カイは何も知ろうとしない
マザコンに話を戻します。
1パック98円の卵を手に入れ、帰路につく。
玄関で、スッと一息吸い込む。
息を止めて、扉を開ける。
ただいま、なんて言って入ったことは一度もない。
その箱庭に誰もいないことを知っているから。
扉を閉じれば、室内の暗さに目が追いつかない。
まだ外は明るい夕方なのに、家の中はこんなにも暗い。
それは不思議でもあり、自分の中の常識でもあった。
そっと、足音を立てないように、廊下を進む。
冷蔵庫に卵を入れて、一息つく。
静けさしか知らない俺と母の帰ってくる場所。
荷物を降ろして、襟を緩めれば、ずっしりと身体が重いことに気がつく。
重力の存在に気がついて、その場を動けなくなる。
外と中では、重力がちがうのだろうか。
なんて、おかしなことを考えていれば、そのうち動けるようになる。
ふわふわとした感覚でリビングの椅子に座れば、そこは自分の定位置で安心感に包まれる。
何者でもなくなった自分は、そこに存在しているのかすら危うい。
母親は今頃は仕事中だろうか。それとも、休憩しているかもしれない。
何をしているのかなんて、想像がつかない。それは、母の仕事を知らないから。
何をしているのかわからない。
わかろうとしてこなかった。
俺もそんな風に、家族に認識されず、働くだけの人生になるのだろう。
母は俺のことを気にしない。
俺も気にしない。
いや、考えてはいるけれども、正解を知ろうとしたことは、ない。
何もすることがない。
目の前の机には、母が残していったメモがある。
俺へのメモではない。
たぶんお仕事関連の走り書き。
実はほぼ毎日何枚か置いてある。
ざらりとした感触の紙を手に取る。
お腹が空くまで、そのメモをなんとなく見るのが習慣だ。
母の文字を辿る。
これは、魔術文字。あちらは神術文字。こっちは古典文字。古い漢字もあれば、ラテン語のような文字。旧文明の象形文字。書き散らしてある。
丁寧に文字を拾ってパズルのように繋げれば、最後には魔術の術式が完成する。
幼い頃からずっとやっていた作業。それこそ昔は辞書や論文とにらめっこをしながら解読していた。今は見ればわかる。頭の中で、母の文字を繋げては切り離してを繰り返す。
ちょっとした頭の運動だ。
全部を理解しているかというと、理解できていない部分も多いのだが。
母は考古学者なのだろうか、それとも魔学者なのか。博識な人であることは、メモだけで想像できる。お仕事に使うアイディアメモなのだろうと、予想している。
それを盗み見ているのは、少しだけ申し訳ない。
完成する術式はとても複雑で、実用に耐えられるのかがイマイチ信じられないほど絡み合っている。
今の今まで使ったことはないけれども、幼い頃から解いた術式はノートにメモをして残してある。
母のメモとそのノートを丁寧に引き出しにしまう。
今日の術式は、おそらく世界改変系統。膨大なエネルギーを必要とするもので、発動するかは術者の腕しだい。何人もの凄腕の術者をかき集めないと使用なんて夢のまた夢だ。この世の右巻きネジをすべて左巻きに変革してしまうという、おそろしく規模の大きいものであった。
母はこの式をどのようにして知って、もしくは生み出して、もしくは研究しているのだろうか。
謎は深まるばかりで、しかしそれを解く気は一切ない。
集中していたら、時間が経っていた。そろそろ夕食を作るべきだ。
てきとーに冷蔵庫の中にある物を食べれる形にして、ひとりで食べる。凝った料理なんてものは作らない。
卵などは俺が補充しているが、他の材料は母が好きなように入れているみたいだ。
家にある物は俺も母も好きなように消費していい、ことになっているはず。
わざわざ了承を得たことは一度もない。それで怒られたことも問題が起こったこともない。
俺と母の間には摩擦が起こらない。だって、接している面がないのだから。
世間では孤食を問題提起していることがあるが、俺と母に限って言えば、無問題であった。
慣れた、と言えば一言で終わる。
ひとりで食べられるようになったときからいつのまにかひとりであった。
それにさみしさを感じたことはない。
俺にとっての当たり前がそこにあった。
当たり前というのは、疑問にも思わないことである。
食事を済ませて、他の家事をてきとーにする。
俺は細かいことを気にしない。母は気にしたときに自分でやればいいだけの話だから。
洗濯機を回して、掃除機を丸くかける。隅の埃は気がついたときにとればいい。洗濯物を部屋干しして、風呂掃除を兼ねて自分はシャワーで済ませてしまう。そこから明日の朝と昼のお弁当を用意する。もっぱら冷凍食品やレトルトが多いが、弁当箱にそれらを配置するのはパズルのようで気に入っている。栄養や色彩、量なんかを考えながらバランスよく、崩れないように、腐りにくいモノを詰めていく。母のお昼の分がひとつ、それと自分の分は朝と昼のふたつ。ある程度詰めて、翌朝に作るモノの場所を開けておいて、冷蔵庫に入れておく。
きちんとこういった家事をやるようになったのは、たしか中学に進学した頃だったか。それまではただひたすら、母が帰ってくるのを座って待っていた。母が帰ってくる頃には、幼い俺は机に突っ伏して寝ていて、夢うつつに、母にベッドへ運ばれる揺れを認識していた。
その頃、母は、俺が寝ている間に、家事を済ませているようだった。音があまりしなかったので、きっと家電を使わずに、魔術でだ。
繊細なコントロールを必要とする家事魔術は、完璧に習得している者は少ない。お高いプロの家政婦なんかは身に着けていると言われているが、それを日常的に使っている人は聞いたことがない。
きっと仕事で疲れて帰ってきているのに、息子が寝ているからと、うるさくならないように、そんな繊細で難しい術を使ってもらっているのは、心苦しいと、少しずつ家事をできるようにしてきた。そのかいあって、今ではまあまあ上手くやれている、と思う。
静寂が似合うこの家には、汚れはいらない。
真っ暗な深海ではキタナイモノも見えない。
何もなくていい。
そこに俺と母がいるなら、他には何もなくていい。
揺蕩い揺蕩え。
くらげのように、光らなくてもふわふわと流されていればいい。
ここは海底なのだから。
軽い家事が終われば、俺はまた俺の定位置に帰って、母を待つ。
俺が起きていられる時間に母が帰ってくることはない。
だから、眠くなったらベッドに行く。
これが俺の日々で、冷たい冷たい聖域の日常だ。
起きている母としばらく顔を合わせていない。ましてや声を交わしたのは何年前なのだろうか。
母の声も忘れそうだ。
なあ、母は俺と暮らしていることを、どう思っているのかな。
知らないことは多いけれども。
知りたいとは、思わない。
だって知ってしまったら、この聖域が割れてしまうかもしれないだろ。
変わってしまうかもしれない。
そうなってしまったら、冷たい俺を許容してくれる深海に帰れなくなってしまう。
母を知るよりも、この静謐を大事にしたかった。
誰になんと言われようとも、俺は何もしない。
今日も起きていられなかったなあと思いながら、ベッドに沈み込む。
自然に下がってくる瞼。
家にいるときの霧がかった思考が、もっともっと重たく、消失してゆく。
がんばれマザコン。