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リライトトライ  作者: アンチリア・充
リライトトライ3
75/161

第五話





「何でこんな勝手なことすんだよ!」


「だって、ニャーがカワイソーだったし、自分も怖かったですし……」


 うんこを処理し、シーツを洗濯機に突っ込み、シャワーも浴び終えた俺は、再びリライにお説教をするハメになった。


 ちなみにうんこ爆撃犯は靴箱の隣に置かれた、タオルを敷いたダンボールの中で丸まっている。


「ここはペット禁止なんだよ。お前も知ってるだろ?」


「知ってたですけど……」


「大体一度かわいそうだからって優しくしたら、ニャーも次困ったらまたお前を頼っちまうし、お前もお前でそんなニャーを見たらまた優しくしたくなっちまうだろ!? そしたらこいつらは自分で生きる力がなくなっちまうんだ!」


「で、でもでも! 今日だけですよ! ザーザーでしたし、ゴロゴロ、ピカピカですし……」


「一年のうちで雨の日がどんだけあると思ってるんだ! その度ウチに連れてくるのなんて無理だろ!」


「で、でも……アキーロだって、カワイソーって思ったら、いっつも助けるぢゃねーですか! ユノだって! マヒルだって! 自分わいっつも死にそーになってるクセに!」


「人間と猫じゃ違うだろ!」


「イノチわイノチですよっ!」


 別に雨に濡れたくらいじゃ死なねーだろ! と怒鳴りたかったが、色々なことが起こりすぎて、既に睡魔を自ら迎え入れたい気分になっていた俺は、そこで話を打ち切ることにした。


「……とにかく、今日はあそこで寝てもらうけど、もうダメだからな。分かった?」


「…………」


「返事は?」


「……はいですよ」


「ん。じゃ、おやすみ」


「……おやすみなさいですよ。ニャー……ごめんなさいですよ。おやすみなさいです」


 そう言って、玄関の方に歩いていったリライがダンボールの中の猫に声を掛ける。そして寝床であるロフトへ続く梯子へと歩いていく彼女は、俯いたまま俺と目を合わさなかった。


「…………」


 ダンボールの中で丸くなっている、さっきまで雨に打たれて鳴いていたというその猫の姿が、数刻前まで一緒にいた彼女の姿を思い出させて、俺は浮かんだ考えを無理矢理振り払うように頭を振った。





 ……我ながら自分の神経の細さ加減に呆れてしまう。


 心身ともに疲労困憊だというのに、目を閉じると、まぶたの裏に先程の場景が映し出されてしまう。


 ──わたしで、わたしだけで……満足してくれませんか?


 ……縋る、というのはああいうことをいうんだろうか。


 全身を打つ雨を、まるで眼中にないかの如く意に介さず、彼女は俺だけを見ていた。


 事実、俺しか見えていなかったのだろう。俺が落とした傘に彼女は一瞥もくれなかった。おそらく雨が降っていることさえ意識の中から消えていたのではないだろうか?


 ──わたしだけで……わたしだけでわたしだけでわたしだけでわたしだけで!


 ……っ。


 ……もし、もし雨の中に捨てられていた犬や猫が言葉を喋ったら。いや、いっそ人間が捨てられていたら、あんな感じなんだろうか?


 昔信じていた、自分を捨てた飼い主に再会し、この人なら自分を救ってくれると縋りつくが、向こうはこちらのことなど忘れていて、絶望と、期待していた自分のミジメさを目の当たりにした時、あんな風に牙を剥くんだろうか?


 ……何をバカなことを。


 第一、俺は彼女を捨ててなんかいないし、裏切った覚えもない。


 ──るさない。


 違う……俺は……キミを忘れたんじゃない。知らないんだよ。だから……!


 ──許さない! 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない! 


 ……本当にキミが助けを求めたのは、俺なのか? 戸山秋色で、間違いないのか?


 ──ぜっっったいに! 許さないからぁぁあああっ!!


「……っ!!」


 まぶたの裏で再生される恐怖から逃げるように俺が目を開けた瞬間、


 ピシャーン! と真っ暗な部屋の中が一瞬だけ白く照らされる。


「うおっ──」


「っっっっ!!」


 俺が悲鳴を上げかけると、ソレに被せるかのように俺のすぐ背後で息を呑む声がした。そして稲光で、部屋の白い壁にクッキリとシルエットが浮かぶ。


 ソレは、人影。ソレも、細い。そう……女のモノのように思えた。


 ……え? もしかして、誰かいるのか? この部屋の中に、俺の背後に……。


 まさか……そんなワケないよな。


 もし今俺の背後に立っているのが、彼女だったなら、何で今になって? どうしてここが分かる? 鍵も完璧に掛けた。カーテンもビチっと閉めた。


 百歩譲って、だ。


 今のシルエットが見間違えでも何でもなくて、もし何らかの手段で、ここが俺の家だと突き止めた彼女が、コレまた何らかの手段で鍵を開けることができたとしよう。


 ……さすがに無音ってのは無理だろう?


 いくら窓を叩く雨音がうるさかったとしても、落雷の音がけたたましかったとしても、だ。


 でも……でも、だ。俺はさっきまでずっと眠ることを許してくれない彼女のことを考えていた。


 その時は──雨も雷も、完全に頭の中から消え去っていた。


 ……自信がない。もしかしたら俺が聞き逃していただけなんじゃないか? だとしたら、この状況はめちゃくちゃ危険なんじゃないか?


 だというのに俺の身体はすくみあがったかのように動くことができないでいた。


 立ち上がることはおろか、振り返ることすらできない。その間にも、背後の気配はグングン近づいてきている。


「……っ」


 ……怖い。動けない。息を吸うことすらできない。


 彼女は俺に、何をするつもりだ? 布団に入ってくる? 圧し掛かってくる?


 ソレとも……あの鈍い光を放っていた、有無を言わさぬ一撃が振り下ろされるのか?


 ……怖い! だというのに、ソレでもなお身体は動くことを拒否した。


「……っ!」


 ……ズルズル。


「…………」


 ……ズルズル。


 ……ん?


 恐れていた一撃はこなかった。ソレどころか、俺の背後に立っていた気配は、俺を通り越し、廊下の方へと遠ざかっていくではないか。


 ……んん?


 俺が妙に思っていつの間にか固く閉じていた目を開けたその時、再び激しい光が、けたたましい音と共に部屋に飛び込んできた。


 ピシャーン!!


「ふうぅぅぅううっっっ!!」


 部屋の中央に浮かんだ人影は、真っ白な稲光に照らされた瞬間、そう引っくり返り気味のか細い唸り声を上げたと思うと、その場にしゃがみこんでしまった。


 両手で頭を覆ったまま、ブルブルと震えているのがこの暗闇でも分かった。


「…………」


 しばらくしゃがみこんだままプルプル震えていたその人影……というか……着ぐるみが、と、いうか……はぁ。パジャマ姿のリライが、ヨロヨロしながらも再び立ち上がる。


 ……何だよ、もう。アレだけ前フリしておいて、またフラグをブレイクしちまった。


「アキ──」


「…………」


 そう振り返りかけて口を噤んだリライが、再び廊下……即ち、トイレの方角へとズルズル歩いていく。どうやら俺が寝ていると思ったようだ。


 ソレか……バツが悪かったのかもしれない。


 ……勘弁してくれよ。


 俺は胸中でそう呟いて、自分の身体のコントロールを少しずつ取り戻すかのように、布団の中で手のひらを開いては閉じてを繰り返した。


 ホント嫌になる。俺を恐怖せしめた彼女の存在でも、人騒がせなリライにでもなく、こんなにチキンハートな俺自身の不甲斐なさが、だ。


 ソリャ子供の頃の俺は、周りの男子に比べてやや怖がり、と言えなくもない存在だったさ。ソレと言うのも、この天才脳が生み出す想像力が豊か過ぎるのがいけないのだ。


 ……子供といえば、リライがあんなに雷に怯えていたのは、少し意外だったな。


 そう言えば、コレだけ激しい雨と雷が降ったのは、リライがこっちで暮らすようになってから初めてか。


 確か……母さんも雷が大の苦手だった。あの轟音と閃光に身体がすくんでしまうらしい。


 俺も兄貴も驚くことはあっても、怯えたりはしなかったのに。むしろ魔法みたいだとハシャいでいた。


 まぁ、どっちかというと、その母さんを抱き留めてカラカラ笑っている親父の姿の方が印象的なのだが。


 やっぱり母さんのヒーローは親父なのだと、息子ならではのワケの分からない悔しさを覚えたモノだ。


 そんなことを思い出していた時だった。さらにもう一発、とばかりにピシャーン! と轟音と稲光が我が家を襲う。


 ……物思いに耽っているとちょっと驚くな。


「うひゃぁぁぁあああ~~っっっ!!」


 ……トイレの中から、俺が帰宅した時に勝るくらいの、女性らしき慎みといったモノが皆無、と言えてしまえるような絶叫が聞こえた。


 ……もう少し、女性としての恥じらいや立ち振る舞いを身につけて欲しいのだが。


 俺がそう思って吐息に溜息を混じらせてからしばらくしてだ。


 キイィ……と控え目に、やや気まずそうにドアが開く音がして、その隙間から光が漏れ出る。


「あ、アキーロ……」


 かつてない程に恐る恐るといったリライのか細い声が聞こえた……気がする。


「……?」


「あ、アキーロ……!」


 ……? 何だ何だ?


 俺はノソ、と緩慢な動作でリライに焦点を合わせる。


「……お、お兄ちゃん……?」


「えぇぇっ!?」


 俺は先程までとは打って変わって、がば、と俊敏に上体を起こした。


「あ、起きたですか……アキーロ」


 リライは不安気に眉をハの字にしているモノの、先程までよりかは幾分かほっとした顔つきになった。


「い、今……お前何て言った? お兄ちゃん???」


「あ、いや……何て言ったら起きるかなーって思ってたら……ググリ先生が『お兄ちゃんならイチコロやで』ってゆーですから」


「…………」


 何だビックリした。あのタヌキ女の入れ知恵か。別人格が発症したのかと思ったじゃねーか。


「……で、どした?」


「…………」


 リライは黙って、トイレのドアに半分顔を隠してしまう。


「……何だよ?」


「……えー、と」


「…………」


「……あー、と」


「寝るぞ」


「ま、待つですよ! うーん、と、ですね……」


「早く言え!」


「……アキーロ、まだ怒ってるですか?」


 またもやリライがドアに半分隠れた眉を不安気にハの字にするのが見える。


「……そもそも怒ってないよ。アレはいつものように叱っただけだ。気にすんな」


 俺はふぅ、と溜息を吐いて、再び寝転がった。


 ちょっと、安心したのもある。


「そ、そーですか」


「そーですよ。で、どーした?」


「アキーロ、朝起きたらおしっこにいくですよね?」


「……ソリャそうだ」


「そこで、トイレに入ったら足元がビショビショだったら、怒るですか?」


「どういうことだよっ!?」


 俺はがばっ! と再び上体を起こした。


「ニャーーっ! きちゃダメですよーーっ!」


「お、おま、おまおまおま、まさか!?」


 俺は脱兎の如く布団から飛び出し、リライが隠れているトイレのドアノブを掴んだ。


「だ! だ! だ! だ! ダメですーーっ!! まずわ話をきーてからです!」


「いいから開けろ! 話はソレからだ! てかマジかお前!?」


 俺はリライとドアを挟んで引っ張り合い状態になった。何だ、このマヌケな絵面は……。


「怒らないって約束しやがれですよ! ぢゃなきゃダメです! 話わソレからです!」


「まずはドアを開けろ! 話はソレから──でこぉっ!」


 いきなりリライがドアノブを離したせいだろう。俺は額にドアの角を喰らうハメになった。


「何しやがるっ!」


「だって、だって……」


 やっと開いた天岩戸(あまのいわと)の向こうには、下着姿のリライがいた。


 そしてその泣きべそかいた天照の足元は……


 あーぁ……マジか。こいつ……漏らし──


「だっていきなりピシャーンってなるから、わー! ってなって、真っ白になって……ソレで……ソレで……うわーん!」


 限界を迎えたらしい。堰を切ったようにリライが大声で泣き出した。


「あー……うん……まぁ、気にするな。そういうことも……ある、かもな」


「うぅぅぅ……」


「だ、大丈夫だよ。俺だって漏らしたことくらいあるって。プールの授業がある日にトイレに駆け込んで、下に着てる水着のヒモが解けなくておもっきり水着の中にしちまったくらいだぞ。家に帰ってからソレを洗濯機に入れようとしてるのを親父に見つかって、大爆笑されて死にたくなったこともある。下に着込んでたクセにバレたら怖いから見学したんだぜ!」


「……ソレ、いくつの時、ですか……?」


「……九歳、かな?」


 ……ホントは十歳だけど。あぁ、こんな時ですら見栄を張ってしまう俺。


「リライもう十八歳ですよ! 下の毛だってボ──」


「ソレは俺が便宜上決めただけの歳だろ。お前は見た目には十四か十五くらいにしか見えねーし、実際に人間としては三ヶ月とちょっとだ」


「うぅぅ……ベンギジョー、って何ですよ?」


 …………。


「しょ、しょ、しょーがねーぢゃねーですか! アキーロわ確か二十五歳ですよね?」


「うん」


「ぢゃあおしっこ歴二十五年てことです! リライわまだおしっこ歴三ヶ月ですよ!」


「あー……」


「だから、コレわ全然不自然なことでわねーのです!」


「……とにかく、俺は怒ってないし、笑ったりもしないよ」


「うぅ……はいですよ」


「うん。ホラどけ。床拭いてや──」


「ダメですぅっ!」


「──あごぉっ!」


 いきなりリライが閉めたドアに顎をぶん殴られて俺は廊下に尻餅を突いた。


「何しやがるっ!」


「ぢ、ぢ、自分で拭けるですよ! アキーロわそこにいやがれですよ! アキーロに拭かせたら絶対匂い嗅いだり舐めたりするです!」


「おま! 俺をどんな変態だと思ってるんだ! するワケねーだろそんなこと! てか、だったら何で起こしたんだよ!?」


「……またピシャーンてなったらこえーですから、そこにいてほしー……ですよ」


「…………」


 パタン、とドアが閉まる。


 妹が俺をそんな目で見てたなんて、お兄ちゃん泣きそうかも。


 しかし……冷静になって考えてみると……コレって、リライに羞恥心が生まれたってことなんだろうか?


 うーん、だとしたらコレは喜ぶべき事態なんだろうか?


「アキーロ……いるですか?」


「いるですよー」


 ……しかし、俺、超ナチュラルにあいつのを処理しようとしたな。妹といっても実際に血は繋がってないのに。


 自分の行動に今更ビックリする気持ちがないでもない。何か、妹っつーか娘みてーになってきてるな。俺、童貞でお父さん? 悲しすぎるぞソレ。


「……ん?」


 ジャジャー、と音がしてリライが出てくる、が、俺と目を合わせようとしない。


「……アキーロ」


「あい」


「……ホントに怒ってねーですか?」


「怒ってねーっつーの。しつこい! 床の匂い嗅ぐぞ!」


「やめやがれですよ! アホですか!」


 ……あー、こんなこと言うから変態だと思われるのか。一つ勉強になった。


「……着替えるですから、そこで待ってやがれですよ」


 そう言ってリライがバスルーム前の脱衣所へと歩いていく。何故か俺は後ろを向かされた。


 多分、下着姿を見られるのが嫌とかじゃなく、顔を合わせづらいのだろう。まだあいつの羞恥心は未完成だな。


「アキーロ、いるですか?」


「いないですよ」


「……いるぢゃねーですか」


 呆れたような声を出しつつも、脱衣所から首をこちらに覗かせたことが声で分かる。


「……お待たせしたですよ」


 ……待ってどうするんだ、俺?


 振り返ると、いつも通り、猫の着ぐるみパジャマ姿のリライが立っていた。しかし、フードを目深に被っていて、目が見えない。おまけに口はへの字になっている。


「あんだよ。その顔は」


「……何でもねーですよ」


「……ちょっとアルルに似てるな」


「あの女の話わやめやがれですよ……もう寝るで──」


 ピシャーン!!


「──ひゃぁぁあああっっ!」


「ぼでぃっ!」


 残像が見えるくらい俊敏な動きで、リライがロケットの如く俺に突進してきた。


「ふうぅぅぅ……っ!」


「はいはい。大丈夫大丈夫。寝るぞ」


 そう言って俺はブルブル震えるリライから身体を離し、自分の布団へと戻った。


「あ、あの、あのあの、アキーロ……」


 俺はそう遠慮しがちに声を掛けてきたリライの方へと、寝転んだまま向き直り、


「……今回だけだぞ」


 そう言って自分の布団を半分だけ捲った。


「……はいですよっ」


 そう言ってリライが嬉しそうにトテトテ寄ってくる──途中で、立ち止まり──


「──アキーロ……あの、ニャーも一緒に寝ても……いい、ですか……?」


 そう言って玄関の方へ行き、戻ってきたリライの腕の中には、コレだけ俺達が騒いでいたのにも関わらず、寝息を立てている猫の姿があった。大物だな。


「……今回だけだぞ」


「はいですよ!」


「あぁー、でも、いい機会だ。リライ、コレだけは言わせてもらおう」


「……ほへ?」


「俺は! 犬派なんだ!」


「ふへぇっ!?」


 俺の衝撃の告白に、リライは目を丸くしていたのだった。




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