稽古場みっけ
「おはよう、シャロン」
食堂でコーラと虫を喫する俠龍に、階段を降りてきたヨシアが眠そうな声をかけた。褐色のほほにはヨダレのあとが、銀の髪には寝癖がついてへたっている。その肩ではショコラティエが羽繕いをしていた。
「朝の挨拶か。おはよ。めちゃくちゃよく眠れた感が醸し出されてるな」
「うん……、顔洗ってくる」
ヨシアは紫電の眼光を眠気に曇らせながら、タオルを手に食堂の裏手から出ていった。俠龍もさきほどその井戸で顔を洗ったばかりだ。
ヨシアの背中を見ながら、昨夜聞いた話を思い出す。ヨシアの話を。
□
「最初はタダ働きしてたんだよ」
体毛で肌は見えないがどうやら酔っているらしい山羊の獣人の男が言っていた。
「といっても誰かにやらされてたわけじゃないんだ。本当に金を受け取らない。他の誰かが受け取りにくるわけでもない。となりゃ、剣の腕が立って、魔法使いで、周囲の警戒もできて。引っ張りだこさ。そりゃぁ悪魔憑きってんで最初は敬遠されていたけどよ。危ないところを助けてもらったって奴がいたり、ヨシア本人の人の良さも広まってな。段々ヨシアに護衛やら手伝いやら頼む奴が増えてったんだ」
ぐびり、と酒を煽る。よくみるとコップの縁が一ヶ所すぼまって、口をつけなくてもそこから流し込めるようになっていた。
「でもタダってのがよくなかったんだな。人を油断させて悪魔の生け贄にしてるだのなんだの、よくねえ噂が立ちはじめたんだ。俺みたいなリピーターは気にしなかったんだけどよ、それでも陰口が多くってなぁ。道を歩けばすれ違うのも嫌だ、って始末でよ」
忌々しげに肉を頬張り、ギリギリとすり潰す。酒を使って肉を流し込んでから、続ける。
「なかでも面白くなかったのが三ギルドよ。傭兵も探索者も魔法使いも仕事盗られるわけだしな。まぁこれはヨシアに甘えてギルドに頼まなくなっちまった俺らも悪いんだけどな……。とにかく、ギルド長が集まってヨシアを呼び出したんだよ。そこでどんな話があったのかはわからねえけど、それ以降ヨシアは傭兵になって、タダ働きは一切やめた。ギルドが通す仕事だけをこなすようになった」
空になったコップをテーブルの端に追いやり、疲れたように頬杖をつく。
「まあそのお陰で悪い噂はほとんど消えて、ヨシアも肌艶が良くなったんだけどな。タダ働き時代はそう長くはなかったけど、ろくに飲み食いしてなかったんじゃねえかな」
一通りの話を終えると、山羊獣人の男は寝入ってしまった。俠龍は今聞いた話を反芻しつつ、別のテーブルに別の話をせがみに行ったのだった。そこで聞けた知識や常識、風俗は、ヨシアから聞いたものと矛盾しなかった。
□
「今日はどうする?」
顔を洗い、すっきりした顔でヨシアが俠龍のテーブルに着いた。水に濡れた白銀の髪を寝かせたまま、自分の分の肉をパクついている。
「どうしようもないし、ヨシアが迷惑でなかったら後ろくっついて歩こうかな」
「面白いところにはいかないよ?」
「いいよ。俺からすれば一歩一歩が未踏の地だし、勝手に面白いもん見つけるさ」
「うーん……。行きたいところとかある?」
「つってもどこになにがあるかも知んないしなぁ……。そうだな、周辺に民家が少なくて、少しくらい音が響いても迷惑にならなくて、そこそこの広さがある屋外スペースとかあるかな。中長期的に借りられると尚良しなんだけど」
「ああ、それなら心当たりがあるよ。ちょうどいいし、これから行こうか」
「我ながら欲張り過ぎたかと思ったんだけど、マジであるの?」
ふたりと一羽で沸き上がる食欲亭を出て街中を歩く。
俠龍の服は昨日の安物のままだったが、ヨシアの服装昨日とは違うは簡素なものだ。飾り気もなく、細かく毛羽立っている。今日は鎧もつけず、腰に細剣を一本下げているだけだった。
「その剣、昨日のと違うよな」
「ああ、これ? うん、違うよ。僕はこっちの方が得意なんだ」
「じゃあ昨日は戦力不明の集団に得意じゃない武器持ってったってことか?」
「こっちの方が得意だけど、昨日の短剣の方が強いんだ」
「なんて?」
「えーっと……」
ヨシアが説明に窮していると、肩のショコラティエが口を開いた。
「ヨシアは剣ならなんでも人並み以上に扱えるが、特に巧みなのが今腰にある細剣なのだよ。だが細剣では魔法を使えないんだ」
「魔法が、使えない?」
「正確には、使った後が問題でね。攻撃のための魔法は剣に乗せ、そこから放ったりそのまま斬りかかったりするんだがね? 私の扱う電撃の魔法は非常に高温を伴うのだよ」
「ああー、なーる。細剣だと歪んじまうわけだ」
「すごい! なんでわかるの?」
「電気抵抗がどうの、オームがなんちゃら、アンペアがタンジェントでエックスとワイを求めるんだよ」
「……ごめん、難しい話はわからないや」
俠龍もよくわかっていないが、電気が流れると高温になることだけは知っていた。
「後半はともかく、その通りでね。幅広の剣を使っても歪んだり鈍ったりはしてしまうが、細剣ほど取り返しがつかなくなったりはしないから、魔法を使う場合はああいった短剣や長剣を使うのだよ」
「昨日は森のなかや洞窟で戦うかもしれなかったからね。取り回しやすいように短剣にしたんだ」
「へー」
ヨシアとショコラティエの言葉に納得の呟きを返しながら、俠龍は道行く人がギョッとした顔でヨシアたちを避けていくのを見ていた。
通行人全員でこそないが、半分かそれに近い数が前を開けている。ショコラティエが喋るだけでこうも違うものか。お陰でそれなりの喧騒のなか、快適に歩くことができていた。
「剣無しで魔法って使えないの? こう、拳に纏わせてかみなりパンチとか、口から出してザケルとか」
「出来なくはないけど、すっごい痺れるんだよ……」
「あ、自分もダメージ負っちゃうんだ」
「ヨシアの使う私の魔法は、体に発生させるか、皮膚から拳ひとつ程の場所に召喚するかしか出来なくてね。狙った場所に放つことはもちろんできるが、その方向に向けて攻撃の意思を向けなくてはならない。ヨシアの場合、それが剣でね」
「はーん。剣から流れてきて痺れたりしないの?」
「剣に留め置くか、放つかならヨシアに電流は流れないよ」
「夢があるんだかないんだか」
俠龍からすれば魔法というだけで夢のある話だが、それで自傷してしまっては仕方がない。
「私はそろそろ黙るよ。少し注目を浴びすぎる」
「ああ、ありがとうショコラティエ。今後も右下のイルカよろしくお役立ち情報ツイートしてくれ」
俠龍はいまだこの都市の地理を把握できていない。そのためヨシアがどこに向かっているのかわからないが、周囲をぐるりと囲っている壁が近付いているのがわかった。どうやら外側に向かっているらしい。
露店が多かった通りをはずれ、商店や宿の通りをはずれ、住居の群れをはずれ、いよいよ壁が見えてくると、多くの畑が目に入った。
「畑があんのか」
「うん。このあたりは一等農地って呼ばれる農地なんだ。今ある都市の壁に間に合った農地だね。この外にも二等農地、三等農地があって、都市から離れるほどに地価が安くなるんだ」
「へぇ。昨日入るときは気づかなかったけど、こっちは反対側か?」
「そうだよ。森からはたまに獣や魔物が出るからね、そっちには畑を作ってもダメになっちゃうんだ。こっち側は外も平地だからね、柵を立てて農地に出来るんだよ」
ヨシアの目的地も漠然とわかってきた。作業中の農民に笑顔で挨拶を交わしながら向かうのは、ぽつぽつと建つ民家が急になくなっている広場のような場所らしい。
「……なんだありゃ?」
その建物は古い学校のような作りをしていた。都市の多くの建物と同じ木造建築で、一般家屋と比べてそれなりの大きさがある。
しかしその建物最大の特徴は、なんといっても立地だろう。
その建物の周辺が、大きなクレーターのように凹んでしまっていたのだ。
直径にして百メートルほど、深さは十メートルにもなるだろうか。そんな地中とも言えるような場所に大きな建物がある様は、見ていて違和感を禁じ得ない。
「なんであんなところにあんなに大きな建物を?」
「あそこは大昔に空から大岩が降ってきたと言われているんだ」
「大岩?」
「うん。一抱えもあるような巨大な岩がね。そのせいであんなにへこんじゃったんだって。タルゴゴができる前の話だよ。その大岩に宿る不思議な力に目をつけた賢者様がいて、その方がタルゴゴを造ったって言われてるんだ」
「へぇ。じゃああそこは本当にクレーターだったわけだ。で、なんであんな場所に建物が?」
「不便すぎて安かったからだって聞いたけど」
「わお神秘的な理由だ」
穴の淵まで来たことで中が見渡せる。地表は青々とした下草に覆われ、風走る草原のようだ。俠龍がクレーターと聞いて想像するのは、周囲に飛び散る土、隕石片だったり、硝子化した穴の横壁だったりしたのだが、穴の底辺は綺麗に整地され、壁も擂り鉢状ではあるが凹凸などたさなく整えられているように見えた。
「結構綺麗だな。あ、穴のことだけどさ。人の手が入ってるよな?」
「入っているとも。さっきヨシアの言った賢者とは、当時の異世界人のことでね。隕石からレアメタルを回収し、この大穴の周囲に飛び散った隕石の欠片も回収。さらには穴の中に潜ったものもないか、土砂崩れが起こらないように慎重かつ丁寧に穴を広げていったそうだ」
周囲に人が少なくなったからか、ショコラティエが説明してくれた。
「学者肌だったんだなぁ。じゃあこのクレーター、もとはもっと小さかったわけだ」
「そのはずだよ。その異世界人は掘削・回収作業の終わりにこのクレーターを保護するように触れをだしたのだが、どう紆余曲折を経たものか、その保護が人の集落となり、やがて大きな都市となり、保護の目的は忘れられ、今ではこうして寂れた孤児院になっているというわけだ」
「孤児院?」
そう話していた、ちょうどその時、建物の扉が開き中から子どもたちが飛び出してきた。
元気な子どもが男女合わせて十人ほど、大きな笑い声を上げながら走り出している。それを見守る大人の姿も見えた。
「僕はここで育ったんだ。あっちに階段があるから、そこから降りよう」
ヨシアの示す先には手すり付きの長い階段があった。足を滑らせると真っ逆さまだろう。俠龍も先を歩くヨシアを追って歩きだした。
□
元気に遊ぶ子どもたちを引き剥がし、ヨシアと俠龍はベンチに座る大人のもとへやってきた。初老の男性と若い男女。いずれも獣の特徴は見えない。女は肩から先の左腕がなく、平たくつぶれた袖が垂れ下がり、若い男の右足は、膝から下を支えるためか木の棒を義足としている。
「こんにちは、ジェスキドンさん。ミアさん。シーラさん」
「やあ、ヨシア。こんにちは」
「こんにちは、ヨシア君」
「よう」
ヨシアが声をかけ、面々が挨拶を返した。ヨシアは続けて俠龍を手で示し、
「この人はシャロン。昨日この都市に来たばかりで、いろいろ案内してるんだ」
「はじめまして、俠龍です」
「どうも、ここの経営をしている、ジェスキドンです」
「ミアです」
「シーラです。ヨシアも、こんなところに連れてこなくてもいいのに」
ジェスキドンと名乗ったのが初老の男。ミアが女でシーラが若い男だ。
「僕の用事もあったけど、シャロンもここに来たいって」
「マジで? 俠龍初耳」
「今朝言ってたのがここだよ。音を出しても大丈夫で、広くて、借りられると場所」
手を広げて場所を示すヨシアにつられて、俠龍は周囲を見回した。確かに条件に一致している。子どもたちが走り回って遊べる広さがあり、周囲は地面に囲まれていて民家もない。これなら音が響くこともないだろう。軽く踏みしめてみると、地面はやや柔らかいものの、沈みこむようなことはなかった。
「確かに、ここなら条件ぴったりだな」
「でしょ?」
「じゃあとは持ち主との交渉だな。すみませんジェスキドンさん」
「はい、なんでしょうか」
即断即決。俠龍はヨシアからジェスキドンへと体の向きを変えた。
「このクレーターの中のスペースと、もし部屋が余っていれば一室、俺に貸していただけませんか?」
□
「さて、詳しくお聞きしましょう」
事が商談とわかると、ジェスキドンは俠龍を院内の一室、応接室へと通した。外観やここまでの内観と比べてとても立派な作りをしている。傭兵ギルドで聴取を受けた部屋と比べてもなお上等に見えた。
ヨシアはミアとシーラと一緒に外で子どもたちと遊んでいる。元気な声が聞こえてきていた。
「外でヨシアが言っていたとおり、俺はこの都市に来たばかりなんですけどね、ちょっと長く滞在することになりそうなんです。それで、その間武術の稽古をするスペースを探していたんです」
「ほう、戦闘の訓練を」
「……はい。強く踏み込んだり、物を叩いたりするもので」
「なるほど、それは音が響きそうですね。確かにここなら音の心配はいらない。いえ、このタルゴゴに他にそんな場所はないでしょう。農地ですら広さはなく、壁の中は路地すら奪い合って建物が建っている」
「そのようですね」
身を乗り出す俠龍だが、ジェスキドンは腕を組んでううむと唸ってみせた。
「しかし戦闘の訓練ですか……。ここには小さい子どももおりますし、流血沙汰のような乱暴なことは……」
「流血沙汰はありません。たまに皮膚が切れることはあるかもしれませんけど、それこそ子どもの擦り傷のようなものです。それに、訓練は早朝や夜にするので子どもたちの目には入れません」
「夜に? それこそ困る。あまり大勢で騒がれては子どもたちが眠れなくなってしまいます」
「いえ、借りるのも使うのも、俺ひとりです」
慌てたように訂正する俠龍を見て、ジェスキドンは驚いたように目を丸くした。
「ひとり、ですか? 戦闘の訓練で?」
「はい。ひとりです。基本的には型や技の確認に終始するので、まあ叩く音は出ますが、声なんかは出しません」
「ほう……」
ジェスキドンは顎に拳を当てて考え込む。俠龍は出されたお茶を飲み、彼の反応を待った。
「……そうですね、どういったことをするのか、実際に見せていただいてから決める、というのはどうでしょう?」
ジェスキドンの視線は窓の外を向いている。俠龍は力強くうなずいた。
「はい、構いません」
□
再度外で全員が揃う。ミアとシーラも今後ここでなにが行われるかを見るために集まり、子どもたちもその目に好奇心を湛えて俠龍に注いでいる。
「では、はじめます」
今までにない目線の数に若干緊張しながら、昨夜と同じ稽古をはじめた。ただし今日は強く地面を踏みしめる。どの程度の音がするのか、正しく理解してもらうために、ここに来る前にやっていたのと同じ、俠龍が自然と行っていたのと同じ力みだ。
実際に強く踏み込んでみて、脚力も相当強くなっていることがわかる。そしてその衝撃を感じる内臓もまた、強くなっているようだ。
型はすべて一回ずつで終わりにし、その場突き、その場蹴りに移り、金剛八式と五行拳を見せておしまい。
次に俠龍は腰に結わえていた財布を外し、大きく振り回す。屋外なので昨夜よりも紐を伸ばし、びゅんびゅんと唸りをあげるそれを、びしばしと体に打ち付けていく。デモンストレーションなので、回数は少なめだ。
「と、まぁこんなところです。今日は持ってきていないんですが、あとは板を殴ったりしますね。出来ればその板も、ここの地面に埋めて固定したいです。あとは必要に応じて増減するでしょうが、それも確認してOKが出てからにします」
どうですか、と見学の面々を見やる。ジェスキドンがなにかを言おうとした、その時、元気な声がそれを遮った。
「つまんなかったー!」
「最初の踊りはちょっとかっこよかったけど、そのあとがつまんなかった!」
「お金で遊んじゃいけないんだよ!」
やいのやいのと言い募るのは、一緒に見ていた子どもたちだった。
「つまんなかったかー、そりゃ残念。見ていて楽しい芸は門外漢なんだ、ごめんなー」
「もっと踊ってー!」
「歌ってー!」
元気な子どもたちの要望には答えてあげたいが、俠龍はまともなダンスも歌もできない。ダンスに交えて伝承される武道もあるが、俠龍はそれを修めていなかった。
俠龍が子どもを抱え上げてぐるぐる回って遊んでいると、シーラが遠慮がちに口を開いた。
「……あー、シャロンくん? 今ので終わりなのかい?」
顔中で疑問を表した、どこか拍子抜けしたような表情だ。
「はい、終わりです。日によって違うことをするかもしれませんし、ここが借りられるようならもっと長い時間やりますが、内容はあれだけです」
「戦う練習と言っていたから、剣を振り回したり打ちかかったりするもんだと思っていたんだけど……」
「ああ、確かにそういうことはしませんね」
「武器は使わないのかい? なぜ素手で?」
「なぜと言われると……」
日本にいたころは、素手の方が身動きが取りやすかったからだ。大振りな刃物を持っていては違法だし、武器になる棒を持っていては大変目立つ。だから俠龍は素手を好んだ。
一撃で肋骨を粉砕する拳も、一撃で背骨をへし折る脚も、瞬く間に首を圧砕する腕も、頭蓋骨に穴を開ける肘も、内臓を潰す膝も、取り締まる法律はなかったからだ。
状況に応じて小物を使うことはあったし、一目でそれとわからない暗器を携帯してもいたが、俠龍の基本スタイルは素手だった。
「この方が、おさまりがいいんです」
少し悩んだが、結局俠龍はそう答えた。実際に思ったことだし、嘘ではないのだが、すっとんきょうな返答だっただろう。盗賊も商人を護衛していた若者も、みんな武器を持っていた。命のやり取りがずっと身近なこの世界で、そんな理由で武器を持たないだなんて。
こちらでは武器を持っているからと言って捕まるようなことはない。ならば武器を持つことを検討するべきだろうと、俠龍
は思いを新たにした。
「くだらねぇ!」
そんな俠龍の返答を、幼い声が切り捨てた。