていないのだから、自分よりも悲しみや絶望は大きいのかもしれない……そうは思うものの、なかなか立ち直ることはできなかった。
それにはひとつ、大きな原因があったのだ――本当に事故死だろうか、という、噂が。
噂というものは聞きたくなくとも耳に入ってくるものだ。フィリィップはさっそく数々のそれを耳にしていた。
第六王子の母が寵愛を一身に受ける第一王子の母に嫉妬を抱いて道づれにしたのではないか。はたまた自殺ではないか。悩みに押し潰されたのだろうか。恨みをかって殺されたのではないか……など。
信じられなかった。噂の内容よりも、そんな噂がたつこと事態が信じられなかったのだ。
母はおおらかで清く、だれに対しても分け隔てがなかった。だからフィリィップ自身もそれを学び、誇りとしてきたのだ。
他者を思いやれる人間は、きっと困ったときに助けてもらえるのだと、母はやさしい笑顔でそう教えてくれた。
けれど、それは嘘だ。
あんなに称賛されていた母はもういない。まるで知らない吉報に食いつくかのように、人々は彼女の死因についておもしろおかしく討論していた――すくなくとも、フィリィップには彼らが母の死を悼んでいるようには見えなかった。
人間はいとも簡単に人を忘れる。その人のやさしさも、慈しむ心の広さも、塵のように無に等しい存在になる。
それが悲しかった――。
その日、フィリィップはいつものように夜空をながめていた。冷たくなりはじめた風が頬をなでていく。
しばらくそうして月をながめていた。
すると、ふいに声がしたのだ。よく耳をすませば、それが歌声であることがわかった。
かつて一度だけ、フィリィップは母と海へ行ったことがあった。
きらめくさざ波、燃える夕日の向こうまで広がるその大きさに、フィリィップは心から感動したのを覚えている。
あのときの潮のにおいや、砂浜の手触り、波のぶつかる音が忘れられず、鮮明に脳裏を支配していた。
かすかに聴こえてきたその歌声はどこか切なく胸をしめつける――まるで海のようだ、と彼は思った。
歌の歌詞は知らない。はじめて聴く唄だ。けれど耳に心地よく、満たしてくれる。
まるで挽歌のようにずっしりと、しっかりと、染み込むように広がる歌声だった。
「涙が出てきたんだ……自然に、不意に、ぽろりと」
フィリィップはなつかしむように言った。
「それから数日後、その歌声とまったく同じ歌声が王宮にやってきたんだよ。歌姫としてね」
緑の瞳がかすかに光った。思わずドキリとする。
「根拠もなにもないけれど、たしかに救われたんだ……あの歌をもう一度聞きたい」
まっすぐに見つめられる。逃さないとでも言うように。
束縛されているわけではないのに、あたしは動けなかった。ただその深い瞳から目がそらせなかった。
息をつめる。緊張する。
けれど心は変に躍っていた。
「セイレーンの歌姫、お願いできるかな」
彼はにっと笑った。いつもとはちがう、すこし意地悪な笑みで。
だって彼はあたしが断われないのを――否、断わらないのを知っている。
だってあたしは、歌が好きだから。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!
☆雑談☆
この五章のタイトル…またまた漢字作るの大好きな(笑)わたしが。。
『つきかげのルイカセイ』ですw
古典では、『影』は『光』とも訳します。ですので、ここでは『月影』は『月の光』の意味になりますね。^^
この『影』という字は結構すきです。影を表しながら、『光』の意味を持つところが大好きです。表裏一体〜的な感覚がw
で、『涙歌声』はまんま涙の歌声です。「の」をなくしただけ笑
★余談★
話は変わりますが、作中にでてくるセイレーンですが、これはまぁ架空の妖怪?ということで。
伝説の妖女・ローレライと海の怪物・セイレンをかけたものです(笑
どちらも美しい歌声をもち、船乗りを殺した、舟もろとも沈めた、という恐ろしい方々です(((^_^;)
どちらを使おうか迷ったすえ、混合させてみました(苦笑)
作中ではまったく別物と考えてくださってかまいません。
派生したと思ってくださってもOKです笑
それでは引き続き、どうぞ。