アルルと秋色⑪
「ふはぁっ!」
目を覚ますなり俺はがばっと上体を起こした。
いつもとは違い、ベッドに寝かされていたらしい。
時計を見ると……げ、もう真夜中だ。そうか、こっちの時間を動かせるとか言ってたな。
「お帰りなさいませご主人様ん♡ ご飯にします? お風呂にします? ソ・レ・と・も――」
「うるせー」
満を持してとばかりに俺の脇に鎮座していたリライ……の身体を乗っ取ったググリ先生がやたら満足気な顔でしてきた質問を、俺は低い声で遮った。
「ああん、いけずぅ。でもさすがやね。ミッションコンプリートや」
「……見てたのか?」
「いんや、大半はあんたの本やゲームに興じてたんで聞き流してたわ。クライマックスだけ」
「……ちゃんと働け。バカ女」
「だって本やらゲームやらがオモロすぎるんやモン。エロも含めて。堪能させてもらいました」
まるで望外の御もてなしを受けたとでも言いた気にググリ先生が深々と頭を下げる。
「何ぃ!?」
「もうちょっと隠し場所に工夫を凝らしたほーがええで。同居人がこの娘じゃなかったら即バレやで、ホンマ」
……ちくしょうプライバシーの侵害だ! 訴えてやる! でもどこに訴えればいいんだ?
「でも一番オモロいのはあんたの行動に違いないな。いい画を撮らしてもろたわ。あとで見返すのが楽しみや」
「盗撮禁止! 肖像権の侵害だ。許可した覚えはねーぞ!」
「業務上の義務ってヤツや。一応あたしあんたの上司にもなるんやから」
「パワハラだ!」
……マジで訴えてやりたい。死後の世界専用目安箱でも設置してくれないか?
「あんたが最後にアルテマにした質問のほーこそセクハラやん。アレ、照れ隠し?」
「…………」
俺が黙秘権を行使していると、パワハラ上司はさらに続けた。
「そもそも必要もないのにわざわざお別れを言いにきたってあの娘に怪我した顔を見せに行くところにも、ビミョーに打算的ないやらしさを感じるんやけど?」
「早く帰れ!」
マジでプライバシーの侵害だ。俺は辟易するばかりだ。そんな計算してなかったさ、多分。
「ホ~ラ。勝負はあんたの勝ちなんやからもっと明るい顔しなや」
まるで勝った気がしない。勝者と敗者の表情が逆だぜ、コレ。
「……俺の勝ちなんだからとっととリライを返してあんたは帰ってくれ」
「いやん。そんなにあたしのこと嫌い? あ、ソレともこの娘のことが――」
「は・や・く!」
俺は彼女の言葉を遮って先を促した。図星だったからじゃねーぞ。
「はいはい。約束は守るわ。期待してた以上に楽しめたしな」
そう言ってググリ先生が目を閉じる。何か腑に落ちねぇ……が、リライが帰ってくるんならまぁいいか。
「あ、最後に一つだけ」
「あん?」
「いつもは、あんたが時を遡ってる時、この娘とあたしが見てるんよ。もっともあたしの声はこの娘としか繋いでないからあんたには届かんけど」
「……ふむ」
「……で、今回はこの娘とあたしの立場を入れ替えただけやから」
「……つまり?」
「鈍いなぁ自分。つまり、この娘の声はあたしにしか届いとらんかっただけで、この娘は多分あんたが何してたかバッチリ見とるで」
「……な、何ぃ!?」
「じゃ、そーゆーことで。バイナラ!」
そう言ったググリ先生の身体がびくんと震え、うなだれる。
ああ! 爆弾発言を残して逃げやがった! しかも今思い出したけど生活費も置いていかなかったぞこいつ!
……なんて、一瞬頭に浮かんだ考えは即座に雲散霧消した。何故なら、目の前の彼女が目を開け、こちらにその視線を送ってきたからだ。
そう、かなり凶悪な視線を。
「……アキーロ」
「お……おかえりなさい」
無機質な彼女の声に、俺は追い詰められた被食者の如く弱々しい声を上げた。
この場合はまな板の上の鯉と言っても差し支えないかもしれない。
「アキーロぉっ!!」
「おっしゃこいぃぃっっ!!」
全てを悟り受け入れた俺は、両の腕を大きく広げ、首元に喰らいついてくる妹の攻撃を甘んじて受け入れた。
「ふぐぅぅ――っ!!」
「あいぃぃぃぃいいいい――っ!!」
俺の絶叫が我が家に鳴り響いた。
天中殺か? 最近痛い目に遭ってばっか。
……いいんだ。コレでいいんだ……。
「全くぢょーだんぢゃねーですよ!」
「どう! どうどう!」
「せっかくアキーロがお休みで、珍しく早起きして、一緒にご飯食べて、一緒に遊んでくれるはずだったのに!」
「どうどうどう!」
「何がドードーですか!」
「ごめんなさい!」
「もードヨービが終わってるですよ! アキーロのアホっ!」
「ごめんなさい!」
プンスカ怒るリライの前で俺は平身低頭のまま謝罪の言葉を繰り返すのみだ。
「……う」
俺の態度に少し良心の呵責を感じたのだろうか。
リライが唇はへの字のままながら、眉をハの字にする。
「う……ウニャ~! やっぱむかつくですよ!」
一瞬戸惑う素振りを見せたモノの、やはり溜飲が下がり切らないらしい。
ソレか彼女自身もどうしていいか分からないのかもしれない。リライは両腕をブンブン振りながら喚いた。
「ごめんって! このとーり!」
「こーなったら、ユノにいーつけるですよ!」
「ソレだけは! ソレだけは~!」
俺は懇願するように床に頭突きを繰り返した。
ご近所さんには迷惑だろうがこちとら死活問題だ。どうかご寛恕を賜りたい限りである。
「……妹って、自分のことですよね?」
土下座状態の俺の頭上から声が聞こえた。
「へ?」
「だからぁ、『妹が怒るからやめとく』って……自分のことですよね?」
「……あ、うん」
一瞬の何のことだか分からなかったが、アルルとの会話の時に俺が言ったことを指しているのだと途中で思い当たり、俺は頷いた。
「……ぢゃあ、許すですよ」
「おお!」
俺は知らずの内に自分の言葉が和解の芽を孕んでいたことに驚きつつも、歓喜の声を上げた。
「もしあそこでふざけた返事をしてたら、自分わ確実にユノにいーつけてたですよ」
「うげぇっ!」
俺は知らずの内に生死を分かつ選択を迫られていたことに戦慄し、呻き声を上げた。
「でもでも! ご飯を食べられたのわすげーむかつくですよ!」
……ソレは俺じゃねえ。お前の上司のせいだ。と思いつつも俺は機嫌を取ることにした。
「まーまーまーまー。今からでも一緒にご飯食べようじゃないか! 朝ご飯が夕ご飯になっただけさ。リライちゃんは何食べたい?」
「……たまごかけご飯」
「…………」
……ホントに好きなんだな。
ソレとも、生活費のことで気を使っているのか? と胸中で思ったが言葉には出さずに、俺は冷蔵庫で今か今かと出番を待つ……あぁ、冷や飯がもうない。米びつで今か今かと出番を待つお米の海に手を伸ばした。
「お待たせしましたリライお嬢様!」
「お待たせされたですよ! 早く早く!」
「はひぃ! お嬢様!」
半ばヤケクソになった俺はホカホカの炊きたてご飯の乗ったリライ専用の茶碗を差し出す。
「たまご! たまご!」
「んほぉ! お嬢様!」
「いただきますですよ!」
「いただきます……あ」
「……? 何ですよアキーロ?」
「…………」
あることを思い出した俺は冷蔵庫からあるボトルを取り出してきて、自分のたまごに加え、かきまぜたのち、ご飯にかける。
「?」
頭上に疑問符を浮かべるリライを他所に、俺は完成したたまごかけご飯を口に放り込む。
「……う」
「どーしたですかアキーロ?」
「あ、甘……」
俺は苦い顔をして茶碗をコタツの上に置く。
マズいとまでは言わないが醤油の方が好みだ。
……あのアマ。俺が試すのを見越した嫌がらせか?
ソレとも――そういうことなんだろうか?
「何ですよ~? 何で溜息吐くですか~?」
無視されてたリライが唇を尖らせて俺の茶碗に手を伸ばす。
「あぁ、食べるか? やるよ」
「マヂですか! いただきますですよ!」
嬉しそうな顔になったリライが俺のたまごかけご飯を掻き込む、や否や俺はまたしても顔面にお米の散弾砲を浴びた。
「な、何ですかコレわっ!?」
「……な。ビミョーだろ?」
「すげーうめーですよ! ちょっぴり甘くて! やべーうめーですよ!」
「……え?」
うまい……か? 正直俺はあまり好きじゃないと感じたのだが。
「うまーっ!」
……しかしリライの様子を見るに、マジで感激しているようだ。
どうやら甘いモノがちょっと苦手な俺とは違い、リライの好みにはヒットしたらしい。
「自分今度からコレで食べるですよ! アキーロ、しょーゆの方、あげるです」
「お、さんきゅ」
そう言って俺はリライの茶碗を受け取り、頂くことにした。
うん、やはりこっちの方が俺は好きだな。
「感激ですよ! まだまだ食の道わ奥がふけーです!」
単なる味の好みなのだろうか?
あいつもリライと同じでこっちの方が好みなのだろうか?
するってーと、『その次』ってのは、どの辺に位置するのだろう。
「でもコレ、何かけたですかアキーロ?」
「ん? ああ、天つゆ」
「……てんちゅー?」
「あぁ、アルルのヤツが天つゆをかけたたまごかけご飯――あ」
俺は考え事をしていたせいで自衛の念を失っていたことに気づいて向かいに座った妹に視線を向けた。
「天、つゆ……言ってたですね。あの女」
し、しまったぁぁああ! コレは完全に俺のミスだ! 予想できた事態じゃないか!
「言ってたですね……『天つゆをかけたたまごかけご飯の次にアキーロが好き』とか」
「…………」
「アキーロ」
「はい!」
「……何でまたあの女の話をするですか」
そこには、できれば外れて欲しかった予想通りの表情をした妹がいた。
「しかも! ソレを自分に食べさせるなんて!」
「ど、どうどう!」
……いや、俺が勧めて食わせたワケではないんだが。とは……言えないね、うん。
「あぁ、でもでも、コレわ確かにやべーうまかったですよ……うぅ」
またも怒りのやりどころが分からないのであろうリライがブンブン両腕を振る。
「うぅ~……アキーロ!」
「ど、どう!」
「食べモノに罪わねーです!」
「ど、どうどう!」
「つまり! アキーロのせーです!」
そう言ってターゲットを捕捉した狩猟者の瞳が妖しく光る。
「アキーロぉっ!」
次の瞬間、ハンターと化した彼女はコタツ越しにこちらへと跳躍した。
「おっしゃこいぃぃっっ!!」
全てを悟り受け入れた俺は、両の腕を大きく広げ、首元に喰らいついてくる妹の攻撃を甘んじて受け入れた。
「フニャ――っ!!」
「ひぎいいぃぃいい――っ!!」
俺の絶叫が我が家に鳴り響いた。
ホンっっっト、天中殺か? 最近痛い目に遭ってばっか。
でもどこか嬉しいというか、スッキリした自分がいたので、意外と潔く罰を受け入れられた。
一体何が嬉しくて、何にスッキリしていたのかは自分でも謎だが。
……いいんだ。そう、コレでいいんだ……。