第四話
ソレからも俺はヒマさえあればまひると泳ぎに行ったし、山の中に秘密基地を作って、そこに親父が隠れて買っていたエロ本を持ち込んで怒られたり、俺を怒った親父が母さんに怒られるのを見たり、向日葵畑でかくれんぼをして、蜂に刺されまくって喚いたりもした。
そして、あっと言う間に夏の終わりがやって来た。
ソレはこの地域最後の夏祭りの日、そして俺の誕生日だった。
「じゃーん! どうだ春、秋! 真宵&まひる夏祭りバージョン!」
何故だか親父が自分で着付けをしたワケでもないのに、誇らしげに浴衣姿のマヨねぇとまひるをお披露目した。
「んふふふふ。どう春くん? かわいい?」
「……動きづらそうだな」
「……。どう秋? かわいい?」
「……うん。かわいい、と思う」
「あらあら正直者。いいこいいこ」
そう言って頭をぐりぐり撫で回すマヨねぇにされるがままになっていた俺は、背中をちんまりと引っ張られ、振り返る。
すると、そこには同じく浴衣姿のまひるがいた。
「……ゆかた」
「おう」
「…………」
「……何だよ?」
「……何でもない」
「……?」
俺が頭上に疑問符を浮かべていると、まひるは俺に興味をなくした様にそっぽを向いた。
「……うごきづらい」
「うごきづれーんならぬげば――」
「春。秋。お前らソレでも俺の息子か?」
「まぁまぁ。で、どうパパ? あたしの浴衣? 可愛い?」
溜息を吐く親父に、奥から姿を現した母さんが言う。
「もしひと夏の妖精がいるんだとしたら、ソレは俺の目の前にいるお前の姿をしているだろう」
「もー恥ずかしい♡」
「だっはっはっは!」
……なぁ。ここもスキップしようぜ? さっきとは違った意味で恥ずかしい。
夏祭り会場で、親父は母さんと二人の世界。みこは旦那さんと以下同文。マヨねぇは俺の目から見ても明らかに脈のない兄貴に果敢にアピール中。
そして俺とまひるは……限られた小遣いで、いかに多くのモノを食べるか思案していた。
「う~ん。たこやきは八こ三百円のフツーのをえらぶべきか、六こ三百円の大だこをえらぶべきか……」
「……あんまりおおいと、ホカのがはいらなくなる」
「……う~ん」
「……あきにぃとまひるで、おカネはんぶんこで、はんぶんこずつたべればいい」
「おおっ! お前やるな! まひる、てんさいか!」
「……まひる、てんさい」
「じゃあじゃあ、大だこやき三こずつ食って、ジュース半分こずつ飲んで――」
「りんごあめ、はんぶんこずつくう!」
「……こら、おんなは食うとかゆーんじゃねー」
「あきにぃもいってるモン。あきにぃのまねしただけだモン」
今思えば、俺もみこがマヨねぇに言ってるのを真似してたしなめただけだったんだけどな。
「おれは男だからいーんだよ。まひるはだめ」
「あきにぃ、まひるはまひるだっていってたモン」
「……ふむ、そーか、そーだったな。でもだめ」
「なんでぇ?」
「わかんない。ゆかただからかな? とにかくまひるはだめ。やだ?」
「……やだじゃない」
「おし行くぞ! まずは大だこやきじゃ!」
「おー!」
そう言って俺達は屋台へと駆けて行った。
「あ~、食ったー。ハラいっぱいじゃ~」
「くったー」
「……まひる」
「……たべたー」
「うむ」
「……あきにぃ」
「ん?」
「あした、かえっちゃうんだよね?」
「そーだな。明日でなつやすみ、おわりだし」
「…………」
「……どーした?」
「……きて。こっち」
「んお? どこ行くんだ?」
「こっち」
出会った日の様に、俺はまひるに手を引かれ、付いて行くことになった。
山道を登り、下る。コレはもう通い慣れた、いつもの道だ。
「何でこっち? くれーし、おちたらあぶねーぞ!」
「いいの! あーもう! ゆかたはしりづらい!」
「こ、ころぶなよ! 何でそんなにいそぐんだ?」
「いいから!」
言われるがままに付いていくと、予想通り、俺の目の前には暗い海が広がっている。
波の音と潮の匂い。
まひるはあんなに急いで、何がしたかったんだろうか、とこの時の俺は思っていた。
その瞬間、俺の予想を打ち破り、景色が一変した。
ドーーン!!
「ハナビだ! すっげー!」
夜の海を花火が染める。花開く一瞬、海面と空の両方に花火が咲く。紛れもない絶景だった。
「……たんじょーび、プレゼント」
まだ俺の隣で荒い息を吐くまひるがそう言った。
「お前、しってたのか」
「……オジサンにきーた」
「…………」
しばらく俺達は無言で両面咲きの花火を眺めていた。
「あきにぃ」
「……ん?」
「あきにぃ、あした、かえっちゃうんだよね」
「……うん」
「だから、あきにぃにみせたかったの」
「うん」
「あきにぃとみれてよかった」
「うん」
何故胸が締め付けられ、鼻の奥がツーンと痛み、視界がぼやけるのか、この時の俺にはよく分からなかった。
「……わすれないで」
「うん?」
「ハナビと……まひるのこと、わすれないで」
まひるの声は震えていた。手がぎゅっと強く握られる。
「うん……ぜってー、わすれない。ありがとな、まひる」
俺はそう言って、目に焼き付ける様に花火を眺めていた。
視線をそちらに向けることはなかったが、俺はまひるが泣いていることに気づいていた。
夏の終わり。駅のホーム。別れの時。
「じゃあ、時間だ。ありがとな、みこちゃん」
「はい、四季さんも、お姉ちゃんも身体に気をつけて」
「ありがとね、今度は、こっちの家にも遊びに来てね」
「春くん、寂しかったらいつでも電話してい~からねっ」
「あー……うん。ないと思うけど」
交わされる言葉、右から左へ。
何か言わなきゃ、もう時間がない。でも何を? まとまらない。
「おし、時間だ。行くぞ、秋」
親父が背中をぽん、と叩く。電車がホームに着く。
俺は歩き出した。背中に視線を感じていたが、振り返れなかった。
その時、背中にどん、と何かがぶつかってきた。
「……だ」
「……まひる?」
俺は振り返らなかったが、声だけでまひるが俺の背中にしがみ付いて来たのだと分かった。
「……やだ、やだぁ……あきにぃ、いっちゃやだぁ……!」
「…………」
歯を食い縛る。
歪む視界に飲み込まれない様に、俺は深呼吸をした。
「……あきにぃ……あきに……」
努力も虚しく、俺は感情に飲み込まれそうになった。
ほとんど前も見えなくなった視界に、最後に映ったのは、こちらを見る親父の顔だった。
「――っ!」
俺は意を決して、再び大きく息を吸い込み、叫んだ。
「とやまけカクン! ダイニジョー!」
「……!」
「『シンセキはみんなカゾクである! カゾクは! いつだってミカタである!』」
「……あきにぃ」
「おまけにおれとお前はマブダチだ! カゾクで、にーちゃんで! マブダチだ! だから、おれはいつでもお前のミカタだ!」
「……うん」
「だからなくなまひる! わらえ! とやまけカクン! ダイサンジョー! 『男は女にフラレた時しかないてはならない!』だ! だっはっはっは!」
「まひる……おとこじゃないモン」
「だっはっはっは! そーだった! でもお前はおれとごかくにたたかえるくらいつえーだろ! だからわらえ! 次に会った時はおれがかつぞ! だはははは!」
「……うん! きゃはははは!」
「だはははは! じゃーな!」
「うん! じゃーねあきにぃ! また……またあそびにきてね!」
ひっくり返り気味のまひるの笑い声を背に受けて、俺は電車に乗り込んだ。
振り返ってまひるの顔を確認することはできなかった。
自分で公言した家訓を破るとこを見られるワケにはいかないからな。
「……秋ちゃん。まだ泣いてるの? いい加減泣き止んだら?」
俺の頭を撫でる手の上から母さんの声がした。既に母さんの服はびしょびしょだ。
「……甘ったれ」
兄貴の呆れた様な声がするが、無視した。
「……やっぱ俺の息子だなぁ。カッコつけどころが分かってる」
なんて親父の声も聞こえた。
ソレから数分間、俺は母さんに寄り添ってぐずっていた。コレがある夏の終わりの記憶。
「……っ!」
突然目が覚めた俺は、部屋の明かりを点けっぱなしにしていたことに気づいた。
「……まひる」
誰に言うでもなく呟いたのは、紛れもない従妹の名前だった。