肉食ウサギと草食ライオン②
「…………」
「…………」
「……は?」
……は?
……ナンテイッタ? なんて言った? 何て言ったんだ?
……パンツ? つまり……下着?
あ、いや、あなたは私のパンツルックの私服を見たいですか? という意味かもしれない。
「あたしの下着……見たい?」
言い直された。間違いなく、あなたは私のショーツを見たいですか? という意味だ。
「男子って……常に女子のパンツを見たいって思ってるんでしょう?」
「は……はぁ!?」
「あたしのパンツ……見たいと、思う?」
彼女は再度同じ質問をした。
何だ? 何なんだ? 一体何が起こってるんだ?
「そ、そ、そんなこと、ないよ! そんなこと、あるワケないじゃないか!」
僕は必死に否定した。自分でもドモリ過ぎだと心の中でツッコミを入れてしまったが。
「本当に? 見たくないの?」
彼女は少し不安そうな顔、だけど不思議そうに聞いてきた。まるで見たいのが当たり前だと信じているかのように。
「…………」
ど……どどど、どう、なんだ? 見たい……のか?
何故だろう? やはり彼女も他の女達と同じ下劣な生き物なんだ、と落胆すると自分で思っていたんだが、混乱はしつつも予想していた嫌悪感はやってこなかった。
「見たいって言ったら……見せてあげるかも」
「……!」
彼女は先程より、やや恥ずかしそうに小さな声で囁いた。
その囁きは僕の思考を完全に粉砕するに、十分な破壊力を秘めていた。
「欲しいって言ったら……この場で脱いで……あなたにあげる……かも」
「……!!」
……!! ……!?
「認めたら……ご褒美に、あげる……かも」
「…………」
「……見たい?」
「…………」
「……欲しい?」
「…………」
「……認める?」
「…………」
……認める? 何を認めるって言うんだ?
僕は別に彼女の……なんて、見たいとも欲しいとも思っていない! 最初っから見たいモノだと決め付けてかかられているのは不愉快だ! 失礼だよ!
「……十秒以内に答えて」
「……!?」
「十……九……」
カウントダウンがスタートしてしまった!
……何だって!? 時間制限を設けるのか!?
つまり、僕が試験中ですら及ばない速さで考えを巡らせているこの時間は、僕のモノ、僕の時間ではなく、彼女のモノ、彼女の時間だって言うのか!?
「八……七……」
「ちょ……ちょっと……待って……!」
「六……五……」
「ず、ズルイよ……! こんなのは……! 卑怯だよ……っ!」
僕は完全に……まんまとパニック状態に陥らされていた。
視界が靄で覆われている。声も上ずっている。僕は半泣き状態になっている。な、情けない。格好悪い!
「四……三……」
「ま、待って! 待ってよ! こんなの……あんまりだよ!」
「二……」
「ひ、ひどいよ! こんなの……ルール違反だ! 反則だよ!」
「一……」
……認めたらこの場で見せる。この場で脱ぐ。彼女が本気でソレを言っているのかは分からないが、十秒以内に答えなくては、彼女は何も言わず教室を出て行ってしまい、次に会う時には、今日ここでした会話はまるでなかったかのようにいつも通りの日常に戻ってしまう。
ソレだけは間違いないだろう。そこだけは本気を感じた。
「あ……あ……!」
……認めるしか、ないのか?
……認める? 何を認めろと言うんだ? 僕は別に魑魅魍魎共に比べて、比較的素敵だと思っていた彼女の下着なんか見たくないし、比較的素敵だと思っていた彼女がこの場で脱いだ下着を欲しいなんてワケでも……!
……う、嘘は良くないよ。見たくもないモノを見たいと言うのも、欲しくもないモノを欲しいと言うのも良くないよ。
だけど自分の為でなく、誰かの為に吐く嘘は良い嘘だと聞いたことがある。だから僕に下着を見せたい、下着をあげたいと思っている彼女の為に『見たい』『欲しい』と嘘を吐いてあげるのは良いことなんじゃないだろうか?
「ゼ……」
「見たいっ! 欲しいっ!」
瞬間、僕は叫んでいた。
「…………」
「…………」
静寂が教室を包んだ。わずかに僕の吐く息の音がするだけで、他には何も聞こえない。
「……なんて?」
彼女は不思議そうな顔をしながら、小さな、本当に小さな声でそう囁いた。
「だ、だから……見たい、よ……欲しい……よ」
僕は、彼女の視線をまともに受け止められず、ちらちら彼女と床を交互に見ながらそう答えた。
「……敬語で言わなきゃ、駄目だよ?」
一体何が起きてるんだ? 彼女はいつもの物静かな口調だけど、その内容はいつもとは打って変わって妙な迫力を感じる。何故だか逆らえない。
「……み」
「……み?」
「…………」
「…………」
「……み、たいです……欲しい……です」
「…………」
「…………」
……言ってしまった。取り返しのつかない言葉を。もう決して取り戻せない言葉を。
「……長すぎて、忘れちゃった。もう一度、言ってみてくれる?」
「…………」
……もう一度、言えというのか……? あんなこと……!
「……三秒以内」
「……!」
「三……二……」
「僕は! キミの下着が見たいし! 欲しい! ……です」
またも気がついたら僕は叫んでいた。ソレもかなりの大声で。
教室の外に誰かがいたらどうするんだ。明日から変態扱いされてしまうぞ。なんてその時の僕の頭には全くなかったんだ。
「……そうなんだ。あなたは、あたしの下着が見たくて、欲しいのね」
「……はい」
……うん、と答えると、また反感を買うかもしれない。そう思って僕はそう答えた。
……僕は何らかの尊厳を失った。いや、捨ててしまったんだ。でも、でもコレで……!
「そう。ありがとう。ソレじゃ」
「……え」
ソレだけ言って彼女は僕の横をすり抜け、教室の出口へと向かって行ってしまう。
……。
「……え?」
何だソレ。話が違うじゃないか。
僕がそう思っていると、彼女が立ち止まった。顔だけがこちらを振り向く。
「……さよなら」
一瞥。そう呼ぶに相応しいその視線とその言葉を残して、彼女は再び歩を進めた。
「…………」
僕は歪む世界の中で立っていられず、膝をついた。
うな垂れてだらんと床に下ろした手の甲に、雫が落ちるのが分かった。
ガラ、と扉が開く音がして、ピシャリ、と扉が閉まる音がした。
僕と彼女の間に、決定的な隔たりが生まれた音。
「……ぐすっ……うっ……」
何やってるんだ僕は。軽蔑された。軽蔑された。軽蔑された。
間違いなく軽蔑された。最後の彼女の僕を見る目は、侮蔑。犯罪者を見る目だった。テレビで凶悪殺人のニュースが流れたのを目の当たりにした時の人の目だった。
最悪だ。転校したい。もう学校に来たくない。ささやかな毎日の楽しみがあった憩いの場は、今や絶望しか残らない地獄と化したんだ。
その時、再びガラ、と扉が開く音と、ピシャリ、と扉が閉まるがした。
音のした方を見ても滲んだ視界には誰かが立っていることくらいしか分からなかったが、誰かが教室に入ってきたのだ。
「……泣いてるの?」
声の主は、先程出て行ったばかりの彼女だった。
……何をしに戻ってきたって言うんだ。もう放っておいてくれよ。
「ごめんなさい……嬉しくて、満足しちゃって、忘れてた」
泣き顔を見られたくなくて、床を見ていた僕の頭上からそんな声がして、しゅる、と布の擦れる音が聞こえた。
「…………」
滲んだ視界に映ったのは、目の前の人影が、上半身を前屈みにして、両手で下ろした何かから片足ずつ、順番に両方の脚を抜くような仕草だった。
「……?」
ワケが分からず呆けていると、いきなり目の前に女性の顔が迫ってきた。彼女だ。さすがにソレくらいは分かった。だけど、その表情までは窺えない。
「……泣かないで」
心配するような言葉とは裏腹に、彼女の声はどこか楽しそうだった。
「……あなたは……本当に可愛いわね」
そう言った彼女が、僕の頬を伝う涙をぺロ、と舐めた。同時に僕の手を彼女の冷たくて細い指が掴み、何か柔らかくて温かいモノを握らせた。
「……ぁ」
「ソレじゃ、また明日……ね」
そう言って彼女は立ち上がり、先程と同じように出口へと向かい、ガラ、と扉を開け、ピシャリ、と扉を閉める。
「…………」
……?
「あ……!」
僕は手に握られていたソレが、何なのか認識するや否や、慌てて鞄の中に仕舞い込んだ。




