第八話
「リラリラリラトラリラック~ス♪」
ワケの分からんリライの歌を聴きながら、俺は頭をガシガシとかいた。
「いいか。彼女を浄化すると決めたワケじゃないぞ。不本意ながら関わっちまった責任として、チラっと探してみるだけだぞ」
……こんなチラっと外に出てきただけで、うまく彼女に出くわせるとは到底思えないが、もし、もし万が一顔を合わせることがあったら……自首するように説得してみようと思う。
やはり罪は償うべきなんだ。というか、リトライなんてしなくても、ソレが本来の正しい罪の浄化の仕方なんだ。
……俺がそうすることで、ググリ先生の言っていた最悪の結末から少しでも遠ざかれるのなら、コレくらいはしてやってもいいと思ったんだ。
あの時はお互い酒が入っていたし、今なら、あの時よりは落ち着いて話し合えるんじゃないか、と思う。
いや……本音は、彼女の為に少しでも行動したぞ、と自分を納得させたいだけなのかもしれない。
探したけど見つからなかった。じゃあ仕方ない、と区切りをつけたいのだ。
「てか、ついてくんな。お前は留守番してろっての」
「やです。アキーロと昼間からお散歩なんて滅多にできねーですから」
リライがプイ、とそっぽを向く。俺が出るタイミングで猫と遊ぶ、とか言って一緒に出てきたかと思うと、そのままついてきやがったのだ。
計算外だ。正直、彼女とリライを会わせる気は全くない。もし彼女が危険な状態だったらと思うと、リライを守りきれる自信がない。
……ので、さっきから何度も帰るように言っているのだが、リライは全く聞き入れてくれない。
知恵が身につくにつれてだんだん言うこと聞かなくなってきたな……世の保護者の皆さんもこんな苦労をしているのか。
「いいか。俺の用がある場所の近くにコンビニがあるから、そこで買い物して待っててくれ。てか、先に帰っててくれ」
「やです。アキーロが構ってくれねーですから、リライすっかり手持ちブタさんです」
……もしかしてソレは、手持ち無沙汰のことかぁ?
案の定言うこと聞きゃしない。だがコレは想定内だ。
「……好きなモノ買っていいから。お菓子も許可する」
「……マヂですか?」
「マジだ」
「……プリン」
「許可する」
「……アイス」
「許可だ」
「……チョコレート」
「許可」
「……ぢゅるり」
……よし。チョロイモンだ。
程なくしてコンビニが見えてきた。
「ホレ」
リライに千円札を渡すと、飛ぶが如く彼女はお菓子コーナーに駆けていった。
……一応店員に聞いておこうと、イリアの容姿を伝え、そんな女を見かけなかったか聞いてみるも、そうそううまくいくワケがない。目撃談は皆無だった。当たり前か。
……さて、こっちが本命。といっても弱いけどな。てか、会えるワケないとすら思ってる。
先日彼女と出会ったショットバーだ。ここで情報を集めようとドアに手を伸ばして、俺は自分のマヌケさを噛み締めるハメになった。
「ソリャ……こんな時間にやってねーわな」
アホなのか俺は。……いや、心のどこかで分かってた気もするけど。
実際カッコいいこと言っておきながら、俺はまだ彼女にビビってる。できれば会わずに済ませたいとすら思っている。
一応探したぞ、という自己満足を得たいだけだ。
裏手に回ってみると、ここらの飲み屋専用のゴミ捨て場があった。長い一本道の先に少し開けた空間が見える。
「……こんな場所があったのか」
そう言って俺は奥へと足を運んだ。ナルホド。この先に見えるゴミ箱の向こう側に車道が見える。店員達はここにゴミを入れ、反対側から収集車が回収するのだろう。
真新しいゴミ箱の蓋に阻まれて、残飯にありつけずにいる野良猫がいる。リライを連れてきたら面倒なことになるところだったかもしれない。
「ニャー!」
ここは俺の縄張りだ、とばかりに猫がこちらを威嚇してくる。
「お邪魔します。すぐ帰るから」
「ニャー!」
一応先客に断りを入れて辺りを見渡すも、やはり彼女の姿はない。当たり前か。
「…………」
……あ、そういえば俺自身は書き換えの認識はあれど実感はない……が、俺の周辺の人達は認識はなけれど実感があるのでは?
……てことは、学生時代からの友人、宗二か賢あたりに聞いてみれば、彼女のことを知っているかもしれないな。
……聞いてみるか。そんでソレが終わったらもうここまでと区切って、リライのところに帰ろう。
……そう思って俺は携帯電話を取り出した。
「ニャー!」
先程から威嚇を続ける猫が、一際大きな声を出した。
……うるせ。用が済んだらすぐ消えるよ。
「ニャー!」
俺の気持ちも知らずに先住民の威嚇はドンドン大きくなる。
「少し黙っててくれ。犬派の俺を怒らせるな。お前らへの心離れが加速しちゃうぞ」
「ニャー!」
威嚇を続ける猫さんの方を見て気づいた。
俺を……見ていない。俺の背後を睨んでる……?
「……?」
俺が猫の視線を追って振り返った瞬間、身体にドン、と何かがぶつかってきた。
手から零れ落ちる携帯電話。弾け飛んでいく伊達メガネ。
目の前に見える金髪。
……そして、腹部に走る熱。
「また会いましたね」
「……ぁ」
……熱い。
「ぐっ!! ぅ……あぁ!?」
……痛い。痛い。痛い!
焼けつくような痛みに、気が狂いそうになった。まともに呼吸をすることすらままならない。
目の前には、爛々と見開かれた血走った瞳。
「あ……ぁっ!」
……マジか。現実なのか。
……刺された?
刺された。
俺は……刺された!
信じたくない光景。視線を下にやると、俺の胴体にいつかの包丁が突き刺さっている。
目を背けたくなる。受け入れたくない現実を突きつけられる。
……痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛すぎる!!
……何故?
やはりこの辺りに潜んでいた?
彼女も俺を探してここに来た?
アレから一週間も経っているのに、何故、今、この時、この場所で出くわす!?
そして何故、俺が……!
「先輩が……先輩が、悪いん……ですよ。わたしのこと……裏切ったから……!」
「ぐっ! うぅ……!」
「わたしに……! 嘘を吐いたから……っ!」
包丁の柄を掴む両腕に力が込められる。
「ぐううぅぅぅっ!!」
目の前が真っ赤になった。
痛ぇ! 痛ぇ! 痛えええぇぇぇぇぇ……!
こいつ……! 人のこと刺しておきながら、言うに事欠いて、俺が悪い……だと?
一気に頭の中が熱くなる。鎮痛の為だろうか? 脳内物質が大量に分泌されるのが分かる。
「こ……の……!」
俺は低く呻きながら、目の前にいる彼女の肩を掴んだ。
捕まえた。捕まえたぞ。
このアマ、こんなに痛い思いさせやがって……!
何故こんなことが平然とできる……!? 人の心がないのか?
この痛みがドレだけ心身に異常をきたすモノだか分かってんのか!? ふざけやがって!
「……っ!」
驚きに見開かれる瞳。動揺と、少量の怯え。
その瞳に向けて……俺は、苦労して何とか言葉を搾り出した。
「……ごめん……な」
「…………」
「…………」
……何を、言ってやがんだ俺は。バカじゃないのか? この状況で謝ってどうする。
自分でも驚いてしまったが、口はまるで俺と別の意思を持っているが如く言葉を紡ぐ。
「……俺、キミと……出会って、たんだな。キミは……本当のことを言って、いたんだ」
口の中に、ミニチュアのマザーテレサでも住んでいるのだろうか?
いつからこんな慈しみ溢れる人間になったんだ俺は。俺自身信じられない。ファンタジーかおとぎ話のような嘘臭さを感じる。リアルじゃない。現実離れしている。
「…………」
……認識が甘かったな。会えるワケないと、タカをくくっていたんだ。
つまり、俺は彼女に対して本気じゃなかったんだ。彼女の為じゃなく、自分の気持ちしか考えていなかったんだ。
……アホじゃないのか。
一瞬、ホンの一瞬、思ったんだ。俺は自分の痛みや恐怖にはこんなにも敏感なのに、何故他人のソレにはこんなにも鈍感になれてしまっていたんだろう、と。
うっわ……偽善くせぇ。
でも偽善だろうがなんだろうが、思ってしまったからにはもうどうしようもなかった。
俺が自分自身の言葉に呆れにも似た感情を抱いていると、目の前に迫っていた瞳から、一粒の雫が零れ落ち……包丁の柄を握る彼女の手首を掴んだ俺の手の甲に着地した。
「あ……あぁ……ああぁっ……!」
「…………」
ぐにゃりと歪み始めた視界に、両腕で頭を抱えながら呻く彼女の姿が映る。
「どう、して……どうして……!」
「…………」
いつの間にか俺は座り込み、壁にもたれていた。平衡感覚すらおかしくなり始めている。
「どうして先輩が謝るんですかぁっ! わたし、わたし、こんな酷いことしたのに!」
耳のすぐ隣に心臓があるみたいにバクバクうるさい。頭がズキズキする。
「あー……」
「……先輩?」
「……ったまくんなぁっ!!」
「……っ!?」
身体をすくませる彼女を俺は睨み上げた。何に対して頭にきたのか自分でも分からない。
……この際だから、言いたいことは全部言っておこう。
「さっき俺がいけないとか……言ってたな……嘘吐いたから……とか」
勢いに任せて包丁を引き抜こうかと手を伸ばしかけて思い止まる。血が噴き出すだけだ。
「いいか……俺は、生まれてこの方……嘘を吐いたことがない」
……嘘だけど。大嘘だ。
「あ、やっぱ違う……優しい嘘しか吐いたことがない」
……コレも嘘。
「ていうか、自分一人で……背負えない嘘は……吐いたことがない」
……多分嘘。
「少なくとも……吐いた嘘を……本当にする努力くらいは……したいと思ってる」
……コレは本当。
「……先輩」
「……何だよ」
……良かった。まだいた。とっくに立ち去ってて、俺一人でブツブツ言ってるんじゃないかと不安だったんだ。
「……先輩、わたしのこと、忘れてたんですよね……?」
「……はい」
……てか、今も忘れてる。
「わたしが、嘘を吐いてるって……思わなかったんですか?」
……はぁ?
「知り合いのフリしてるだけの変な女が寄ってきた……って、思わなかったんですか?」
「……ふ、は、ははは……」
「……先、輩?」
「……見くびんなよ」
俺は再び、そこに彼女の顔があるだろうと信じた方向を精一杯睨む。
「生憎、俺はバカで自意識過剰な無駄ポジティブ脳の持ち主だから……相手の嘘を本気だと勘違いすることなんてしょっちゅうだ。ソレで随分女には騙されてきたよ……」
「…………」
「だけどな……相手の本気を嘘だと勘違いしたことなんて……一度もねぇんだよ!」
「……!」
イリアが息を呑む音が聞こえた気がする。もうどこから聞こえてきたのかもハッキリしない。
「キミは本気だった……本気で俺に助けを求めていたし……本気で俺を──」
──好きだったと言ってくれた。
俺の言葉は最後まで声にはならなかった。力が入らなくなり、腕もだらんと地面に垂れる。
「……ぅ……ふ……ぅ……」
女の子の、泣きじゃくる声が聞こえた気がした。すごい近いようで、遠いような……。
「うああぁぁぁぁぁぁああん!!」
……やっぱり、近くにいたんだ。そして、彼女の悲鳴と足音が遠ざかっていく。
路地裏で一人、血だまりの中に俺は残された。