加護
「ヨシア、いるのか?」
俠龍たちの横合いから声がかかる。木々の間からあらわれたのは三人の男たちだった。日焼けとは無縁の白磁のような肌と金髪の男、真っ白な髪と髭を持ち俠龍の胸ほどの身長の老人、そして最後のひとりは赤い肌を持ち二メートルを優に越える長身の大男だった。いずれも革製と思われる軽鎧と粗雑な刃物で武装している。
「すげえな映画みたいだ。クローゼットに入った覚えはないんだけど」
「……なんだこの男は。件の山賊か?」
白磁の男が俠龍を睨みながらヨシアに問いかける。腰にはいた剣に手をかけている。
「いや、彼は違うよ。悪魔と戦ってくれていたんだ」
三人がぎょっと目を剥く。
「悪魔だって? なんだってこんなところに悪魔が出るんだ」
「さてね。顔もないような生まれたてだったし、この先にある死体のうちの誰かが喚んだのだろう」
白磁の男の疑問に答えたのはショコラティエだ。彼はパタパタとヨシアの肩から飛び立ち俠龍の肩にとまる。
「おっほくすぐったい」
「そこの血溜まりがそのなれの果てだよ。邪教徒の喚んだ悪魔をこの青年が押し止め、ヨシアが止めをさした。今回報告すべきはそれが全てだ。君たちも雷鳴を聞いたからここにきたんだろう? あれが止めさ」
俠龍の嬌声を無視したショコラティエの言葉に、男たちは三様に苦い顔をした。
「丸腰どころか裸の男が液体の悪魔を押し止めただって? そんな馬鹿な報告できるわけないだろう。それに今回の目的は山賊であって邪教徒じゃ……」
ショコラティエに反論しようとした白磁の男は言葉を発っせなくなってしまった。俠龍の肩にとまっていたショコラティエが一瞬のフラッシュの後、自分の肩に現れたからだ。
「私の言葉を疑う。それは君の、君たちの総意と取っていいのだろうね? ええと……なんとか君?」
それに慌てたのは老人だ。
「と、とんでもない! そいつは酒の飲み過ぎで自分が何言ってるかわかってないんだ! あんた……、いや貴方が正しいのはちゃんとわかってる、本当だ!」
白磁の男も無言で繰り返し首肯する。その顔からは血の気が失せ、まるで死人のようだ。
「……ふむ、まあいいさ。君たちの思慮浅薄にも慣れてきた」
再度瞬き、俠龍の肩に帰還する。俠龍も今度はくすぐったがらなかった。代わりに不思議そうに男たちとショコラティエを見比べる。
「山賊と邪教徒の関係は調べてみないことには確かなことは言えないが、恐らく山賊イコール邪教徒だろう。どんな悪辣な思惑があるのか知らないがね。それが山賊の隠密性の高さ、大胆さの正体だよ」
なおも言い募るショコラティエに、男たちは今度は口答えせずに聞いている。その顔にあるのは一様に怯えの色。俠龍の目には喋って光るだけの小鳥にしか見えないが、彼らにとっては強大な脅威のようだった。
「……ヨシア。詳しくはお前の口から報告してもらうからな」
白磁の男は負け惜しみのように言い残し、連れだって背中を向けた。その背中に小鳥が叫ぶ。
「先に街に戻るなら死体の検分が必要だと伝えておいてくれたまえ。伝書鳩の代わりくらいには働けるだろう」
「鳥が皮肉を言うのか。なんか旨そうだな」
俠龍の呟きは三人には聞こえなかった。
□
残された俠龍たちだが、彼らもこの森の中に用があるわけでもなく、三人に倣うわけでもないが、タルゴゴへ向かうことになった。
「ところで着替えとか持ってない? しっかり着込んでる人間の横で全裸なのは恥ずかしさが際立つんだけど」
「裸の悪魔が横にいるんだ、堂々としているといい」
「お前さんが人型だったら心強いんだけどねぇ。いっそヨシアが裸になってくれよ。ひとりより恥ずかしくなくなる。その服は俺が着るからさ」
「それだと僕だけ裸じゃない……?」
携帯食や水くらいなら持ってきているヨシアだが、さすがに着替えは持っていない。かといって革鎧を借りたところでほぼ全裸であることにはかわりないし、なんだが全裸のほうがマシだと俠龍が断ったのだ。
「しっかし、異世界ねえ……」
なんとなく空を見上げ、俠龍が呟く。木々の枝葉に遮られ千々に切られた空は、しかし俠龍の知る青さで見下ろしてくる。
ヨシアの知る、おとぎ話のような異世界人の物語を聞いた俠龍は苦笑する。そこに登場する異世界人とは賢者であり、革命者であり、伝道師であり、科学者であり、宣教師であり、すなわち偉人であった。
技術やら知識やら政治やらを伝えて善くも悪くも大きな影響を与えてきたのだという。
「俺にはそういう活躍無理だけどね。空が青い理由もよく知らないし。名も無き凡百の異世界人として細々と生きるとするよ」
歴史に爪痕を残した異世界人の全てが地球人だとは思わない
のと同様に、転移した異世界人の全てが歴史に爪痕を残したとも思えない。どこからかやってきて静かに消えた異世界人もいたはずだ。
分別するなら自分はそちら側だと俠龍は自認する。最終学歴は高校だし、そこも特別偏差値が高いわけではなかった。歴史や政治に造詣が深いわけでもないし、専門的な知識など持っていない。一次産業も二次産業も、俠龍は消費するだけの立場だった。
そしてそんな人間は決して俠龍だけではない。偉大ならざる先人たちがどうしたのかは知らないが、俠龍も彼ら彼女らと似たような経緯を経ていくのだろうと漠然と思った。
「話に伝わる異世界人たちはその後どうなったんだ? こっちで死んだとか元の世界に帰ったとか別の世界に行ったとか消滅したとか生まれ変わったとか不死になって今も生きてるとか長い長い坂道を上ってるとか彼らの冒険はまだ終わらないとか」
「不明だね。なにせ最後に記録されている異世界人でも一万年近く昔のことだ。人界はおろか魔界でだって風化した話題だろう」
「その人界魔界ってのと異世界は別なの?」
「だと思うがね。聞くところによると異世界には人界しかなかったり天界が加わったりするらしいではないか。無論私やこの世界の人々が天界その他を知覚出来ていないだけの可能性だって無くはないので、確かなことは言えないがね」
だが、とショコラティエ。
「仮にここと地続きの世界であったとして、技術や政治、信仰、常識の全く異なる土地など、異世界と読んでしまって差し支えないとは思わないかね」
「思わないこともないこともないような気がしなくなくなくなくないような意見もなきにしもあらずって感じも仄かにないこともないけど、まあどっちでもいいことか、それは」
大事なのは、少なくとも今俠龍は生きているということ。
「これで実はロープが首をへし折るまでに見ている夢だったりしたら笑えるけどな。まあそれも変わらないか。とりあえず生きていることにして行動するまでよ」
さっきまでのように。俠龍は変わらず、俠龍であり続ける。
そういった意味では、俠龍がこちらで手にかけた彼らが俠龍が感じた通りの悪党であったことは幸いだった。詳しく調べると勘違いであったりするかもしれないが、今のところは間違っていなかったと安心することができる。
「ところでシャロン。君は凄い体をしてるよね」
不意にヨシアが言った。見られた俠龍は自分の体を見下ろし、さっとポーズを取る。誇らしげなマスキュラー。
「鍛えてるからな! 筋トレと稽古とBCAAで作った体よ。身長163㎝にして体重75㎏の太ましさ。脂肪を落とさずキープするのも大変なんだぜ。今はベストより落ちてるかもしんないけど」
ボディビルダーではない俠龍は脂肪を落とす必要がない。というより、15%を下回らないよう意識してもいた。
現代では日本に限らず蛇蝎のごとく嫌われる脂肪。国によっては社会問題にもなっている肥満だが、脂肪は決して悪いものではない。飢餓、極限状態のエネルギー源となってくれるのは言わずもがな、刺された時に内臓までの距離を稼いでくれるうえ、一度脂肪がついた刃物は切れ味が大きく落ちる。いわば食べられる装甲と言ってよいだろう。
「いや言うね。脂肪とは食べられる装甲であると。とはいえ見せびらかしたいわけじゃないから服が欲しいのは確かだけどな」
「僕がなにか羽織っていればそれをあげたんだけどね。そうだ、せめて靴を履いてくれ。今さらかもしれないけど」
慌てたようにヨシアが言う。下草が生えているとはいえ、足元には小石も枝もある。こんな地面を激しく動き回っていては足の裏を切ってしまう。運が悪ければ深々と抉られることもあるかもしれない。
「ああいや、その辺は大丈夫みたいだ。ほれ」
ヨシアの心配をよそに、俠龍は気楽げに言って足を上げ、足の裏を見せる。そこには擦過傷のひとつどころか、擦れた赤みすらできていなかった。
「さっきあの完全自律人型輸血パックに吹き飛ばされて地面転がったときに胸痛めたんだけどそれもいつの間にか治まってるし。俺の日頃の行いが良いか、でなきゃなんか摩訶不思議なパワーでも働いたのかと思ってたんだけど、おふたりさんはなんか心当たりない?」
そういう俠龍の体には確かに出血はない。打たれた箇所が赤く晴れ上がってはいるものの、それだけだ。
「ほう、珍しい。君は地神の加護を授かっていると見える」
「チシン?」
器用に訳知り顔を披露するショコラティエに疑問を重ねる。翻訳の不具合かと疑う俠龍だが、ショコラティエは構わずに続けた。
「大地に属する神秘の加護だよ。地妖、地精、地神の順に位があり、位が高いほどより強い加護を授けてくれる。神秘連中は気紛れで自我が薄いから、加護の基準はわからないがね。少なくとも異邦人であることは加護の選定に大きく寄与することはないようだ」
ショコラティエは朗々と続ける。
「地の神秘の加護はシンプルでわかりやすい。地面で怪我をしない。地面に裸足で立つと体が頑丈になり、膂力が上がる。自然治癒力が上がる。鉄との親和性が上がる。こんなところだな」
「シンプル過ぎてわかりにくいな。THE 加護を出して欲しいところだ。えーっと、地面ってどこまでが地面判定? 俺ゴロゴロ転がったし踏み込んだりしたし、それは石や砂だけじゃなくて木の枝や草の上もだ。石や砂が地面判定なのはわかるけど、枝や草は地面なのか? 植物とか生物とかにはならない? いやもしかしてこっちの世界じゃ植物って区別がなかったりする?」
「しないよ。こちらの世界でも植物は植物だし、生物だ。なんの前触れもなく広まった考えだから、おそらく異世界からもたらされた考えだろうね。どこまでが地面か、というのも昔から盛んに検証されているがまだこれだ、という結論は出ていないんだよ。強いて言うなら、多くの人間が地面だと判断する範囲が地面だ、と言うべきかな」
「そりゃまた曖昧だな。民間信仰みたいなもんだと思えばそんなもんか?」
「魔法や神秘なんてものは曖昧なものさ。もちろん君が学者に混ざって探究してくれてもいいんだよ。こちらでの糧を得る手段を探さないとね」
「俺には学者の真似事だって無理だよ。こっちでも職探しはするけど、今は俺に宿ってるらしい謎パワーの話が先だ。体が頑丈になるってのは?」
「そのままの意味さ。皮膚や筋肉、内臓、骨の強度が上がり、怪我をしにくくなるし、しても治るのが少し早くなる」
「病気はどうだ? 火傷や凍傷は?」
「火傷や凍傷はしにくくなる。擦り傷や切り傷も同様だ。病気はどうだろうな、君で確かめてみてくれ」
「ふりは無視するぜ。裸足ってのは完全に裸足? 靴下とかだめ?」
「完全ではないね。少し覆うくらいは神秘の連中も目を瞑ってくれる。だが足の裏が全て接地しないのはアウトだ、加護が働かなくなる」
「走ったり跳ねたりして足から地面が離れることもあったんだけど、加護はまだ働いてるよな?」
「働いているよ。走る、ジャンプする、あとは三角跳びも大丈夫だ。加護が働かなくなるのは、例えば靴を履く、馬車やソリなど乗り物に乗る、建物の二階以上に上がるなどだな。馬やトカゲなどの動物に乗るとその動物も体が頑丈になる。加護の持ち主ほどじゃないけどね」
「馬車とかソリがあること、二階以上の建物やその技術があること、人が乗れるトカゲがいることはわかった。靴ってのは完全植物性でもアウトか? あるとして、粘土で作るとか」
「材料になにを使っても靴はアウトだね。だがまた裸足になれば加護は働く。石畳やフローリングであっても二階以上では働かない」
「急なフローリングにびっくりだぜ。じゃあ今ここでヨシアにおんぶしてもらった場合ヨシアも強化される? あと動物の上でも俺に加護は働く?」
「されるし、働く。だが人を背負う分相応に機動力は落ちる」
「なるほどなるほど。よくわかんねえな。膂力が上がるのは実感したからいいとして、慣れるしかないよな。あとは鉄との親和性か。ざっくりした質問になるけど、どういうこと?」
「ざっくり答えると、鉄との相性、かな。加護を持たない人と比べて軽く感じたり、壊れにくくなったりするようだよ」
「軽く感じるねぇ……。それ膂力上がったからじゃないのかと言いたいとこだけど、まあいいか。あんまり軽くなっても取り回し辛そうだけどな」
「実際加護を授かってからも違和感に慣れず靴を履いてしまう人も珍しくはないようだよ。膂力の上がり下がりの幅が大きい人ほど特に。商いや政を仕事にしていると使い道のない加護でもあるしね」
「あー、確かに。慣れるまでに二、三発かかったしな。部屋の模様替えには便利かも」
ふう、と一息つく。矢継ぎ早の質問だったが、ひとまず自身の体の変調はわかった。理解はできないがそういうことがあると聞き、前例もあるらしいのだ、そう心配することでもないだろう。街でもう何人かに同じことを聞いて、同じ答えが返ってくればそれでよしだ。俠龍としては他にも聞きたいことは山ほどあるが、あまり質問を重ねてはふたり(?)の機嫌を損ねてしまうかもしれない。土地勘など持ち合わせていない俠龍にとり、それは死活問題だった。
ちらとヨシアの顔色を伺う。見える範囲では不機嫌そうではないが、機嫌を表すボディランゲージや表情が俠龍の知るものと同様とは限らないのだ。もしかしたら今だって、全身で不機嫌を表明しているかもしれない。
「ああ、ヨシアのことは気にしなくていいよ」
気を揉んでいる俠龍の肩にショコラティエが飛んできた。
「彼は難しい話が苦手なんだ。ヨシアの代わりに難しいことを考え、話し、覚えるのも私との契約のひとつなのさ。彼の取り柄は荒事とチョコレートだね」
ヨシアが小さく笑いながら目を背ける。恥ずかしさを表すボディランゲージは、俠龍が知るものと大差はないようだ。