神殿
大分間隔が空いてしまいすみませんでした。スマホが故障しプロット、設定、書き溜めが無くなってしまったため今後更新が遅れてしまいそうです。
驚くべきことに、歩いている間に侠龍の怪我は治ってしまっていた。
剣先が刺さった左肩も、爪で引っ掛かれたアキレス腱も、今は血痕を残すのみ。痛みはなく、動かすのに支障もない。どころか、傷痕すら残らなかった。
「ヒーリングファクターってこんな感じなのかな。破傷風の心配もしなくて済むといいんだけど」
「こんなに早く治るなんて、シャロンは深く愛されているんだね」
「一方的な愛ってのは心苦しいな。初任給で神殿に喜捨するよ」
「それはいいことだね。地神の神殿は中央区にあるから、あとで場所を教えるよ」
「助かる。祈り方とか作法みたいなのってある?」
「地神への祈りは、たしか地面に膝をつくとかなんとか……。ショコラティエ、なんだっけ?」
「直に地面に触れることが地神への祈り方だよ。場所も箇所も問わない。手でも額でも尻でもいい。土や泥に直に触れていれば、祈りは届く。土に汚れて体を鍛え、泥にまみれて使うことを教義とした祖父神が、地神だ」
「なるほど、親しみやすい。だから初対面もまだな俺に加護をくださってるわけかな」
「さて、どうかな。あの連中は気紛れで、測ることは難しい」
「俺より親しげな口調だな。あったことがあるとか?」
「僕も気になるな。ショコラティエの過去はなにも知らないし」
「ノーコメントだ」
「イエスと同義だぜそれ」
消毒してもらう傷口がなくなってしまったので、侠龍は医者にかからず軽食を摂って傭兵ギルドへ向かうことにした。医者にはそなうち抗生物質がないか訪ねるつもりでいる。
傭兵ギルドは相も変わらず人の出入りが激しく、活気があった。しかし侠龍が扉を開け、ヨシアが入ると、活気が一段落ち、ひそひそと話す声が出始めた。中には侠龍たちを指差している者もいる。
「やーな感じだな。目の前で陰口とか、高校時代を思い出すね」
「なんだろうね。いつもより多いみたいだけど」
気にはなるが、気にしていても仕方がない。ヨシアは視線とひそひそ声の中を歩き、受け付けへと声をかけた。
「こんにちは。東の森の調査ってどうなりました? 追加の調査が必要なら、僕は空いてるんですけど」
「少々お待ちください」
受け付けの男性が奥に確認に下がるのを、侠龍はヨシアの斜め後ろから見送った。受け付けは露皮種に見えたが、後ろ姿を見ると毛の豊かな尻尾が見えた。狐のようだ。
待つ間周囲のひそひそ声に耳を傾ける。邪教。悪魔。聖甲騎士。勝った。そんな単語が漏れ聞こえてきた。どうやら、話題の中心は侠龍であるらしい。そちらに目線をやり、ウインクしながら横ピースをしたが、顔を背けられてしまった。
「どうしたの?」
「なんでもねえよ。内緒話してると三十男のキツい決めポーズを拝むことになるぞ、って、警告しやっただけ」
「ははっ、なんだいそれ」
「お待たせしました」
ギルドの受け付けによると、追加の調査は今まさに行っている最中だという。管轄は聖甲騎士団。
「邪教と悪魔が出てきたんじゃ、そうなるか」
「そういうもんか? なんとなく、傭兵とお上は別の仕事してるもんかと思ってたんだけど」
「そういうものだよ。騎士団の強さは本物だからね。傭兵ギルドで手に負えない仕事やなんかは騎士団がこなすことは、決して珍しくないんだ。逆に、騎士団や戦士団が動くほどでもない仕事が、傭兵に回されることもあるしね」
「ふうん。上位下位で住み分けされてんのね。やっぱ傭兵より騎士とか戦士の方が強いの?」
「そりゃそうさ。向こうはお金をもらって訓練してるし、食事もいいものを食べてる。装備だって支給品は高品質だからね。それに勝っちゃうんだから、侠龍はすごいよ!」
「プロ野球選手にほめられる少年の気分。ありがとう」
ヨシアなら、侠龍より早く、よりよい結果が出せただろう。それがわかるだけに、ヨシアの無邪気な喜びようが不可思議だった。
「さて、これからどうしようか? シャロンが傭兵の仕事したいなら付き合うけど」
「したいならもなにも、俺はまだ自分のID持ってないんだけど」
「僕が受けてシャロンが付いてくればいいよ。害獣駆除なら毎日あるしね」
「んー、それもいいけど、さっき丁々発止したばっかだし、今日は体を休めようかな。もうどこも痛まない事実がむしろ怖い」
「それもそうだね。朝からいろいろあったし」
「あと素手で野性動物に挑むとか正気じゃないよねって。ライフル協会どこ? 猟銃買ってからにしよう」
「じゃあ、神殿行こうか。この近くだよ」
「ありがたいけど、ヨシアは仕事いいの?」
「うん。まだお金はあるし、僕も予定はないしね」
◯
神殿は傭兵ギルドより都市の中心に近い。市長の邸宅や軍属の施設を除けば、もっとも中心近くに建てられている。
祖父神、地神。
祖母神、空神。
父神、陰神。
母神、陽神。
四柱の神に対応した四つの神殿が建てられている。侠龍たちはそのうちのひとつ、地神の神殿に来ていた。
「はじめに地神と空神があって、その二柱から陰神と陽神が産まれたんだ。陰神と陽神は多くの精霊を産み、精霊は妖精を生じさせる。妖精や精霊は神格より細かなものに宿って、やがてそれを司る神格になるんだ」
「神道と仏教のハイブリットみたいな感じか。地精とか地妖ってのと、地神との違いは?」
「神格と同じものに宿っているものは、神格の補佐をしてるんだよ。地神は健康と強壮、土と鉱石の神なんだけど、地精と地妖はそれぞれに加えて、例えば鉄とか金とか、より細かな分類に宿るんだ」
「なるほど、一口に土だ石だって言っても種類あるもんな。全体の統括が神様で、庶務雑務が精霊や妖精ってわけだ」
侠龍の視線の先、地神の神殿は朴訥とした雰囲気の、どこか雑にも見えるつくりだった。巨石の柱や盛り土の壁で作られたそれは、大規模な建築でありながらおよそ加工というものをされていない。
切る。削る。砕く。混ぜる。焼く。さまざまな工程を経て強度を増し、大きさを規格化することでより強固な建材とされるはずの石や鉱石が、恐らくは採掘されたままの姿で建材として用いられているのだ。
規模は大きいが、子どもが石を積み重ねて作り上げたかのような、ともすれば稚拙とも見える外観だ。周囲が立派な建物ばかりなだけにひときわ浮いて、いや沈んで見える。
「この素朴な建築もなんかその辺に関係したり?」
「大地が地神そのものだから、なるべく飾らずに建てたんだって」
「翻訳の不具合か? 言ってることがよくわからんのだけど……。大地が地神そのものなら、わざわざ神殿を建てる意味が無いんじゃないのか」
「その通り、ないね。だが神殿とは神のためのものではない。人のためのものだ。祈りを同じくする者が集い、語らい、説教をするには、寄り合い所があった方が便利だろう?」
「……なるほど、わからんでもない」
「それに、神殿には御神体があるから」
「御神体が、神殿に?」
「うん。なにかおかしい?」
「いや、おかしいことなんかないよな。うん」
地神の御神体は神殿の奥に安置され、参拝が絶えない。今も、話し込む侠龍とヨシアを横目に人が行き交っている。
ヨシアは神殿の出入口を手で示した。
「見ての通りあそこから入れるから。土壁の中は奥まで一本道だから迷うようはないし、順番を待てば一番奥までいけるよ」
「その口振りからすると、ヨシアは一緒に来ないとか?」
「うん。僕は外で待ってるよ。ショコラティエがいると入れないからね」
「あー、やっぱダメなんだ」
ショコラティエは悪魔だ。悪性の魔性だ。人に恵みを与える神性とは相性が悪いのだろうと納得した。
「案内させちゃって悪いな」
「気にしないで。買い物でもしてるから」
にこやかに手を振るヨシアに手を振り替えし、侠龍は神殿に向かった。神殿までの数メートル、考えるのはヨシアの人の良さだ。どう育てば、あそこまで善性のみを伸ばすことができるのか。実は猟奇殺人犯で、侠龍の信頼を勝ち取ったのちに拷問を、とでも企てている方が健全だとすら思える。
ヨシアがそのつもりになったら、侠龍では抵抗のしようもない。恩返しもまだなので思い込みで逃げるわけにもいかない。なのでそうでないことを祈るしかない。
地神はその祈りも聞いてくれるだろうか。
◯
稚拙に見えた神殿も、近くから見上げるとその威容がわかる。柱代わりの巨石はひとつひとつが侠龍より大きい。それが七、八メートル分も積まれているのだ。
「日本じゃ芯棒でもなきゃあり得ない建築様式だな。震度二くらいで崩れそうだ。この辺じゃ地震がないのかな」
焼かれたわけでもなく、一見ただ固めただけに見える土壁は窓が小さく、少ない。屋根も天井も固めた土で、採光のためかところどころ窓が用意されている。窓とはいってもそこにガラスはなく、ただ穴が開けられているだけだ。
中を除くと全体的に薄暗い。光源は屋根や壁の窓と、中に点々と置かれたロウソクだけである。人の行き来が多いが、体調不良を訴えている人は見当たらない。
「実は換気が万全なのか、一酸化炭素がないのか」
内心の不安を呟きこぼし、神殿に入る侠龍に声をかけるものがあった。
「ようこそ、尊き祖父、地神の家へ」
「うわっ!」
小さな祈りや囁き声が満ちる神殿において、侠龍の驚き声は大きく響いた。少なくない目線が注がれ、侠龍は詫びの言葉を投げ、声の主を見やる。
「これはすみません、驚かせてしまいましたか」
目を丸くして謝るのは老年の男性だった。灰色の髪をかき、皺の深い顔を侠龍に向けている。その肩から下は一メートルほどの蛇……クロパンズボアの特徴を有している。薄暗いなかでも、その艶めく鱗に泥で模様を描いているのが見えた。
「貴方の信仰を前に、つい不躾に声をかけてしまいました」
「いやいや、こちらこそ、大きな声を出してすみません」
男が入り口横のスペースを手で示した。そこには木製の長机と丸椅子がいくつか置かれ、机の上には数冊の本が並べられている。侠龍は進めに応じて椅子に座り、男は侠龍の隣でとぐろを巻いた。
「私はここで神官長を勤めます、シント・サチェレトスと申します。敬虔なる孫よ、貴方のお名前は?」
「俺は東京のシャロンです」
「シャロンさん。良いお名前ですね。響きが綺麗だ。この神殿にいらしたのは初めてですよね?」
「はい。先日タルゴゴに来たばかりでして」
「おお、都市について日を置かずに神殿におもむくとは。やはり篤い信仰をお持ちだ。おおい、泥をもちなさい」
なにやら感じ入った様子のシントは、手をあげて近くの若者を呼び止め用を言いつけた。若者はすぐに応じ、シャロンとシントが二、三言葉を交わす間に手桶を持ってきた。
手桶というが、大きさは柄杓のようだ。その中には水気を帯びた泥がたっぷりと詰められている。
「どうか、貴方の足に泥を塗らせてください」
シントの言葉にぎょっとする侠龍だが、周囲ではシントのように体に泥で化粧をした者が、そうでないものに泥を塗っている光景が見られた。つまり、これは宗教的儀式なのだ。
「神官長手ずから泥を塗っていただけるなんて、光栄です」
「どうかシントとお呼びください。我々は皆等しく孫なのですから」
シントは手桶から指で泥を掬い、それを侠龍の足に丹念に塗り始めた。いわゆる泥パックのようなみずみずしさはない。感触としては泥団子に使うような、土の感触が強く残っている。
そのため塗ってもぼろぼろと落ちていくが、シントは落ちた泥も掬って塗っている。掬うときと掬わないときがあるので、なにがしか基準はあるのだろうが、侠龍にはわからなかった。
「露皮種の足で裸足はお辛いでしょう。貴方の献身を、祖父はきっと喜びます」
足を見ながら発せられた言葉で、侠龍はシントの言った篤い信仰の意味を悟った。確かに侠龍の足は鱗や甲殻には覆われていない。爪や吸盤もない。鱗を持っているシントからすれば、過酷に見えるのかもしれなかった。
「いえ、それほどでも。畏れ多いことに祖父の加護を賜っていますので、痛みませんし」
「そのようですね。しかし祖父の加護も万能ではありません。冬の霜を前にしてはかじかみ、夏の日向を歩んでは焼け、鉄や木の道具を踏めば裂けてきたことでしょう。それを負担に思わないなんて、シャロンさんは立派な方ですね」
「買い被りですよ」
にこりと微笑みを向けられるが、侠龍は曖昧な笑みしか返せなかった。正直に言って、そこまで考えていなかったのだ。地面で傷を負わないと聞いて単純に喜んでいたが、なるほど温度やゴミか。盲点だった。
もしかするとこの泥は、熱気から守る意図があるのかもしれなかった。
「ところでシントさん。ここは喜捨を受け付けていますか? 聖印や教典があるなら、それも欲しいんですが」
「ありがとうございます。当神殿は皆さんの厚意で成り立っております」
喜捨はいつでも歓迎。聖印はなく、信者は石を細工して身に付ける。教典は祖父神と祖母神の誕生から人が産まれるまでの歴史で、すべての神が同じ内容の教典を用いてるという。
侠龍の足が指の間まで泥に覆われると、辞書のような厚さの教典を一冊と、聖印として小さな鉱石の首飾りを購入し、喜捨をした。シャロンはまだ読み書きができないので、教典を教科書代わりにすることになるだろう。
「その鉱石をご存じですか?」
言われて侠龍は鉱石を目の高さに持ち上げた。薄暗いためよく見えないが、青灰色のずしりと重いそれに見覚えはなかった。地球には存在しないのか、侠龍が知らないだけなのか。
ためつすがめつする侠龍を見て、シントが続ける。
「それは地神の後追いと言う鉱石です。地神が付けた窪みに地精、地妖が集まってできると言われています。重く、硬く、加工が難しいですが、それゆえそう簡単には壊れません。シャロンさんのよく鍛えられた肉体に、さぞ映えることでしょう」
「へえ……。ありがとうございます」
「では、こちらへ」
聖印を提げ、教典を抱えた侠龍はシントの先導に従い神殿を奥へと進んだ。そこここに神官や信徒がいて、泥を塗ったり、教典を手に語り合ったり、鍛えた肉体の披露などをしている。
それらの合間を歩いて着いた神殿の奥。そこには人の頭ほどの大きさの鉱石が祀られていた。白く輝くそれは周囲の飾りも相まって、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。
「シントさん、これは?」
「こちらこそ地神の御神体です。一見すると銀のようですが、銀よりも硬く、熱しても溶けない、祖父と大地の不変をあらわす石なのです」
◯
「あ、忘れてた」
御神体の前で説法を受け、祖父神のなんたるやをシントから聞いた侠龍は今、神殿から出てヨシアと合流していた。侠龍の体感で一時間ほど待たされたはずのヨシアだが、気を悪くした風もなく侠龍を迎えていた。買い物をして待っていたらしい。
「なにを?」
「ティエのところに行くの。絵はまだだけど、壊しちまったトンファー買いとらないと」
今、侠龍の腰には一本しかない。それほど使い込まれてもいなかったトンファーが拳縋で壊れたとあっては、トンファーの注文も見直すべきかと思案している。侠龍の膂力に耐えうるものがあるかどうか。
重さを厭い木製を注文したが、金属製の方が良いかもしれないと思い直す。加護で親和性とやらも上がっている、とショコラティエも言っていた。
「そこら辺も含めて相談がてら、ちょっとティエのところ行ってくる」
「行ってくるって、シャロン道分かるの?」
「曖昧だけどなんとかなるだろ。ならなくても、すべての道はローマに通ずるから、最悪ローマまで行っちゃえばローマ経由でどこにでもいける」
「どこだいそれ。案内するよ」
苦笑して先導するヨシアの背に、侠龍はまたも追従するしかないのだった。