変わらない性分
「ヨシア、やっぱり君は、人望がないね」
暗い森を前にして、青白く光る小鳥が呆れたように声をこぼした。
競い会うように枝葉を触れさせる木々。その微かなおこぼれを逃すまいと背を伸ばす種々の雑草。目を凝らすとそこかしこに蠢く虫たち。近くの藪を揺すり、あるいは遠くで吠え声をあげる獣たち。
いかなる人の手も入っていない本物の森林。ヨシアが拠点にする都市、タルゴゴの住民が東の森とだけ呼ぶ土地を前に、ヨシア・グランデ・ショコラティエは苦笑した。
「そう言わないでよショコラティエ。これも、僕の実力を買ってのことさ」
逆立つ銀色の髪、赤銅色の肌、宝石のように輝く紫の目を持つ青年、ヨシア・グランデ・ショコラティエ。その肩にとまる青白い小鳥、ショコラティエ。
タルゴゴの傭兵ギルドで特別な戦力を誇る傭兵とその悪魔は今日、東の森に巣食う山賊を追い払うためここに来ていた。山賊の哨戒や罠を警戒しつつ拠点を暴き、人数の不透明な悪党を駆逐する。いかにヨシアが戦闘に秀でた魔法剣士といえど、ひとりでするような仕事ではない。こことは違うどこかに、同じギルドの傭兵や魔法使いギルド、探索者ギルドから幾人かの人員が派遣されているはずだ。
今回の山賊討伐依頼は交易都市タルゴゴの市長からもたらされた。交易によって立つ都市近くに巣食う山賊なぞ、都市の存続にも関わる大敵である。未だ被害は軽微だが、早急な対応が望ましい。しかし敵はわざわざ交易都市の交易を狙うような輩だ。逃げ切る自信か衛兵に打ち勝つ自信か、そのどちらかを持っているに違いない。もしかしたら、魔法使いを。
自信の源がどちらであれ、タルゴゴにとっても周辺都市にとっても脅威であることに違いはない。また、交易都市が商人を守れなかったという事実に、山賊が逃げおおせたという事実が重なることも避けたいのだ。
「しかし、被害にあった商人もなんで森なんか通るんだか。街道なら関所もあるというのに」
呆れたように言うショコラティエにヨシアは肩をすくめながら返した。
「関所があるから、だろうね。税金を払わずに済ませたい商人は少なくないんだろう」
「それで商品を盗られては話にならないな。安全の価値を知らないと見える」
「交易都市への道は広く整備されているし、近隣の村々には衛士の詰め所もある。『タルゴゴへの行き帰りはネズミの巣のように安全だ』とも言われているし、襲われるなんて思っても見なかったそうだ」
「嘆かわしい。安全なのは目が届いているからだろう。それが届かない森の中が安全なわけがなかろうに。魔物と比べてネズミを軽視するから、疫病をもらうような羽目に合うのだよ」
ショコラティエは羽を広げて器用に肩をすくめて見せると、やれやれと人間臭い仕草でため息を吐いた。ヨシアとしても、その意見には同感だ。だが、しかし。
「本来であればその警備のただ中に野党の類いなんかは現れない。タルゴゴへの道すべてが警備されているわけでもないのだし、タルゴゴへの商隊を狙うにしてももっと遠く離れた場所で襲った方が彼らにとっても安全なはずだ。今回のように生き残りに逃げられることもないのだしね」
ヨシアは警戒を怠らない。ただ頭の悪い賊ならばここまでタルゴゴに近づく前に討たれているはずだ。また、簡単にはやられない自信があってもわざわざ危険を犯す必要はない。なにかがある。ここでなければならない理由が。
「そうだね。警戒すべきだ。それは間違いようがない。だと言うのに、ヨシア。君はひとりだ」
ショコラティエが歌うように言う。
「タルゴゴで君のことを知らない人間はいない。子どもから老人までみんなが君を知っている。ある者に勝利を与え、ある者に敗北を与え、ある者から奪い、ある者に施す君を知っている。男も女も君を見ている。あるいは羨望を。あるいは嫉妬を。あるいは憐憫をその目にたたえて君を見る。だと言うのに君はひとりだ。光と暖かさを与え、闇と涼しさを奪う太陽のように、偉大で孤独だ。私の美味しい契約者よ」
「妬まれる理由の一端は、君が担ってもいるんだけどね……」
「なにを言う。君は私の恩恵を多大に受けているではないか。友人に恵まれないのは私のせいではないよ」
本来この征伐に起用された人員は三十人。探索者ギルドからの探索者が山賊の痕跡を追い塒を見つけ、魔法使いと傭兵がその護衛をする。塒を見つけたら敵戦力を確認ののち一度都市に帰還し、後日十分な戦力を伴って本格的な征伐を開始する。そういう段取りだ。ようするに偵察任務である。ひとりで臨む仕事ではない。
ヨシアがひとりでいるのは、ショコラティエの言う通り人望の無さ故である。一言で言うなら、彼は嫌われものだった。
剣術に天賦の才を持ち、契約悪魔と親しげに話し魔法をも行使する若造。
剣一本で身を立てんとする傭兵や、悪辣な契約を結ばれ悪魔を忌む他の魔法使いからすれば、ヨシアはあまりにも恵まれていた。ゆえに時折こうして、ひとりだけ違う集合場所を告げられたりもする。不運なことに彼には、そうした不利をイーブンに戻すだけの実力があった。状況によってはひとりの方が大きな結果を残すことができた。大きな失敗に至っていないだけに、気の弱いヨシアはこのことを陳情出来ずにいて、それが現状を維持させてしまっていた。
もちろん彼を好ましく思う人間もいるが、それは力無い弱き民であったり、個人に偏重を許されない公人であったりするので、彼を取り巻く人間関係は変わらない。今回のことも、後になってはぐれただとか口裏を合わせるのだろう。前もそうだった。
「時間だ。みんなも動き始めるだろう。僕たちも探索をはじめるよ」
中天から照らす太陽を見上げ、ヨシアは表情を引き締める。除け者にされようが疎まれようが妬まれようが、ヨシアのあり方は変わらない。
「……やれやれ」
ショコラティエにはそれが好ましい。
□
俠龍が知覚したのは、頭に被せられた袋と一瞬の浮遊感。ロープが首に食い込む感触と、突如目を焼いた日光だった。
「うわ、まぶしっ」
木々に囲まれた森の中だろうか。薄暗く、手入れはされていないように思う。足元に影ができていることから、真昼であることがわかる。
先程まで頭を覆っていた袋も、首にかかっていたロープも、身を包んでいた囚人服もなくなっている。俠龍は文字通り体ひとつでどことも知れぬ森の中にいた。
「ギャアアアアアアアアアア!!」
「ハハハッ! メーセ、メーセ!」
瞬間移動か意識混濁かと頭を悩ませる間もなく、俠龍はその声を聞く。その狂態を見る。裸で地に立つ俠龍の前で、粗末な服に身を包んだ男たちが馬車を襲っていた。大振りな刃物を振り回し馬の足を斬り、馬車の荷台に群がる。その数、十人。
馬車から若い男が出てきて応戦する。こちらは三人。胸当てのようなものを身に付け、こちらも大きな刃物を持っていた。
襲う側の男たちはうろたえている御者の首を嗤いながら掻き斬り、馬車ごと若い男を囲んで声を張り上げる。
「ヌイダコル、ヌイチャム! メーセ!」
「ノーメン! ノーメン!」
俠龍にはなにを言っているのかは分からなかった。男たちの風貌もずいぶんと日本人離れして見えるし、手にした刃物も見慣れたものより幾分粗末な出来だ。どうにも日本では無さそうである。
現状把握に勤めようとする頭とは裏腹に、俠龍は自分が取る行動を自覚していた。
自分の身に起きたことも正しく把握できていないし、今なにを目にしているのかもわからないが、俠龍は走り出す。一番近くで自分に背を向けている男に近付き背後から金的を蹴り上げる。股を抑えて落下する後頭部に大鉈の肘を叩き込み、確かな陥没の手応えを得た。
「義によるかどうかは分かんないけど、とりあえず助太刀いたす」
襲う理由も襲われる理由も、ここがどこでなにが起こったのかもどうでもいい。ただ俠龍は一方的な搾取が気に食わない。強いものが、ただ強いというだけで幅を効かせることが許せない。
自分がそちら側にいる自覚を飲み下し、俠龍はふたり目に肉薄する。
小さな独善も大きな圧政も、目に見えたなら、耳に聞こえたなら、殺してでも止める。母が言ったことには背くかもしれない。自分の価値観で人を選り分けているのかもしれない。だが、これが正しいと信じて。
俠龍が俠龍であるかぎり、それは変わらない性分なのだ。