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リライトトライ  作者: アンチリア・充
リライトトライ3
72/161

第二話





 ……誰だ。誰なんだ?


 今俺の隣の席に座り、俺の腕にもたれ掛っているこの娘は!?


「……先輩、お酒弱いんですね」


「う、うん。情けない話だけどね」


「……全然、そんなことない……です」


「そ、そうかな? ごめんね、お酒、付き合ってやれなくて」


 俺は水の入ったグラスを口に運び、ごく、と喉を鳴らす。


「……こうしてるだけで幸せ……です」


 サングラスを外した彼女が、甘えるような声で囁く。


 ……誰だ! 誰なんだこの娘はぁっ!?


 全然分かんねー! 頼むから名前を言ってくれ!


 もうここまできていきなり『誰だっけキミ?』とか聞けないし、会話からもロクな情報が得られない。


 頭はさっきの酒のせいもあって、半分バグってるし。


 だというのに腕に押しつけられている双丘のせいで、秋色二号はテンション高いし!


 何より、彼女のこの本当に幸せそうな表情を崩すのが怖くて、何も言うことができない。


 しかしこのままではいつボロが出るか分かったモンじゃない。


 考えろ、考えるんだ秋色。逆に考えるんだ。


 あ、いや、逆にじゃない。普通に考えるんだ。


 まず彼女は俺を『先輩』と呼んだ。


 先輩……考えられるのは、学校?


 小学校で先輩とはあまり呼ばないよな?


 中学?


 高校?


 専門?


 バイト先?


 うぉお、ありすぎて全然分かんねー! そもそもこんな目立つ娘を知っていたら忘れるか?


「……アレ? もうなくなっちゃった。すいませーん。おかわりください」


「……の、飲みすぎじゃない?」


「……大丈夫……です」


「でも、酔いつぶれちゃったら大変だぜ?」


「……つぶれちゃっても、先輩となら平気……です」


 ……マジで誰なんだ!


 こんな男冥利に尽きることを言ってくれる相手を思い出せないなんて、なんか悪いことしてる気になってきた!


 あ、つーか……俺、もしかしたらマジでこの娘のこと知らないんじゃないか?


 俺は最愛の人を救えなかったことから、記憶を閉ざしていた時期があったんだ。その期間中に出会ったのなら、俺の記憶に残っていないのも頷ける……かもしれない。


 ダメだ。そう考えると、とても彼女が誰か特定できそうにない。迷路みたいに道が枝分かれしている──。


 ──かと言って考えることをやめるワケにはいかない。少しでも情報を集めないと。


「そう言えば、最近どう? 今は何してるの?」


 彼女は俺に久し振りと言っていた。ならばコレは不自然な質問じゃないだろう。


「……実は、こんなモノを作っちゃったりしています」


 そう言って彼女は俺の腕から一度離れて、足元にあった大きなバッグから一枚のCDケースを取り出した。


「……え? 音楽CD? 歌手? プロシンガーってヤツか!?」


「……はい。まぁ」


 律儀に俺の腕に、その腕を絡ませ直した彼女が、少し得意気に返事する。


 そのCDのジャケットには、そのダイナマイツバディを惜しげもなく強調した彼女が写っている。


 マジか。マジでプロの芸能人が、俺の横で俺の腕に絡みついて胸を押しつけているのか。


 このおっぱいは芸能人のおっぱいなのか!


 ……あ、駄目だ。意識するな。秋色二号がスタンダップしちゃう。


 脳内を切り替えようと俺はジャケットに書かれたアルファベットを読み上げた。


「……『IRIA』」


「……はい」


 おお……。本名か芸名かも分からんが、少なくとも彼女の呼び名が判明したぞ。イリア、か。


 ……あ! IRIAってまひるが気に入ってるとか言ってた人気歌手だ!


 女性なのに男顔負けのエンターテイナーで、媚び媚びしてないカッコいい女性シンガー。そうだ、思い出した。


「コレ、先輩にあげます」


 そう言って彼女はカウンターの上に置かれたCDケースを俺の方につ、と滑らせる。


「マジで? いいの?」


「はい……聞いてくれると嬉しい……です」


 そんな誰にも媚びないカッコいい女性シンガーが、途方もなく甘えた声で瞳を潤ませているワケなのだが。コレは……クるな。


「おぉ、ありがとう」


 なんて返事しながらも、俺の頭は今得たばかりの情報を整理しようと働いていた。


「コレ、この曲、わたしが作詞したんですよ?」


 そう言って彼女はCDの中から歌詞カードを取り出して広げ、俺の顔をジッと見つめてきた。


「へー、そうなんだ。すごいな」


 ……うぅーん。見たところ特に役に立ちそうな情報はないな。


 俺はテキトーに返事をして情報の整理に戻ろうとした。


「……先輩は、今、何してるんですか?」


「あー……」


 コレ系の質問は少し辛い。


 しかし俺から話題を振っといて答えないワケにもいかないか。


「今は残念ながらフリーター生活だよ。カツカツの貧困生活に喘いでるよ」


 俺はせめて笑い話になればと思って、自嘲的にそう言った。


「そう……なんですか」


「そうなんですよ。手に職もない、金もない、おまけに彼女もいない! さぁ笑えよ!」


 自虐マックスモードに入った俺の腕に、彼女がぎゅうっ、と胸を押しつける。はうぅ!?


「大丈夫……です。先輩。わたしが養ってあげます」


「えぇ!? マジですか」


「マジ……です。わたし、結構稼いじゃってます。ソレに臨時収入もあったし、先輩一人くらいへっちゃら……です」


「マジか! じゃあ俺はヒモになって高級マンションの最上階で自宅警備員か!?」


「そう……です。ダラダラと、起きたい時に起きて、寝たい時に寝る目覚まし時計なんてない生活をして、疲れて帰ってきたわたしが文句を言ったら、押し倒して、えっちとソレっぽい愛の言葉でごまかすヒモ野郎……です」


 ……さ、最低だぜ、ソレって……。


「ソレでわたしも最初は拒みながらも、徐々に先輩のテクニックで気持ちよくてどーでもよくなっちゃうんです。ふふ……ふふふ」


 いや、俺……童貞なんでそんなテクを期待されても困るんだけど。てか、大丈夫かこの娘。


「ふふ……ぐふふふ……あ」


「……!?」


 突然の声にそちらを見てみると、トリップしていた彼女の鼻から一筋の血が流れ出ていた。


「は、鼻血?」


「ご、ごめんなさい……トイレ、行ってきます」


 そう言って立ち上がったイリアが小走りで店の奥に向かう。その途中、彼女の足が置いてあったバッグに当たってしまい、バッグが倒れた。


 ……何なんだあの娘。大丈夫か?


 そう思いながら、俺は倒れたバッグを戻そうと屈んだ。


 しかしさっきから思っていたが、彼女の服装に似つかわしくない大きさだな。お泊まりセットでも入っているのか?


「……お、重っ!」


 バッグは、予想していたより遥かに重かった。


 こんなモン持ち歩いてバーに入るのか? やっぱ変な娘だ。


 ソレとも、コレくらいの体力がなきゃやっていけないモンなのかね。


 ……あ、さっきCDを取り出した時に閉めていなかったんだろう。


 ファスナーが開いたままになって、少し中身が覗いている。閉めておいてやるか。


「……え」


 先に言わせてもらおう。


 俺はソレを覗き見るつもりなんてなかったんだ。


 ソレでも目に入ってしまった。


 もし目に入ったのが何てことない生活用品や財布や化粧品なんてモノだったなら気にも留めなかっただろうに。


「……札束?」


 そう。そのバッグの中には、現金がギッシリと詰められていた。


 何だ……コレ?


 普通じゃない、よな……?


 でも、まぁおかしいことでもないか。かなり稼いでるって話だし、一つの口座にコレから入れる為に他所の口座からまとめて下ろしたのかもしれないし。


 あ、もしかして宝くじにでも当選したのか? ソレかアホみたいに競馬に突っ込んだら、万馬券が当たってエライことになった、とか? 羨ましいな。


 ……或いは、芸能人特有の奇行? コレからホストクラブでも行って、ドンペリでドンペリを洗う、豪遊モードにでも入ろうとしてたのかもな、はは……。


「…………」


 よしゃあいいのに、俺は誘われるようにファスナーに手を掛け、横に引く。


 やはり見間違いじゃない。現金だ。多分俺が一生掛かっても、もう二度とお目に掛かれないほどの。


 別に盗むつもりなんてカケラも持ち合わせていない。少しでも彼女の情報が欲しかっただけだ。


 いきなり現れた俺を先輩と呼ぶ女性がプロシンガーで、変な妄想話をして鼻血を出して、バッグの中に札束があって……。


 ここで半端にサヨナラしたら、気になって眠れそうにない。


 他に何か入ってないのか?


 そう思って俺は手を突っ込んでみた。そうすると、何か硬い棒状のモノに手が触れた。


「……?」


 何だ? 丸くはないが手に持ちやすい。多分この手触りは木、かな?


 でもずっと同じ形ではないな。先に行くに連れ、形状が変わっている。どこかで掴んだことがあるような……。


「痛っ!!」


 棒状のモノの先へと滑らせた指先に鋭い痛みを感じて、俺は手を引いた。鋭いといっても、チク、程度のモノだけどな。経験上、怪我するほどの痛みでもなかった。


「…………」


 しかし、俺は言葉を失った。バッグから抜き出した俺の手は、真っ赤に染まっていたからだ。赤い液体でヌルヌルする。


 コレは……どう見ても……血、だよな……?


 俺の血じゃない。指先にはもう先程感じた痛みは影も形もないからだ。


 ドクン、ドクン……と心臓の音が速くなっていくのを感じる。


 加速した血流に、締まっていた血管が押し広げられたのか、頭が痛い。


 ……よそう。今すぐこのバッグを閉じて、元通りにして、今すぐ店を出るんだ。何も考えるな。


 俺ときたらこんな時にも自分の意志さえままならない。もう十分だというのに、脳が得た情報の連結作業に入ってしまう。


 ──さあ問題です。


 手で掴みやすい棒の先に、鋭くて冷たいモノがついている、俺も触ったことがあるモノはなんでしょう?


 ……包丁?


 ──正解! とは断言できないよ。だって確信はないモノ。でもおそらく正解。


 ──そして、その鋭くて冷たい部分に赤くてヌルヌルした液体がついています。コレはどんな状況?


 ……普通じゃない。日常的じゃないね。非常事態ってヤツか。


 ──正解。そして、そんなモノが札束の中から出てきました。コレはどう思う?


 ……危険だ。危険。関わらない方がいい。関わりたくない! 危険危険危険!


 ──正解。ソレらが入ってるバッグの持ち主がこちらに歩いてきているよ。どう思──


 ……怖い。怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!


「……おかえり」


「た、ただいま……です」


「…………」


「……見ました?」


 彼女が自分の足元に置かれた、俺が咄嗟にファスナーを閉じて元の位置に置き直したバッグに一瞬視線を落として聞いてくる。


「……ん? 何を? あ、鼻血、大丈夫か?」


 今まで何度か生死の境を彷徨ったからなのか。土壇場の度胸だけはついたみたいだ。俺は何も知らない顔で、少し心配そうな、ソレでいてからかうような笑みを作った。


「はい……大丈夫……です」


 そう言って彼女が隣に腰掛けようとする。


 今は彼女側からは見えないようにしているけど、ここでまた腕を組まれたら、俺は身動きが取れずに、この血に染まった手を見られる可能性が激増することだろう。


 だから俺はその前に行動を起こさなくてはならない。


「……あ!」


 俺は水の入っていたグラスを取り落とした。床に叩きつけられたグラスが割れる。


「……!」


 俺の腕に手を伸ばしていた彼女の動きが止まる。


「ごめん、びっくりした?」


「だ、大丈夫……です」


「まだ酒が残ってるのかな? 俺もトイレ行ってくる」


 そう言って俺は店員にグラスを落としてしまったことと、詫びの言葉を伝えて歩き出した。


 落とす前のグラスに入っていた水で少しは手を濯げたが、その濁った水を彼女に見られるワケにもいかなかったので、ああいう手段を取らせてもらった。


 最悪、割れた破片を拾おうとしてその場で手を切ってしまえばいいとまで考えていたが、コレはやりたくなかった。痛いし。


 俺はトイレに入って真っ先に手を洗う。ソレから深呼吸して、バクバク跳ねる心臓を落ち着かせようと努力した。


 落ち着け……落ち着くんだ、秋色。そしてコレからのことを考えよう。


 ……うん。ここから出たら、すぐに帰ろう。自然に、怪しまれないように。


 ……引き止められたらどうしよう。


 明日早いからとか言って逃げるしかないか。


 ……送って欲しいとか言われたらどうしよう。


 そりゃできれば避けたい道だが、送るしかないか。その道中もボロを出さないように気を張っているのは少々キツイが。


 ……ホテルでも行こうと言われたらどうすんだ?


 んなおいしい話あるワケねーだろ……とは言えない。ぶっちゃけ据え膳、とまでは言い切れないが、そんなことができちゃいそうな可能性は正直、十二分に感じるぞ!


 くぅぅ……そんな嬉しいことになったらかなり口惜しいが……まだ再会して一日目だ。もっと大事にしたいから、とか言って帰るしかない! ちくしょう! あんなエロイ身体を目の前にして!


「は……ははっ……」


 ……少し余裕が出てきたじゃないか。そうだ。多分な緊張感と、ほんの少しだけ、心にゆとりを持つんだ。秋色。


 問題ない。対応は全てイメージした。想定した通りに行こう。


 そう心の中で呟いて、俺はトイレのドアを開けた。


「……っ」


 すると、イリアがすぐ目の前に立っていた。


「……遅い……です」


 そう言って彼女が唇を尖らせる。


「……ごめん。ごめんついでだけどさ、俺、今日はもう帰るよ」


 平常心を持ち直した俺はそう言った。


「……はい。そうですね。もう帰りましょう。支払い、済ませておきました」


 そう言って彼女が微笑む。見ると、もう上着を羽織っていて、例のバッグを手に持っている。


 ……よかった。案外すんなりいきそうだ。


「ああ、すまない。じゃあ……もう行こう」


 俺がそう言って彼女の脇を通り過ぎようとした時。


「──っ!」


 俺の胸にイリアが飛び込んできた。背中がドン、と壁に当たる。


「……先輩。わたしも……先輩の家に行って……いいですか?」


「…………」


 十分に有り得る事態だったのに、この展開は予想外だったな。


 俺は自分では抜け目ないと思っていた自分の間抜けっぷりを噛み締めるハメになった。




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