アルルと秋色⑨
また翌日。夕暮れ時の中庭のベンチ。猫と少女の見慣れた風景に俺は交わり、いつもの風景を完成させる。
「よう」
「ニャ~」
「…………」
「……無視すんなよ」
「誰よあんた」
「俺だよ! 罪魂の救済者、戸山秋色様だ! またの名を、ブリング・オン・カタルシス!」
「…………」
「あ、でも二つ名だったら『断罪』とかのがカッコいいかな?」
「…………」
「何か言え」
「……アホじゃないの?」
「アホじゃないの。他に何かねーのか」
「……バカじゃないの?」
……このアマ。
「あと、何よそのいつにも増して酷い顔は」
「いつにも増しては余計だ」
そう返す俺の言葉は普段より滑舌が酷かった。口の中は血の味で蹂躙されていたしな。
「……あと、しばらく学校にこなくなるからな、別れの挨拶にきた」
「……ふ~ん」
「寂しいなら寂しいって言ってもいいぞ」
「……アホじゃないの?」
「アホじゃないの!」
俺は半ば本気でムキになって叫んだ。
「アホよ。そんな一方的にボコボコにされて、しかも停学になるなんて。ドアホ以外の何モノでもないわ」
……もう耳に入ってたか。
同じクラスとはいえ、今まで保健室、次いで指導室へと連行されていた俺はこいつと顔を合わせていないというのに。
人の噂というのは巡るのが早いモンだ。
「一方的になんてやられてねーよ。好きなだけ殴ってやったわ」
「ふ~ん。反撃を喰らったところであんたの好きなだけは終わったのね」
「……ふん」
俺は溜息を吐いてどかっとベンチに腰掛ける。
セバスニャンがびくっと身体を起こし、アルルが迷惑そうにジト目を向けてくる。
「……一応聞いておくけど、停学の原因は?」
「……気に入らねー野郎を一方的にボコボコにしてやったからだ」
「……はぁ。じゃあいいわよ一方的ってことで。ソレで? ボコボコにした理由は?」
「エロ本をくれるって約束したのに、よこさなかったからだ」
「…………」
「何か言えよ」
「……アホね」
「うるさいな。お前うるさいな。あとその汚物を見るような目はやめてくれないか」
「教師達には何て言ったのよ?」
「そのままだよ。『約束したのに、エロ本くれなかったから殴り掛かりました』って」
「類まれに見るアホね。さすがゲス魔王だわ」
「教師達も呆れつつもその風評のせいで納得してた。だ~れも俺を擁護してくれねーでやんの。『社会に出たら本当にシャレにならないんだぞ』なんてありがたい説教までもらっちまったよ」
「ふふふ、どんどん評判が落ちていくわねぇ」
「ホントだよ。あ~あ、今までの人生じゃ停学なんてしたことなかったのになぁ」
「あははは! ホント、落ちるところまで落ちていくわねぇ~」
……よし。笑った。
「うるせー。俺はもう行くぞ。んじゃな」
そう言って俺は腰を上げ、歩き出した。
「……ねえ」
その背中をアルルの声が引き止める。先程に比べると心なしか遠慮がちな感じがした。
「……ん?」
「実はここにくる前に不思議なできごとがあってね。一人の男子生徒があたしの前にきて、すみませんでしたーって、頭を下げてきたのよね」
「……へぇ」
俺は背中を向けたまま気の抜けた声を出した。
「ソレだけ言って逃げようとしたから、あたしそいつを追い掛けたの。もう必死ってくらいに走ったわ。周囲は今まで培ったイメージと違う印象を受けたでしょうね」
「……はぁ」
「で、そいつを壁際に追い詰めて何があったのかを問い詰めたら、『だって謝りに行かないと毎日家まで行くって言われたから』だって。やたら弱いくせにしつこい誰かさんに」
「……ちっ」
……あのバカ野郎。
「さて、このやたら弱いくせにしつこい誰かさんは、誰なのかしらね」
「……誰なんでしょうね」
「…………」
「きっと春風の如く爽やかで、夏の太陽の如くアツいハートを持った勇者に――いてぇ!」
そこまで言い掛けていた俺の背中に衝撃が走った。アルルが蹴りを入れたのだ。
「何しやがるっ!」
俺がそう言って振り返ると、目と鼻の先にアルルの顔があった。
「……あんた、本当は何の為に殴り掛かったの?」
「だからエロ本の為だっての。ゲス魔王様をナメるなよ」
俺がそう答えると、アルルが大きく溜息を吐く。
「あんたね……! 分かってるんでしょ? あたしには分かっちゃうってこと」
「…………」
「……あたしの、為?」
およそ俺の知るアルテマ・マテリアルとは思えない儚い声音で彼女は言った。
「……不正解。正解は、俺の為だ。うぬぼれてんじゃねーぞコノヤロっ」
そう言って俺はアルルの額にデコピンをお見舞いした。
「いった! 何しやがるのよ!」
「ぶへぇっ!」
容赦のない反撃ビンタが通常時の何倍かに膨れた俺の頬に炸裂し、俺は仰向けに吹っ飛ぶ。
「この際だからハッキリ言っておくけど! 傷つけられた美少女の為に己が身を省みず制裁に乗り出した、なんて一人よがりな自己満足に浸って自己陶酔してるのなら、ソレは大間違い! 吐き気がするわよ!」
「……自分で美少女って言うか普通?」
「あたしは事実しか言わないのよ。あたしは例のことでコレっっっぽっちも傷ついてなんかいないし、もう既に何が起こったのか忘れてたくらいだし、そもそもあんたがこんなことしでかして、あんたに泣きついたとか周囲に思われたら、恥でしかないし、迷惑でしかないわ!」
「……ふぁ」
俺はあくびをした。セバスニャンを見てたら移ってしまったのだ。
「マジメに聞きなさいよ! あの時あんたに話しちゃったのは、ただの気の迷いよ! 誰が、一体誰が……こんなことしてって……頼んだのよ!」
ソレだけ言って彼女は俯いてしまった。
今度は俺が地面に倒れこんでいたせいで、眉間に皺を寄せてキツく目を閉じている彼女の表情がよく見えた。
「……一人よがりな自己満足に浸ってるのはどっちだよ。俺はさっきから自分がそうしたいからした、ってずっと言ってるじゃねーか」
俺がそう言うと、彼女はキッ! とこちらを睨んだ。
瞳の端に何かが浮かんで見えた気がするが、幻ということにしておこう。
「だから! あたしには分かっちゃうのよ! あんたが嘘を――」
「知ったことか! 俺だって分かんねーよ!」
俺はここ最近にない大声でアルルの声を遮った。
「大体理由なんてたくさんあるし、自分でもコレコレこういうことで殴りました、なんて整理できてたまるか!」
「何よ……じゃあそのたくさんある理由ってのを言ってみなさいよ」
まるで子供の喧嘩をするような表情でそう言ったアルルが唇を噛む。
「まず野郎が個人的に気に入らなかった! 俺自身あのアホには不快な思いをさせられててね。今後の為にも俺が被食者じゃねーって思い知らせる必要があった! 俺の為にな!」
「…………」
……ソレに、あのバカはルール違反を犯した。
男がフラれて泣いて逆ギレして襲い掛かるなんて、言語道断だ。俺の主義に則り、制裁を加えたまでだ。
「…………」
「あと、野郎の香水の臭いが以前から不快だったからだ」
「…………」
……ソレと、お前が妹に似てたからだ。
もし妹が同じ目に遭ったとしたら、俺はあの野郎に何をしていたか分からない。
正直最初は言い寄られる側のルールを無視してたアルルにもいい薬か、なんて思っていたのだが、ソレにしても、受けるペナルティが割に合っていない、と、そう思ったからかな。
そして何より……アルルには前回のリトライでの借りがあったから。
こいつの援護がなきゃ、多分俺は目的を果たせずして地に伏していただろう。
「よ~するに! 俺が、この戸山秋色様が! あの野郎を気に入らなかったからだ!」
だけど敢えて俺はそう言って地面に寝転がったままのポーズで腕を組み、ふんぞり返った。
「…………」
「……何とか言え。コラ」
「……アホね」
「うるせー。もうアホでいいよ」
「ソレに、強情者で嘘吐きだわ」
「……は?」
「スケベ、変態、カッコつけ! ナルシスト! おまけに弱い!」
「ただの悪口っ!」
「暑苦しくって、泥臭くて! ダサくてカッコ悪くて……!」
「あの、もうその辺で――」
「……優しい……!」