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初仕事


 神殿を訪れてから数日後。侠龍はヨシアに連れられてタルゴゴの外、西の山に向かっていた。

 その装いは先日までと一変している。簡素な服は変わらないが、その上から籠手や脛当て、鉢金をつけているのだ。その手には素槍も握られている。胴や腰はがら空きだが、防御力は格段にアップしているだろう。いや、よく見ると胴もがら空きではない。薄手の服を何枚も重ね、嵩を減らすためにブロック状に縫い込んだものを着ている。紙甲(しこう)という中国の鎧の存在を知っていた侠龍が、うろ覚えの知識でなんとか再現しようとしたもので、構造として間違えている。もしかしたら弓矢には効果があるかもしれないが、刃や爪牙の前には無力だ。一般に流通している丸太や太い枝を合わせた木製の鎧の方がよほど効果的だろうが、重さと動きにくさを嫌った侠龍はこちらを選択した。死んだら死んだだ。

 ティエの店で頭を下げ、借りていたトンファーの代金を支払った侠龍は、相談の末トンファーの使用を諦めた。もっと稼げるようになったら金属製のものを使うかも知れないが、今は拳を直に振るうことにした。


「そろそろか?」

「うん。すぐそこだよ」


 緊張に強張る侠龍の言葉に、ヨシアが軽く応える。軽いのは言葉だけではない。装いもだ。ヨシアは幅広の片手剣と丸盾を持っているだけで、あと身を守るものと言えば革製の胸当てくらいのものだ。侠龍の気合いと比べて、まるでコンビニにでも行くような気軽さである。

 今日は侠龍の初仕事に来ている。首から下がるドッグタグのような身分証には傭兵であることが刻まれ、昨日から正式にタルゴゴ市民兼傭兵の侠龍なのだ。

 仕事の内容はタルゴゴの西にある山、通称西の山の魔物及び害獣の駆除。西の山は各所に鉱石が眠る鉱山であり、山菜や薬の材料も採れる。反面魔物や危険な害獣も多く、その駆除依頼は常設されているのだ。

 侠龍からしてみれば野性動物に喧嘩を売りに行くという、正気を疑うか無学を疑われる暴挙。しかしヨシアからすれば日常のワンシーン。両者の熱量の違いはそこから来ていた。


「西の山なんて呼び名を聞いたときには野比家の裏山みたいなもんを想像してたもんだけど、標高何メートルあるんだよあれ……」


 タルゴゴを出て半日。太陽のような恒星が中天から侠龍たちを照らしている。遠くから見えた山は今、木々の壁や崖として侠龍の前に屹立している。角度がきつく、専用の装備なしで頂上まで行くのは至難だろう。どれくらいの高さがあるのかわからないが、頂上付近は植物が見えなかった。森林限界を越えているのだ。

 裾野は広く、侠龍の視界には捉えきれない。前情報によれば、そこかしこに生き物の巣がある、野生の集落であるらしい。

 槍を握る手に力が入る。木々の間が狭く、振り回すことは出来ないが、もともと振り回して使うつもりはないので問題ない。構えたまま焦って体の向きを変えでもしない限り大丈夫なはずだ。


「右斜め前方にいるな。三匹」


 森をあることしばし、ショコラティエが声を発する。ヨシアはそちらを向き、侠龍もそれにならった。巣から出てきたものがいる、ということだろう。ショコラティエの索敵範囲は広い。そこに入ったからと言ってすぐ近くにいるわけではないが、風向き次第で声や臭いが届きかねない。出きるだけ音を立てないよう慎重に進まなければならない。

 しばらくして、茂みの向こうに標的を見付けた。

 体高一メートルほどの二足歩行の生き物だ。禿げ上がった額に短い一本角を持ち、細く節くれだった手足をしている。異様に膨らんだ下腹やギョロリと剥かれた眼が餓鬼を連想させる。肌の色は濃緑色で、体毛は薄い。小鬼と呼ばれる魔物だ。


 三匹の小鬼はぺちゃぺちゃと音を立てながら小動物を食べているようだった。細い腕の先にある鋭い爪で皮を裂き、口腔から覗く牙で肉を食い千切り、飲み込む。ただの食事の風景のはずだが、なぜか侠龍は冒涜的な印象を受けた。

 小鬼は数が多くすばしっこい。それなりの知能を持っていて、威嚇のための音や案山子を立ててもすぐに学習し、効かなくなるのだという。侠龍にとっては異形の怪物だが、扱いは猿のようなものであるらしかった。


 ちらとヨシアがショコラティエを見る。ショコラティエは何も言わずにいるのを確認すると、今度は侠龍を見て小さく頷いた。近くに他の魔物、害獣はいない。侠龍ひとりで挑め。そういう合図だ。

 ため息を飲み込み小鬼を見詰める。体は小さく、体重は侠龍の半分ほどだろう。三対一であっても、人間同士なら戦いにもならない。それでも侠龍は油断しない。自分が不利であると断言できる。相手は野性動物なのだ。筋肉も、骨格も、爪も牙も連携も、脅威だ。


 腰に下げた袋に手を入れる。財布とは別に買った、握り拳より大きい袋だ。中には道中拾った石が入っている。

 服役前の侠龍は大きめのナットを持ち歩いていた。小さく、重く、手に入れやすく、サイズも均等。指で弾くにも投擲するにも便利で、警官の職務質問も回避できる。しかしこちらでは手に入らないので、昔ながらの石礫(いしつぶて)だ。

 手のひらに収まる程度の大きさでしかないが、当たれば痛いそれを握り、侠龍は立ち上がった。それとほぼ同時に小鬼たちは侠龍に向き直り、飛びすさって距離を取る。侠龍の居場所が知られていたわけではない。動くものは警戒するという、野生の掟に則った行動だ。

 軽く振りかぶって石を投げる。孤児院で投擲の練習は済ませている。筋力が大幅に上がっているため狙いをつけるのに難儀したが、この距離なら外さない。

 右の上手で一投。下ろした手から下手で一投。


「ピギャッ!」

「キキッ」


 力の乗った上手は向かって右手の小鬼の胸に埋まり、下手は真ん中の小鬼の鼻に命中した。


「おお。的が小さくて不安だったけどなんとかなるもんだな。メジャー目指すか」


 軽口を叩きながらも投石を続ける。三投、四投。うずくまる右の小鬼は無視し、真ん中、左の小鬼を狙う。びしびしと体に命中する礫は、小鬼の表皮を削り、流血を促した。やがて、真ん中の小鬼の眉間に礫がめり込み沈黙。残る小鬼は一匹だけだ。


「ギャーキャッ!」


 耳障りな鳴き声を上げて最後子小鬼が背中を向けた。もうひとつ石を投げようと袋を探るが、残りは指で弾ける程度の小石しか入っていない。すぐに槍に持ち換え、振りかぶる。


「どっ……こいしょお!!!」


 全身の駆動で射ち出された槍はその柄をユンユンと撓ませながら空気を貫く。狙い通りに進んだそれは、穂先にしっかり小鬼を捉え、背中から胸に貫通し、地面に突き刺さって止まった。


「あ、どっこいしょって言っちゃった」


 侠龍は断末魔すらなく絶命した小鬼に一瞥すると、倒れた小鬼の元へ向かった。慎重に近付き、首の骨を折る。確実に息の根を止めてようやく、安堵の息を吐き出した。


「ふぅ、なんとかなったな。あー怖かった」

「お連れ様」


 ◯



 小鬼の死体から右耳を剥ぎ取り、血に汚れていない石を回収した。槍を引き抜くと穂先がおかしい。刃は問題ないが、刃と柄の接続部が歪んでしまっていた。


「参ったな。壊れそうだ」

「本当だ……。これくらいなら修理できるかもしれないし、もう槍は使わない方がいいかもね」

「そっかぁ。じゃあ今日はもう帰るか」

「え、なんで?」

「なんでがなんで?」

「シャロンは素手でも強いじゃない。こんなに浅いところに出てるのも気になるし、もう少し見ていこうよ」


 ヨシアには侠龍の及び腰が理解出来ないようだった。悪魔と戦い聖甲騎士に勝った侠龍は、彼にとって強者なのだから。

 侠龍は今日まで再三再四野性動物の恐ろしさを語って来たが、ヨシアは実感出来ていない。侠龍なら大丈夫の一点張りだった。はぁ、と息を吐く。侠龍もこうなることを想定していなかったわけでもない。ここからは素手で、どこに何匹いるかもわからない野性動物を狩ることになる。

 幸いなのは周囲の探索に秀でたショコラティエがいることと、侠龍よりずっと強いヨシアがいること。いつまでも付いて回るわけにもいくまいし、今のうちに戦闘に慣れておくべきだろう。侠龍は諦めて腹をくくることにした。いつまでもグダグダ言っていても仕方がない。


「ふたりとも、そこの肉をよく見た方がいいんじゃないかね」


 ショコラティエの誘導にふっと目を向ける。ショコラティエの示した肉とは、小鬼たちが食べていたもののことだ。兎のようなそれは綺麗に皮を剥がれ、血抜きや内臓の処理がされているように見える。


「魔物が意外と文化的で驚いてる俺。え、実は獣人が市販の肉をワイルドに食ってたってことはないよね?」

「ないよ。あれは間違いなく魔物だ。目が濃紺濁ってるでしょう? 魔物である証拠だよ」


 ヨシアの言う通り、生き絶えた小鬼は三匹が三匹とも眼が濃紺であった。黒目や白目の区別がなく、濃紺一色。


「それに、小鬼が肉の処理をするって話も聞いたことない。小さい鳥獣や虫を取って、生きたまま噛みつくはずだ」

「ってことはこれは、小鬼に襲われた憐れな誰かが逃げるための囮にしたか、要らなくなって捨てたか、なんかの目的があってあえてここに置いたか」

「魔物は生き餌を好む。処理された肉など見向きもせずにその誰かを追うだろう」

「ってことは1は没か。2と3は?」

「ここはもう山の中だ。傭兵や探索者が調理していない兎を一羽持ってくるとは考えにくい。となると商人だが、山越えの道はないし魔物も獣も多く、商人が好んで通るとは思えない。が、東の森の件もあるし、関税逃れのために命を懸けた可能性もあるかもしれん」

「どうだろうな。見たところ富士の樹海より樹海だし、山は大きく険しい。山を迂回して樹海の中を通る手間とリスクと、増える日数分の水と食料が、関税より高いとも思えないぜ。税金いくらか知らないけど」

「それもそうか。商人の線もなし。たまたま持ってきて捨てた、ということもなさそうだね。ならば、誰かが何らかの目的を持って置いた、ということかな?」

「俺に聞くなよ知らねえよ。なんかの儀式とか、誰かの弔いとか、狩猟の一種とか、その辺じゃねえの?」

「どうだろう。僕はどれも聞いたことはないかな」

「私も、聞いたことがないね」

「聞いたことがないイコール存在しないだとは思わねえけど、ショコラティエも知らないってのは気になるな。いや気にしても仕方ねえんだけど」


 ともあれ、そこにはそれ以上なにもない。一行はより奥へ進むことにした。小鬼の死体は持っていく。より山奥に放置してくるためだ。ここでは街道に近すぎて、肉に寄ってくる獣や魔物が人を襲いに行きかねない。

 首に紐をかけ、ずるずると地面を引き摺られる小鬼と、その軌跡を描く血痕。臭いと血痕が道標となり、付近の肉食は侠龍を狙って集まることだろう。今回は経験の蓄積と金策を目的としているため、狩れるだけ狩りにきている。集まってくるのは獣も魔物も、等しく獲物でしかない。

 侠龍が再三にわたり確認したが、乱獲や数の保全は意識する必要はないらしい。愛護の団体も存在しない。百余年もすればその時代の人間に謗られることになるかもしれないが、侠龍は気にしないことにした。まずは自分と、その周りが第一だ。

 

 ショコラティエ頼りにならないよう、侠龍も周囲の様子に気を配っている。耳をすませ、目を凝らし、鼻を効かせる。

 しかしなにも感じない。引きずる音がうるさく、血の臭いがたちこめ、糞のひとつも見当たらない。侠龍の感覚からは、ただの森としか感じなかった。無理もない。数日前まで森や山などろくに歩いたこともなかったのだ。そこから生き物の痕跡を探るというのは、並大抵ではない。

 そこをいくと、ヨシアはさすがと言えよう。ショコラティエのそれには及ばないものの、頼りきりにならず自分の感覚でどちらに進むかを決めているようだ。


「すごいなヨシアは。俺なんかどこをどう見ればいいのかもわかんねえよ。ボーイスカウトの経験とかある?」

「誰だって最初はそんなもんだよ。ジーッと見てきょろきょろしていればすぐにわかるようになるから」

「オノマトペが使えるのは朗報だけど、どっちだよ」


 雑談のような教示のようなものを聞きながら森を歩く。しばらく進むと、足元に傾斜を感じるようになってきた。こうして会話ができるのも、ショコラティエの探査能力とヨシアの実力のお陰だ。いましばらくは甘えるつもりでいる。


「いるな。このまま正面だ。大きめのが一匹」


 再びショコラティエが注意を促す。正面に目を凝らすが、木々が邪魔で視界が通らない。人の手の入らない森とは、こうも見通しが悪いものなのか。

 会話を控え、足音を殺して進む。足元には木の枝や草葉などが転がり、一歩毎にこちらの所在を知らしめようとする。それらを踏まないよう努め、しかし意識を囚われないよう注意もする。足場の悪い場所を行くのは侠龍にも経験がある。そこだけはヨシアに遅れずにいられた。

 やがて侠龍の耳に湿った音が届いてきた。ぴちゃぴちゃという水音と、じゅるじゅると気泡混じりの水が通る音。その音から連想されるのは、腸を喰らわれる被捕食者と、血肉を啜る捕食者の姿だ。


 ゆっくりと音に近付き、その正体を確かめようとした、その時。ぴたりと水音が止み、代わりにブゴブゴと低い音が聞こえてきた。侠龍の前をヨシアの手が遮る。その眉はまだ見えない獲物を捕らえているのか。

 ヨシアに従い歩みを止めた侠龍の眼前に、突如赤い塊が投じられた。


「っ!?」


 咄嗟に上体を捻り塊をかわす。遅れて飛んできた飛沫が目に入りかけるが、目を細目つつ半歩退がることでそれもまぬがれた。


「プギィ、ブゴブゴ!」


 背後の木にぶつかり、湿っぽい音を出して地面に転がる赤い塊の反対側、侠龍たちの正面に、巨体は現れた。

 まさに巨体。足から頭までの大きさは侠龍より一メートルは大きい。体長は二メートル、五十か六十か。焦げ茶色の剛毛に覆われた全身は全てが太い。胴も、足も、腕も、首も。

 首の上の頭は猪によく似ていた。鼻先は上向き正面を向いた鼻孔が音を立ててヒクついている。下顎の牙は口内に収まらず上顎の横から上向いている。

 胸から股間にかけては体毛が薄く地肌の色が透けている。脂肪のためかやや丸みを帯びているものの、その下に分厚い筋肉が潜んでいることは疑いようもない。


「うへぁでかいな。体重何百キロあるんだよ」

「大きいかな? オークとしては普通くらいの大きさだけど」

「あいにく俺とは初対面なんでね。オークってのがあの巨人の名前でいいんだよな? 周囲の樹のこと言ってるわけじゃないよな?」

「うん、あの魔物のことだよ。大昔にいっぱい人間を食べた猪が魔物になって変身して、それが増えたんだって」

「経緯がいまいち伝わんねえけど、生物史の勉強はあとでいいわ」


 会話の合間も猪面の巨人……オークは鼻を鳴らし、濃紺の目で睥睨している。猪なのは首から上だけで、下はほぼ人間のようだ。侠龍の胴ほども太い腕は人同様の構造で、短いながら五指もある。となると先程の赤い塊ーーおそらくはなにかの肉ーーはあの腕と肩でもって投げられたのか。


「オークねぇ……。よく聞いた名前だけど、見た目は大分違うな。映画じゃもっと人と混ざった見た目してたぜ」


 ヨシアは特に緊張した様子もなく侠龍の後ろに控えている。手を出すつもりはないということだろう。倍近い身長と倍どころではない質量の野性動物と、侠龍ひとりで闘えというのだ。

 壊れかけた槍を後ろに投げだし、スタンスを狭く構える。足場が悪いためステップは踏めないが、回避を第一に考える。体も頑丈にはなっているようだが、巨大な雑食獣と素手で闘おうというのだ。油断はできない。


「やってやるか。どうかお手柔らかに頼みますよ」

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