アルルと秋色⑩
「――はぁ?」
俺は上体を起こして胡坐をかく。
「……っ」
「…………」
俺が黙って視線をやっていると、彼女は自分を奮い立たせるように、深呼吸をした。
「もし、仮にあたしに制約が掛かっていたとしても、この言葉は必ず聞こえるはずよ。確信を持って言えるわ」
「いいよ言わなくて」
「秋色。あなたは……優しい」
「……やめろ」
「あなたが言ったんじゃない。相手は相手で勝手に思うだけ、優しいかどうかは、された側が決めることだって……」
「…………」
俺は何も言えなくなった。
「あなたは優しい人よ」
「やめろ。そんなことを言って欲しくてやったんじゃない」
俺は先程よりも強い言葉で彼女を制そうとした。
「やめないわよ。あたしが勝手にそう思ったんだモノ。この気持ちはあたしだけのモノよ。そうでしょ?」
「…………」
「…………」
そう言う彼女の瞳には、譲らない信念のようなモノが浮かんでいた。
「……そうか。そうだな。そう思いたきゃ勝手に思ってろ」
観念した俺はぶっきらぼうに言い捨て再び仰向けに寝転がった。真っ赤になった空が見える。
「少し……あなたの心を受け取ることができた気がするわ」
「…………」
「……ありがとう。嬉しかった」
「…………」
俺は何て応えていいか分からず、聞こえない振りをして空を見続けた。
何だか無性に自分が恥ずかしいヤツに思えた。
きっと俺もこの夕焼け空に負けないくらい赤い顔をしているのだろう。
……しかし、よく恥ずかし気もなくそんなことが言えるなこいつは。
そう思った俺は、チラっと目の動きだけでアルルの方を盗み見た。
……アルルは、顔を真っ赤にして左右のスカートの裾を握り締めた指を落ち着きなく動かしていた。
こんな恥ずかしい台詞を真っ赤になりながら語るのはどんな時だ?
決まってんだろ。伝えたいという意志が羞恥心に勝った時だ。
……彼女も耐えているのだ。
だから、コレは人一倍ワガママで、外面を気にして猫を被り、人一倍プライドの高い彼女の本音なんだ。
「……どういたしまして」
だから俺はそう答えた。あぁ、胸がムズムズする!
俺がそう言うと、アルルはどこか安心した子供のように表情を崩して、
「えぇ、あんたごときがこのあたしの役に立てたのだから、コレは一生誇っていいわよ! 今際の際にも『アルル様のお役に立ててよかった』と言って死ぬがいいわ!」
「お前は自分を何様だと思っとるんだ!?」
俺はがばっと立ち上がり、ツッコミを入れた。
「あら、何が不満なのかしら? 光栄の極みでしょ?」
「へーへー。こんな美少女の役に立てて感激だ。毎晩寝る前にお前の顔を思い浮かべるよ」
いつも通りに戻ったことからか、先程までの恥ずかしい空気から開放されたことからか、俺は謎の安堵感を覚えながら口を開いた。
「……キモ。死ねば?」
「…………」
……誰か。この女を何とかしろ。
俺は再び空を見上げた。
最初は懐かしい風景だと目を細めていたが、今となってはもはや見慣れた景色と言えよう。
何せ最近はここに通うのが俺のルーチンワークになっていたのだから。
夕焼け空から降り注ぐ斜陽で茜色に染まる中庭。
「しかし、いくらあたしがかわいくて魅力的だからってここまでやるとはね」
「自分で言うな」
「……あんた、あたしのこと好きでしょ」
「はぁ!?」
そんな中庭と共に朱に交わらんと顔を真っ赤にして俺は少女の言葉に応えた。
「……バカ言ってんじゃねーっつーの。俺はお前なんか大っ嫌いだ」
顔を真っ赤にしてと先述したが、夕日に染められているので目の前の少女にソレを悟られることはないだろう。
そう思って俺は努めて平静を装った。
だというのに少女はソレを見透かしたようにクスクスと微笑みながらさらに言葉を紡いだ。
「だから分かっちゃうんだってば。もっとも、あんたの場合制約がなくても丸分かりだけど」
苦心して動揺を抑えたというのにあっさり看破されてしまった。益々顔が熱くなっていく。
いや、コレは気温のせいだ。
衣替えが成されたばかりで、未だ我が物顔で居座り続ける残暑のせいに違いない。俺は無理矢理自分を納得させた。
しかし無駄な努力だったようで、結局俺は堪え切れずに言葉を発してしまった。
「お前の方こそ、俺のこと好きなんじゃねーの?」
そう口にしてからすぐさま後悔の念が押し寄せてくる。
うわー……うわー……何を言ってるんだろう俺は。
我ながら子供みたいだ。時と一緒に精神年齢まで遡ってしまったのだろうか。
そんな到底紳士とはかけ離れた俺の発言に、突然憂いを帯びた表情になった少女が応える。
「ええ」
凛とした涼やかな声が閑散とした中庭に響く。
どうにかしてさっきの発言をなかったことにできないか考えを巡らせていた俺の思考は彼女の返答によって急停止させられた。
「……は? 何だって?」
「……ええ、好きよ」
「…………」
「…………」
……一体、どうしてこんなことになっちまってるんだろうね。
「あ、アルル……?」
この中庭に顔を出すようになって初めて、俺は本気の本気で頭が真っ白になった。
「……天つゆをかけたたまごかけご飯の次くらいにね」
「て、てんつ……はぁ!?」
「あっはははは! ホント、アホ丸出しで面白いわ、あんた」
「あ、アホはオメーだ。食べ物と同列にすんじゃねー」
……てか、こいつがたまごかけご飯? 全然食ってるイメージが湧かねーぞ。
「ドキッとした?」
「別に」
いい加減醜態を晒しすぎで憂鬱になってきた俺はぶっきらぼうにそう答えた。
もう揺さぶられんぞ、と、そう思った直後に衝撃の一言がアルルの口から飛び出した。
「……あたしとつき合ってみる?」
「…………」
「…………」
黙ってこちらを見つめるアルルの瞳を見つめ返す。
下手くそなブラスバンドの音が聞こえた。
「……いや、やめとくよ。妹が怒りそうだから」
「そう。奇遇ね。あたしも弟が怒りそうだからやめとくわ」
そう言ったあと、俺達は同時に笑みを浮かべた。
「そう言えばあんた、いつになったら帰るのよ」
アルルが思い出したように言う。
「お前が引き止めたんだろうが」
「違うわよ。元の時代にってこと。そもそも何しにきたのよ?」
「ああ。そうか。忘れてた」
今度は俺が思い出す番だった。
「普通忘れるかしら……やっぱりアホね、気の毒に。あ! 死んでみたら? 戻れるかもしれないわよ?」
さも名案のようにアルルが胸の前で手を合わせる。
「そんな一か八かのギャンブルに身を任せるつもりはない!」
「あら。いい考えだと思ったのに。でも、実際何しにきたのよ?」
「何しにきたかって、ソリャ――多分、お前の心を受け取りにきたんだよ」
俺はさも当然のように言ってのけた。
……あとから恥ずかし死にしそうになったが。
「あ……アホ、じゃないの……」
どもるアルルの表情を見て、俺は初めて自分が恥ずかしいことを言ったことを自覚した。
……いいや。今更だ。構うもんか。言ってしまえ。
「いいか。お前はこの俺が『宝石みたいに綺麗』だと認めた女なんだ」
「……へ?」
呆気に取られたような声を上げるアルルに俺は尚も続けた。
「だからもう二度と自分が女であることを悔しいなんて言うな」
「……!」
「……いいな」
「そういうこと……秋色。だからあなた……」
「――いいな?」
「……はい」
念を押すような俺の質問に、アルルは顔を上げ、ゆっくりと頷いた。
眉間には皺が寄せられ、眉毛もハの字だったが、彼女はいつかのようにはにかんでくれた。
「……おし」
俺はコレでいいのだとばかりに頷き返した。
バカ◯ンのパパがいたら同じ事を言ってくれるであろう。
コレで本当に俺ができることはもうないな。任務完了だ。
「あなたは……本当、どこまで――」
「あ――!!」
「な、何?」
脳裏に閃きを感じた俺は何か言おうとしていたアルルの声を遮り、叫んだ。きっと頭上には電球が浮かんでいたことだろう。
「そうだ。お前に送り返してもらえばいいんじゃないか! てかググリ先生がそう言ってたのを忘れてた!」
……どうりであのアマ、いつまで経っても戻さねーワケだ。
「どういうことよ?」
「アルル。俺を元の時代に戻せるか?」
「え、ええ。ソレは可能だけど。あんたの記憶から遡ればいいんだし」
「おお! じゃあ頼む!」
俺が喜びも露わにそう言うと、アルルが微かに眉根を寄せる。
「……ねえ。もう……帰りたい? もう少し……いえ、ずっとこっちにいればいいんじゃない? 今のあんたなら前よりもマシな人生送れるかもしれないじゃない」
「……え」
「まあ今回の借りもあることだし、あたしもできる限りは協力するから。どう?」
アルルが冗談で言ってるのか本気で言ってるのかは分からなかったが、このままこっちにいる……か。そんな選択肢もあるのか。
「ごめん。妹とご飯食べる約束をしてるんだ」
だけど俺はそう答えた。
「……そう、分かったわ。あたしも帰って弟と夕飯にしましょうかしら」
アルルがニッコリと微笑んでそう言った。
「じゃあ、さっさと済ませましょうかしら」
「ああ、頼む」
アルルの唇が近づいてくる。リライが見てなくてよかったぁぁ……。
あ、そういえば。
「お前あのバカ野郎にされたけど、その前に、前回俺とキスしてたんだったな」
「え? ああ、そういえば、そうね」
「だから気にする必要なんてないな。お前のファーストキスはこの俺様が奪い済みなんだから」
正確には俺が奪われたのだが。
「ソレは……一生モノのトラウマね……吐きそうだわ」
「うおいっ」
「そもそも、もう忘れたわよ過去のことなんて。イチイチ心配しなくていいわ」
「別に……心配してるワケじゃねーよ」
「……また、くるわよね?」
「……あぁ、多分。でも高校の時かは分からないぞ?」
「大丈夫。あたし達はあんたの記憶の中にある時間なら、行けるから。周囲の記憶への刷り込みとか、申請とか、色々面倒だけど。幼少時に戻ったらあたし達、幼馴染になっちゃうわね」
「マジでか」
「マジよ。ソレじゃあね」
俺の頬に両手が添えられ、アルルの唇が目の前に……
「あ、待った! 最後に聞いておきたいことがある!」
「な、何よ? 人に見られるわよ。もしエルに見られたらあんた死ぬわよ」
うげ、ソレは困る……が、コレは健康な男子として果たさなければならないミッションだ。
「あのさ……女の子ってあの日の時――」
そして俺は聞いた。ゲス魔王としての使命を果たさんが為。
「――死ねっ!!」
ガブッ!! と描き文字が出るんじゃないかという程の勢いで、アルルが俺の口に喰らいついてきた。
「ひっっべぇぇえええ!!」
俺は痛みのあまり絶叫した。唇に噛みつかれた為、発音はままならなかったが。
……あ。アルルの唇が離れ、意識が混濁してきた。
「この変態! ドゲス大魔王! 死になさい! ドアホ!」
口が自由になるや否や、アルルの口から罵詈雑言を浴びせられた。最悪の子守唄を聞きながら混濁していく意識。
「……また血の味。あんたとのキスはいつもこの味ね」
……そういや、そうだったな。
「……ワリィ」
俺は消えかかる意識の中で、何とかそう口にした。
自分でも驚くくらい優しい声が出た。
最後に目に映った景色は、今までで一番かわいらしいと思えるアルルの笑顔だった。
「ううん……またね。秋色」




