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第二章 王子様




†△▲△▲△▲†



二章 王子様







‡・†・‡・†・‡・†・‡




 暗殺計画は、三年後に実行するよう命じられた。国王が亡くなって、ターゲットに王位継承が移ってからだと言われた。

 三年のうちに、何度か城に呼ばれ、歌を披露した。そのときすこしずつ城の配置だとか構造、人間を調べた。

 三年後……あたしが暗殺を成功できるように。






「見事な歌だったよ」

 にっこりと笑みを浮かべ、彼はいつもと変わらないまなざしをこちらへ送る。それを受け止め、にっこりと微笑する。

 ――心からうれしい、というように。

 軽くウェーブのかかった亜麻色の髪を高く結い上げ、真っ赤なドレスを着込み、宝石でジャラジャラに着飾ったあたしを見せる。

 組織のなかでも、この美貌は誉め称えられていたから。


 彼は深い緑の瞳をそっとひそめ、こちらをじっと見つめる。エメラルドみたいな、とてもきれいな色だ。

「君の瞳は、紫がかっているんだね。紺色に見えたりするけれど」

「あら、よくお気づきですね」

 内心驚く。だって、この紫がかった瞳の色は、なかなか気づけないものだから。彼は鋭い――だから、いつもヒヤヒヤする。





 三年――あたしはやっと、彼とはじめて会話をしている。

 いつもは遠くから見て、二言三言お誉めの言葉をもらうだけだった。何回も城に呼ばれるため、信用を得るため、努めて謙虚に、あたしはすばらしい歌姫を演じた。

 その努力の結果とでもいうのだろう――とうとう、彼から声がかかったのだから。




「フィリップさま」

 ぺこりとお辞儀し、あたしはにこりとほほえむ。

 すらりとした身体に、明るめの茶色の髪、そして深く穏やかな瞳……物腰は柔らかで、申し分ない美男子が今、あたしの目の前にいる。

 カスパルニア王国第一王子・フィリップさま――彼の評判は地方にも伝わっている。慈悲深い人柄も、その端正な顔立ちも。

 裏地が緋色のマントをはおり、彼は銀の椅子に腰かけていた。部屋にはなめらかな木の丸テーブルと、宝石で彩られた棚などはあったが、王子の部屋にしてはシンプルだ。

 ふと目を横に向けると、窓には深い紅のカーテンがひかれており、天外つきのベットのそばにはロウソクがともっている。

 明るい茶色の髪を横に流し、彼は長い前髪の隙間から緑の瞳をのぞかせた。やさしい深みをたたえ、その眼はじっとあたしを射る。


 こんなことは、よくあることだ。貴族なら、まして王族ならなおさらなのかもしれない。

 気に入った女と一夜をともにすることくらい、この世界では珍しいことではないもの。あたしがその対象に入ったって、おかしくはない。

 いや、むしろ対象になるために、今まで三年間も歌姫をやっていたといっても過言ではない。ボスもデジルも言っていたのは、こういうやり方だったんだから。

 当時のあたしは、まだおこちゃまだったけれど、今は十七。王子さまはあたしより年上のはずだから、そういう関係になったっておかしくはない。


 手が震える。

 ああ、情けない。


 怖いという感情は、消したはずなのに。なにを怯えるのだろう?

 はじめてだから、なんて言葉は言い訳にすらならない。そんな貴族の箱入り娘みたいなこと、言えやしない。

 彼に目を戻す。

 にっこり笑いながら、フィリップ王子はあたしを見つめていた。




「君がはじめて城にきたときから、ずっと惹かれていたんだ」

 甘い言葉で、女を釣って。何度そうしてきたのだろう。

「歌声はすばらしいよ。めったによろこばない僕の異母弟も、感動していた」

「ありがとうございます……」

 声が上ずる。顔が引きつる。

 落ち着け。なんのために、ここまできたのよ。

「怖い?」

 くすりと笑い、彼はそっとあたしの腰を引き寄せる。

「ヤ」

 無意識に拒絶の声が出てしまったが、すぐに呑み込んだ。両手を彼の胸に置く形で抱きとめられている。

 心臓がひどく煩い。熱い。

 彼は依然柔く頬を緩めたままで、あたしを見つめる。

 その視線は甘く、彼に腰砕けになる女の気持ちはなんとなくわかった気がした。

 もし、この視線を独り占めできたら――それはなんと魅惑的で、快感的なのだろう。甘い痺れに酔い、その瞳を虜とできたなら……。




「僕の父がね、一ヶ月ほど前に死んだんだ」

 ぐいっと手を引かれ、ベットに押し付けられる。明かりは消され、燭台だけがほのかな光を発している。

「僕が王となるのは、もうしばらくしてからさ」

 にっと笑い、彼はあたしに覆い被さった。

「なぜかわかる?父王の死は……もしかすれば他殺だからさ」

 ハッとする。その言葉に反射して、身体がかすかに震えた。

 国王が亡くなったのは、知っていた。デジルが殺したのだ――毒を使って。

 けれど、まさか見破られるなど……

「父は立派な王だが、女グセが悪くてね。気に入った美女ならだれであろうと妾にしてしまう」

 皮肉的に口元を上げ、フィリップはため息をこぼす。馬乗りになられている格好のまま、あたしは彼を見上げるしかない。

「父は香水をつけないのに、死体からは香水の薫りがしたんだ。けれど女といた形跡もない……死に方が流行り病に似ていたけれどね。ちょっとおかしいだろう?」


 彼はあたしの頬を冷たい指でなぞり、くすっと笑う。そしてしなやかな身体をまげ、顔を近づけてきた。

 緑の深い瞳が、迫ってくる――。

 彼はあたしの首筋に顔をうずめた。

 亜麻色の髪を撫で上げられ、生温い感触が首筋を舐め上げる。思わず、身を縮めた。




 ――恐い!

 怖かった。はじめて、あたしは自分の本当の気持ちを知った。

 死にたくないから相手を殺すだとか、自分の身を犠牲にしてまで依頼を受けるだとか、そんなこと、平気なわけはない。そこまでして、組織にいたいわけじゃない。

 組織にいれば、生きていける。お金も入るし、不自由することもない。楽して生きていける――だからあたしは、組織の依頼をこなさなければならない。

 ……そう、自分に言い聞かせてきた。けれど。


 本当はいやだった。怖かった。平気なわけ、ないじゃない。

 この三年間は、幸せだったのかもしれない。三年という猶予のなかで、ただフィリップ王子だけを目指して生きていればよかった。彼にさえ集中していれば、あたしはただの歌姫でいられたんだ。組織はそうやって扱ってくれたから。

 でも、もしあたしがこの身を捧げ、暗殺を果たしたら?

 あたしは組織から大いに誉められるだろう。そうして次の依頼がくる。

 次第に自分を犠牲にすることに戸惑いを感じなくなり、ただ依頼のために生きていくのだろう。

 組織の人間は、みんなそうだから。



 居場所がない……あたしには、ないのよ。組織以外に、考えられない。

 ならばあたしは、そこにいるために、やるしかないじゃない。

 恐いだとかいやだという感情を殺して、暗殺者になるしかないじゃない。

 捕まれば死刑。バレても斬首。

 チャンスは巡ってこない――自分でつくらなくては。


「――フィリップ、さま」

 震えはおさまった。声もしっかりしている。

 彼が首筋から顔をあげ、そっと目を細めてこちらを見る。

 薄暗い部屋のなか、かすかな隙間から月光がさらさらと流れて、彼の瞳を光らせた。

 どうすればいいのか。誘い方なんて、わからない。

 デジルが言ってた――ただとろんとした目で、相手を見つめろって。そしたらあとは、相手が勝手にやってくれるって。



 楽しめばいい。

 アンタは今夜死ぬんだから。



「フィリップさま……」

 うっすらと唇を開けて、彼を見つめる。

 ――あ、きれい。

 やさしい瞳のなかに鋭さを見た気がして、ふいにそんなことを思った。

 しかし、彼はいっこうにことをはじめようとはしない。ただじっとこちらを見ている。すこしの時間だったけれど、あたしには永遠の時のように感じられてしまった。

 しかしやがて、王子はくすりと笑う。そのままそっと顔を近づけてきた――。



「――君は、海の匂いがするね」

 すこし間を置いてから、閉じていた目を開ける。くると思っていたのにこない。それに、予想外の言葉に思わず顔をしかめた。

「まるで人魚姫みたいだね」

 くっと笑んで、フィリップ王子は耳元でささやいた。

 人魚姫……ですって?

「それはどういう……?!」

 気づいたときには、両腕が頭の上で縛り上げられていた。柔らかな布だったけれど、キツかった。

 驚いて声も出なかった。ただされるがままになる自分をながめているような気分で、王子がにっこりほほえむのを見ていた。

「知らない?人魚姫は泡にならないために、王子さまを殺そうとするんだよ」

 ハッと顔をあげる。

 まさか――バレていた?

 途端に身体はガタガタと震え出す。

 あたしは、バレた。王子を殺そうとしたんだ。死刑。


 殺される。

 死ぬんだ。

 死にたく、ないよ。



「父を殺したのは、君じゃないね」

 涙がとめどなくあふれる。怖くて、怖くて、仕方がない。フィリップ王子の声なんて、聞こえなかった。

「泣かないで……」

 遠くで、そんなやさしい声がしたかと思うと、あたたかい手が頭をなでるのを感じた。

 どうしてやさしくするの。今から、あたしは罪に問われて死ぬのに。暗殺しようと、していたのに。

 ふいに、手の束縛が解かれた。

「えっ」

 思わず泣き腫らした目でフィリップ王子を見上げ、間抜けな声を出す。

「僕ははじめ、君が父を殺したのだと思ったんだ……けれど、ちがったみたいだね」

 にこっとして、彼はあたしを起き上がらせる。目がしっかり合い、離せない。

「どうして……?」

「香水さ。君には、誘惑する気満々な香水の香がなかった。だからちがうと思ったんだ」

 きょとんとする。呆然とするしかなかった。頭は状況についていかないのだ。

「海の匂いがしたんだ。君、海に住んでいるの」

 首を傾げ、何事もなかったかのように尋ねてくる青年を、あたしはぼんやりと見つめかえした。

 なんておかしな人。聡明なのか、馬鹿なのか。情け深いのか、愚弄なのか。

 あたしには、わからないけれど。



「……海は、見たことがない……です」

 ぽつりと言葉を落とす。涙は止まっていた。

「なら、今度行ってみるといい。海を見れば、どれだけ自分が小さいか思い知らされる――世界は、広いんだ」

「世界……」

 世界だなんて。

 あたしの世界はずっと、組織のなかだった。そこしか知らなかった。

 海を、見てみたい――世界を。




「名前は?」

「リア……」

 我にかえる。じっと見つめる王子は、やはり笑顔しか見せない。

「リア、君は人魚姫よりセイレーンの方がぴったりかもしれないね」

 柔く、風のような笑顔。薄暗いなかでも、ひどく人を惹き付けてやまない。

 噂通りの、すてきな人間。

「セイレーンって、なんですか」

「海の魔女さ。人々を歌で惑わせてしまう……」

 魔女。ああ、あたしにはちょうどいいかもしれない。


 乱れたドレスを直し、立ち上がる。

 暗殺は失敗……それとも、またいつかチャンスがくるか?

 心臓が痛い。




「またおいでよ、待ってるから」

 振り返る。ベットに身を預けながら、くすりと笑みをもらす彼がいた。

 返答に困り、あいまいに笑う。するとフィリップ王子は目を細め、口を開いた。

「セイレーンのごとき歌姫……」


 柔く、甘く、深く響く声。

 骨の髄まで染み渡り、心を満たすように。

 たとえるならば、それは海。まだ見ぬ広い水のたまり場所。

 そんな、まだ知らぬ感情をひたひたと染み込ませていく、声。



 ――あたしはあなたを、殺すのに。


「またのご招待、お待ちしておりますわ」



 ――それでもあなたは、あたしを誘うの?








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