第二話
今日も世界が濁って見える。四月の桜も、五月の鯉のぼりも、六月の雨も……て、コレは元々か。何もかもが疎ましく感じてしまう。
あぁ……また『死にてぇ』とか考えながら昨日を生きてしまった。今日を『生きたい』と考えながら死んでいった人がいるのかも、と思うと申し訳ない気分になる。
……まぁ、実際に俺が死ねばその人は満足なのかと考えると、ちょいと違う気がする。
いや……分かってるよ。ならばどうするのが正解なのかなんて。
でも無理だ。今はまだ無理だ。その選択には幾ばくかの前向きさを要するのであって、今の自分はそんな前向きさなんて言葉から、対極に位置する存在でして。
理由は分からない。考えると頭がぼーっとする。
何かを忘れている気がして、思い出そうとすると、自分が立っていることが曖昧になってきて、充分に睡眠を摂っているのに、抗えないほど眠くなる。
自分の身体なのに、他人のように感じてしまう気だるさは、成長期特有のモノなんだろうか。
ゴチャゴチャと考えてしまうのも、その末に毎度自己嫌悪に着地してしまうのも、思春期特有のモノなんだろうか。
そして極めつけに、常に何かにイライラして、世の中を斜に見てしまうのは、反抗期特有のモノなんだろうか?
でもコレでも、少しはマシになったはずなんだ。
何とか、俺は学校に来れるようになったんだから。
少し前。二年生の……いつ頃だったか?
記憶が曖昧だが、二年の後半から三年になるまで、俺はずっと家に籠っていた。
夜は眠れずに、起きていられる限界まで時間を潰し、意識が途切れるのを待って泥のように眠る。
何をするにも気力が湧かない、自分でも不思議な日々を送っていた。
何故か学校に行こうとすると気分が悪くなって吐きそうになる。原因不明の涙が止まらなくなる。
自分で自分が不気味で、情けなくなった。
そんな俺に父さんや母さんは妙に優しかった。俺を叱りつけることはしなかったし、どんな時間に俺が起きても食事を用意してくれていたり、話をしてくれた。
一度夫婦揃って、俺を抱き締めながら号泣したことがあって、俺は二人の腕の中で困惑したモノだ。
そして春休みが終わり、俺は三年生になった。
始業式には間に合わなかったモノの、俺は俺なりにこのままじゃダメだと思っていたこともあり、そのことがキッカケで両親に迷惑をかけている情けない自分を自覚した。どうしようもなく腹が立って、そんな自分を無くしてやろうと無理矢理学校に行った。
懐かしいと感じてしまう自分に若干のショックを感じながらも、俺は自分の通学路を一歩一歩踏み締める。
「…………」
踏み出す毎に脚が重くなり、重くなる毎に踏み出すのが辛くなる。
『──あ』
ここでも俺は、周囲に迷惑をかけていたことを思い知る。
親友の井上宗二が、我が家と井上家からの通学路、その合流地点で遅刻ギリギリの時間まで俺を待っていた。
……多分、毎日。
「秋……おはよ」
宗二の泣きそうな笑顔を見た瞬間、俺も泣きたくなった。
「うん、おはよう……宗二」
「…………」
「…………」
「学校……行くの?」
「ああ、俺は学校に行く」
「もう大丈夫なん?」
「まぁ家での修行は一段落、て感じ」
「修行?」
「うん。母さんから色々と料理教わったんだ。カレーに肉じゃがに生姜焼きに」
「マジかよ。スゲーじゃん」
「でも、チャーハンは宗二流」
「ん?」
「前に宗二ん家に泊まった時、作ってくれたじゃん?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。一般宅にあるコンロの火力じゃ、お店で出るようなパラパラなチャーハンは作れない。予め米と卵を混ぜておいて炒めれば、卵がよく絡んだチャーハンになるが、パラパラどころかベチャベチャになる」
「うん」
「そこでお前が出した結論は……しっかりと米や具に熱が通った状態で鍋を振りながら卵を最後に入れる! だっ! コレならガッツリ米を卵に絡ませつつパラパラとまではいかんがそこそこ……まぁまだマシ? って感じになるのだ!」
「うん」
「俺は井上流のチャーハンを極めたと言えよう。今やお前のチャーハンは完全再現できるぜ」
「うん、スゲーじゃん」
「でも……だ」
「うん?」
「やっぱりどうせなら、ガッツリ卵と絡みつつもパラパラなチャーハン作りたいじゃん?」
「うん」
「コレは家に閉じ籠もって練習してても解決できない気がしてな。誰かとの相談や意見交換が必要だと感じたのだ」
「秋……もしかしてソレで?」
「うむ! 俺は真のパラパラチャーハンを求めて学校に行くぞ!」
勿論嘘だ。大嘘だ。
でも、何でもいいから自分は目的があって学校に行くのだと宣言したかった。
ソレが叶うまで、もう登校拒否などしないと決意表明をしたかった。
……俺を信じて待ってくれていた親友を、安心させたかった。
「…………」
「…………」
「ふっ……ふふ、ふ……」
「くっ……くっく」
「ふっふっふ……秋……お前、チャーハンの為に学校行くの?」
「くっくっく……そうだ。ガッツリ卵の絡んだチャーハンの為に!」
「あっはっはっは……! パラっパラのチャーハンの為に!?」
「はっはっはっは……! そう! パラっパラのチャーハンの為に!」
『あ──はっはっはっはっは!!』
「はっ……ははっ! げほっ!」
「ひ……ひっひひぃ……!」
涙が出るくらい大笑いした。何だかおかしくておかしくて、笑えて笑えて仕方なかった。
二人して存分に大笑いした後に、俺達はどちらかとなく抱き合った。
「宗二……! 悪い……待たせた……!」
「おう……おかえり! 秋……!」
俺は誓いを立てた。こいつに何かあった時は絶対に力になろうという誓いを。
「皆の衆、ただいまっ!! はじめましての人ははじめまして!! 戸山秋色十四歳、ちょっとお茶目な男の子! 伝説のラーメンスープを求めて修行の旅に出てましたが、この度帰ってまいりました!!」
「チャーハンじゃなかったのか……」
教室に入ってからの、クラスメイト達の持て囃し過ぎず、放っとき過ぎずの距離感にも驚いた。驚きながらも救われた。
もしかしたら、俺はクラスの皆を救う戦いに一人挑み、その戦いで負った傷が原因で記憶をなくし、休んでいたのかなんて妄想をしてしまったほどだ。
そんなアホな妄想はさておき、一週間もすれば俺は学校に慣れ、学校は俺がいることに慣れたようで、当たり前のように寝て、起きて、食べることができるようになった。
何も変わらない。俺は復帰したと言って差し支えないだろう。
あぁ、一応音楽の先生が変わったとか、細かな変化はあったが、些細なことだ。
あと、何かウチの父さんらしき男が、その以前の音楽教師をぶん殴ったとか、根も葉もない噂が出回ったらしいが、その先生は父さんはおろか俺とすら面識もないのだ。たまたま似たヤツに殴られたのか、全くのガセだろう。
兎にも角にも、その日から俺は学校生活を再開したのだ。




