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リライトトライ  作者: アンチリア・充
リライトトライ3
71/161

第一話

 




 一切の好き嫌いも無く、目に映るモノ全てを愛せる人間なんていない。


 多分。いや、絶対。


 少なくとも俺はそう思うぞ。


 好き嫌いと言っても食べ物に限った話じゃない。


 人間や、宗教に、仕事、音楽、娯楽。全てひっくるめての話だ。


 好きだという位置付けがあれば、当然嫌いだという位置付けもある。むしろ嫌いという感情があるからこそ、好きという感情が際立って輝かしく感じられるのではないだろうか。


 俺こと戸山秋色は、好き嫌いが極端に多い人間だ、と周りからはよく言われる。


 でもよく考えたらこの言葉はおかしいんじゃないか?


 数多の出来事に対し、好きか嫌いかの認識なんて数で考えたらみんな同じだろう?


 好きじゃなければ嫌いで、嫌いじゃなければ好き、と単純に計算したらの話だが。


 さすがに大好き、まぁ好き、嫌いじゃないけど好きでもない、なんて意見を基準に取り入れたら考えるのが面倒になってさっきの主張は取り下げるけどさ。


 要するに、だ。周りの人間に俺が好き嫌いの極端に多いヤツに見えるということは、俺は好き嫌いの認識をハッキリさせた、曖昧さの排除された人間だということだ。


 でも二十五歳になって、その認識も移ろうモノなのだという考えに至るようになった。


 人間の好みというのは年齢や条件によって簡単に認識を改めるモノなのだ。


 昔はこっ恥ずかしくてまともに聞けなかったラブソングを、この歳になると一周回って素直に聞けたり──


 ──大好きだった知る人ぞ知るインディーズバンドが、今やカラオケに行って送信された曲目履歴をチェックすれば必ず十番目以内にその名が見つかってしまうメジャーバンドになっててうんざりしたり、さ。


 ソレと、一つ分かってもらいたいのは、俺は『嫌いなモノ好き』だということだ。


 アレだ。例えば、明らかに捻りのない一発芸人や一発歌手のしょーもない作品を──


「何でこんなクソくだらないモンをみんな持て囃してるんだ!」


 ──と文句を言っていても、気がついたら無意識の内に口ずさんでいたりしちゃうようなアレだ。


 ……多分ああいうのは素直に受け入れられないだけで嫌いってワケじゃないんだろうな。


 まぁ自分の中でハッキリとした答えが出ているんなら何も言うまいさ。


 けどどう頑張っても覆らないモノならいざ知らず、まだ自分の中で明確な答えが出ていない、或いは今後覆りそうなモノなら、好きになる努力をしてもいいんじゃないかって思ったワケだ。


 俺の中でどうしても覆らない嫌悪の的。


 ソレは『ヒマ』だ。


 正確には『特にすることも、したいこともない時間』だ。


 小人閑居して不善を為す。という言葉があるように、退屈というのは実は地獄だ。


 ソレを削り取る為に健康や財、時としては人生すら投げ打ってしまう人がいるくらいに。


 何かに熱中している人間にはこういうことは起こらない。


 もちろん、仕事や妹の面倒を見る、なんてやって当たり前のことはコレから除外してだぜ?


『自分は絶対漫画家になるっス!』なんて言ってる仕事先の高校生も、既に夢破れている俺には羨ましく見える。


『僕はアイドル声優のライブに行くのが何よりの楽しみだよ。この為に生きてるんだ。そのライブチケットの抽選券をゲットする為に同じCD五枚買っちゃった。フヒヒwww』な~んて言ってるオタクも俺には輝いて見えてしまうんだ。


 ……前フリが長くなってすまない。


 そんなワケで、今俺は退屈な時間を削ると同時に、今まであまり好きになれなかったモノを好きになる努力……つまり、熱中できるモノを探す、いわゆる日常からのショートトリップとやらを試みているんだ。


「うげぇ……にっがぁ……」


 そう小さく唸って俺は目の前のカウンターの上にショットグラスを置く。


 上等な胡桃(くるみ)でできているらしいカウンターがコト、と小気味いい音を立てた。


 仕事が中途半端な時間に終わってしまい直帰する気にもなれず、傘を持たない雨の帰り道にあった俺は、雨宿りも兼ねて目についたショットバーに足を踏み入れたのだ。


 俺は酒が苦手だ。とにかく弱いし、ただ不味い上に高いだけの液体だと思っている。


 しかし、この不健康な上に高くて不味い代物は、俺の大好きな女性の大好きなモノなのだ。


 俺の一つ先輩である女神は、その穏やかな顔つきとは対照的にかなりの酒豪で、お酒の神様バッカスと夜通し語り合えるんじゃないかっつーくらいのザルなのである。


 カクテルを三杯飲んだだけで帰宅後に長時間便器と見つめ合ってしまえる俺では彼女のお相手をするには役者不足なのでは、とも思ったのだが、


『前はしょっちゅう一緒に飲みに行ってた娘が結婚しちゃってね。誘い難くなっちゃって。ソレに女が一人で飲みに行くのって何だか恥ずかしいし。はぁ……誰か一緒に行ってくれる人がいればなぁ。もし酔っ払っちゃっても頼れる人がいれば……心強いし』


 なーんて期待するような瞳で言われちゃったら、頑張るしかないでしょう。


 酔っ払っちゃって頼るようにもたれてくる彼女の、赤く上気した頬と潤んだ瞳を間近で見るのも! そのあとの展開に胸を躍らせてウッシッシしちゃうのもこの俺だ!!


 と、いうか! もし仮にまさかひょっとして万が一、他の男にその役が回ったらと思うと発狂しそうだ!!


 そんなワケで俺は今、肝臓に荒行を強いている真っ最中なのだが……闘志とは裏腹に舌と胃の腑は焼けつくような痛みに異物排除モードに移行寸前だ。


 ……水を頼んでしまおうか? いやしかし! 最初の一杯目でソレはダサ過ぎるぞ秋色! ソレでも男か!


 心頭滅却すれば酒もまた甘露! この液体は酒ではない! この世で一番美味とされている飲料なのだ! いや、いっそ愛する女性から生まれし聖なる雫だと思うのだ!


「うおおおお!」


 そう覚悟を決め、俺はグラスの中にナミナミと注がれた聖なる雫を喉に流し込んだ。


「うべえええっ!」


 の、喉が、喉が燃えるぅうう! 聖なる雫は硫酸だったぁあ!


 童貞の俺には知る由もなかったが、女性から生まれし聖水は邪な者を蒸発させるほど熔解力のあるシロモノだったのだ!


 あ、頭がフットーしそうだよぉっっ!


 俺の臓腑はデロデロにただれ、脳ミソはあまりの異常事態にオーバーフローを起こし、絶賛パニクるクロニクルだ。


 しかしソレでも俺は飲み干したソレを吐き出すことはしなかった。


 だってカッコ悪すぎるモン! 意地だコレは。


「…………」


 ヒューヒューと物悲しい音を立てる俺の喉。


 何も言えなくなった俺は平衡感覚すらなくし、カウンターに突っ伏した。助けすら呼べん。


 やっぱ……水頼んどくんだった……。


 コレで急性アルコール中毒とかで病院に運ばれたらソレこそダサすぎる。コレで死んだら多分、あの世で親父は大笑いするだろーなー……。マジでどうしよう……。


「……すいません。ちょっと酔っちゃったみたいで……。お水いただけますか?」


 そんな声が近くから聞こえた気がする。


 女の声だ。聞き覚えはないが、大人びていて良い声だ。


 ……最後の子守唄には……悪くないぜ……。


「はい」


「……!」


 今度は先程よりももっと近くで、ハッキリと女の声がした。


 目を開けると、俺の眼前にはナミナミと水が注がれたグラスが突き出されている。


「…………」


「……?」


「……しょうがないなぁ」


「……んんっ!?」


 俺がポケーっとグラスを見つめていたのを、飲めないから飲ませてくれ、というサインだと勘違いしたのだろうか?


 そのグラスを掴んだ細い指は、俺の唇にその端をあてがい、傾けた。


「……ん……ん」


 ……うまい。


 ただのエイチツーオーがこんなにうまいとは。もしかしてさっきの酒は本当に毒で、今俺が飲んでいるのは解毒剤なんじゃないだろうか、などと思ってしまえるほどにだ。


「ぷ……はぁっ……」


 一息に水を飲み干した俺は、大きく息を吸い込んだ。不思議と空気までうまく感じる。


「……大丈夫?」


 その声にハッとなった俺が目の前に焦点を合わせると、そこには一人の女性が立っていた。


 俺の表情を不思議そうに覗き込む瞳が、彼女の掛けたサングラス越しに見える。


「あ……うん」


 俺は呆気にとられながらも、何とかそう言って頷いた。


「そ……良かった」


 ソレだけ言って彼女は背を向けてしまう。


 何て言うか、派手な女だ。サングラス掛けてるし、頭は金髪を後ろに流した『カッコいい女』って感じだし、病的に細いと言っても過言じゃないくらい華奢な身体を包んでる上着は水着みたいなキャミソールで背中見えちゃってるし。まだ初春だぞ。


 先程彼女を病的に細いと言ったが、そのくせにバストやヒップは立派に女性を主張している。優乃先輩以上だ。


 こんな体型、二次元でしか見たことないぞ。実在したのか、こんな女。


 そんな服装や体型も手伝って、彼女からはこう、コケティッシュと言うか何と言うか、匂い立つ雰囲気のようなモノがあった。


 ソレは……若い娘の可愛らしさと、大人の女の色気が同居すると言うか……あぁ、もう! 気を使った遠回しな言い方はよそう!


 彼女は、何かこう! 異様に! エロいのだ! 魔性って感じがする。


 まぁ、とは言え、俺に水を飲ませてくれた時点で、彼女と俺に接点はもうない。


 今後、何かそう都合のいいできごとが起こるとも思えんし……あ、そう言えばまだお礼言ってないぞ俺。


 彼女は俺の三つほど隣のカウンター席に戻り、そこに置いてあった上着を羽織い、足元に置いてあったやや大き目のバッグを掴み、立ち上がる。


「あの……ありがとう」


 俺はその背中に、恐る恐るながらも礼を言った。


「…………」


 すると、その途端彼女の動きがぴた、と止まった。


 ……どうしたんだろうか?


「……え」


 俺は間抜けな声を上げた。何故ならば、一時停止から解き放たれた彼女が振り返り、早足でこちらに歩いてきたからだ。コツコツとヒールの音がする。


 な……何だ?


 俺はまだアルコールによって破壊され、再構築、再起動の途中である脳ミソで必死に考えたが、結局彼女の行動の理由は想像できなかった。


 そうこうしている内に、彼女は俺のすぐ目の前まで近づいてきて、派手なネイルのついた細い指を両側から俺の顔に添え、鼻先が触れ合うほどの距離まで顔を寄せてきた。


「ひいぃっ!」


「……戸山……秋色?」


「……ふへ?」


「あなた、戸山秋色!?」


「う……うん」


 何故俺の名前を?


 誰だこの娘?


 ますます俺はパニックになる。一体何が起こって──


「先輩っ! 秋色先輩! 会いたかった!」


「──えっ? ええ!?」


 彼女は感極まった声でそう言うと、いきなり俺に抱きついてきた。


 えぇ!? マジで誰だ!? もうコレ以上パニックになったら精神が帰ってこれなくなる! 人に戻れなくなるっ!


「願いが叶った……もう……遅いよ、先輩……」


 そう彼女は裏返り気味の声で言って俺の胸に顔を埋めた。


 ……マジで泣いてる。だ……誰だ?


「あ、あの……?」


 故障しかけの頭でいくら考えども答えの出ない俺は、誰なのか本人に尋ねようとした。


「先輩! お久し振りです! 会いたかった!」


「……あ、うん。久し振り」


 彼女のテンションに押されて、俺はついそう応えてしまう。


 この返答のせいでこのあと苦労するだろうことは、染み込んだアルコールにやられかけの頭でも十分に理解できていた。




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