第十話
「……ここは」
目を開けると、俺は誰もいない教室に立っていた。
手にはホウキ。
何で? と思ったが黒板を見て合点がいった。日直の欄に俺の名前がある。
時計を見るに今は放課後。日直の俺は教室の掃除をしていた、と。
日付は……前にアルルと別れた二週間とちょっとあとだな。つまり……忌まわしき初停学が明けた直後だ。
また高校かよ。ソレなりの回数を重ねてるのに全て時系列順。偶然なのか?
《アキーロ! 大丈夫ですか!? 痛いとこないですか!?》
いきなりエフェクトが掛かったリライの声が頭に響く。いつも通りだ。
そうだよ。場所や時間の確認よりこっちが先だろ。何やってるんだ俺は。
そう思い自分の腹部を見つめてみる。ブレザーの下の身体には何も刺さってなどいない。つまり、
「ああ、うまくいったんだ」
《よ、よか……よかったですよぉ……》
リライが心から安心していることが分かる、震える声でそう言った。
俺も同調しているリライの影響を受けているのだろうか。少し涙が出そうになった。俺は赤い伊達メガネを外し、袖で目元を擦る。
「あぁ、でかしたぞ。リライ」
《はいですよぉ……》
「さて、あとは俺をぶっ殺してくれたあの女を浄化すればいいんだな……て、アレ?」
……何故だろう? やたらと声に険がこもってしまった。
そりゃ彼女の行き過ぎた行動に多少頭にきている部分があるのは否定できないが、俺は復讐する為にきているワケではないし、そんなつもりも、もちろんない。
《…………》
どちらかと言えば、彼女を救ってやりたいとさえ思っていたはずなのに、あの時思っていた自分自身の感情に疑問を感じてしまう。何考えてたんだ……あの時の俺、てな感じで。
「う~ん……?」
俺は唸り声を上げて首を捻った。自分を刺した相手のことさえ気遣うイケメンっぷりに酔っていただけなんだろうか? 憧れのシチュだった、とか?
……彼女の心の闇を打ち払い、救う。ソレが今から俺がやらなくてはならない仕事。
「…………」
……正直、気が進まない。
何故だ?
救ってやりたいと思っていたはずじゃなかったのか?
コレは運命だと、すでに受け入れたつもりでいたのに。
少なくともあの時は本気でそう思った。
「んん……?」
そりゃ人の心は移ろうモノだが、こんな短時間で方向を変えるなんて、諸行無常が過ぎるというモノだろう。
ソレともあの時の俺がまともじゃなかったのだろうか? 脳内麻薬の過剰分泌でトリップしていたとか?
「まぁ……考えても仕方がない。やるしかないんだからな」
……そうだ。気が進まなかろうと何だろうと俺はやるしかないんだ。でなければ俺が死ぬ。
浄化に成功したら、またも罪人と俺、二人の人生を救った扱いになるんだろうか? って、あぁ……そんなこと考えてる場合か。
何かやたらと気が逸れる。ハッキリ言って身が入らない。
《──ロ! アキーロ!》
「うぉっ!? 何だ?」
さっきから声を掛けてきていたらしいリライの声に気づいて俺は身体を跳ね上がらせた。
《あ、やっと返事したですよ》
「あぁ……悪い。考えごとしてた。何だ?」
《だから……咄嗟のことだったんで、ググリ先生もハッキリこの時なら浄化が可能だって割り出せたワケぢゃねーみてーです》
「え? マジで?」
《マヂ……です。でも、浄化対象の記憶にいたアキーロの姿が、この時のアキーロと一致してるのわ判明したらしーです》
……つまり、彼女が俺を先輩と言っていたのは『高校生時の先輩』で間違いないってことか。
「名前は?」
《分からねーそーです》
「どこに行けば会える?」
《分からねーそーです》
「浄化の条件は?」
《分からねーそーです》
「使えねっ!」
《うひゃっ! えーと『誰に向かって言っとるんぢゃこのヤラハタメガネ! そら時間を掛ければお気に入りの下着の色から夜のオカズまで何でも明らかにしてみせるわい! けどアレ以上時間掛けてたらあんたがおっ死ぬから最優先かつ最高速でリトライ先を割り出してやったんぢゃろがい! ナメたこと言っとるとエロ本の位置バラすでこのボケコラカス!』だそーです》
「ご……ごめんなさい」
どうやらググリ先生は相当お冠のようだ。でもリライの前で危ないこと言わないで欲しい。
《えー……と『あんな高速かつ的確に解析できたのわ間違いなくあたしの腕があってのことやで! 某ロボットアニメの戦闘中におーえすを書き換えた主人公並みの離れ業や! 今度からあたしのことをソニックアナリストと呼び!』だそーです》
「……今度はアニメに手を出したか」
《『ちなみにこのアナリストわ解析者の意味であり下ネタ要素わないで。残念!』だそーです》
「ワザワザ言われねーでも分かってるよ! つーか三分後には忘れてるよ!」
おそらく『音速の解析者』と言いたかったのだろうが、ソレだと音速の研究をしてる人みたいだぞ! とは俺は敢えてツッコまなかった。
理由は一つ。メンドくさいからだ。
《……で、ですね》
「……ん?」
《今回わ……その、あまりナガチョーバにわできねー、ですよ》
「……何で?」
いきなり歯切れの悪くなったリライの声に、俺は首を傾げる。
《いつもみたいに休憩……して、あっちに戻ったら……アキーロが……》
「あ……」
……そうだ。俺は息も絶え絶えの意識朦朧状態だったんだ。
休憩で向こうに戻っても、リライの体力が回復するまで俺の体力がもつワケがない。間違いなく死ぬ。
「……やばいじゃん」
……だからこそググリ先生はどこに送るかを最優先で導き出してくれたんだ。多分、もうやり直しが効かないから。
《……ソレで、ですねぇ……》
「ん?」
《ショーヂキ、自分わ大反対なんですが……その辺の対策ももう練ってある、だそーです》
「マジか。どんな!?」
《んんん……》
「……?」
《むぅぅ……!》
……何だ?
《うひゃっ! うぅ……分かったですよ》
途端にリライが怯えたような声になる。多分ググリ先生に怒られたのだろう。
《だからぁ……っ! ノンストップでイケるよーに、この時代にいるカマトトとも同調して、負担を半分引き受けてもらい……だ、そーです……ニャ~! 納得いかねーです!》
「……カマトトぉ?」
《例の……監視者のキツネ女ですよっ!》
「監視者って……アルル、か?」
《自分やっぱやです! あ、ごめんなさいですよ! そーです……自分が半人前なせーです》
反抗するも一瞬で屈服させられたらしい。憐れな。
しかし……アルルか。協力してくれるだろうか?
うーん、賭けだな。こっちの半人前と違ってお菓子で釣れるとは思えないし。
とりあえず行ってみるしかないか。
教室のドアを開け、歩き出した俺の足取りには確信があった。あいつはあそこにいる。