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カイ・エトランジェという男

マザコンな話。


 家に帰ると、俺は俺じゃなくなる。

 其処は深海のような冷たくて温い水の底。のようで。

 空っぽの家。

 ただの箱。

 容れ物。

 俺と母の容れ物。

 母は夜遅くに帰ってくる。

 俺はそれまでひとりだ。

 やることはたくさんあるのに、どこか俺は心が満たされない。

 冷たい布団に横になり、息を潜めていれば、いつの間にやらウトウト。

 母の帰宅の物音で目がさめる。

 バタバタと音がしばらくした後、母は静かに寝室を開く。

 狭い家だから、俺は自分の部屋を持っていない。

 しかし、母はほとんど家にいないから、プライベートなんて腐る程あるから不便はしていない。

 だが、寝室が母親と一緒の男子高校生なんて、俺以外にいるのだろうか。

 まあ、ベッドは別々に立派なものが離れて置いてあるだけなのだが。

 俺が使っているベッドは、たぶん父親と呼ばれる者が使っていたと思われるベッドだ。

 父親の顔なんて知らない。

 知りたいと思ったこともない。

 母は俺をここまで育ててきてくれた。

 愛してないはずもない。

 ドラマで見るような、親子のふれあいなんてものは、俺の記憶には特にない。

 でも、今ここにいるということは、赤ん坊のときには抱っこしたり、手を繋いだりしていたのだろう。

 その事実を知っていれば、母からの愛情を疑うこともない。

 母は俺に何も求めない。

 顔をつきあわせて言葉を交わしたのは、いつだったか。

 思い出せないくらいにはすれ違いが多い。

 何もしなくても、何も言われない。

 何かをしようとも思わない。

 たとえば、俺が学校を無断で休んだら、母はどうするのだろう。

 確実にわかるのは、数週間、数ヶ月はそのまま放っておかれるだけであろうということ。

 母は毎日遅くまで働くことしかしない。

 俺も毎日学校と家を行き来するだけ。

 家族ってたぶん、こういうものでもやっていける。

 案外成り立つ。

 母が興味のあるものを、俺は知らない。

 俺への関心はなさそうだ。

 お互いがお互いに知らんぷりをしている。

 母はきっと仕事が趣味なのだろう。

 俺も空っぽの家で揺蕩っているのが趣味だ。

 家の中では、自分の意思で動いているはずなのに、うまく動けない気がする。

 俺の家は深海なのだろう。

 深い深い海の底。

 真っ暗で何もない。

 そこにあるのは、最低限の酸素だけ。

 外敵も味方もいない。

 俺と母しかいない箱。

 俺も母も無関心な箱。

 無味無臭。

 このまま朽ちていくのだろう。

 隙間から漏れ出た朝日に照らされた母の寝顔を見るとそう思う。

 母はこのままここで消えてしまうのだろう。

 俺はそのときここにはきっといない。

 俺はまた母と同じような、この箱と同じような箱を作って、そこで同じように深海の中で揺蕩いながら朽ちるのだろう。

 同じ箱。

 どこにあるのか。

 どこに作る気なのか。

 埃ひとつ落ちていなさそうな廊下を爪先立ちで歩く。

 昨夜用意したお弁当箱は三つ。

 中身はほとんど冷凍食品やレトルトだ。

 そのうちの二つを持って、家を出る。

 朝日が眩しくて目を閉じる。

 深海から出れば、そこは地上だ。

 その落差に俺は慄く。

 外は酸素が多い。

 好きなだけ息をしてもいい。

 でも多すぎる酸素は毒にもなり得る。

 深海では母を起こさないように、埃を立てないように、息を潜めてしまう。

 そんな必要はないとわかっていても。

 俺にとって母のいる家は犯し難いサンクチュアリなのだ。

 大事な大事な静謐を保っていなければいけない場所。

 ひと気のない、近くの公園で俺はひとつ目のお弁当箱を開ける。

 何も考えず、箸と口を動かす。

 美味しくも不味くもない。

 公園の近所の人たちは、俺がここで毎朝食べていることに慣れっこだ。

 いつのまにか日常になってしまった。

 誰にも邪魔をされない時間を過ごして。

 学校へと向かう。

 そろそろ母は起きた頃だろう。

 母はきっと自分で朝食を作り、余裕を持って食べて、俺が昨晩作っておいたお弁当を見つけて、それを通勤バッグに入れる。

 母と俺は会話をしなくてもこうやって繋がっているのだ。

 何もおかしなことはない。

 ルーチンワークな毎日。

 学校に着けば、なんとなく日々が始まる。

 他人に興味のなさそうな教員。

 中身のない話で盛り上がる女子。

 ゲームや漫画に夢中な男子。

 俺はニコニコと笑顔を浮かべる。

 くだらないことで笑い合う。

 意外にも授業はちょこっと真面目に受ける。

 実技でははしゃいで。

 抜き打ちテストがあれば、頭を抱えて。

 休み時間は何をしようか。

 高校生らしい俺。

 肺呼吸をしている俺。

 無難な生き方を探す俺。

 どうせ、家に帰れば深海に囚われてしまうのだから。

 外ではイキイキと、イキのいい頭の悪い魚になりたい。

 深海魚な俺が赤身魚みたいな顔をして。

 お昼休みに、お弁当を開けると、一瞬だけ母を想う。

 深海魚って美味しいのかな。

 食べてくれる人なんているのだろうか。

 深海魚は光の届かない深海で生きるので、視力が退化していたり、そもそも目がないものすらいるらしいと聞いた。

 それなら、俺ももしかしたら目が見えていないのかもしれない。

 母も家の中では見えていないのかもしれない。

 さみしいさみしい深海。

 ふたりで住んでいるはずなのに、お互いを見ることが叶わない世界。


「カイはいつも楽しそうだな。にこにこしていて、 お弁当もそんなに美味しそうに食べてて、おまえの母ちゃんしあわせもんだな」


 タクトはカイの隣に座る。


「タクトもにこにこしてるだろ。いつもいつも女の子に囲まれているじゃないか」


 学校一のモテ男のタクト。


「悪い気はしないけど、時と場所を考えてほしいんだよな」


 持て囃される奇麗な金髪は碧眼に影を落とす。

 教室の後ろのほうで、ファンもとい追いかけの女子たちがタクトの様子を見て悲鳴を上げている。


「あの様子だと、タクトは心休まるときとかってあるの?」

「さあなあ。生まれたときからあんな感じだからもう慣れたよ」

「タクトは強いな。さすが魔学創始者の跡取り」

「いやいや。それを言ったらうちの学校で魔術実技の成績一位には敵わないって」


 そう言って何がおかしいのか二人で笑い合う。

 タクトとは学校で良く話すほうだ。

 こいつはきっと、主人公って奴。この世という物語の中心。正義とか勇気とかそういった光の下が似合う男。

 いつも俺が眩しくて目を細めて見ていると、気楽に声をかけてくる。女子にも男子にも人気があり、そしてトラブルメーカー。

 魔学とは魔術学のこと。ヒトがヒト以上の力を出すために魔術は存在している。そのことを解明し、世に広く広めたのがタクトの祖先だ。だから、タクトはその一流の血筋として期待されて育てられた。

 地位も才能も性格も良い。そして何よりも熱い情熱を持っていろいろなことに顔を突っ込んでいく。

 学校の魔術の実技試験では、俺のほうが成績は良いだろうが、それはただ単に規定通りの魔術を最も効率よく行使できているだけのことである。タクトは俺なんかよりもよっぽど魔術ができるだろう。学校で教わらない魔術をたくさん知っていて使えるのだろうと思う。

 俺は至ってふつうの優等生に徹しているだけだ。


「オレの親友はカイだけだぜ!」


 という風に、なぜかタクトからは親友の称号をもらっている。俺は単純に、学校の中だけでよく話す仲であるだけだと思っているが、あちらはそうではないらしい。

 親友と称してくれるくらいなので、頼られたら助けたいくらいの気概はあるが、基本的にタクトのトラブルにはノータッチだ。だから、タクトが何やら悪の組織と戦っていようが、人知れず世界を救っていようが、顔面偏差値の高い女の子たちに取り合われていようが、俺には全く関係のないことだ。

 とりとめのないことを駄弁っていたら、突然頭を魔術で叩かれた。


「いってぇ!」


 タクトも同時に叩かれたみたいだ。


「誰だ……!」

「あたしでーす。さあさあ元の席につけーおまえらー! お昼休みはもう終わってるぞ」


 派手なオレンジ色の頭髪をしたうちの爆乳担任だ。

 叩くことはないだろこの暴力キョウシーなどと美人担任とじゃれあっているタクトから視線を外して、俺は次の授業の用意をする。

 にこにこ笑顔の優等生で、勇者様の学友は、お伽話みたいな現実をすべて無視したい。



「ちょっと! そこの青頭!」


 後ろから女子のダミ声が聞こえる。おそらく空耳だ。

 俺は関係ないと帰りの準備をする。


「ちょっと!! 無視すんなってば!」


 たしか今日はタクトは生徒会だったよな。うちの学校は少し前まではふつうに雑用をする生徒会だったのに、いつのまにかタクトが入会した辺りから謎の権力を持つようになって、忙しくしているようだ。

 さて、俺は深海魚に戻るためにマイスイートホームに帰ろう。やはり地上は日差しが強すぎて眩暈がする。


「おい! あんただってば! カイ・エトランジェ! タクト様のひっつき虫!」


 おや、珍しいな。俺と同姓同名の人間が、同じ学校にいたのか。二年目になるのに知らなかったな。カイ・エトランジェさんがんばれよ、あれは上級生三年の噂の美人で才女なご令嬢のタマサキ・ピンクハートさんだ。タクトに粉かけているときとはかけ離れた凶悪な表情をしているぞ。

 そのとき、肩をガッと掴まれた。

 あーこれは青タンになってしまうやつですね。


「俺でしたか。てっきり違う人を呼んでいるのかと」


 こめかみにシワが寄っている。顔が整っていると、迫力がある。ちなみにタマサキさんはスレンダーな体型をしていて、大きくウェーブのかかったエメラルド色の髪は魅力的だ。


「あんた以外、どこにカイ・エトランジェがいるっていうのよ!」

「いえ、もしかしたら俺の他に同じ名前の人がいる可能性もあると思いまして」

「んなわけないでしょう! ここはあんたの教室よね?! 同姓同名のクラスメートなんていなかったわよね?! 自分の教室でフルネームを呼ばれたら自分だと思いなさいよ!」


 無駄にきゃんきゃん吠えなくても聞こえてますよ。


「あー、そうだったかもしれませんね。ところで何の用ですか? 顔が凄いことになっていますよ」


 わざとらしく目を泳がせてみれば、タマサキさんはわかりやすくムッとする。良いとこのご令嬢だったはずなのに、こんなにわかりやすい表情で怒っていいのだろうか。偏見かもしれないが、お金持ちの子は微笑みながら腹の探り合いがデフォルトな認識だった。


「こんなに怒らせているのは、あんたが無視するからでしょう!……はあ。疲れたわ」

「お疲れですか。では、俺はこれで失礼しますね。今日はスーパーの特売日なんです」

「と、特売日とかどうでもいいでしょ! 話聞きなさいよ!」

「いえ、俺にとっては死活問題なので」

「あああああ話が進まないじゃない! ちょっと黙りなさい!」


 黙って立ち去ろうとすると、再び肩を掴まれる。痛い。


「帰ろうとするな! いいから、聞いて!」

「はあ、ちっとも話が進みませんね」

「あんたが言うの?! あんたのせいだから!……勢いが削がれたわ。じゃあ用件を言うわ。今日という今日こそは、あんたにガツンと言ってやろうと思ってね!」


 チラホラと残っていたクラスメートたちはすでに退避済のようだ。俺も帰りたい。


「カイ・エトランジェ、あんたはタクト・ベデュグ様に近づきすぎなのよ。ちょっとは遠慮しなさい。タクト様はただでさえ、悪のチアシード……あ、違う違う、世界救世……これも言っちゃダメだ、宇宙ハーレム団体から……あ今のなし…………とにかく! 忙しいの! 学校以外は忙しくてわたくしとラブラブする時間がないっていうのに、学校では有象無象の女子どもに囲まれたり、男子と交流したりしていて、その中でもあんたよあんた! カイ・エトランジェが一番わたくしのタクト様との時間を奪っているのですわ! 少しは控えなさい!」

「その心は?」

「え……そうね、タクト様はカイなんていうガリ勉野郎よりもわたくしタマサキを構うべき! よ」

「それで?」

「え? え?……だからあんたからカイに提言しなさい」

「なんて?」

「そ、そうね、あー、美しくて話も楽しいかわいいタマサキ先輩とお話をしに行けって」

「ふーん。だ、そうだよ、タクト。じゃ、俺はこれで」


 少し前から話を盗み聞きしていたタクトを、引き摺り出し、俺は教室を後にする。

 さて、スーパーの特売日だ。毎週水曜日は卵がなんと1パック98円なのだ。これを逃す道理はない。

 俺には関係のない話だったな。美人なのに、残念な人だ。


これは決してBLではありません。違うったら違うんです。彼はマザコンなのです。

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