第十一話
「『好き好き愛してる』って言った相手のことすら、ホンの数年経ったら『何で好きになったんだか分かんない』とか言えちゃうお前らだ。今気の向くまま、思い付くままに嫌がらせしてる相手にも、どうせ『何でいじめてたんだっけ?』とか言うんだろ?」
誰に頼まれたワケでもない。
「そんで『いじめてたんじゃなくってイジってたんだよ』とか都合のいい変換をして! もうソレで終わりなんだ、お前らの中では」
ソレでも……一世一代。
「お前らにとっては卒業するまでの僅かな期間の暇潰しなんだろうな。でも本人にとっちゃ、もう人生の傷だ。お前らと離れて別の高校や大学に行ってもさ……友達を作ろう、声を掛けようと思う度に、絶対チラつくぜ。『また同じ目に遭ったらどうしよう』『目を付けられたらどうしよう』ってな。賭けてもいい」
戸山秋色、渾身の演説が始まった。
「シャレにならないよな。大した理由もなく人に嫌がらせしてるヤツが、ソレを大して悪いことだと思ってないんだぜ?」
俺はそこで一旦天井を見て、深呼吸する。
「……俺なら、殺す」
自分でも驚くほどに低くて、やばい声が出た。
「だってそうだろ? 面倒臭いからペットボトルのキャップそのまま捨てちゃえってくらいの気軽さで人の人生狂わせといて、本人はそんなこと簡単に忘れて、友達作って、恋人作って、結婚して、家庭を築いて! 自分の子供には『優しい人になりなさい』とか……ほざいちゃうんだろ? ああ、今想像しただけで吐き気がする……!」
そろそろ先生がこちらに駆け出して来る頃かな?
俺はドアの前に立っている宗二とタケシくんにハンドサインを送る。二人が頷くのが見えた。
「そんで……もし同窓会か何かの時にふざけんなよって言われたらさ、お前らは言うんだよ。『え、そんな昔の話、今持ち出されても困るんですけど』ってな。ソレどころか『今までずっとそんなこと考えて生きてきたの? そんなことやめて楽しめること探した方がいいよ』って、加害者も傍観決め込んでた周りのヤツらも、被害を受けた側が暗い、悪いみたいなことを言うんだよ! 対岸の火事だって思い込んで、一歩間違えば自分がそうなってた事実を棚に上げてさ!」
俺は声を張り上げた。途中から聞こえていたギリギリという不快な音は、俺の歯が立てていたのだと気づく。
「そう考えたら、もう腹立ち過ぎて狂っちゃいそう。今の内に殺しといた方が世の為なんじゃないかとすら思うよ、俺だったら」
そこまで言った俺の脳裏に、あいつの顔が浮かぶ。
作り笑いを貼りつけた顔。
気だるげで、眠たげな無感情な半目。
涙を流しながら俺にしがみついて、クソ女共への報復を止めた都。
「でもさぁ……そいつはやり返しもしないし、恨むこともしたくないんだってさ。何故だか分かるか……?」
そして、涙を浮かべたまま、俺に微笑んだ都。
「……やり返したら、お前らと同じになっちまうんだよ。お前らごときに嫌がらせされて、ダメージを受けたって事実を受け入れたくないんだよ。お前らにされたことなんかどうでもいいから、自分の人生目一杯楽しんで幸せになってやるって……ソレが自分の復讐なんだって、そう思ってるんだよっ!!」
──アレ? 何だコレ。
自分の手の甲に落ちた雫に驚いて、俺は一瞬気を逸らす。
「──っ」
ああ……俺の、涙か。
自然に溢れてしまっていた。あいつの思いを知った、あの時を思い出したら。
あいつの心を受け取った、あの時を思い出したら……!
「ソレを聞いた時、俺は沸点を飛び越えた。血管がブチ切れそうになったよ。きっとお前らは……そいつのその気高い心を一ミリも理解せず、『何も抵抗しないならラッキー。好きなだけやっちゃおう』て、どこまでも自分にとって都合のいい解釈をするんだろうなって思ったらさぁ!!」
俺は沸騰しそうな頭の熱を逃がすように、両手で机をバン、と叩いた。
「そうだよ。実際のところ言うとそいつは関係ないんだ。そいつはただのキッカケなんだ」
……ごめんな、都。怒ってるか?
「俺がムカついただけ。どうしても。どうしても、どうしても、どうしても!! 飲み込んで自分の腹の中に据えておくことが出来なかった、このムカつきを叩き付ける場所が欲しかった! ソレが! 今俺がここにいる理由だ!」
ソレとも、泣いてるか? ごめん。
「いいよなぁ? お前らも何かテキトーに、家庭や学校生活のムシャクシャを叩き付ける、都合のいいヤツを見つけて、実際そうしたんだろ? ソレと同じことだよ!」
ああ、喉が痛くなってきた。水持ってくりゃ良かったな。ボーカリスト失格だ。
「こんなんじゃまだ収まりがつかないぞ! 今度はソレを見て見ぬフリしていたお前ら教師だよ!」
そう言って俺はドアの方を見た。
多分あの外には、ドアを叩いて何やら叫んでいる教師がうじゃうじゃいるのだろう。
「ホンっっっっっっトお前らは髪の色や、シャツが出てるのや、ズボンがズリ落ちてるのや、煙草の臭いがするだとか、そういうことにだきゃ警察犬よりも鼻が利くクセに、いじめの臭いには鈍感なんだな!! ソレともそういう空気は無味無臭なのか! ああ!?」
横目でドアを見ると、宗二がこちらを見て二本指を立てている。
……任せろってピースサインか?
「いいかよく聞け! 髪の色も! シャツが出てるのも! ズボンがズリ落ちてるのも! 煙草の臭いも! 見逃しても人は死なねえけど、いじめは見逃したら人が死ぬぞ! 覚えておけ!」
……ソレともあと二分くらいしか持たないって意味か?
分かんねえよ!
「でもお前らは卒業式の後の教室では『コレからも人には優しくしましょう。みんな仲良し。このクラスは最高のクラスです』とか言っちまうんだろぉ!?」
どうやらさっきの宗二のピースは『二分』だったようだ。
その証拠に今宗二は人差し指を一本立ててこちらに向けているし、その後ろでは、ドアの隙間からモップの柄などが数本差しこまれている。
「──ふざけるなよ。こんな言葉のどこに“お前”がいるんだ! 円滑に進めるだけの便利な言葉でも、言わされている借り物の言葉でもなく、自分の言葉で喋れよ!」
もう時間がない。でも、コレでいいのか……?
いや、立ち止まるな!!
どうせ後悔することは、今の時点で分かり切っているんだ!
「そんな誰かが作った異常な空気に流されるまま、おかしいことをおかしいと気づけないまま過ごすな! 考えてみろよ!! 自分の弟が! 妹が! 従妹が! 親戚が! 家族が──ちゃんと想像しろコラ!」
ゲームがめちゃくちゃ上手くて、友達が欲しくて、色々と頑張っていて、虐げられたとしても、その相手を攻撃しようと思わない、優しい都。
「──好きな人が! イジってるだけとか言っていじめられてたら!! 許せないだろ! ソレでいいんだよ! 当たり前のことなんだよ!」
誰かに助けて欲しくて、ソレでも怖くて、精一杯の、小さな分かりづらいサインを出すことくらいしか出来ない都。
「別に大したことはしないでいい。『おかしいんじゃないか……良くないことなんじゃないか』って! そう思って行動してくれるだけでいい! ソレで『お前大げさじゃないか』って言われてもいい! ソレくらいのことで、もしかしたら怖くて堪らないのに『助けて』って言えない誰かを救えるんなら安いモンだろ!!」
そんな彼女を、俺は守りたいと思った。
「分かってて『助けたら次は自分が……』って見て見ぬフリしてるヤツらも! そいつが学校来なくなっても! 死んじまっても! 何も感じないのか!?『自分じゃなくて良かった』なのか!? ソレでいいのか?」
その決意を、思いを遂げるのは今だ。ここが正念場なんだ。
「よく考えろ! 今お前が置かれている状況は、ソレでいいのか! お前の心は、行動は、ソレでいいのか! ……よく、考えろ!! 考えて……くださいっ!!」
そう言って俺はマイクの置かれた机に頭を打ち付けた。
……言った。言いきった。
「秋! ゲームオーバー!」
宗二の声がした方を見ると、とうとうドアを破られ、教師達が踏み込んできた。
「ワケの分からねぇ理由で、人をいじめてるクサレ〇〇〇どもも! ソレを見て見ぬふりしている先公もお前達も! みんなうんこだ! そんなワケで聞いてください。『うんこまみれの義務教育』あー! うんこうんこーッ!! うんこうんこうんこーッ!!」
既に言いたいことは言ったのだが、残された時間の少なさにテンパった俺は、何だか珍妙なことを叫んでしまった。
そこで、あえなく教師達に捕えられることとなった。
「うぅ……元カノに校内放送で復縁を申し込ませてくれるって言うから手伝ったのに……」
並んで連行されるタケシくんが嘆く。
「はっはっは、ごめんよタケシくん。でもきっとコレで彼女もタケシくんを見直すよ」
俺はカラカラと笑いながら、そう言った。
「そ、そうかな?」
「うんうん、むしろ校内放送で告ったら逆に恥ずかしいことするなって怒られそうだよ」
後ろにいる宗二が笑う。
「コラ、喋るな」
『は~い』
こうして生徒指導室に連行され、ドアを開けると、そこには仁王立ちしているジュンコ先生がいた。
「……やってくれたな」
「お疲れ様で~す。あ、バリカンは持参してます。床に敷く新聞とゴミ袋も! 反省文はまぁ、書き慣れているので大丈夫だと思いますけど、頑張りまぁす☆」
俺は満ち足りた顔でウインクをした。
ジュンコ先生は味方だ。むしろ俺を都に接触させたのは彼女と言っても差し支えないくらいだからな。
「ぶふっ……!」
精一杯怒った顔をしていたのに、思わず吹き出してしまうジュンコ先生だった。
「ごほん……! はぁ、とりあえず携帯出せ。そんで、多分どうせ根回ししてるんだろうが、親御さんに連絡だ。ソレから坊主な」
事前に打ち合わせはしてある。後は詳しい事情を話して、ジュンコ先生からいじめの議題をぶちあげてもらい、他の職員を黙らせつつ、逃げられない状況を作ってもらう。根回し済みだ。
「は~い」
そう元気良く返事をして、俺は携帯を取り出した。
「ん……?」
携帯の小さなディスプレイにメールマークがあった。俺は携帯を開く。
「あ、コラ。開くな。寄こせ」
「鳴ったら困るからマナーモードにするんですー」
ぬけぬけと嘘を吐きながら俺はメールを開く。
《From:都 優美穂》
「……!」
心臓が跳ねる。
《件名:無茶なことして》
「……っ」
《本文:ありがとう》
「…………」
「……マナーモードにするだけにしては随分ホっとした顔してるな、秋色くん?」
ジュンコ先生が、全部お見通しの顔でニヤついていた。
「……気のせいですよ。はい、携帯」
「……なぁ、あの子……今どういう関係なんだ?」
俺がガキ相応の反応をしたからだろう、嬉しそうにジュンコ先生が問い掛ける。
……関係、か。
「……交際を前提に友達させてもらってます」