第十八話
「……よぉ」
「……どうも」
今日も屋上にやってきた前髪の長い後輩に、俺は声を掛ける。
……正直、もう来ないんじゃないだろうか、なんて思っていたから、少し安心した。
「……元気、ないですね」
そう言って、愛理が俺の隣に腰を下ろす。
《ホントですよぉ、アキーロ何でそんなに元気ねーですか?》
《いい加減立ち直んなさいよ。あたし達が悪いみたいじゃない》
二人の声が聞こえたが、俺は無視した。
「…………」
「……先輩?」
……えぇい、カッコつけるのはやめだ。
考えても分からないことは……考えても分からないんだ!
「……ヘコんでんだよ」
「……はい?」
「認めたくないが……どうやら俺はお前の言う通り鈍感らしい。妹達にも、果ては従妹にまで言われちまった。むかつくけど……認めざるを得ない!」
「……はぁ」
「だから……降参! 降参です! さっぱり分かりません! 何で昨日怒ったんだ?」
「…………」
俺は歯噛みしつつも、両手をお手上げしてみせながら隣の愛理に恨めしい声を出した。
「……先輩。もしかしてアレから、今までずっとソレを気にしてたんですか?」
「そうだよ! イライラして、気になっちゃって眠れなかったんだよ! おかげで寝不足だ!」
我ながらガキみたいだ、と思いつつも俺は恨み言を口にした。
「……ぷ」
「……ぷ?」
「あ……はっ! あはははは!」
いきなり、愛理が爆笑し出した。
「先輩って……可愛いとこあるんですね! 気にし過ぎって言うか……」
「う、うるさいなっ。いいから教えろよ!」
先輩後輩という立場がすっかり逆転しているようで、俺は説明を促した。
多分、真っ赤な顔してるんだろうな、俺。
……何か、滅茶苦茶悔しいんですけど!
「はは……ごめんなさい。じゃあちゃんと説明しますね」
「……おう」
「……先輩が嘘を吐いたからです」
ニッコリ笑って……といっても口許でしか分からんが、笑いながら愛理がそう言った。
「……は?」
「いえ、と言うよりは……わたしが過敏過ぎるんです。先輩のせいじゃありません。気にしないでください」
「……はぁ?」
「わたし、すっごいヒネくれてるから、社交辞令とか、お世辞とかを素直に受け入れられないんです。『心にもないこと言ってんじゃねー』とか、思っちゃうんです。嫌なヤツでしょ?」
「……何、言ってんの?」
俺は、愛理の言っていることが本気で理解できなくて、そう返した。
「昨日先輩が『可愛い』とか言ってたのを、『この人も嘘吐くんだ』とか思っちゃったんです」
「……ちょっと待てちょっと待てちょっと待て! 俺は嘘なんて……!」
……吐いてない。て言うか吐けないんだよ。
「ごめんなさい。嘘なんて言い方して……すぐ悪い方に考えちゃうんです」
「ちょっと待てよ愛理。お前、変だよ。何でそんな──」
「変なんです。わたし。でも、自分が可愛くなんてないの知ってますから」
「何言って──」
「可愛くなんてないし、誰からも本気で褒められたこと、ないですし、誰からも、必要とされたことないんです」
ニコニコ笑いながら突然自虐モードになった愛理に、俺は戸惑うばかりだ。意味が分からない。
「母親からも……いらないって……捨てられちゃったくらいだし」
「……え」
《……ほへ?》
《……え》
「……先輩だから、話しますね。わたし……捨てられたんです。母親に。今住んでるところは家庭センターの施設です」
……何を、言っている?
「母親はまだ未成年だった時にわたしを生んじゃって、養うことができないからってわたしは施設に預けられて……四歳くらいの時かな? 初めて『この人が母親なんだ』って認識したの」
……何の話をしているんだ?
昨日見た、ドラマの話……とかじゃ……ないよな?
「もう一緒に暮らせるからってわたしを引き取りに来たんだけど……わたしはその時初めて母親の顔を覚えたんです。ロクに来なかったんで言われるまで全然分からなかったです」
……まるでリアルさがない。
だって、俺より年下の女の子が、いきなりこんな重い話を……まるで天気の話をするみたいに……ニコニコ笑いながら何てことない風に話してるんだぜ? 思考がついていかない。
「でも、一年もしない内にまた今の家に戻りました。生活能力の不足とかで。まぁ本当は新しい彼氏ができたから、邪魔になっちゃったわたしに回すお金がなくなっただけなんですけど。わたしに施設に一人で行くように言ってそのまま逃げちゃったんですよ。ドロンです」
……だというのに、この話はどこか『嘘だろ』って笑い飛ばせない空気を含んでいて、俺は口を開くことができない。
「その時……母親が泣きながら言ってたんですよ。『どうしてあんたなんて生んだんだろう』って。『あんたなんて生まなきゃよかった』って」
「……!!」
「四、五歳の子供に、何言ってんだって感じですよね。何でお前が泣いてんだって感じですよね」
「…………」
「ホント……こっちの台詞ですよね。『何でわたしなんて生んだんだ』って。『わたしなんて生まなきゃよかったんだよ』って……こっちが泣きたいですよね」
「…………」
「多分……トラウマってヤツなんですかね? ソレからは、会う人みんなが怖いんです。人に見られるのも……この目つきの悪い目で……顔色を窺ってるのを見られるのも、怖いんです」
「…………」
「でも、そうしないと……誰にも愛されない、誰にも褒められないわたしは……生きていけないですから」
「…………」
「高校を卒業したら……もう今の家は出て行かなきゃならないですから。奨学制のある大学に行って寮にでも入るか、就職するか」
「…………」
「でも……ホント馬鹿だろって自分でも思うんですけど……母親と、また暮らすって考えを……頭のどこかで考えちゃってるんです。捨て切れないんです」
「…………」
「ホンット、嫌っても嫌いきれないくらい、ぶっ殺してやりたいくらいなのに……! わたし、あの人のこと……憎み切れないんです」
「…………」
「子供にとって、親が一生親であるように……親にとっても、子供は一生子供……って向こうも思ってくれてるんじゃないか……って、そんな馬鹿な考えが……捨て切れないんです」
「…………」
「ね? 『自分だけが不幸なんだー』って、悲劇に酔うワケじゃないけど、わたしは、周りの人達より確実に愛されてなくて、確実に異常なんです」
「…………」
「でも……最近、ちょっと楽しいことがあったんですよ。今まで人の顔色窺って生きてた鬱憤が溜まってた反動なのか、自分でも驚くような行動に出ちゃったんですよ、わたし」
「…………」
「そのおかげで、今まで大っ嫌いだった人のこと、大好きになっちゃって。だから、もしかしたら母親のこともって……希望? なのかな。そんな風なモノが持てたりもしてて」
「…………」
「そのことで……先輩に謝らなくちゃならないんですけど……わたし──」
そこで一旦言葉を切った愛理がこちらを見た……気がする。
確証はない。だって俺は──
「──先輩?」
「……愛……理」
──自分でも泣き過ぎだと思うくらい、号泣していたから。
「な……何で、先輩が……泣くんですか。何で……そんな」
「……くぅ……」
俺は口を開こうとした。
口を開いて……何かを言うつもりだった。
……ごめん?
……知らなかった?
……お前は立派だ?
……頑張れ?
……お前が泣かないから、貰い泣き?
……ダメだ。今口を開いても、嗚咽しか出ない。
万が一言葉を吐き出せても……相応しくない。届かない!
「……愛……理ぃ……!」
「……先輩」
「ダメだ! ……ごめん! うまい言葉が浮かばない……! 俺が何言っても! お前の心に届かない!」
ソレでも俺は言葉を搾り出した。頭に浮かんだ言葉を、そのまま滅茶苦茶に叩きつけた。
「お前の心に届く言葉を……俺、持ってない! 俺が今……どんなキレイ事言っても! そんなの……偽善だ!」
「…………」
「くっそぉぉ……! 何泣いてんだよ俺は! 泣いてどうすんだよ! 泣いたところで……! どうしてやれるんだよ!」
「……先輩」
「こんなの……! 話を聞いて泣くなんて……そこら辺の誰にだってできるじゃないか! 俺だけに! 俺にならできるってことが……! 見つからないんだ!」
《……アキーロ》
《…………》
俺の影響を受けているのか、二人も心をかき乱されているのが分かった。ソレに気づいても、ソレでも俺は涙を止められなかった。
「先……輩……!」
気がついたら、俺は愛理に抱き締められていた。
崩れ落ちるように膝をつく。ソレでも愛理は俺を離さなかった。
まるで、俺が慰められているみたいだった。
いや、事実そうなのだろう。
「もう、泣き過ぎです……」
「だって! 俺、お前の前で先輩ぶってカッコつけてたのに……何にも分かってなかった! 何にも知らなかったんだ!」
「もう、分かりましたから、泣き止んでください……ね?」
「無理だよ……無理だよ……!」
「先輩は……本当に可愛くて……優しいんですね」
「うるせー! 褒めんな! 俺がそう言ってやりてーのに! またお世辞とか嘘とか言われたらって……我慢してんだから! お前が褒めんなぁ……!」
「はいはい……」
泣く子をあやす母親のように……愛理は俺の背中をトントン叩いた。
「ちっくしょぉぉ……! ダサ過ぎる……! 俺だけの、俺ならではの超カッコいい必殺ワードでイチコロにしてやりてーのに……! こんなガキみてーな言葉しか思いつかねぇ……!」
「ふふふ……ホントです」
耳元でそう囁く愛理に抱き締められながら、俺は彼女の胸で泣くことしかできなかった。
「息苦しい……おっぱいに溺れそうだ……! 何でこんなにデケーんだお前! ってこんな時に言ってんじゃねー俺!」
「じゃあ……やめます?」
「やめません! こんなチャンスはソーソーねー! やめてたまるか!」
「ホント……分かりやすいスケベなんですねぇ、秋ちゃんは」
本当に情けない。思ってることをぶちまけながら、泣きじゃくるだけのアホだ。
「愛理……頑張れ……頑張ってくれ……!」
結局考えても考えても……考えなくても出てくるような、ありきたりな言葉しか出てこない。
俺には──愛理を救うことができない。
神様でもあしながおじさんでも誰でもいい、何でもいい! 彼女を救ってやってくれ……俺じゃ、無理なんだ……。
ソレでも愛理は──
「先輩……ありがとう」
──そう言ってくれたのだった。