第六話
「やっぱさ。妙に馴れ馴れしかったり純情ぶりっ子だったりさ、不自然な女って腹立つよな」
HR前の教室で、机を挟んで向かいに座る宗二にグイっと顔を近づけ、俺はそう言った。
既に暦は七月になっていた。
「何だよ唐突な」
苦笑いで答える宗二はどことなく嬉しそうにも見える。
「本性はかったる気な眼鏡でゲームオタクなのにさぁ、人前ではオシャレ女子気取りでキャピキャピ男に媚を売るのって最低じゃ~な~い?」
「あの時の……都さん、だっけ? 彼女のこと?」
「そう、ソレ。本当はあんなキャラじゃないのに学校だと無理矢理ニコニコして周りに合わせてるみたいでさ。気に入らない」
さすがに夜はいつもゲーセンでボコボコにされてる、とは言い難かった俺はソレだけ言って口を尖らせた。
「あー……」
「……何?」
「秋、怒るから言わない」
「何だよ言えよ」
「アキオコル。ダカラソウジ、イワナイ!」
「何でカタコトなんだよ。言えよ」
「怒らない?」
「……怒らない」
……多分、と心の中で俺は呟いた。
「この間、都さんと廊下で会ってからさ、ちょっと気になってバスケ部のヤツに聞いてみたんだ。『ピンクのカーディガン着たちょっと浮いた女子知ってるか』って」
「うん」
「そしたら、二年の時に彼女と同じクラスだったヤツがいてさ」
「うんうん」
「あー……えーっと」
「言えよ」
「……『あぁ、あの何かヤレそうな女子』って」
「……ふぅん」
「ホラ怒った」
「……怒ってませんけど? ちょっと血圧が上がって血管がビキビキしてるだけですけど?」
「ふっふっふ。やっぱここで怒らなきゃ秋じゃないよ。俺も聞いた時ちょっとイラっとした」
「いいから続き」
俺は唇をへの字に保ったまま、先を促す。
「はい。何でもその……当初はゲームとかアニメとか好きなオタク男子とよく談笑していたそうな」
「ふむふむ」
「しかし生まれ持っての甘い声のせいか、ソレともその魅惑のバストのせいなのか、さっきのオタク男子達はあっという間に恋に落ち、彼女に告白する者が相次いだんだとか」
恥ずかしいのか、少し伏し目がちに声を小さくして宗二が言う。
「ハッ。散々女子にキモいだの、オタクセーだの、バイ菌扱いされてた童貞らが、急にその女子より可愛くてエロくてオタクトークできる女子と出会っちまったら、恋に落ちちまっても不思議じゃないな」
「お前も童貞だろ」
鋭いツッコミが入る。
「まだお前もな。ホラ続き」
俺は宗二に『俺は秒読み段階だもんね!』と言う暇を与えずに先を促した。
「しかし彼女にはそんなつもりは無かったらしく、お断りしたワケ」
「ほほー。そりゃあ童貞どもには、さぞキツかったであろう」
「うん。でも彼女は『友達でいて欲しい』と涙ながらにお願いしたらしい」
「はいぃ?」
ソレはまた、随分と都合のいい。
「そんなワケで面白くないのは他の女子達だ」
あの時の、廊下でのアホ女の言葉を思い出す。
──ちげぇだろ!! 男に媚び売るなって言ってんの!
「あー……なるほど。そいつらから見たら男子に媚を売って告らせてるのにフって、でもキープはし続けるビッチに見えるワケだ」
「……そんなワケで男子からは『話し掛けるとすごい嬉しそうな顔するヤレそうな娘』と見られ、女子からは『男子が好きそうな話題ばっかで盛り上がってる媚び媚び娘』と見られてるワケだ」
「はぁぁ……なるほどね」
「……どうすんの秋?」
宗二が少し期待するような目を俺に向ける。
「どうって……どうもしないよ」
「可哀想だと思わない?」
「思わないね。今の話の感想だって『登場人物みんな勝手だなぁ』くらいなモンだ」
「あれまぁ意外」
「だって自分で何とかしようぜそんくらい! 仮に宗二がそいつの立場で『女子に色目使ってんじゃねーよヤリチン気取りが』って言われたら? 実際言われたことあるだろ?」
「『いやぁイケメンですんまっせーん! もうね、心根がイケメンだからレディには優しくしちゃうんですぅ~。真似していいよ!』て答える」
嫌味になるくらい爽やかな笑顔で言いやがる。でもコレでいいんだ。
「だろ! そうやって反撃するだろ普通!」
「ちなみに秋だったら?」
「『俺がモテるのではない! お前がモテないのだ! 自分のザコさを棚に上げて人のせいにしてんじゃねーぞ、生ゴミ』って答える」
「はっはっは! 敵作るわそりゃ」
「……でもそういうことだよ。遠巻きに『あいつムカつく』とか吠える雑魚はいるだろうけど、『こいつは反撃してくる。噛みつくには高くつく』とさえ思わせれば、直接攻撃してくるヤツはいなくなるよ。自分は被食者じゃないと知らしめなきゃ」
「まぁ、そうだね」
「ソレをせずに、作り笑い貼り付けてただただ耐えるなんて、不健康だよ」
「そうだね」
「そういうところ女っていうか、腹立つから反撃って感情よりも『悲しい、あたし可哀想なの』って悲壮感を優先させるのが気に入らないの」
「まーた女嫌い病か? 無理すんなって秋。そう嫌なところばっかじゃないぞ」
「なんつーかさ。やっぱ裏表あるのはよくないと思うんだよ。思ってもいないよーなこと言って、機嫌取ってさ」
「そーゆーあんたは女を差別したり批判できるほど男らしくできてんの? 童貞」
声のした方を見ると、そこには不機嫌な顔で腕を組んだ赤西がいた。
「……智美、どしたの? 『恥ずかしいから教室では話しかけないで!』とか言ってたのに」
宗二が少し嬉しそうな顔で尋ねる。
「……いや、こいつが聞こえよがしに喚いてるから。『思ってもいないようなこと言ってんのはあんただ』とみんなを代表してツッコミにきたの。自分には関係ないって切り捨てるならイライラするのもやめなさい。中途半端は男らしくないわよ」
「……赤西」
俺はゆらりと立ち上がり、赤西の目を真っ直ぐ見た。
「……何よ。やんの?」
「……女がみんなお前みたいだったら良かったのに」
「はえぇ!? 何言ってんのこいつ!? 頭打った!?」
俺の言葉に仰天した様子で、赤西は俺の顔面に唾を飛ばした。
「やっぱ明け透けで、何考えてるか口に出してくれる方がいいな」
「……よく分かんないけど、誉められてるなら調子に乗っとくわ。存分に誉め称えなさい」
彼女はご満悦といった様子で、腕を組んだままふんぞり返った。
「……ねえ」
いつの間に立ち上がったのか、俺と赤西の間に宗二がニュっと顔を突っ込んでくる。
「わっ、何?」
「……俺以外の男子と、笑って話さないでくれる?」
『急にめんどくさいモードに入るな!』
俺と赤西は同時に宗二の頭を引っ叩いた。
「俺をヤキモチの対象にすんな、アホらしい!」
「中学男子みたいなことを言い出さないでよ! あ、中学男子か!?」
と赤西がツッコんだところでジュンコ先生が入ってきて、HRが始まった。
……焼却炉って結構危ないよな。
そんなとこに生徒が近づけるってのもよく考えてみれば異常な気がするんだが。コレはウチの中学が田舎で遅れてるから野放しなだけなのか? 分からん。
ゴミ当番の俺は、この国の決まりごとに疑問を感じながらも、ゴミ箱を片手に校舎裏の焼却炉へと一人歩いてた。結構重くてプルプルしてるのに何故か両手でなく片手でしか持とうと思わないのは、きっと俺が思春期の男子だからなのだろう。
辿り着いた先で、俺はある光景を目撃した。アレだ。秋色は見た、というヤツだ。
あの時、廊下で都をいじめていたヤンキー女二人が、焼却炉の前でその手に持った小さなローファーをプラプラさせているのを。
「…………」
……うん。短絡的に考えるなら……やっぱアレ、都の靴だよなぁ……。
はぁ……変なとこ目撃しちゃったなぁ。どうしよう。
「じゃあ……いっちゃう?」
「いっちゃう~?」
「いっちゃわないねぇ」
そう言って俺は、ニヤニヤしていたヤンキー女の後ろから、その手に持たれていたローファーを奪い取った。
アレレ? さっきまでどうしようとか考えていたのに、何だこの行動力は。何が俺をそうさせた?
「なっ! 何だよてめー!」
「返せよソレ!!」
ヤンキー女二人が、狼狽した様子でこちらに怒鳴ってくる。
「捨てんのコレ? 見たところまだ新し目っつーか、全然使えそうだけど。勿体無い」
「てめーカンケーねーだろ!」
ギャンギャン吠える狂犬のように、ヤンキー女は声を荒げた。
「まあそうだな」
確かに。ホントソレな。俺も自分は関係ないと思ってる。なのに何でこんなことしてるんだかは分からんが、何故かイライラする。
「じゃあ返せよソレ」
「コレキミらのなの? サイズ合わなくて捨てちゃうとか?」
「あんたにカンケーないって言ってんだろ。返せよ」
「俺の思ってる通りなら、お前らは馬鹿だな」
何だか勝手に口が動くぞ。発現した別の人格が喋っているのを眺めているような気分だ。
『はぁ!?』
「もしこの革靴が他の誰かの物で、キミらがそいつを気に入らないから嫌がらせしようってんなら、余りに考えが足りな過ぎる。何故なら俺達は中学三年生……受験生だ。こんなことしてキミらが得られる満足感なんかより、このことが明るみに出て教師達の心象や内申に傷がつくリスクの方が、遥かにデカイと思うけど?」
「……っ」
小さく唸るヤンキー女達。
「まさかそんなことも考えていなかったのか? 先のこと考えないで目の前の快感だけ求めるなんて……本物の馬鹿だな、いや獣か?」
「うるせーよ。何なんだよてめーは気持ちわりーなぁ!」
「名前もクラスも書いてないけどコレ、あの都とかいうブリっ子のだろ? さすがにいつまでも反撃せずにされるがままの人間がいるとは思えないけどねぇ。そんで反撃されたらもうお終いだぁ。キミらは無条件に味方してもらえる程に、親や教師達から信用されているのかぁ?」
「……何勘違いしてんだよ」
「……勘違い?」
少し慌てていた先程までとは違い、余裕のある表情になったヤンキー女が馬鹿にしたように嘲笑う。
「そうだよ。ソレは確かに都の」
「ほう」
「だけどウチら都に頼まれただけだし。『サイズ合わないからゴミ当番なら一緒に捨てといて』って。友達だから」
「へー。友達」
……何か俺、血管がぴくぴくしてきたぞ。
「そうだよ。何だったらみんなのいるとこであいつに聞いてみたら?」
「そーそー!」
……あーなるほど。恐らくコレがこの国でのいじめ問題に於いて最大のガンだな。
実際に俺が彼女らのクラスに乗り込んで、あいつに事の次第を問うたとしても、きっと彼女は圧力に抗えずにこのヤンキー女共の話を肯定してしまうのだろう。
既に心を折られている被害者が加害者にとって不利益になることを口にできるワケがない。そんなことを言ったら後でどんな目に遭わされるか分かったモンじゃないから。
だから益々増長した馬鹿共が無抵抗の相手を一方的にサンドバッグ化できるのだろう。
そして何より腹立たしいのはそんな『言わされてる言葉』を額面通り真に受け、問題ないと判断を下す周囲の人間や大人達だ。
いや、本当は分かっているのだろう。
でも本人の口から助けを求められたワケでもないのに、取り上げて問題にする程みんな行動力や精神的に優れているワケでもないのだ。
生徒は、次に自分が標的になるかもしれない恐怖。
教師は、生徒のプライバシーに踏み込んで問題になった時の責任問題の重さ。
……ソレらが、目の前の一人の人間を助けたいという気持ちに勝っているだけなのだ。
「分かったらソレさっさと返せよ!」
「……嫌だね。何だかすっげー腹が立った」
「あぁ?」
「やっぱお前ら馬鹿だな……先のこと考えてねーよ……いつから俺が女は殴らないヤツだと勘違いしてたんだ?」
「……っ」
「そ、そんなことしたら、てめーがさっき言ってたみたいに、センコーの評価や内申が終わるぞ!」
「そ、そうだよ! 先のこと考えられないヤツは獣なんだろ!?」
明らかに怯えている様子のヤンキー女達が、喚き散らす。
「その通りだぜ……俺は馬鹿な獣なんだ。もう後先の人生なんてどうだっていいんだ……気に入らなかったらぶん殴って、ムカついたら殺しちまうんだ」
勿論ハッタリなのだが……正直、俺の中にそういう性質があることは、自分自身気づいている。
だから、コレは全くの嘘ってワケでもない。
そのおかげで妙な真実味があったのか、ヤンキー女達はビビりまくっている。
「そ、そもそも何なんだよてめーは! ウチらともあいつともカンケーねーだろ!」
……言われてみりゃそうなんだよなぁ。でもここでこいつらにこのローファーを渡すのは絶対に嫌だ。
……どうしよう? 何て言おう?
「お前らは……甘い」
「は?」
「甘い?」
「あの女にダメージを負わせたいのなら、焼却炉なんてヌルい」
「はぁ?」
首を傾げるヤンキー女共。俺も内心『はぁ?』だ。何言ってるんだ俺は。
でもここで正直に、あの女を助けたいから返さないぞなんて言いたくない……!
「そう、真に精神的ダメージを与えたいのなら……変態男のコレクションに加えてしまうのだ──っ! 俺のような、な!!」
「はぁ!?」
「キモっ!」
「このローファーの内側に女の子の足の裏が触れていたんだって考えるとたまらねーぜぇっ!! もっと! もっとだ! お前らのでもいいんだぜぇぇっ!!」
「ぎゃあああ逃げよ! こいつやばいよ! 控え目に言ってもキチ〇イだよ!!」
「先生に言いつけるからね!!」
そう悲鳴じみた捨て台詞を残して、ヤンキー女共は逃げて行った。
「しまった……先生か……先生はマズイなぁ」
あぁ……青い空、白い雲よ。
一人小さなローファーを片手に、焼却炉の前に佇む俺は、天を見上げ自分の馬鹿さ加減を悔やむのだった。
案の定、放課後俺はジュンコ先生に呼び出されることとなり、誤解を解くのに四苦八苦する羽目になった。




