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第四章 猖狂の夜




†△▲△▲△▲†



四章 猖狂の夜







‡・†・‡・†・‡・†・‡





 ――静かだ。


 空はくもっていて、星なんて見えない。月も闇に隠れ、顔を出さない。雨が降りそうだ。

 賑やかな舞踏会とは裏腹に、こちらはとても静かだった。沈黙が辺りを占め、気配すら絶っているよう。

 髪色を戻し、真っ赤なドレスを脱ぎ捨て、あたしは灰色のマントをかぶり、闇に溶けこんで歩く。衛兵すらいない道は、不気味なほど静かだった。

 罠かもしれない。見張りがいないなんて。

 それでも、もうどうでもよかった。あたしはもう、いらない子なんだから。




 失敗は死――それはつまり、はじめからあたしは殺される予定だったんだ。

 初仕事が第一王子暗殺だなんて、ちょっとおかしいと思ってた。だけど、みんなそういうものなのかなと、あまり気にしなかった。

 けれど、今日、デジルは暗に教えてくれた――あたしは最初から、成功するなんて思われてないって。

 よく考えればわかることだ。王子暗殺だなんて、腕のいい暗殺者じゃなくちゃ成功なんてできない。つまりはじめからあたしは視野に入ってないということ。




「暗殺者が捕まれば、そいつが拷問されるでしょ。その隙に他の人間がターゲットを暗殺しちゃうの。その、暗殺者――オトリが捕まった日のうちにね」

 デジルは感情の読めない声で淡々と言った。その表情は仮面に隠れて見えなかったけれど、あたしには笑っているように思えた。

「翌日からは警戒するかもしれない。でも、暗殺者が捕まった直後は――すこしの油断ができるのよ。まぁ、オトリが暗殺を成功させてくれれば、別に問題はないわね」

 ガタガタと震え出す身体を、止めることができなかった。彼女の言葉は異様な重みを持ってあたしを貫く。

「失敗は死を意味する――つまりね、捕まれば組織は助けない。渋って殺せないなら、組織に邪魔だとして消されるの」

 ああ、取り乱しちゃいけない。わかってた。けれど、悔しさや惨めさや腹立たしさで涙が出てきた。

 悲しかった。

 あたしははじめから、ただのオトリだったんだ……。



「それでもやるの?」

 デジルは仮面をはずす。その眼がじっとこちらを見つめて離さない。

「――やる」

 馬鹿かもしれない。だけど、きっとどうしたって変わりはないんだ。

 今夜彼女に仕事を任せたとしても、組織にいる以上また依頼がくる。そしてあたしの役は、やっぱりオトリなのだろう。

 ならば王子暗殺という大役をこなし、認めさせればいい。暗殺者として、その名を知らしめればいい。

 それがあたしが生きていくための条件なのだから。



 デジルの次の言葉を待たずに歩き出した。ただ目指すは、第一王子フィリィップさまの寝室。

 マントを着込んで闇にまぎれ、音もなくゆく。

 懐には鋭いナイフを忍び込ませ、心を冷たく保つ。

 失敗は許されない――そうでしょ?






 忍び込むのは簡単だった。隣の部屋から警備の手薄な王子の寝室のバルコニーによじ登る。

 窓は開いていた。

 レースのカーテンがさらさらと風にそよいでいる。まっくらなその部屋に、あたしは躊躇うことなく足を踏み入れた。

 ベットに近づき、そっとのぞき込む。そこにはすやすらと眠っている王子がいるはずだった。

 しかし――


「こっちだよ」

 驚いたってもんじゃない。心臓が飛び出したかと思うほどバクバクいった。

 唐突にふりかかった声に焦り、きょろきょろと見回す。すると、ちょうどあたしが入ってきたバルコニーに、人影が見えた。

「リア、やっぱり君か」

 その人物――風邪で寝込んでいたはずのフィリィップ王子は、優雅に手摺に身を預け、立っていた。

 計られたのだろうか。なぜあたしが来るとわかったのだろう。

 あからさまに、あたしは待ち伏せされていたのだ。


「海の匂いがしたから、もしやと思ったんだが……まずいな」

 なにがまずいと言うのだろう。それならあたしのほうが言いたいくらいだ。

 見つかってしまった。待ち伏せされていた。それはつまり、あたしが暗殺者だと……すくなくとも、不審者だと疑いようもなくなったということ。

 失敗したんだ。

「騒がないで。衛兵が外の部屋で待機しているんだからね」

 ナイフを取り出したあたしを見やり、彼は驚きも動揺もなくそう言った。

 このまま殺ってしまおうかとも考えたが、もし彼の言うとおり衛兵がいるのなら、今ここで騒を起こせば確実にあたしは捕まってしまう。

 あたしは死にたくない。








‡・†・‡・†・‡・†・‡




 じっと彼から目を離さず、動きをやめる。頭のなかでは焦りや苛立ちや不安が渦になって荒れていた。

 ちょっとの間彼は思案していたが、やがて顔をあげ、にっと笑った。

 いぶかる暇もなく、彼はバルコニーの手摺に足をかけ、上のバルコニーによじ登る。

 ぎょっとした。まさか王子さまがそんなことをするなんて、思ってもみなかったから。

 フィリィップ王子の姿が消え、あたしは呆然と立ち尽くす。どうしたらいいかなんて、まったく見当もつかなかった。

 逃げられた――そう思い当たり、急いで彼を追おうとバルコニーに出る。



「ここまでおいで」

 見上げる。階下を見下ろし、にこにことほほえむフィリィップ王子が顔を出していた。

 ここまでおいで?

 かちんときたあたしは、その言葉通りに実行してやった。

 ご丁寧なことに王子さまは上から布をたらしてくれていたので、それを使ってよじ登る。ムカムカして、気分は最悪だった。



「ご苦労様」

 にっこり微笑を浮かべるその整った顔をにらみつける。酌に触る。

 罠なのかなんなのか知らないが、わけがわからない。あたしはただの歌姫ではないとわかったはずなのに、彼は顔色ひとつ変えないのだ。 ただすらりとした足を伸ばして、ベットに腰かけていた。

「リアはとても素直だね」

 くすくすと失笑ぎみに笑うと、彼はそのまま品定でもするかのようにあたしを見やった。

 広い部屋だった。明かりはほとんどなく、ベットのそばのランプがほのかに光っている程度だ。質素なテーブルに深緋のソファがあり、そして天外つきベットがある。壁には人魚の絵がかけられていた。

「なぜあたしだとわかったの」

 マントをはぎとり、顔を見せる。バレているなら、隠す必要などない。

「言っただろ。海の匂いが――」

「ふざけないでよ」

 懐からナイフをすばやく取り出し、彼に向ける。声はかすかに震えた。

 海の匂いだなんて、知らない。そんなこと、だれからも言われたことはない。


 嘘だ。彼は嘘をついている。

 あたしを油断させるためか、なにかをはぐらかすためかわからないけれど、そんな子供じみた嘘にはもう騙されない。

 海に匂いなんて、あるわけないじゃない。

「……本当だよ」

 フィリィップ王子はやさしくそう言った。

 動揺も焦りも戸惑いも恐怖も、なにもない。そこにはただやさしさしかなかった。

 目を細め、彼はゆっくりと口を開く。

「情報があってね。今夜僕を殺しにくると……それで急遽待機ってわけ。下の部屋の外では衛兵たちが僕の合図を待っているんだ」

 ぐちゃぐちゃだ。心はめちゃめちゃだ。

 最初から計画通りだったのだろう。歌姫としてあたしを城に忍び込ませ情報を探らせ、あとはオトリにして捨てる―― シナリオ通りだったんだ。



 フィリィップ王子を殺す役目はあたしじゃない。デジルだったんだ。

 なんだったのかな。あたしは。

 人を殺せとはじめて言われた日、あたしは眠れなかった。相手がフィリィップ王子だと知って、さらに不安は募った。

 それでもなんとか気持ちを封じ込め、暗殺者になりきる決心をしたのに。

なんなのかな、あたしは。




「君は最初から、捨てゴマだったんだよ」

 フィリィップ王子がはっきりと声を落とす。見やると、強い緑色の眼があたしを見つめていた。

 ああ、だけど。そんなこと、言われたくなかった。知りたくなかった。

 はじめからあたしはいらない子だったの?

 だいきらいだ、こんな世界。不公平よ。

 なぜ彼はきらびやかな世界で他人に恭しくもてはやされ、守られて生きているのに、あたしは自分を捨てて暗い道にいかなくてはならないの?

 だれがこんなふうになりたくてなったっていうのよ。あたしははじめから暗殺者になりたかったわけじゃないのに。


 死にたくないよ。いやだ。

 なら、どうする?




「だからもうあきらめて――ッ!」

 口を開いたフィリィップ王子に、あたしは躊躇うことなく襲いかかった。

 懐から取り出したナイフをぐいっとかざし、切りつける。彼は突然の攻撃に驚いたようだが、すぐにナイフをかわした。

 ――なめないでよ。あたしだってただの女として生きてきたわけじゃない。

 避けた身体を立て直される前に、あたしはもう一度横にナイフを滑らせる。

 ――アンタを殺すために、あたしは必死だったんだ。何度も何度もシュミレーションして、頭のなかでその身体に刄を埋めた。

 空をきった刃物。またしても避けられたが、そのまま蹴りを彼の足に撃ち込む。攻撃というよりは、不意打ちを狙った。

 ――体術だって毒学だって学んだ。あたしはアンタを殺すために、日々そうやって過ごしてきたんだ。

 フィリィップ王子はバランスを崩した。宙に浮かぶ身体。あたしはチャンスを逃さなかった。

 ――歌姫なんかじゃない。ただの人殺し。それになりはてようと必死だったあたし。それが無駄だったなんて、わかりたくなかった。

 王子の身体を、あたしはそのまま王子の後ろにあったベットへと押しつける。なすすべなく倒れた彼に、そのまま馬乗りになった。



 息が荒い。気分は言いようのないほど高ぶっている。

 ああ、やっと見れる。恐怖に引きつる彼の顔が――。


「殺してあげるよ、王子サマぁ」

 死にたくないよ。あたしは。

 だからあんたを、殺してあげる。



 狂った愚か者と呼ばれてもいい。あたしは死にたくないんだよ。

 生きることに執着しているわけじゃない。あたしはただ、死の恐怖に勝てないだけ。

 先の見えない暗闇に囚われるくらいならば、いっそ先の見える真っ暗な道を取りたい。


 死――それはとてつもない恐怖だった。



「殺してあげる」

 冷たく言い放ち、じっとその緑の瞳を見つめる。

「ねぇ。そのきれいな瞳を、濁らせてあげるよ」

 不敵に笑った――すくなくとも、あたしは笑ったつもりだった。



 それはもはや――狂喜。









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