ありがちな決闘
「下調べって大事だよな実際。短慮はダメだわ」
一日半ぶりに獄中を味わった侠龍の正直な感想である。
侠龍が騒ぎに乱入してから一日が経っている。元々侠龍は独善的な男だった。犯罪を憎む心はもしかしたら真っ当かもしれなかったが、その解決に暴力を厭わず使う野蛮な男だった。日本にいたころは現行犯を旨とし、刑務所からの出所後や留置所からの解放後に後をつけるなどして現場を押さえていた。
冷静であるようつとめ、口数を増やして状況を俯瞰しようと努力もした。だがダメだ。どうしても暴力を目の前にすると、頭に血が上る。
侠龍が体当たりを食らわせた女は聖甲騎士団という組織の一員だった。聖甲騎士団はこの大陸すべての国家からなる武力組織で、言うなれば警察機関である。大陸中に支部を持つ大きな組織で、団員は皆一流の強さと公平さを持っていると言われ、邪教と戦ってきた実績もある。民衆からの信頼も篤い。
昨日の騒ぎは聖甲騎士団の仕事の一環だったのだ。男は侠龍が森で蹴散らした賊の一味で、都市の内部からどの商人がどんな荷を運ぶか、情報を流していたのだ。タルゴゴの警邏は男を怪しみ警戒していたが、東の森で悪魔を使ったとの報を受け、男の警戒を騎士団に委譲した。
件の騒ぎは、十分な調査と証拠固めを終えた上での捕り物だったのだ。地球的に見れば古い体制を敷いている世界だが、自白に頼らない合理的な捜査が行われていた。侠龍はそれを妨害したのだ。捜査妨害なり公務執行妨害なりで逮捕されるのは当然。仲間と疑われるのも妥当だ。
「それがわかったなら、もうあんなことしないでね」
「本当に申し訳ない。迷惑をかけた」
そんな侠龍がわずか一日で娑婆の空気を吸えているのは、一重にヨシアの尽力あってだ。彼は直接騎士団の支部に赴き、侠龍が右も左も分からない人間であることや、件の賊、その悪魔の討伐に一役買っていることを訴えたのだ。
当然騎士団もその報告を受けている。すぐに人相書きを手配して傭兵ギルドや街中で聞き込みを開始し、獄中の人物と現在身分証を発行中の浮浪者が同一人物だと突き止めた。
さらに警邏にも人相書きを見せ、件の男との接触はなかったこと、この都市でも初めて見る人物であることなどを受けて釈放となったのだ。
「疑わしいしとりあえず処刑、みたいな感じじゃなくて良かったぜ。ここの司法をなめてたわ」
よかったと感じる一方で、どこかアンバランスさを感じてもいた。記憶がないんですと言えばろくな調査もされずに発行される身分証もそうだ。きちんとした戸籍もなく本当に厳密な捜査など出来るのだろうか。締まっているところと緩んでいるところが非対称に感じる。
これは魔法や悪魔、邪教が淘汰された世界を生きる侠龍だけが感じる違和感なのだろうか。それらがあれば、侠龍のいた世界でも似たような体制に落ち着くのか。それとも異世界人という異物の影響が大きいのか。
なんにせよ、侠龍個人にどうこうできるものでもないが。それよりもさしあたっての問題はヨシアだ。
「ヨシアにはまた大きな借りが出来たな。返せるか不安だ」
「気にしなくていいよ。友人が困っていたら、放っておけないだろう」
「それは嬉しいけど、俺のせいで友人が困ったことにならないか不安だよ」
侠龍は軽口のように言うが、ヨシアの人の良さを危惧しているのは本当だ。今回の件だって、侠龍が賊の仲間であってもなにもおかしくはないのだから。
賊の頭目が悪魔を召喚したが扱いきれずにほぼ全滅した。生き残った男は逃げ出したが、逃げ切れないと思いやけくそで悪魔と戦った。そこをたまたま青年が見ていたので、都合のいいことを言って取り入った。街でかつての仲間が斬られそうなのを見て思わず助けに入った。
十分にあり得る話ではないだろうか。
怪しいやつを監視しているのではないかと思わないでもなかったが、それなら騎士団に直談判して身元を引き受ける必要もない。やはり、人が良すぎるだけなのだろうか。
「私の証言があったことも考慮して欲しいものだね。こと事実を語るという点に置いて、悪魔ほど人間に信用されるものもない」
「ああ、マジで助かったよ。今度シャワルマ奢るからみんなで無言で食べようぜ」
侠龍の身分証が作られるのも、騎士団が侠龍を釈放したのも、実のところショコラティエの証言によるものが大きい。
悪魔は人間に利しない。
契約のもと互いにもたらし、もたらされるだけだ。騎士団もショコラティエに職人によるチョコレートを提供し、ショコラティエの知る侠龍という人物を聞き出している。そこに一切の嘘はなく、過不足はない。そういう一時契約をしたからだ。
人間にとって悪魔とは、積極的な自然現象のようなものなのだ。雪崩に埋もれた人間が、口の中の唾液の溜まり方で上下を把握するように、事実が知りたければ事実を知る悪魔に聞く。もちろんその悪魔の求める対価にもよるが。
「それは約束かな? 私はシャワルマが何かを知らないが」
「悪魔と約束ってのはゾッとしないな。忘れてくれ」
「それが懸命だね。もしこの世界にないものを種に約束をしようものなら、その悪魔は君から離れることはないだろう。悪魔は人の言葉尻を逃しはしない」
「胆に命じとくよ。優しい悪魔がチュートリアルしてくれてよかったぜ」
その時は適当な料理をシャワルマだって言い張るけどな。そう嘯く侠龍のもとに、荒い足音が近付いてきた。ガツガツと石を蹴飛ばしながら迫ってきたのは、陽光を反射する絢爛な鎧をまとった誰かだ。
「ニホンのシャロン!!」
侠龍とヨシアの前に立ちふさがったのはひとりの女だった。くすんだ金髪を短く揃えた彼女は、眦を上げて侠龍を睨み付けている。
「私は聖甲騎士団タルゴゴ支部の騎士がひとり、シュルク・ドロンビートル! 貴様に決闘を申し込む!」
◯
シュルクの宣誓と同時、素早く動く人影が侠龍たちを大きく囲った。人影は十人。全員が剣を抜き、胸の前で垂直に立てて円上に展開している。人の行き交いはそこで割れ、ちょっとした広場のようになった。十人は円の内側、特に侠龍に厳しい目を向けて立っている。
侠龍は分けが分からないながらも体勢を変え、真後ろを取られないように整えた。見づらい位置を取られているが、距離がある。駆け寄られても対処はできる。
「えーっと、なんだって?」
「シャロン。彼女は聖甲騎士団の騎士だよ。ここタルゴゴで特に精力的に活動している騎士のひとりだね。周りの人たちは彼女の従士かな」
「お偉いさんってわけだ。そんなお方がなんでまた俺みたいな民草に決闘を?」
「先日の狼藉、忘れたとは言わせんぞ!」
「先日?」
先日と言われても、侠龍はまさに先日こちらに来たばかり。それで狼藉と言われても、残念ながら思い当たる節はなかった。
「昨日の人じゃないかな?」
「昨日?」
ヨシアに言われてさらに頭をひねる。そうしてようやく思い当たったのは、侠龍が牢屋に入ることになったきっかけ。侠龍の早合点で吹き飛ばしてしまった女性だ。
「ああ、あなた昨日の。その節はご迷惑おかけしました」
今度は合点がいったので頭を下げた侠龍だが、シュルクの怒りはおさまりそうもない。険しい目付きを変えることはなかった。
「俺が賊の一味だって疑いは、もう晴れてますよね。怪我の治療費や、心身に負担を与えたことは誠に申し訳なく思っています。慰謝料なら、お望みの額を保証……」
「貴様が賊徒でないのはわかった。騎士団の調査の結果だ、信頼もしよう。だが! 先の屈辱、貴様を地に転がさずして癒えはしない!」
「屈辱?」
シュルクは騎士だと聞いた。しかも捕り物の真っ最中だった。闘いに身を置く者が闘いの最中に不意打ちを食らったところで、己の不明を恥じるのが正道ではないのかと、侠龍には思えてならない。
悔しいのはわかるが、それで正面から侠龍を打ち破ったところで、憂さ晴らしにしかなるまいに。
「あいわかった。その決闘、受けよう」
侠龍にはシュルクの気持ちは理解できないが、しかしそれでシュルクの気がすむならそれもよいだろうと思い直した。お金を望まれれば払うつもりだが、お金に困らない身分のようだし。それに、従士は侠龍をただで帰すつもりは無さそうだ。侠龍を囲む従士たちはいずれもが目を怒りに燃やしている。乱闘にでもなりかねない。
「よかろう。作法は知っているか?」
声を聞きながら侠龍はシュルクの体を観察した。身長は侠龍の頭ひとつ下。手足はそこまで長くはない。よく見ると鎧は体の前面と右腕だけで、後ろは虫の甲殻のようだ。シュルクはカナブンの特徴を色濃く持っていた。両足と胴体は人間の輪郭ではあるが、皮膚はなく大きな甲殻で覆われ、左腕は完全に虫のそれだ。顔と右腕だけは人間だが、それ以外は人間とカナブンが混ざりあっている。虫ならもう二本足があるはずだか、それがあるようには見えなかった。もしかしたら胸鎧の下にあるかもしれない。
新緑色の甲殻は美しい光沢を持ち、鈍色の鎧とあいまっていっそう輝かしい。
「決闘の作法ね。なにぶん今年の世間知らずオブザイヤー狙えそうな身の上なもんで、ご教示願いたい」
難しいことはない。場所はどこでもいい。前もって決闘の決着の形を決める。両者の縁者からそれぞれ一名ずつ、ないし両者とも信頼のおける見届け人を置く。
今回はどちらかがどちらかの生殺与奪を握った瞬間が決着の時だ。見届け人は、侠龍の側からヨシア。シュルクの側からは従士がひとり名乗り出た。
そして、宣誓。
「聖甲騎士団タルゴゴ支部、シュルク・ドロンビートル。誇りを掛けて決闘を申し込む」
「日本の東京の侠龍。受けて立つ」
あとはお互い闘うだけである。両者の距離は三メートルほど。侠龍と向かい合ったシュルクは肩をいからせ、グッと脚に力を入れた。
「ゆくぞ!」
右腕に幅広の片手剣を振りかぶり意気軒昂、標的侠龍を目掛けてシュルクが駆ける。
シュルクが動くと同時、侠龍も動いていた。即座に両足の力を抜き体を折る。そして両手を頭上に突き出した。
「まいった!!」
速やかに土下座に移行した侠龍を見て、突っ込みかけていたシュルクも足を止め目を白黒させている。土下座の意図が通じなかったとしても、こうまで無防備に背中を晒されては困惑もしよう。
「な、なんの真似だ!?」
「なんのもなにも、騎士様の裂帛の気合に気圧され、これは私ではどう足掻いても勝ち目はないと腹をくくった次第にございます。いやぁさすがは百戦錬磨の聖甲騎士様、まさか闘わずして敗北を悟ろうとは、この侠龍こんなに気持ちのいい敗けは初めてにございます」
シュルクの意識の間隙に流し込むように言い募る。侠龍としては無駄な闘いは避けたいのだ。勝っても旨味のない闘い、闘わなくても死なない闘いなど、極力したくはない。
ならばさっさと敗けて済ませようと思っての行動だった。土下座も、別に初めてするものでもない。
これでシュルクの気が収まれば万々歳、程度にしか考えていなかったが、それを目にしたシュルクは想定よりも狼狽していた。
「ふ、ふざけるな! 決闘を受けた以上この場はすでに決闘場である。剣を交えずにして決着などない!」
そこに先程までの怒りはなく、ただ予想外への戸惑いがあった。
「剣を交えずにって言われても、俺は見ての通り剣も持たない平民ですぜ。帯剣した騎士様と闘えってのが無茶でしょう。後ろの、従士様のような剣を持っていれば、俺も素直に闘いますがね」
「む……」
言われシュルクは、ようやく侠龍が剣を持っていないことに気が付いた。確かに無手を相手にしたのでは、勝ったところで決闘の意味がない。仕方無しにシュルクは自分の後ろに控える従士を振り返った。
「すまない、剣を貸し……」
てくれないか。シュルクはそう続けようとした。続けようとしたが、それは声に出来なかった。代わりにそこには鈍い音が響き渡る。柔らかいもので硬いものを叩くような、裸足で側頭部に飛び蹴りを食らわせるような音だ。
侠龍の蹴りは狙い通り、斜め後ろに首を捻るシュルクの側頭部に命中した。助走が取れないため飛距離はないが、伸ばすタイミングはばっちり。脚に伝わる手応えも十分。悠々と着地する侠龍の前には、前のめりに体を投げ出すシュルクがいた。
「この場はすでに決闘場である、とか言っちゃったらさ、背中を見せちゃダメでしょうや」
◯
蹴りが当たった瞬間、侠龍はやりすぎた、と後悔した。余裕を装い軽口など叩いているが、冷や汗が背中を伝う。怒らせることが目的であった騙し討ちだが、手応えがありすぎる。首の骨が折れたかもしれない。
不意討ちひとつで目を血走らせて決闘など申し込んでくる連中だ。不意討ちの果てに死んだとなっては、今度は仇討ち合戦にでも発展しかねない。
もしそうなった場合、侠龍の弁護をしたヨシアにも塁が及ぶことは免れないだろう。軽率な行動を戒めた直後にこれだ。まったく、自分が嫌になる。
侠龍がそう自戒した。いや、しかけた。
ザッ
と、シュルクが足を踏ん張った。踏ん張ったのだ。倒れかけた体を右足で支え、あまつさえ上体を起こし侠龍へと向き直る。
蹴りの当たった左側頭部はべろりと皮が剥け、髪の隙間からは流れる血が見えるが、その目はしっかりと力強く侠龍を見据えている。
「なるほど貴様の言う通り、今のは私の油断だな。戒めよう。仕切り直しということでいいな? どうやら貴様は剣はいらんらしい」
「剣はいらないけど、鉄砲かスーパーパワーでも欲しい気分だよ。コンビニで超人血清買ってきてもいいかな?」
侠龍の背に先程とは別種の冷や汗が伝う。なぜ立てる。なぜ話が出来る。なぜ闘いを続けようとする。
斜め後ろに捻った頭を蹴ったのだ。十分に人が死ぬ攻撃だった。皮が剥けて衝撃が逃げたか。いや、踵のしびれはその威力を保証している。死ななかったとしても昏倒、ふらつきも見られないのは理不尽ですらある。
侠龍の目線は自然とシュルクの首に向かう。本来なら鎧がガードしているはずの喉は茶色い光沢に覆われ、うなじは露出せず新緑色の甲殻が守っている。
あれだ。
侠龍はこちらの人間の構造を知らない。虫の特徴を持つシュルクが外骨格なのか内骨格なのか、どちらでもないのかどちらでもあるのかを知らない。どういった筋肉を持っているのかも知らない。だが想像はできる。
体の前面を鎧で覆い、背面の甲殻が露出しているということは、少なくとも金属製の鎧程度の強度はあると見た方がいいだろう。すると当然分厚く、分厚い甲殻を支えるために筋肉も発達しているはずだ。
侠龍の知る常識なら、外骨格の生き物は甲殻と筋肉のバランスがとれないため大型化することはない。それがどういう理由か、こちらでは大型化し、哺乳類と混ざった体つきをしている。その理由がこちら特有の物理法則なのか魔法の類いなのかの究明は、今は重要ではない。
重要なのは、シュルクは虫が大型化した場合の甲殻と、それを支えうる筋肉を有しているかもしれない、ということだ。
定かではないが、今はそう思って動く他ない。侠龍はそう覚悟を決めた。
「昨日の一撃といい今の蹴りといい、純粋な露皮種とは思えない重さだな」
「誉め言葉かな? あいにくだけど、服の下はクロアリなんだわ」
「ふっ。貴様が全裸で保護されたことは調べがついている。純粋な露皮種であることは、複数の兵士のお墨付きだ」
「あー、なるほど、まいっちんぐだわ」
先程より慎重に詰めるシュルク。それを外す侠龍。
じりじりと外しながら目が行くのは、シュルクの左腕だ。あの虫の腕が金属の硬度を持ち、人以上の筋力を持つとしたら。あの突起と鉤爪は脅威だ。刃物同様の警戒が必要だろう。幸いなのは、間接の構造が人のそれと違い、内側にも外側にも捻りが利かず、突き出すこともできないということ。出来ることは何かを引き寄せること、抱き寄せること。
今も胸の前でやや広げるようにしているが、そこから下には動かないと見ていいだろう。
だが身長が十センチ以上も低い相手の足元に潜り込むのは難しい。それも両手に刃物を、長さ違いで持っているのだ。
「どうしたもんかなぁ……」
冷や汗はぬぐえない。