13th trial
カツン、カツン、と。
冷たく暗い地下道に、石床を打つ音が響く。
発生源には光源がある。この深遠の暗闇の中ではあまりにも頼りない、松明の灯りだ。
「いつまでたっても慣れねーな、ダークゾーンってのは」
松明の主が呟く。黒髪の、体格の良い若者。彼の苛立ちに呼応するかのように、腰に佩いた長剣ががちゃがちゃと鳴る。剣士――のようだが、戦装束、というほど物々しい装備はない。着ている服はただの布服のようだし、鎧片の類は手甲と脛当てのみらしい。ただし、得物は儀礼用装飾用の類ではなく、実戦で使い込まれた無骨なものだ。
「まだ続くのか。いくら何でも長すぎるぞ……」
松明に照らされた表情に、明らかな焦りの色が浮かぶ。
ダークゾーン、と若者が呼ぶのは、一切の光源がない区間のことだ。この巨大な地下迷宮において、そういう場所は珍しい。発光する苔のようなものが一面を埋め尽くしていたり、どこが光源とも知れぬ灯りが漏れ出していたりと、様相はさまざまだが、ともかく完全な暗闇などほとんどない。時たま、その珍しい場所に入り込んだとしても、すぐにまた灯りのある場所へと抜けられるのが常だった。
ところが、今回は前例がないほどに長いのだ。しかもこの間一度も自分以外の〝何か〟に遭遇していない。これも妙な話だった。
「――っ」
いきなりに臓腑の激しい収縮を感じ、若者は舌打ちした。そういえばどれくらい食事をしていない? 最後に〝獲物〟を狩ったのは、頼りない体内時計によれば三週間も前だ。食料が底を尽きたのは五日前だったか。とっくに空腹は限界を超えていて、飢えも渇きも感じない。ただ、やたらと頭がクラクラする。視界が霞む。断続的に襲ってくる眠気で、ときたま意識を失いそうになる。
「餓死は三回目だっけな。今度はせめて地上を拝んでから死にたいもんだ」
若者は自嘲気味に笑った。初めてこの迷宮の最下層に放り込まれてから、もうどれくらいの月日が過ぎ去ったことだろう。そしてどれくらい出口に近づけたのだろう。何一つ、若者には判断がつかない。憶えているのは〝死んだ〟回数とそれぞれの死因、そして彼に与えられた一つの使命。
――勇者よ、魔王を倒せ。
「そんなのは小学生にでもやらせろって」
唸って、若者は壁に手を突いた。知らぬうちに身体が傾いていたのだ。通路の中央を歩いていたつもりだったが、平衡感覚も失われているらしい。何とかこらえようとするも、糸が切れるように身体は崩れ落ち、若者は冷たい石床に無様に倒れこんでいた。
からん、からん。松明が手から離れ、地面を転がっていく。止まる気配はない。若者はそれでようやく、この道が上り坂だったことに気付く。もう、そんなことすら分からなくなっていた。
やがて灯りは完全に失われ、辺りが真の暗闇に包まれる。
急速に身体が冷えていく。意識が闇に包まれていく。これまで何度も経験した、明確な死の予兆。
「は、は、は。またやり直し、か」
絶望と共に若者は笑う。しかし、これまでもそうであったように、死は彼を解放してくれない。この呪縛から逃れるためには、生きて、前に進み続けるしかない。希望などなくとも、簡単に諦めるわけにはいかないのだ。
「動けよ、まだまだイけるだろ。ヘルスもスタミナもマナもねーなら、LPでも使わせろよ……」
意味不明な単語を呪詛のように羅列しながら、若者は再び立ち上がった。そして、暗闇の遥か向こうに、懐かしい光を見たような気がした。
「くくく……。幻覚だったら承知しねーぞ」
若者は不気味な笑みを浮かべ、小走りに駆け出した。どこにそんな力が残っていたのか、彼自身にも分からない。知ろうとも思わない。ただ、光は徐々に強さを増していって、ついには、彼も良く知る温かな光が、辺りに降り注いでいた。
「間違いない。太陽だ。ははは、何てこった。たどり着いたぞ。ついに地上、に……」
若者は突き抜けた大空を見上げ、そこに浮かぶ灼熱の光源をしっかり目に焼き付けた。そして固まった笑顔のまま地面に崩れ落ちた。
それは、若者がこの世界へやってきてから、のべにして六千と766日目の出来事だった。