第十六話
「ちょっと、手伝ってあげてるんだからうまくいったらあたしにも何か奢りなさいよ」
《リライもですよ! 何かおごりやがれですよ!》
「お前はいっつも俺の金でメシ食ってるだろーが!」
愛理にメシを奢る約束をした数分後、帰り道の道中、中庭で俺を待っていたアルルとリライとそんな会話をしていると、
「姉さん! 何でこんなヤツに協力するんだよ! こいつは姉さんに相応しくないよ!」
アルルを迎えに来たのだろう。俺達の前に現れたエルク・マテリアルが珍しく声を荒げた。
「エル……」
《あ、カマトトその2ですよ》
リライがそう呟く。そういやこいつら、姉弟揃って猫被ってんな。
「少し前にも色々な男と遊んでたみたいだけど、本当はソレだって嫌だったんだ!」
「あら、エルだってしょっちゅう色々な女の子と遊んでるじゃない」
なん……だと……?
「自分のやっていることを、他人には駄目なんて言う子だったの? エル?」
やっぱ姉が優勢なんだな。同じことしてるクセに。言ったモン勝ちなのか。
「あ、アレは……女の子が放っといてくれないから……」
「あぁーん!? てめ、今何つったぁぁ!?」
……キレたぜ! こいつは敵だ!
今まで鬱陶しいシスコン属性の火の粉が降りかかった、くらいにしか思ってなかったが、こいつは俺にとって相容れないこと間違いなしの敵なのだということを、今確信したぜ!
「学校はてめーのパラダイスか!? エルの楽園てか!? その楽園ではどんな花が咲くのぉぉぉぉ!!?」
《何であんたが入ってくんのよ! 丸め込めそうだったのに! アホ!》
……しまった。ついキレてしまった。
「何だ罪人! 喋るな! 姉さんと同じ空気を吸うな! 姉さんと同じ地面に立つな!」
「ねーさんねーさんうるせーんだよアホガキ! お姉ちゃんどいて! そいつ殴れない!」
「誰がガキだ! 僕達に年齢なんて概念はないんだよこの無知男! 監視するお前に合わせた外見をしてやっているんだこのクズめ! 感謝の印に死ね!」
「エル! 人に死ねなんて言っちゃ駄目よ!」
「そうだそうだ! 姉さんの言うこと聞けよ! 謝れ!」
アルルを矢面に立たせればこいつが逆らえないのを学んだ俺は、ここぞとばかりに攻め込んだ。
「こいつを人扱いしろっていうの?」
なんっっってこと言いやがるんだこのガキャ!
「……こいつ以外には言っちゃ駄目よ?」
「おぉーい! アルル姉さん!?」
味方じゃないのかよ! どうやらこいつら姉弟は、揃って俺を虫か何かだと思っているようだ。
「姉さんをアルルって呼ぶな! 死ね!」
「許可下りたからって無理矢理死ねって言うな!」
「エル……もう少しで終わると思うから」
俺がこのシスコンをパンツでも降ろして校門に貼り付けてやろうか、と思ったその時、隣にいたアルルが静かな声を出した。静かで、だけどよく通る声。
「姉さん……」
「だから、邪魔をしないで」
「ど、どうして……? 何でこんなヤツの為に……!」
「こんなアホの為じゃないわよ……あたしの為なの」
「……そんな」
「ごめんね? この埋め合わせはちゃんとするから……だから、余計な口出ししないで」
そう言ってアルルが、呆然と立ち尽くすエルルの横を通り過ぎ、歩き出した。
合掌でもしてやろうかと思ったが、俺は何も言わずアルルの後を追った。
「……ったくあのシスコン野郎め」
「あの子もあんたにだけは、言われたくないと思うわよ」
「どういう意味だよ」
「分からないなら本物のアホね」
どういう……意味なんだ?
《……???》
リライも分かっていないようだ。ここにいれば首を傾げて鈴を鳴らしていることだろう。
「アホ兄妹ね」
「うるせ。お前こそ弟をちゃんと躾けとけ」
「黙りなさい……! あの子をバカにしたら殺すわよ? あんただってリライをバカにされたらどんな気分になるのよ」
「う……ごめんなさい」
《今のわアキーロがわりーですね。戸山家家訓第一条。『自分がやられて嫌なことわ人にするな』ですよ!》
「ぐ……ごめんなさい」
「へえ……第一条はそんななのね。あんた全っ然守れてないじゃない」
……やっぱお姉ちゃんは弟をバカにされると怒るモンなのか……何か怖え。
《ソレくらいで許してあげるですよ。アキーロいぢめるとリライが怒るですよっ》
「はいはい」
……いつの間にかスッカリ打ち解けたリライとアルルに挟まれ、俺は肩身の狭い思いで下校路を歩いたのだった。
過去に戻ってきてここに足を踏み入れて以来、この屋上で愛理と顔を合わせ、何てことない会話をしながらギター練習をするのが俺の日課になっていた。
ロックフェスはもう明後日だ。
そして今日も俺は、屋上に足を踏み入れる。
前髪娘は来てるのかと視線を一周りさせてみるも、姿が見えない。
梯子を上った先にいるだろうか、と俺が視線を上げたその時、声が聞こえてきた。
「……先輩」
「……?」
どうやら思った通り、彼女は梯子の先にいるようだ。この声は間違いない。
しかし、今の声は俺に向けたモノではなく、独りごちるような響きだった。どうやら俺がここにいることには気づいていないようだ。
「戸山……先輩。秋色……先輩。戸山……さん? 秋色……さん? 戸山……くん」
……くん?
「秋色……くん。いや、いっそ──」
……何だ何だ?
「──おい、戸山。なんて……。おい秋色! なーんて……いや無理無理無理」
……うん。やっぱり独り言のようだ。しかし何を一人で言ってるんだあいつは。
「だ、だったらいっそのこと……デートするんだし!」
……。
「あ、秋……っ。い、いや! 秋様!」
……さま!?
「あ、あ……秋……くん。ううん。秋……ちゃん」
「さすがに『ちゃん』はちょっとテレるなぁ」
俺は目には見えずとも、そこにいるのであろう愛理に向けて声を掛けた。
「ひぎぃっ!?」
コレ以上ないほどに、分かりやすく仰天しているのであろうことが窺える叫びが返ってくる。
……てか、『ひぎぃ』はねーだろ。
「せ、せ、せ、先輩!?」
そこに顔を覗かせたのは、予想通りパニックの真っ最中であるのが窺える愛理だった。
いや、前髪で顔は見えないけど、ソレくらいは分かる。
「おう。秋ちゃんこと先輩だぞ」
「ふぎゃあぁぁっ!」
……今度は『ふぎゃあ』かよ。
「ち、ち、ち、違うんです! 今のは何て言うか、台詞の練習をしていただけで……!」
「お前、演劇部か何かだったっけ?」
「いや違いますけど! そ、そう! ポエム! 乙女らしく放課後の屋上でポエムを!」
……嘘吐け。
「お前詩人だったのか? てか、秋くんだの秋ちゃんだの秋色だのしか言ってねーじゃねーか」
「あ、秋の色を詠ったポエムなんです! と、とにかく! 今そっちに行きますから!」
そう言って彼女は、明らかに注意散漫な動作で梯子に足を掛けた。
「あ──」
危ない──と思った瞬間、案の定彼女は足を踏み外し、その身体が落下を始めた。
「きゃあぁぁっ!!」
《アキーロ!》
《秋色っ!》
「分かってるよっ!」
そう返すが先か、俺は駆け出していた。
駆け出し、地を蹴り、空中で愛理の身体を受け止める。
「……ぐっ!」
何とか彼女の身体を受け止めたモノの、俺が飛びついた慣性のせいだろう。
このままでは彼女の頭が梯子に当たってしまう……!
「ぅああっ!」
反射的に俺は梯子のすぐ横の壁に蹴りを入れ、愛理の身体を抱えたまま、不細工な三角跳びを試みた。
「……ぐうっ!」
「……きゃうっ!」
──まずい! と思った俺は咄嗟に仰向けに倒れこむであろう彼女の、後頭部と地面の間に腕を差し込んだ。
その腕に鈍い衝撃が走る。
「はぁ……はぁ……」
「…………」
肝が冷えたってのはこういうことを言うのだろう。……焦った。
「おい! 大丈夫か愛理? どこも打ってないか? どこも痛くないか?」
……俺は至近距離で呆然と俺を見つめている瞳に、矢継ぎ早に質問した。
「…………」
「おい!?」
「……はぃ」
しばらく間が開いてから、か細い声が聞こえると同時に愛理の唇が動いた。
どうやらまだパニックの最中にいるのではあろうが、大事ないみたいだ。
「……ふう」
ようやく一息吐けた俺は、胸を撫で下ろした。とは言っても俺の両手は彼女の後頭部と背中に回されているので実際に胸を撫で下ろせたワケではないのだが。
「……せ、先輩こそ……大丈夫……ですか?」
そう言えば、と俺は自分の身体に異常はないか確かめる。
……良かった。若干痺れは残っているものの、左手は無事だ。ギターを弾くのに支障はなさそうである。
「ああ、問題ないよ」
俺は至近距離で驚きに見開かれた瞳に、再び向き直ってそう言った。
「……あ」
そうだ。至近距離だ。
何せ俺は今、彼女の後頭部と背中に腕を回した状態でうつ伏せに倒れこんでいるのだ……仰向けに倒れこんだ彼女の上に。
つまり、俺と愛理の顔の間には俺が地面に着いた肘から肩までの隙間しかないのだ。
そして、驚きに見開かれた瞳が、いつもは前髪でロクに見ることの叶わなかったその瞳が、今は至近距離でマジマジと俺を見つめていた。
「なんだ──」
「え?」
顔に何かコンプレックスがあるから、顔を隠しているのかと思っていたのに。
コレだけ近くにいて分かる肌のキメ細かさ、知性を窺わせる細く弧を描く眉。想像していたよりずっと──
「──可愛いじゃんか」
「……え」
俺がそう言った瞬間、彼女の顔がみるみる朱に染まっていく。
「え……え!?」
「え?」
俺は意味が分からず、首を傾げる。
「な、な、何言ってるんですか! わたしなんて……ブスだし、暗いし! 目だって三白眼で性格悪そうに見えるし! ……か、可愛くないし! ば、バカ……!」
そうまくし立てた彼女の鼻から、一筋の雫が顎まで伝い落ちる。
「……鼻血」
「み、見ないでください!」
「あ、悪い」
俺はもう遅いだろ、と内心思いながらも顔を横に向け、手すり越しの景色へと視線を移した。
《ホント何言ってるですかこの女たらし! いつまでくっついてやがるですか! さっさと離れやがれですよ! この! アホっ!》
《何をポロっと気持ち悪いこと言ってんのよ! 今すぐ溶鉱炉に飛び込んで蒸発しなさい! この変態ゲスナル大魔王!》
罵詈雑言てのはこのことを言うのだろう。姦しいことこの上ない。
ていうか、ここまでの謗りを受けるほどのこと言ったか……俺。
「……悪い。だって……顔隠してるからさ、もっとヒドいのを想像してたんだよ。したら普通に美人だったから」
俺はさすがに少し落ち込んで、愛理の身体に回していた腕を引き抜き、身体を離した。
「び、美人……?」
いつの間にやらティッシュを鼻に詰め込んだ愛理が、オウム返しに声を出した。
「ん? うん。可愛いっていうよりは美人だな、て思った」
「…………」
俺がどくと彼女は慌てて身体を起こす。再び前髪が瞳を覆ってしまった。
《……はぁぁ……》
《……ふぅぅ……》
な、何だよ? 溜息を吐くな。
また何かまずいこと言ったのか俺……?
「ほ、ホラ! 可愛いって顔にも性格にも小さい胸のフォローにも使えるけど美人って外見にしか使えないじゃん? オンリーワンですよ! だから自信持て! 気を悪くしないで!」
「…………」
とうとう愛理は俯いて、背中を向けてしまった。
もうどうしたらいいのか分かんない!
《ワザとやってねーですか? こいつ……》
《もう処置なしね……死ぬ以外には》
一体何だってんだよぉぉ……。
「せ、先輩は……」
「あい」
「先輩は……誰にでもそういうこと言うんですか?」
「そんなワケねーだろ! さすがにブスにブスとは言わんが、わざわざブスに美人と言うほど暇でも博愛主義者でもねーよ!」
俺は驚いてそう捲くし立てた。
「…………」
「…………」
振り向いた愛理の表情は、と言うか口許しか見えてないんだが、緩みそうになる唇を無理に引き締めて、無理に怒った顔を作ろうとしているように見えた。あくまで勘だけど。
「で、でも……」
「ん?」
そして最終的に怒ったような形に落ち着いた彼女の唇が、再び開かれる。
「先輩は……鈍感だと思います」
「……は?」
「失礼します」
そう言って愛理は屋上のドアを開け、そのドアの隙間に身体を滑り込ませていった。
何なんだ。何怒ってんだ。
鼻血を見られたのがそんなに屈辱だったのか? 別に初めてでもないだろうに。ワケ分からん。
……しかし、ソレにしても──
「──鈍感? 俺が?」
何言ってんだあいつ。
俺は歌詞カードに秘められた暗号すら解けるくらい、鋭い感性の持ち主だぞ。
まぁ……唯一自信がない、インセンシブルなカテゴリーもあるが。
《確かにアキーロわドンカンチンですよ》
《ホント。女の心の機微に疎すぎよね。脳ミソに皺あるの? 海馬が腐ってるんじゃないの?》
「だー! うるせーうるせー!」
俺はいつの間にやらチームワーク抜群の、銀髪娘達の暴言に、必死になって叫び返した。