第十章 人魚姫のレクイエム
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十章 人魚姫のレクイエム
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風が強い。
なぶるようなそれを身体中に受けながら、あたしは振り返り、見納めのごとくその城の姿を見やった。
深緋の国旗、白くそびえる塔、岩の城壁、灰白にかまえられた屋敷、草木に覆われた庭園、それから黒く焦げた建物の残骸。
異様だ。純白に汚れない世界の城とは裏腹に、奥にあるどす黒く崩壊した建物は異様に見える。
やがてその黒が侵食し、あの純白の城をも呑み込む――そんな錯覚を覚えた。
いったんくもり空を仰いで、それからあたしは足を進めた。
もう、ここへも来ることはないだろう。
どこかに、彼がいるような気がしてならない。
恋だとか、愛だとか、そんなもんじゃない。これはもっと特殊な、ちがった感情だ。
「海?ああ、それならここを南東の方角に……」
男はすっと古ぼけた地図をなぞり、目的地までの道をざっと教えてくれた。
「ありがとう」
軽く頭を下げ、歩き出す。
あたしは広げた茶色の地図を片手に、海を目指していた。
夜になると、ときどきあの悪夢が首をもたげてくる。のっそりと、しかし色濃く影をつくってはあたしを蝕む。
夜中にうなされて目を覚ますこともしばしばあった。
あの、ごうごうと猛る炎のなか――。
「いやああぁぁあぁあ!」
夢のなかで、あたしはいつも泣き叫んでいた。認めたくなくて。
すると炎は応えるかのように、さらに勢いを増す。
「フィ……フィリップ、王子ぃ……」
――まだ間に合うかもしれない。
ふいに頭のなかで強い声が響く。勢いはあっても、しっかりした構造の建物なのだから、まだなかは無事なのではないか?
――まだ彼は生きている!あたしが助けなくちゃ!
すがるような思いで駆け出すが、飛込もうとするあたしを、消火するためにかけつけてきた城の兵たちが必死でとめる。彼への道が阻まれた。
「行かせて!あたしはっ!」
「危ないです。さぁ、はやく逃げて」
「離れて。今にも爆破しそうです!」
「やめて!いやだ!フィリップ王子!」
もくもくと黒煙があがる。地獄のようだった。
離れていても、炎の熱さは充分に伝わる。地が震えるように、唸る。
――もう、間に合わないの?
「フィリップさまあぁああぁあ!」
叫びとともに――建物は爆発し、熱風が襲う。爆風によって身体は投げ飛ばされた。
かすむ視界、かすかな意識のなかで、やっぱりあたしは泣いていた。
今なら、人魚姫の気持ちがわかる……悲しいよ。
愛する人をこの手にかけるなら、いっそ自分が消えることを選ぶはずだ。大好きだからこそ、生きて笑っていてほしい……。
こんな単純なことなのに。
あたしの場合、これを愛と呼べるかわからない。たぶん、恋に変わるひとつまえの感情なのかもしれない……むしろ、恋愛よりもずっと深い執着。
あたしはこの三年間、彼だけを見てきた。それは必ずしも明るい感情ではないにしても、彼だけをまっすぐに見てきた。
暗殺をしなければならない――わかっていたけれど、どこかで戸惑いの種は生まれていた。
彼を殺す理由が見つからない……。
何度も何度も、頭のなかでイメージした。銀の鈍い光を放つナイフを、どうやって彼の胸につき立てるか。深く深く、剣の鞘のごとく埋めるか。
けれどいつも、息の根をとめる瞬間に心臓はひとつの激しい痛みをもつ。
ズタズタにしてやるつもりだった。めちゃめちゃに壊してやりたかった。あたしが歌姫から王子の刺客にならなくちゃいけなくなった原因を、消し去ってやりたかった。
頭では、できた。それでも、歌姫として王宮にあがり、フィリップ王子を目にするたびに、彼の評判を聞くたびに、重いなにかがあたしを圧迫していた。
できると、平気だと、そう思い込もうとしていたのに。
あの緑の瞳に見つめられた瞬間、なにもできなくなる。
好きだとか、愛しているとか、そんなものではない感情――もしかすれば、もうすこし彼と静かな時間を過ごしていれば、この感情をそう呼ぶことができたのかもしれない。
いや、ただ単にあたしがそう呼びたいのかもしれない。
人魚姫のように、王子さまを愛していると、まっすぐに。それを口にすることが、許されるのならば。
うっすらと目をあける。夢から覚めたあたしの目からは、いつも大粒の涙がこぼれていた。
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はてしなくつづくかに思われた道も、おわりが近づいてきたようだ。じりじりと照りつけるような太陽の下、街を離れた小道をひたすら歩く。ときにはうねり、上がり下がり、まっすぐになったりする一本道をゆく。
――これは罰なのだろうか?
太陽が真上まで昇りつめるころ、ようやく町を抜けた森の入り口までやってきた。切株に腰を下ろし、昼食にする。
――天罰なのかもしれない。自分が生きたいがために人をあやめようとしたあたしに対する、神からの罰。
風はない。荷袋からくすんだ黄色の木の実とパンを取り出し、頬張る。なぜか苦しくて呑み込むのも一苦労だ。
――心やさしいフィリップ王子。その彼の死の責任は、あたしにある。けれど、なんて無慈悲な。
水筒から水を飲み、喉を潤す。けれどやっぱりうまく飲み込めなくて、咳き込んだ。涙目になる。
――彼に罪はないのに。彼はなにも悪いことなど、していないのに。
小休憩をとってから、再び歩を進める。森のなかは静かで、なんの気配も感じられなかった。
――彼を想って生きていけばいいのだろうか。それが罪滅ぼしになるのだろうか。
草や葉や枝を踏みしめ、黙々と足を運ぶ。木々に遮られ、日の光はなかなか入ってこない。かすかな明るさのなかを、ひたすら歩いた。
――死ねなくなったではないか。あたしの命は彼に救われた。だからむやみに手放すことなどできない。
虫も鳥も獣の気配すら感じられなかった。それほどまで、あたしのなかは空虚が広がり、なにも感知することができなくなっていたのだ。息をすることすら、ままならなくて。
――どうして。どうしてフィリップ王子が消えなくてはならなかったの。どうしてあたしじゃなかったの。
分け入った茂みから抜け出した。暗がりから、だんだんと明るさを取り戻す。木々のなかの独特の空虚の濃さが薄まる。
――ああ、生きていくのがつらい。彼がいなくなったのにいまだ息をしようとする、この貪欲な身体を壊してしまいたい。
森の出口が見えてきた。明るく、まぶしい光が一面に飛び出している。いっそう強く踏みしめ、進む。
――いっそ身を投げて消えてしまいたい。人魚姫のように、海の泡になって。藻屑となって。
身体がだるい。息はあがる。意味のない涙がこみあげる。それでも足のはやさを緩めはしない。ひたすらその出口だけを目指していく。
――生きたくない。生きる意味がない。死にたい……それでもあたしは生きなくてはならないのか。
視界が開けた。
森は終わりを告げ、崖のように剥き出しになった岩肌が見える。草木などない荒野が広がる。
――それが神罰か。
足をとめる。ぼやけた視界にまぶしい日がぎらぎらと反射して目を射る。
ただこの制裁を受け入れなくてはならないと知り、悚然とした。
やがて開けた世界に向かって。
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――ああ。どうか。
やがて風が強まるころ、塩辛いような匂いが漂ってきた。それが海の潮の匂いだと知り、急に駆り立てられるように足を動かす。
海だ。
海だ海だ海だ!
そこに彼がいる――そんな気がして、走った。炎のなかでよりも、彼なら海の底で一生を終えたいと、そう思うような気がしていた。
ただ彼がいないことを信じたくなかっただけかもしれないけれど。
絵では何度も見た。話には幾度となく聞いた。けれどそれを間近で、触れるように感じるのははじめてだった。
これが、海。
ちょうど崖のようにきりたっている場所に出たあたしは、高みからその全貌をながめることができた。怖くて真下は見れないけれど、遠く水平線まで見渡せる。
昼を過ぎた時間の海は、太陽のきらめきを充分に浴びて、サファイア色に輝いていた。澄んだ水面はきらきらとして、まるでインクを落としたように色濃い部分と、底が見えるのではないかと思われるほど透明な部分がある。
うつくしい。その一言に尽きる。
……彼がいるような気がしていた。ここにくれば、彼に会えるような気がしていた。ただ、 漠然と。
たしかに海は広い。今までの自分の世界を否定できるくらい大きく雄大で、誇らしい。
それなのにどうしてだろう。フィリップ王子の言っていたような大きな感動がないのは。感動よりも落胆のほうが大きいのは、どうして?
彼がいるような気がしていた。ただ漠然と、海にくれば再会できると。
だから目指してきた。あきらめきれなくて。フィリップ王子を、簡単にあきらめることなどできなくて。
それなのに。
ここにも、彼はいない……。
これからどうすればいいのかわからない。先の希望を失ったみたいで、絶望の足音を聞いた。
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やがて太陽は西へと傾き、沈んでゆく。真っ赤に燃えるそれは、いつかの猛火のようで、ぞっとさせる要素を秘めていた。
空の変化とともに姿を変えはじめたのは、海もまた同じだった。青い水面は夕焼けによって赤く染まり、さらさらと流れる……血のように、色濃く。
――王子さまの幸せを奪ったのはあたしだ。
ふと、胸が潰れそうなほど苦しくなる。
――人魚姫は健気に王子の幸福を願ったのに、あたしは彼の未来を奪ってしまった……やっぱりあたしは。
深く、深く息を吸う。崖ぐちからながめる赤い海に想いを馳て。
歌うわ。あなたに向かって――捧げる、鎮魂歌。
やさしい夜に抱かれて眠って。揺れる水面にそって、黄金に輝く世界までゆけばいい。
この醜い世界から抜け出して、大きく手を広げる海に溶けこんで。あの水平線の果てまで、ずっと。
あなたの魂が、どうか安らかに眠るように……あたしがそう、祈れるように。
あなたの顔が頭から離れない。目に強く焼き付いて、胸を焦がす。
償いたい。あなたを失ったこと。
でも、とても不可解――どうして死を選んだりしたの。
やがて夕闇のなか、海は漆黒の夜に呑まれていく。紫がかった空にまたたきはじめた星を仰ぎ、ただ歌う。
嘆きの歌よ。
どうか届いてほしい。あなたはまだどこかにいる気がする。海にくれば会えると思っていたのよ。
ばかだったかしら。軽率だったかしら。
だけど。ただ漠然とした直感を信じてみたかったの。
フィリップ王子、あんたはばかだ。
あたしより国の方が大切に決まっているのに。あたしの命なんて、なんの価値もないのに。
あなたが望むなら、あたしは歌うわ。いつまでもいつまでも歌うから。だからどうか、神様――
あの人をかえして。
亡骸すら見ていないのに、信じられないじゃない。信じたくないじゃない。
フィリップ王子……。
あたしはどうすればいいの。生きていく自信もないのに。
ねぇ、だれか、答えてよ……。
お疲れ様でした!まずはここまで読んでいただき、誠にありがとうございます!><
☆雑談☆
本当はここいらで終わる予定でしたが、なんだか半端でいやだったので、もうちょっと書いちゃうことにしました!
要因は・・・
もっとフィリップ王子を出したかった〜〜
彼はかっこいい設定なんで(笑)それを出しきってあげたかったです……
というよりは、なんかもっとこう・・・『恋愛』を書きたくて!こんなはずじゃなかった・・・的な笑
実はこれ、『王国の花』というものの外伝的なものだったりします。笑
詳しくは、『サイレント・プレア』の最終話のあとがきに書くので、ご覧ください。m(_ _)m
ちょっと宣伝しますと・・・
舞台は変わらず、カスパルニア王国。ちょうどこのサイレント・プレアの時期から6年後くらいの話になります。
主人公は、フィリップ王子の遠い血族の少女と、今回もちらと登場した、フィリップ王子の腹違いの弟である第六王子とのお話です。
では、引き続き、もうちょっとだけつづくサイレント・プレアをよろしくお願いします!!!