第十一話
いた。いつかと同じ、中庭のベンチに俺は目当ての銀髪ロングの後ろ姿を視認した。
「アルル」
俺が背後から声を掛けると、少女の頭が僅かに持ち上がる。
「その名前であたしを呼ぶってことは……アホの方ね」
そう言ってこちらを振り向いた少女、は俺の知るアルテマ・マテリアルとは思えないような微笑を浮かべていた。
とても、とても嬉しそうな顔。まるで俺を待っていてくれたかのように。
「……あ、アホの方とは何だ」
何だか出鼻を挫かれてしまったみたいで、俺は言い繕うかのようにそう反論した。
「あら失礼。変態の方だったわね」
なおもアルルはクスクスと笑いながら続ける。何か調子狂うな。
「へ、変態の方とは──」
「変態の方でもゲス魔王の方でも何でもいいわよ。とりあえず──」
「ん?」
「──おかえりなさい」
「お……おう、ただいま」
《……むぅう……!》
本当に、本当に調子狂うな。何だってんだ。
何と言うか妙に……そう。温かいのだ。
と思う一方で何だか背中がうすら寒いような感覚を覚える。原因はほぼ間違いなく俺と同調している猫娘の放つ殺気だろう。
「そうそう。あんたが帰ってきたら一つ伝えておきたいことがあったのよ。あのね……あたしとうとうエルを説得したわよ」
「あん?」
「セバスニャンがウチの子になったわ」
「ほう! あの執事猫か」
と言ってもこの中庭にいた野良猫をこいつが勝手にそう呼んでいただけなのだが。
「そ。最初はエルも困った顔していたし、あたしがセバスニャンばっかり構ってむくれてたりもしたけれど、今じゃあたしの見てないところであの子メロメロになってたりするのよ」
「ソレを知ってるってこた、お前見てるじゃねーか」
「ふふふ。セバスニャンは相変わらずマイペースでゴロゴロしてるけど、たまに他のことをしてたりすると不意に擦り寄ってきたりするのよ? あ! あんた今から見に──」
「アルル」
俺はペラペラといつになくおしゃべりなアルルの言葉を遮った。
女が男を家に誘う意味を分かってるんだろうか、と内心驚きと心配になる気持ちがあったが、今はソレどころではない。
「──何よ?」
「とても魅力的な提案だとは思うんだが、実は、最優先でお前に頼みたいことがあるんだ」
「何よ?」
俺が提案に乗らなかったことにムっとしたのだろうか? ソレともペラペラとしゃべり続けていた自分が恥ずかしくなったのか、アルルはピンクの薄い唇を少し尖らせながら応えた。
「お前の力を貸して欲しい。と、いうか……そうして貰えなかったら、俺は死ぬかもしれない」
「……何があったの? 話しなさい」
「実は──」
珍しく少し呆気に取られた顔のアルルに、俺は事情を説明することにした。
「──てワケなんだ。だから、休憩なしで浄化ができるように、お前にも同調して欲しい」
「……危ないヤツね。いきなり刺すなんて。大丈夫なの?」
「あぁ。リラ──相棒のおかげで助かったよ」
「違うわよ。もしあんたと同調して、この時代でそいつに出くわした時にまたいきなりドスっとイカれてあんたが死んだら、同調してるあたしにも影響が出るかもしれないじゃない」
……自分の心配かよ。
「あったり前じゃない。前のケンカの時もそろそろおいとましようかと思ってたくらいなんだから」
「マジか」
「マジよ」
全く表情を崩さずに言いやがるアルル。
「何か……死なずに済むような特殊なチートはないのか? 一度だけ死を回避できるのとか」
「ないわよ。だからあんたが刺されたらあたし逃げるわよ」
「…………」
「……あなたは死ぬわ。あたしは逃げるモノ」
「そこは守るモノ、だろ! てかどこで覚えたそんな言葉!?」
「大きな声と唾を飛ばすんじゃないわよ。汚いし醜いし騒々しいし吐き気を催すわ」
「いや言い過ぎだろ! 相変わらずわっがままだなおめーは!」
「何よ! 絶命させるわよ!」
「……絶命はダメだ」
そもそも絶命しない為にアルルに救援を要請したんだから。本末転倒ではないか。
「仕方ないから、本当に仕方がないから、本当に憐れで見ていられないから助けてあげるわよ」
「…………」
《自分、やっぱこいつ嫌いです。アキーロ……やっぱり自分が──》
リライの声を聞いて、俺はあの時の……壊れてしまいそうだったリライの表情と、あの時の気持ちを思い出した。
……そうだ。俺は死ぬワケにはいかないんだ。
「……頼む」
《アキー……ロ》
俺が恭しく頭を下げると、アルルは少し呆気に取られたような表情になった。
「……冗談よ。ちゃんと助けるわ。あんたには借りみたいなモノがないでもないし」
少しバツが悪そうに言うアルル。……気を遣わせてしまったみたいだ。
「フッ……何だよ。妙に優しいじゃないか。さては俺に惚れてるな?」
俺は何となく気まずくなった空気を振り払うように冗談めかしてそう言ってみた。
「生憎あたしはダンゴムシに好意を抱けるほどの境地にまで達してないの。残念でした」
……ダンゴムシ!? 虫扱い!?
「あ、ごめんなさい。ワラジムシの間違いだったわ。ちなみに今のごめんなさいはダンゴムシに対してよ」
……丸まることすらできなくなった!? 別名ベンジョムシ!?
「てゆーか、ワケの分からないアホな戯言をほざいてんじゃねーわよ。監視者であるあたしと元罪人であるあんたでは女王と死刑囚くらいの身分の差があるんだからね。本来ならそっちからタメ口で話し掛けてきただけで舌を切り落としてやりたいくらいよ」
……やっぱり間違いなくこいつは俺の知っているアルテマ・マテリアルだな。
「……協力してあげるけど条件があるわ」
「……何?」
……何か嫌な予感がする。
「同調している間はあたしの言うことを守ってもらうわ。絶対服従。いいわね?」
……どうして嫌な予感ってのはこう、的中率が高いのだろう?
だが他に方法がない以上、従うしかないか。
「……分かった」
《アキーロ!?》
リライが驚いたような声を上げる。
「え……いいの? てっきり反抗するかと……思ったんだけど」
意外なことに、提案したアルル本人が驚いた顔をしていた。
《アキーロ早まることわねーですよ。こんな性格のわりー女にフクヂューなんてしたら……》
「……大丈夫だよ。多分な」
こう見えて、こいつは結構優しいところがあるんだ。無茶は言わないと思う。
「い、いい覚悟ね! そ、そ、ソレじゃ、あんたは今からあ、あ、あ、あたしのモノだからね! ふ、ふふ、ふふふふ……いいわね? か、か、監視者と罪人の正しい関係ってヤツを教えてあげるわ!」
「落ち着けよ。鼻息が荒いぞ。あと人をモノ扱いすんな」
「うるさいわね! じゃあさっそく命令よ。校長室で酒盛りでもしてきなさい!」
「退学になっちゃうヨ!」
俺は動転のあまり、キャラが崩壊せんばかりに取り乱してさっそく反抗した。
「死ぬよりマシでしょ? じゃあ購買部か学食で『金を出せ』って強盗してきなさい」
「ソレじゃ多分生き残れても社会的に抹殺されちゃうヨ! あと多分語り継がれちゃうヨ!」
「何よワガママねぇ。絶対服従でしょ? あんたはあたしに頼みごとをして、あたしはソレを承諾してやったのよ? なのに嫌だ嫌だって……情けない」
「フツー嫌がるわっ! 分かった……じゃあ次は断らねーよ。でも、死にそうだったり今後の人生に支障をきたすようなのはナシにしてくれよ」
「……じゃ、じゃあ……えーっと……ホラ、アレよ」
何だか急に落ち着かない様子になったアルルが顔を上気させ、口許をニマニマと弛めている。
「……何だよ。また無茶なこと考えてるな。ニヤニヤして気持ちわりー」
「きっ、気持ち悪い!? ……こんのっ!!」
「ぎええええ!」
アルルが一度鞄の中に突っ込んだ手を、俺に押し付けてきたかと思うと、俺の目の前で星が弾けた。
「あんたごときがあたしにそんな口利くなんて百億万年早いのよ! 内臓引きずり出してあんたの口に突っ込むわよ!」
「物騒なことを言うなっ!」
──と、怒鳴るつもりだったが、か細い声しか出なかった。
あぁ……手が勝手に開いて拳が作れない。髪の毛が逆立つぅぅ……。
見ればアルルの手に握られていたのは、小型のスタンガンだ。
「何ってことすんだお前は! 死んだらどうすんだ!」
「……前のことがあってから、一応携帯してるのよ。ドレほどの効果があるのか一回試してみたかったのよね」
……俺は実験台かぁ?
「ソレにニヤニヤなんてしてねーわよ! 極めてフツーの命令をしようとしてただけ!」
「嘘吐け! またロクでもねーこと考えてたか、特に思いつかなかったんだろ!」
俺がそう言ってアルルに指を突きつけると、いつかのように彼女がその指に噛みついてきた。
「いったーい! いででいでででもうやめてーっ!」
以前と違うのは、甘噛みではなく、マジに歯を立ててきたことだ。メチャ痛い。
《ふん。もーいーわよ。アホっ》
「おぉ!? 頭ん中で声が聞こえる!」
いつものリライのように、いつかのアルルのように、俺の頭の中に少しエフェクトの掛かった、リライによく似た、少し大人っぽい声が響いた。
「騒ぐんじゃないわよ。頭おかしーと思われるわよ」
今度の声は目の前にいるアルルの口から聞こえてきた。
「おぉ……どっちでもいけるのかお前? 同調してるのに」
《こんなの基本よ……監視者ナメんじゃないわよ……あたしくらいになればあんな少量の細胞を奪っただけでも執行者からあんたのコントロールを奪えるんだからね。くれぐれもあたしの機嫌を損ねないことね……。じゃあ、誰かに見られたら面倒だから、あたしは行くわよ》
「あ、あぁ……」
俺の返事を待たずに、アルルは歩いて行ってしまった。だが、俺は普段リライと同調している時と同じように、アルルの存在を自分自身の中に感じていた。
「どうだリライ? 負担軽くなったか?」
《はいですよ! コレなら休憩いらなそーです!》
「よかった。原理は分からんが一安心だな」
《でもやっぱり自分わちょっと複雑です。あのカマトト、コントロール奪うぞー、とか言ってたですし。アキーロ取られたら嫌ですよぉ~》
《いらねーわよこんなの。てゆーか、誰がカマトトよ》
「ん?」
《おかしいと思ってたのよ……あんた確か妹いないって話だったのになー、って。まさかあの時言ってた妹って……このちんちくりんのこと!? こいつ! 執行者じゃないの!》
《ふへ!?》
「み、見えるのか?」
《当たり前でしょ。前は同調してるのバレたくなかったから共有線にいなかったけど。今は見えるし聞こえるわよ。確かに出来の悪そうな顔してるわね》
……お前も同じ顔だろーが。
《な、な、何ですよっ! 文句あるですか! このカマトト!》
《あらあらやっぱり見た目に相応しい教養のなさね。あんた名前は? あんの?》
《戸山リライですよっ! アキーロわ! リライのお兄ちゃんですよっ!》
いつかも聞いたようなフレーズを、いつかも聞いたように何故か誇らし気に言うリライ。
《はぁ!? あんたはただの執行者で、こいつはただの──》
「アルル。そこに関してのコメントはノーサンキューだ。俺自身が決めたことなんでね」
《でも……!》
《やーい! 怒られたですよっ!》
《何よこのちんちくりん! むかつくわね! アホのくせに!》
《アホって言ったほーがアホですよ! むかついてる顔がすげーブスです!》
《何ですってぇ!?》
……だから同じ顔だろーが。
《何なのよこのキーキーうるさいサル女は!? あんたこいつにどんな教育してんのよ!》
《うるせーのわそっちですよこのキツネ女! 本性丸出しですよ!》
……お互い意地でも猫って言いたくないんだろーなぁ。
《あたしはこう見えて男子が非公式に行っていたミスコンの覇者なのよ!》
……何故非公式なのに知ってるんだ……愚問だな。投票したに違いない弟がいるか。
《自分だってアキーロに可愛いって言われたですよ! 猫くらいって! ね! アキーロ!》
リライが誇らし気に踏ん反り返っているのが何故か分かる。
……まだ覚えてんのかよソレ。こっちがちょっと恥ずかしいんだけどな。
《あらそう。ソレは残念ね。あたしもそのあんたのお兄さんに目を奪われるくらい色っぽくて宝石みたいに綺麗だ、って言われたのよねぇ。ね、秋色?》
……言いましたねぇ、言ってしまいましたねぇ。そういえば。
《……アキーロ》
《……秋色》
……うーん。俺に超能力の類は一切ないが、こいつらの次の言葉は予知できる気がする。
《《どっちの方が可愛い!?》》
……だからしつこいようだが同じ顔だろーが!
……なんて言ったところでこいつらが納得するワケもなく、頭の中で鳴り響く喧々囂々の騒音とコレからの不安に苛まれながら俺は帰路に就くことにした。