第十九話
ライブフェス当日。
顔合わせが終わって、開場までの間の時間、宗二と買出しにでも出ようかとライブハウスの階段を昇る途中で、俺はイリアと顔を合わせることになった。
「よぉ……」
「…………」
一瞬こちらを見て、すぐに視線を元の位置に戻してしまうイリア。眼中にないってことか?
「悪いが今回は俺達がいただく。今日もトリだからって安心してるとフライドチキンにして食ってやるからな」
ソレでも構わず俺は言ってやった。
「どうぞご自由に。でも会場の熱を冷ますようなことだけはやめて欲しいですね」
そう言って彼女は、俺と目も合わさずに横を通り過ぎようとする。
……俺は、ここ以外のどこかで見た気がするその目を見て、再び首をもたげた疑問が、正解なのか不正解なのか確かめてみようと、ある言葉をその背中に投げ掛けてみた。
「でも大丈夫なのか? また帰りが遅くなると、シュウくんに吠えられちまうんじゃないか?」
「大丈夫です。昨日ちゃんとお散歩に行きましたから」
「…………」
「……あ」
そう言ってから振り返ったイリアの瞳には、明らかな動揺の色が浮かんでいた。
「…………」
「……やっぱり」
「……へ?」
《ふへ?》
《ほへ?》
宗二と、リライと、非常に珍しいことだが、アルルまでもが間の抜けた声を上げる。
「…………」
「お前、愛理か」
「……秋色、先輩……」
《ふへ? ほへえっ!? こ、こいつが、アイリなんですか!?》
《う、嘘!? どうして!?》
「ど、どうして……分かったんですか?」
「直感に近かったけど、声、かな? お前むかつくけどいい声してるからな。そんないい声、ソーソー忘れてたまるか」
……愛理の目を見た時から、何か記憶の隅に引っかかるモノがあった。
刺された時、俺はしっかりと彼女の目と、その声を脳裏に焼きつけてあったんだ。
あと、屋上で愛理と話すようになってから、イリアの態度が突然丸くなった気がしてたのもある。
……てことは、この金髪はカラースプレーかウィッグか。
「あと、鼻血な」
「あ……」
……あと、胸な。こんな逸品を持つ女がソーソーいてたまるか……とはさすがに言えんが。
……てか、手がかりだらけではないか。
俺と妹達以外のみんなは、とっくに気づいてヤキモキしていたのではないだろうか、なんて思わないでもないぞ……て、みんなって誰だか知らんが。
「今思えばさ、IRIAって、AIRIを逆から読んだだけじゃんな」
「…………」
「……やっぱ俺って、お前の言う通り鈍感なのかもしれないな」
「…………」
「……愛理?」
「……ごめん……なさい」
彼女が頭を下げて、恐る恐るといった感じの声で謝ってきた。身体は小刻みに震えている。
「えーっと、先にコンビニ、行ってるな、俺?」
そう言って隣にいた宗二が一人歩いていく。俺はその背中を見ながら溜息を吐いた。
「……ふう」
「……怒って、ますか?」
「……別に。怒ってないよ。少々文句を言わせてもらいたい気分ではあるけどね」
《ソレ、怒ってるぢゃねーですか》
えーいうるさいリライ。散々お前達に鈍感鈍感言われたおかげで生まれた気分でもあるんだよ。
……まあ一番腹立たしいのは、こんな状況になってもまだ認めたくなかった自分のニブさ加減を、反論の余地もないくらいに突きつけられていることなんだけどな。
「ごめんなさい。本当に……ごめんなさい」
「まぁ正直ハズれてたらどうしようって思ってたのもあるけどな。だって、いきなりステージで『セックスしたい』とか叫ぶ女と自信なさげな後輩が同一人物なのか、不安もあったしな」
「ご、ごめんなさい! ステージに上がると、何か人が変わっちゃって……! おかしいですよね! 処女の分際でいかにも経験豊富みたいな大人の女演じちゃったりして! ごめ──」
「あー……ソレはもういいよ。ソレより、さ……ついでに聞きたいことが一つあるんだけど」
「……?」
「もし違ったら、笑い飛ばして欲しいんだけど……」
「……はい」
「あー……えー……っとね」
「……?」
「お前って、さ……俺のこと……好き、だったり……する?」
《いきなり何聞いてるですか、アキーロ?》
《しかも歯切れ悪い。臆病者のくせに自信あるんだかないんだか》
あぁうるさい。確かめたかったんだよ。最初に現代で会った愛理が俺のことを好きだったって言っていたあの言葉が真実なのかどうか。
彼女の……縋るように助けを求めてきたあの言葉が、真実なのかどうか。
……まぁこいつらは、現代の愛理を見てないからそんなこと知らないだろうけど。
「……い……か」
「……ん?」
「……きで……るい……か」
「な、何だって?」
「好きで……悪いですかっ!」
そう叫んで涙目でこちらを睨みつけてくる彼女には、ワケの分からない迫力があって、俺は思わずおしっこをチビりそうになった。
「てゆーか! さっさと気づけよっ!」
追い討ちとばかりに真っ赤な顔をした彼女が叫ぶ。反射的に『ごめんなさい!』と謝ってしまいそうなその迫力に、俺は萎縮するばかりだ。
「さっさと……気づいて……よ」
「あ……愛理、さん?」
「最初は周りの迷惑も考えずに好き放題やってるって噂ばかり聞いてて、大っ嫌いで……でも、わたしなんかと真逆な人生送ってる先輩が羨ましくて……先輩の真似して、変装……ううん、変身して、ちょっと頑張ってみたら、すごいみんなが褒めてくれて……本当のわたしを知らないくせにって思ったけど、ソレでも……バカみたいに嬉しくって……!」
止まらなくなった涙をボロボロ零しながら、愛理が熱に浮かされたように捲くし立てる。
「初めてここで会った時は、大っ嫌いだった先輩に一矢報いることができて、すごく嬉しかった……。わたしの言葉で、先輩が怒ったり悔しがったりするのが、すごく嬉しかったんです」
「…………」
「でも、すぐに後悔した……次の日に屋上で会って話したら、先輩、すごくいい人なんだモン……気まずくてタヌキ寝入りしてたわたしにブレザー掛けてくれたり、わたしがちょっと暗くなったりしたら、犬の話とか、ラーメンの話とか……グスっ……すごく優しい人なんだモン!」
「愛理……」
「そんな、そんな人に、『可愛い』とか『綺麗だ』とか言われたら! 自分の為に泣いてくれたりされたら! 好きになっちゃうよ! わたしバカですから! 好きになっちゃいますよ!」
「…………」
「…………」
「愛──」
「先輩は……わたしのことどう思ってます、か?」
「…………」
「わたし……誰かにあんな優しくされたのも、誰かにあんな元気もらえたのも、初めてだったんです。先輩と会ってから、初めて学校に行くのが楽しみになったんです。先輩以上に素敵な人なんて……いないと思ってます」
「…………」
「先輩が一緒にいてくれれば……コレからも……どんなに辛くても頑張れる気がするんです……だっ、だから……っ!」
見れば、彼女は身体を震わせていた。
「……わたしと、付き合ってくれませんか?」
彼女のその姿が、現代で出会い、雨に打たれながら助けを求めてきた愛理の姿とダブる。
「…………」
「…………」
《……アキーロ》
《秋色?》
神妙な声を出す二人をよそに、俺はずっと考えていた。
愛理が言い切る前からその言葉を予想して、考えて考えて、考えていた。
……ソレでも結論は出なかった。
自分の心が分からなかった俺は──。
「あぁ、俺もお前が好きだよ」
そう口に出した。
《アキーロ!?》
《ちょ、ちょっと!》
二人の動揺した声が聞こえる。リライはともかく、アルルがそのことについて何も言ってこないってことは、そういうことなんだろうか。
俺はハッキリと、目の前の愛理の目を見た。
「……?」
……だが、愛理は戸惑いながらこう返してきた。
「……どうして、何も言ってくれないんですか?」
……そういう、ことなのか。
彼女には、俺の声が聞こえなかった。
俺には嘘が吐けない。
嘘が相手に聞こえない、という制約が掛かっている。
つまり……そういうことなんだろう。
「あの──」
「ごめん」
「──っ!」
ビクっと息を呑んで瞳を見開く愛理に、俺は他に言えることがなくて、繰り返した。
「……ごめん」
……多分俺の行為は、最低な部類に属するのだろう。
今まで散々鬱陶しがっていた制約を、俺は利用したのだから。