第二十話
俺と宗二が買出しを終えて、ライブハウスに戻ると、そこに愛理の姿はなかった。
代わりに控え室前で、店長とイリアのバンドメンバーが言い争う声が聞こえた。
「どういうことなんですか!?」
「ソリャこっちの台詞だよボケ共。ライブ当日に出れませんて。ナメてんのか」
……出れません?
「さっきオメーらんとこのヴォーカルがきて言ってったよ。『もう出れない』って。ふざけんな、もう今後ウチでやれると思うなっつったら『どの道もう一生ステージで歌うことはありません』だってよ」
「えぇ!?」
「ったくちっとは目ぇ掛けてやってたのによ。女ってのは……」
「ソレで、愛……イリアはどこ行ったんスか?」
俺は会話に割り込んだ。宗二が首を突っ込むなと言いたげなのに気づいてはいたが、無視した。
「あ? 知らねーよ。さっき出てったよ。つっても五分くらい前のことだけどよ。つーかオメーらもうすぐ出番だろ。こんなとこいねーで──」
そこまで聞いた俺は、脱兎の如くライブハウスを飛び出した。
「おい! 秋っ!?」
「おいコラ! オメーもかっ!」
店長の怒号を背中に、俺は急いで辺りを見渡す。
すると……すぐ近くに愛理の姿を見つけた。
「ちょっと待て秋……!」
「愛理……!」
俺を追いかけてきた宗二の声がしたが、俺はまたも無視して愛理に駆け寄る。
……こちらを見た愛理の、その辛そうな表情に、俺は一瞬足を止めそうになった。
「……先輩」
……俺は、何をやっているんだろう?
愛理に音楽の道を諦めさせることが目的であり、浄化の条件だと思っていたのではないのか?
自分で自分が何をしたいのか、分からない。
だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「どうしたんだよ。ライブ辞退するって──」
俺がそこまで言いかけた時、愛理の傍に停まっていた高級車のドアが開き、出てきた女性が俺と愛理の間に割って入った。
「あんたは誰? もしかしてあんたがウチの子に変なこと教えたの?」
「……は?」
……あんたが誰だ?
ウチの子? じゃあ、もしかしてこの人が……?
「やめて……おかあ……さん。先輩は関係ない」
……やっぱり、この人が愛理の母親なのか。
え? でも、愛理は施設に暮らしていて、母親とは別居してたんじゃないのか? もう何年も会ってなかったんじゃないのか?
「……愛理?」
俺はどういうことなのか分からなくて、愛理に説明を求めた。
「……お母さんが、迎えにきてくれたんです。コレからは……一緒に暮らせるんだ、そうです」
「……は?」
俺が頭をフリーズさせていると、先程愛理の母親とかいう女が出てきた高級車のドアが開き、男が出てきた。いかにも金持ちそうなおっさんだ。
「……あの人は?」
「……お母さんの、新しい、彼氏、だそうです」
「あなたのお父さんになってくれる人、でしょ?」
……あんたは黙っててくれ。
「ソレで、どういうことなんだ? ライブ、出ないって」
「ソレは──」
「当たり前でしょ? 母親と新しい父親が迎えに来たんだからそんなことしてる暇ないわ。今後はこんなくだらないことさせないし、する必要もないわ」
「だからあんたは黙っててくれっ!」
俺は今更母親面するその女に、気がついたら怒鳴り返していた。
「何なのこのガキは? やっぱりあんたみたいのが周りにいるからウチの娘に悪影響が──」
……ウチの娘、だと……?
「分かったから……すぐに行くから……車で待ってて……お母さん」
俺と女の間に入るように、愛理が懇願するような声を出した。
「……ふん」
俺の相手をするのがバカらしくなったのか、愛理が従順な姿勢を見せたので溜飲が下がったのか、女は鼻を鳴らして車に戻っていった。
「…………」
「…………」
……何を、言えばいいんだ?
やめろ? 帰って来い?
あの母親はダメだ?
「突然で……ビックリしちゃいますよね」
「……何が?」
「突然やってきて……この人が新しい父親、コレからは一緒に暮らそう……て、相変わらず、強引な人で……逆にビックリしちゃいました」
「……うん」
「ソレからは……なんて格好してるんだ、恥ずかしい、ホラ行くよ……です」
「……うん」
「普通……数年ぶりに会ったら……他に……言うことありますよね」
「……うん」
「……わたしが望んでたのって……こういうことなのかな?」
……何て言っていいのか分からない。自分のボキャのなさが嫌になる。
頭に浮かんだ言葉はあった。
でも、ソレを言ってしまっていいのか、言ったところで届くのか、分からなかった。
……だって俺は、こいつの気持ちを受け止められなかったのだから。
「……あしながおじさん、だな」
「……え?」
「あの人が、面倒見てくれるんだろ? そうそうできることじゃないよ」
……彼女の気持ちを受け入れなかったってことは、つまり、こういうことなんだよな?
「……先輩」
「今はちょっと、お前の言う通り、突然のできごとに驚いてるだけだろ。ちょっと不安になってるだけだよ」
「…………」
「コレが、お前の望んでたことなんだよ。願ってた通り、母親と一緒に暮らせるんだ。コレから少しずつ『家族』をやり直していけばいいんだよ」
「……はい」
「良かったじゃないか。うん……良かったんだよ!」
「……そう、ですね」
……彼女が何を言いたいかは、俺は充分に分かっていた。
ソレでもごめん。ソレは……無理なんだよ。
「俺は……お前を助けてやれない」
「……!!」
「……俺には、背負えない」
「…………」
「…………」
沈黙が痛かった。リライもアルルも、何でこんな時に限って黙ってるんだ。いつもみたいに騒げよ。何言ってるんだって俺を責めろよ。命令しろよ。
「……ありがとうございました」
「…………」
こいつと最初に出会った、リトライ前の俺は……ここまでは来れたのだろうか?
ソレとも、もっと早い段階でこいつとの付き合いは終わってしまったのだろうか?
俺は……浄化対象がずっと目の前にいたのに、何をやっていたんだ。
浄化対象……罪人。
その彼女の罪が何なのか、全然考えていなかった。
……多分、十中八九、愛理は自分の母親を殺したのだろう。
その金持ちの彼氏も一緒にかもしれない。あの時彼女のバッグに入っていた大金は……多分そういうことなんだろう。
……そこまで分かっていながら、俺は……何もしなかった。できなかった。
音楽をやめさせることが、浄化の条件ではなかったのだろうか。
ソレとも俺と関わらなければ、こいつは母親の申し出……命令を突っぱねてプロになるのだろうか?
周囲に対して怯えるのをやめさせ、心を開かせたと思っていた俺の行いは、こいつをただ弱くしてしまっていただけなのか。
……分からない。分からないけど、今のままでは愛理はまた罪人へと続く道を進んでしまうのだろう。
俺は……失敗したのだろう。ソレだけは分かった。
俺には、彼女を救うことができない。
俺の手には負えない。今回の浄化を成功させなかったら、俺はおそらく死ぬだろう。
ソレでも……彼女を救う為にどうすればいいのか、まるで分からなかった。
……どうすればいい? どうすれば俺は俺を救える? どうすれば俺はこいつを救える?
「ソレじゃ……先輩」
「…………」
……答えが、出ない。
「さよなら」
「…………」
そう言って背を向けた彼女が、歩き出す。
俺と交差していた道から、歩き出してしまう。先程からずっと直視できずにいたが、ソレでも彼女がどんな顔をしているか、俺にはハッキリと分かっていた。
愛理が乗り込んだ車のドアが閉まり、走り出した車がドンドン小さくなっていく。
……俺が死ぬのは……俺のせいだ。
俺が彼女を受け入れていれば、ああはならないんだろう。結局、俺が死ぬのは自業自得ってことなのかな?
あの時は冗談じゃないと思ったけど、やれるだけやった今なら分かる気がしないでもない。
……でも、俺は彼女の気持ちを受け入れなかった。彼女の荷物を背負えなかった。
……仕方がないのは分からないでもないけど、この結果を受け入れられるかは、別問題だ。
「…………」
……やれるだけ、やった?
「…………」
……いつから、こんなに諦めがよくなったんだ? 俺は!
「……っ!!」
そして、こんな結果で諦められるかは! 別問題なんだ!
「宗二っ! 今すぐ俺を──がっ!!」
振り返って宗二に向けて叫んだ瞬間、俺が言い終わるより速く宗二の拳が顔面にめり込んだ。俺は後方に吹っ飛んで路上駐輪されていた自転車の群れに突っ込む。
「さっさと立てっ! 事情はさっぱり呑み込めねーが行くぞ秋っ!」
「宗──」
「追いかけるんだろ!? 今なら間に合う!」
……宗二!
「──ああ!」
俺はすぐさま立ち上がり、宗二のあとについて走り出した。




