第九話
「ズバリ、男装で行こう」
夕食時。俺は今まで練っていた作戦を伝えることにした。
「ええっ? 同じ腐女子として近づいた方がよくない? ソレに現実の男嫌いって言ってたじゃん。むしろアレ絶対男絡みでリスカしたでしょ……!」
夕食を作っていてエプロン姿のくるりがお玉を持ったまま慌てた声を出す。今日はシチューか。できれば野菜がドロドロに溶け込んでくれていると助かるんだが。
「だからこそだよ。女友達は既にいた。あんな性癖開けっ広げの親友がな。女として、友達として彼女の支えになっても効果はないのかもしれん。彼女が命を殺めるとしたら、やっぱりリストカットが一番に思い浮かぶ……だよな? リトラ」
俺は視線を落とし、俺の膝枕で猫みたいにウトウトしていたリトラに声を掛ける。
「その可能性が高いです。父親絡みの可能性は低いかと」
眠そうなとろんとしたその瞳を無理矢理に律して、いつもの調子でリトラが答える。いや、やっぱりいつもよかまどろみを帯びた声な気がする。前の俺じゃ気が付かなかったろうけど。
「さっきチラッと話に出てたけど、最初彼女は現実の男に恋をして、失恋したことからそんな癖がついちまったんだと思う。そんで今じゃ嫌なことがある度にやっちまってるんだ。あのままじゃその内にうっかりいつもより深めに自分を傷つけて、取り返しがつかなくなる日がくるのも時間の問題な気がする」
「何でそんなことするですか? いてーですよぉ……」
くるりの傍で料理を教わっていたのだろう。最近買ってきた猫のエプロンの裾をぎゅっと握りながら、リライが呟く。
「あぁ、だから彼女にもう少しタフになってもらう必要がある。失恋や嫌なことがあると手首を切るなんて悪癖も、そんな思考回路も治す必要があるんだ」
リライの頭を撫でに行こうとリトラを起こし、立ち上がりながら俺はそう言った。
「でもさ、あーゆー手合いのリスカってファッションみたいな、新しい自分に生まれ変わるスイッチみたいな意味合いがあるんじゃないの? 切った後に水に浸けなきゃすぐに止まるって話だし。ちょっと分からないでもないって言うか……」
くるりが先にリライを撫でながら、そんなことを言う。
「お前、やってねえだろうな?」
「や、やってないよ……」
「目を逸らすな……! ちゃんと答えろ!」
くるりがびくっと身体を震わせた。隣のリライもだ。
「やってないってば! 大きな声出さないでよ!」
「……分かった」
何か知らんが妙に頭に血が昇った。深呼吸だ。
「……そういう自傷行為をするバカってのは、その行為が周りの人間を傷つけるっていう当たり前のことを分かってないんだよ。もしくは周りに爪痕を残して死んでやろうって考えにまで至っちまってるヤツだ。後者だったらかなり厄介だな。そいつを矯正するだけでなく、そいつにそうさせた周囲の環境を矯正しなきゃならない場合がある」
「今まで、秋色兄さんがこなしてきた案件のようにですね」
「うん。でも見たところ彼女はまだそんな追い込まれてるように見えないし、むしろ人生を楽しんでいるようにさえ見える。比較的接触しやすいんじゃないかな?」
空気が悪くなっていたのを自覚していた俺は、努めて明るい声でリトラの声に答えた。
「そ、そうかな?」
くるりも俺に釣られて、少し弾んだ声で乗っかってきた。
「ああ。だからお前はロリくるりとしてではなく、ショタくるりとして彼女をオトせ」
「ボク、十五なんだけど。ロリでもなければショタでもねーし」
俺がビシっと指を差すと、くるりはジト目になってそう言った。
「お前見た目はもっと幼いぞ。ソレに十五と言っても高一か中三かで大分印象変わるぞ」
「高一です。学校行ってないけど」
「知ってる。さっきの娘は二十二、三てとこか。丁度いいんじゃないの? ショタ好きでありつつも、実際リアルな恋愛対象となるギリギリってとこじゃん?」
「ギリギリ恋愛対象って……」
「うむ。リトラだとちょっと犯罪の匂いがしちゃうからな」
当初リライをエロい目で見たことがある自分を棚に上げて、俺はしゃあしゃあと言ってのけた。
「?」
リトラが首を傾げる。あぁ、リライの癖が移っちゃったな。
「んー……」
くるりが不満そうとまでは言わないが、どこか腑に落ちきっていない様子で小さく唸る。
「何だよ」
「な、何か、さー……『ギリギリ恋愛対象だ。頑張れ』って、萎えるなー、て」
一瞬流し目で俺をチラッと見てからくるりがぎこちない声を出す。
「はい?」
「何かもっとこう、やってやんよ! って気分になるような、気持ちが奮い立つような言葉は掛けれないのかなー、と」
「…………」
「…………」
「……くるり、お前は美形だ」
そう言って俺はくるりの両肩に手を置き、その瞳をじっと見つめた。
「ま、またぁ!?」
「俺はそんなに顔に自信あるワケじゃないからな。お前が妬ましくて知らず知らずの内に冷たい言い方になってしまったのかもしれない」
「そ、そんなんじゃ騙されない!」
俺に両肩を掴まれながらも、くるりがそっぽを向く。
「お前は可愛い。かつカッコいい。おまけに料理もできるし絵は上手いしゲームも強い。何だこの万能っぷり。趙雲かお前は」
「ぶはっ!」
「カワカッコいいよくるりくん。くるりくんカワカッコいい。もしお前が学校に通って制服を着てJKくるりになっていたら男子からも女子からもモテまくりのスーパーハーレム状態間違いなしであったろう……」
「ああ……もう……!」
「そうだろうリライ、リトラ?」
「クルリかわかっこいーですよ!」
「カワカッコいいと思います」
「……駄目?」
ちょっと困ったような声を出して、俺は再びくるりの瞳を見つめた。
「……やるよ。でも次は、もっとやる気になる言葉を考えといてよね」
「うんうん。偉いぞくるり」
俺はそう言ってくるりの頭を撫でてやる。
「見てるから、みんな見てるから……!」
くるりは真っ赤になってそう言うモノの、俺の手を払い除けようとはしなかった。
「男装でいくのは分かった……で、ボクは今回どんなキャラでいけばいいの?」
くるりの方から促してくるとは少々意外だ。もしかして与えられたキャラを演じるのが楽しかったのだろうか?
一見自信満々な様に見えて、その実自分に自信のないキョドり屋のくるり。
彼女は素の状態で臨むよりも、役割や背景を与えた方がパフォーマンスを発揮するのではないかと俺は予想していた。
なので、この発言は助かる。
……今回はあのゴスロリスカ女の嗜好に合わせて、ショタくるりで行くことにした。だがくるりの言う通り問題はその役割の内容だ。
「さて、今回のキャラ設定は……普通の男の子にちょっぴりミステリアスな魅力を足した感じでいこうと思います」
俺は、いかにも参謀キャラですと言わんばかりのクールな声で、眼鏡をくいっと持ち上げる。
「アレ? あんな腐のモノと対等に趣味の話で盛り上がるにはやっぱりオタクキャラの方がいいんじゃないの?」
「ノンノンノン。ソレだと友達と同じさね。おまけにターゲットは男に対して警戒心を抱いてる。ソレを解消するにはちょっとオタク趣味に興味を持ってる普通の子くらいのがいいのさ。彼女がオタク趣味について語る度に、引いたりバカにせずに眼を輝かせながら『へー! そうなんですかぁ!』て言い続けろ。そうすればすぐに心を開けるさ」
「……ふむ。そうかなぁ」
どうもくるりは懐疑的なご様子だ。腕を組んで首を捻っている。
「じゃあ試しにリトラを今より純心にこやかキャラにして妄想してみ。お前が自分でもヤバイと思ってる趣味を打ち明けて、ソレをリトラが目をキラキラさせた満面の笑みで肯定してくれる場面を」
「…………」
「……どう?」
「……涙と鼻血が出そうになりました。求婚しかねないね」
俯き、片手を顔に当てながらくるりはもう片方の震える手で親指を立ててみせた。
「だろ? というワケで肯定系純真普通男子でいくぞ」
「了解。……で、普通って何?」
くるりがとろんとした目で聞いてくる。
「今更何言ってんだお前……普通ってのは、普通ってのは……何だろ?」
俺はとろんとした目でリライに振る。
「フツーって……何ですよ?」
リライがリトラへ。
「何でしょう?」
リトラがくるりへ……うん。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
……この空間、普通のヤツいねぇ。
「普通……常識人。俺みたいなヤツかな?」
「いや、あんたは変態だろ」
「アキーロは変態なのでフツーぢゃねーですよ」
「そもそも普通の人の元に、執行者は来ません」
「…………」
……泣くな俺!
しかしアレだな。リライと出会う前は普通と言われるのが嫌だったのに。いつから俺の中で価値観が変わったのだろう?
「と、とりあえず各々の思う『普通の人』を書き込んでいこう。リライ。スケブ」
「はいですよ」
アレだ。文化祭でも会議でも、企画を練るには、まずとにかく意見をバンバン言って書いていくモンだ。そうやって少しずつ方向性を決めていくんだ。
──そして十分後。
「……じゃあ、コレらを踏まえて、くるり。お前はどんなヤツだ?」
俺はスケッチブックを役者さんにカンぺを出すADの様にくるりに向けて立たせる。
そこには『学生』『親不在』『イモートと二人』『家事万能』『幼馴染み有』『トラブル』『平和主義者』『やれやれ』などと書かれていた。
「ボクの名前は久遠くるり。十五歳。どこにでもいる普通の高校一年生だ。両親は単身赴任で海外にいるので血の繋がらないグータラな妹と二人暮らし。そのおかげか料理や家事全般には自信がある。だというのに毎朝お節介な幼馴染みが起こしにくる。『おばさんに頼まれてるんだから』とか言って何かというと世話を焼く。他にも学年一の秀才や現役アイドル同級生やミステリアスな無口転校生などが次々とトラブルを持ち込んできて……はぁ。ボクはただ平和な学校生活を送りたいだけなんだけどなぁ。全くやれやれだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……こんな『普通の男の子』ラノベの世界にしかいねーよ!」
くるりがスケッチブックに大きくバツ印を描く。
「……安心したよ。コレを『普通』と定めることの狂気に気づけるくらいの正気が、お前にあったことに」
普通、普通とソレについてディスカッションしていく内に、徐々に自分達の常識感が欠如するというヤバイ方向へ向かっていたことを自覚し、俺は額に浮いていた汗を拭いながら溜息を吐く。
コレも一種のゲシュタルト崩壊なのだろうか?
「で、どーするですかー?」
少し焦った様子のリライが俺を見る。
俺はリライを安心させるように大きく頷いた。
「具体的な作戦を告げよう」
「具体的な作戦?」
「ああ。……くるり。お前は明日秋葉原にて、彼女が開店後即買いする『ショタラブ☆パラダイス予約限定版』を、彼女の一つ前か一つ後のタイミングでレジに行き、店員に欲しいと告げろ」
「え」
「当然店員は『こちらは予約されたお客様限定となります。て言うか18禁です。帰んなボーヤ』と言うだろうな。そこでお前はショボーンとしろ。ターゲットの視線に入る位置でな」
「そ……ソレで向こうが声を掛けてくるように仕向けろって? 声、掛けるかなぁ? 確かにショタ乙女ゲーを求めるショタってのはインパクトあるだろうし、間違いなく気にはなるだろうけど」
「向こうから声を掛けてくれればソレが一番だが掛けてこないならこっちから掛けりゃいいんだよ。『お姉さんこのゲーム買ったんですか? コレ、どんなゲームなんですか? ショタラブって何ですか?』って、瞳をウルウルさせながらな」
「な、難易度高いな」
「できるさ。そんで恐らく向こうはテンパる。少なくとも『ええ、君みたいな純真で何も知らないちっちゃい男の子がグッチョングッチョンにされちゃうゲームよ』とは言えないだろう」
「いや決めつけんなよな! 泣きゲーかもしれないだろ!」
くるりの鋭いツッコミが入るが、俺は調子を崩さない。
「いいんだよ。そしてテンパる彼女に畳み掛けろ。『どうして教えてくれないんですか? どんなゲームなんですか? 見てみたいです。やってみたいです。見せて貸して触らせて』ってな」
「め、迷惑なガキだな……」
「お前がソレをやるんだよ! オラ特訓だ特訓! まずは興味津々なキラキラ上目遣い!」
「リライもやるですよー! キラキラビーム出すです!」
「リライは常時できてるからこいつをお手本にするんだ! よし! リライ先生いつものお願いします!」
「リライ先生ですよ! 悔い改めやがれです! で、いつものって何ですかアキーロ?」
いつものようにリライが首を傾げ、鈴の音がする。その上目遣い! ソレだよ!
「例えば~? 俺の手の中に~? まだリライの食べたことのない甘~いお菓子があるとして~?」
俺はさも手の中に何かを隠し持ってる風を装って、丁度ギリギリリライが手を伸ばしても届かないくらいの高さに掲げて見せた。
「何ですか何ですかどこで取ってきたですか食べてもいーんですか何だかいー匂いがするですよ!」
リライが脱兎の如くやってきて、必死に俺の手からお菓子を奪おうとピョンピョン跳ねる。
犬や猫を飼ったことのある人には、そいつらの前で『ごはん』とか『お散歩』って言葉を口にした状態と言った方が伝わることだろう。つまりソレだ。興奮状態!
──て、いていてて。俺の身体をよじ登るなリライ!
「ホラコレだー! どうだこんなアホな嘘にもあっさり引っ掛かるくらいのピュアっぷり! お兄ちゃん正直心配!」
俺にしがみつき、涎を垂らさんばかりに顔を弛ませ目を輝かせていたリライを何とか引き剥がし、その肩を掴みくるりへと向ける。
「ニャー! 嘘ですかー!」
もっとも、すぐにリライは怒った顔になってしまったが。まぁ、あとでチョコでも与えれば一瞬で直るからいいや。
「というワケでビシビシいくぞ!」
「お、押忍!」
―
──。
────。
「ちがーう! もっと可愛く! もっと眩しく! はいもう一回!」
「く、くうぅ……! こ、コレ……どんなゲームなんですか?」
「もっとあざとく!!」
「どんなげぇむ☆ なんですかぁ?」
「そうだ! ソレだ!!」
「は、恥ずかしい……し、死にたい……」
「大丈夫大丈夫! 可愛いよくるりくん! キラキラしてる! 自信持っていこ! はいここ一本集中!」
「かわいーですよー」
「可愛いです」
「う……うるさいバカぁぁぁ……!」
──と、まぁこんな具合で夜が更けていった。




