肉食ウサギと草食ライオン⑥
井上先輩に相談に乗ってもらった翌日の、昼休みのことだった。
廊下を歩いていると、前方に井上先輩曰く自分よりモテるらしい留学生、エルク・マテリアルその人を発見した。
「あ……」
しかし僕は声を掛けるのを躊躇った。やはり一日も過ぎると決意というのは薄れてしまうモノなのか。彼がいやしないかと二年生の校舎を歩いていたクセにこの体たらくである。
何やってるんだ僕は。相手はあの井上先輩がいいヤツって言ってた人だぞ。ソレに、男の人だ。何を怖がる。
しかし、僕の躊躇いに拍車をかけたモノがある。彼の隣には女生徒がいたのだ。いや隣どころか、後ろにも。もはや彼は女子に囲まれていると言っても差支えないだろう。
彼、いや、彼らが正面から歩いてくる。このままじゃ脇を通り過ぎて行ってしまう。
──頑張れ凛音!
井上先輩の言葉が脳裏を駆け抜ける。
「あ、あの……っ!」
ギリギリ、彼が僕の横をすり抜ける瞬間に、僕は何とかか細い声を出した。
「……ん?」
そんな声を出して振り返り、僕を見つめる碧眼。とても綺麗な青だ。こんな目で見つめられたら女子は一瞬で恋に落ちるのだろうと、僕は瞬間悟った。
「僕に……何か用?」
気がつけば、マテリアル先輩だけでなく、周りの女生徒までこちらを見ていた。心臓が跳ね上がる。
……頑張れ。頑張れ凛音。あの時の勇気をもう一度……!
「ぼ、僕……一年の獅子堂凛音っていいます。エルク……マテリアル先輩ですよね」
「うん。そうだけど……あ、ああ! リオンって、井上くんが言ってた!」
そう言って彼はいぶかしむような表情を一転、破顔一笑させた。
……井上先輩が、僕が相談にくるかもって伝えておいてくれたんだ! 本当にありがたい……!
「は、はい……! 実は先輩に相談があって!」
井上先輩にマテリアル先輩。この学校トップクラスの先輩と、連日会話している事実に僕は興奮しながらそう続けた。
「えー! 何この子!? チョー可愛い!」
「え? 男の子? 一年生?」
「相談て何? おねーさん達が聞いてあげようか?」
しかし先輩と一緒にいた女生徒達が立ちはだかった。いや、本人達に悪気はないのだろうけど。ハッキリ言って女子がコレだけ群がってくるとかなり怖い。
「え、えと……僕は……あの……その……っ」
僕はしどろもどろになりながら視線を巡らせる。ちょっと泣きそうだ。
『……はう……っ』
そんな僕の様子を見てか、彼女達は感極まったような声を出した。
「ほ、保護しなきゃ!」
「ほ、保健室行こうかっ!? ホラ、ベッドもあるし!」
「だ、大丈夫だからね!? 何もしないから! 入るだけだから!」
よく分からないけど彼女達は慌ててそう捲し立てた。ワケが分からない。あと、何故か手首をがっちり掴まれて逃げられない。
……一瞬、兎川さんを思い出した。
「ぼ、僕、大丈夫ですから!」
「いーえ大丈夫じゃないわ!」
「お姉さん達に任せて!」
「すぐ終わるから!」
……何がだ? 怖すぎる。獣のような目をしている。あの時の兎川さんよりやばいことをしてくる気がしてならない。やっぱり女はケダモノなんだ!
「あー……ごめんねキミ達。獅子堂くんは僕の手伝いをしてくれるんだよ。その間にちょっと相談に乗って欲しいって話なんです……はい」
彼女達の後ろにいたマテリアル先輩が、静かな声で言った。ケダモノ達が一瞬で人間に戻る。
「あ……そうなんだ」
「はい……だよね? リオンくん?」
青い瞳がそう問いかけてくる。僕は夢中で何度も頷いた。
「手伝いって、実行委員の?」
「そうです、はい」
「じゃああたし達もてつだ──」
「そんな大した仕事じゃないから大丈夫だよ。キミ達は自分のクラスを手伝ってあげて、ね?」
『……はーい』
彼のとどめのスマイルにやられたのか、異口同音に彼女達は従い散っていく。
「あ……ありがとうございます」
僕は頭を下げながら言う。まだ指先が震えてる。
「どういたしまして。でも本当にちょっと手伝ってくれると嬉しいな。実行委員」
「は、はい! もちろんです」
そう元気良く返事をして、僕は彼のあとについて歩き出した。
「……誰もいないんですね」
「うん。正直、誰もいない方が作業に集中できるしね」
理科室の長机の上に、紙束を置きながら先輩は溜息を吐いた。
「二人で昼休み中に終わらせられるんですか?」
「うん、手が二つあれば何とかなるよ。あ、もしかしてお昼まだだった?」
僕はぶんぶんと首を振った。もう文化祭準備期間に入っているので授業はない。ご飯を食べる時間も一人でもんもんと悩む時間もたっぷりあったのだ。
「リオンくん……キミさ」
「は、はい……」
口許は笑っているものの、射抜くようなその視線に僕は身体を強張らせた。
「女が……嫌いでしょ? 相談ってのもソレに関することかな?」
「……!」
驚いた。出会ってすぐに看破されるとは。そんなに顔に出やすいのか僕は。いや確実に出やすい方だろうけど。でないとあんなに兎川さんにおもちゃにされない。
「……何となくそう思ってさ。この子もそうなんじゃないかなって」
「も、って……マテリアル先輩も?」
「あはは……エルクでいいよ。嫌いってワケじゃないんだけど……やっぱり、男としての立場で彼女達の話を聞いてると……たまに、疲れるよね」
苦笑いしながらそう言うエルク先輩。
「で、でも、すごいモテるじゃないですか。ソレなのに……」
「アレは……女の子の方が放っといてくれないから……僕としては、女の子ばかりと一緒にいたいワケじゃないんだよ?」
……い、意外だ……! しかし、使う者を選ぶ言葉だな。
「話を聞いてると『何言ってんだ』って言いたくなることばかりだし。ソレを聞いてニコニコ笑ってる自分がバカなことしてるなって思えちゃって」
「でも、先輩の近くにいる女子の皆さんは……先輩が好きなんですよね?」
「彼女達が好きなのは、僕の銀髪と碧眼だよ。僕の性格や人柄に恋をしているワケじゃない」
……見た目の良さも、生まれ持った才能だと思うけどなぁ……。まぁ本人がソレを喜んでいなきゃ意味はないのか。
「……何で、そんな話を僕に?」
……そう、コレは結構エルク先輩の周囲にいる人にとっては、センセーショナルな話題なんじゃないか? 彼にとっては悪い意味で。
「女の子が嫌いだなんて男に会ったのが初めてだったからかな? 今みたいな話をすると大抵のヤツはやっかむからね。ソレに──」
「ソレに?」
「──いや、何でもない」
多分、僕が今の話を言いふらしたところで誰も信じない、と言おうとしたのだろう。確かにその通りだな。言いふらすつもりも勇気もないけど。
「さて、この資料の隅にページ数が書いてあるから、ソレの順番を確認して、問題なかったら角をホッチキスで留めてほしい」
「あ、はい」
コレを全クラス分作ればいいのか。確かに二人ならすぐ終わるな。
「…………」
「…………」
先輩は何も聞いてこなかった。
僕の方から相談事を切り出すのを待っているのだ。タイミングを僕に任せてくれているのだ。何か男らしい余裕だな。カッコいい。
「……男らしさって……何でしょう?」
男らしさを見せられると応えたくなる。やっぱり僕も男なんだ。
「男らしさ……かい?」
「はい……見ての通り、その言葉からは縁遠い立ち位置にいるモノで……エルク先輩は、男らしさって……どんなのだと思います?」
「紳士であることだね」
エルク先輩は即答した。
「紳士……ですか」
「そう。とにかく男は紳士たれば大丈夫。女の子の方からやってくるよ」
「はぁ……」
「助けを求める声を、決して無視しないこと。期待には必ず応えること」
「……はい」
「……都合のいい時にだけやってきて、自分の立場も弁えずに助けを求める男は最低だよ」
エルク先輩が忌々しげに言う。
「……す、すみません……」
「あぁ、キミのことを言ってるんじゃないよ? ソレに今キミは僕を助けてくれているじゃないか」
「そんな……大したことじゃ」
「誰かの助けになろうというその心があれば、きっと大丈夫だよ。あと卑怯な手を使わないこと。自分で胸を張れる生き方を選ぶこと」
「は、はい……!」
「自分の目的の為に他人に迷惑を掛けまくるようなヤツは最低だよ。バットを投げるわ、先生を脅すわ、差し入れに下剤を仕込むわ……極め付けには人の大切な家族を利用して相手を貶めようとするようなヤツは人間のクズだ! 生きてちゃいけないヤツなんだ!」
何だか興奮して捲し立てるエルク先輩。誰の事だか心当たりのある発言だ。というか、そんなことまでしていたのか、あの人。どこまで本気で言ってるのか分からないけど。
どうやらエルク先輩はその人のことが嫌いなようだ。意外だな。博愛主義者ってイメージがあったのに。
ソレとも口ではなんだかんだ言って仲がいいってパターンだろうか。好き勝手言い合える仲というか。
「井上くんやみんなの弁護があったから問題になってないだけで、本来なら僕らと同じ学び舎にいていい存在じゃないんだけどね」
「……はぁ」
「……そうまでして行きたいところなのかね? ネズミの王国って」
「へ?」
「獅子堂くん。ネズミの王国というのはそんなに楽しい場所なのかい?」
手元の資料から視線を僕に向け、真剣な口調で彼は尋ねてきた。
「え、エルク先輩は球技大会、優勝したんだから行ったんじゃないんですか?」
「いや……まだ行ってないんだ。チケットは部屋に置いてあると思うけど……で、どうなんだい?」
……コレまた意外だな。とっくにデートに消費したと思ったのに。
「え、あ……まぁ、カップルには大人気ですね。デートスポットとして」
「何だって……く、クズめっ!」
「ひぃっ!」
別人のように鋭い声で先輩が毒吐く。その形相にたじろいてしまう。
「あ、いやすまない。キミに言ったんじゃないんだ」
「は、はい……」
「……ついでに聞きたいんだが、そこに、鈴の付いた首輪って売ってるのかな?」
「首輪……ですか? すみません……分からないです」
首輪……か。ネズミの王国は猫のキャラもいたから、ありそうだけど。
「そうか」
「でもあるかもしれませんね。恋人達の幸せの証みたいな記念品が」
「ふ、ふざけるなぁっ!!」
先輩は激昂しながら両手で机を叩く。
「ひいぃぃっ!! すみません!」
「あ! いや、こちらこそすまない……実は……僕の姉がその首輪について聞いてきたことがあってね。どこで手に入って、どんな意味合いがあるのかって」
「お姉さん……ですか」
そうか、確か留学生は双子だという噂だった。
「僕の姉は最高だよ」
な、何だいきなり……?
「美しさと可愛らしさを併せ持つ人だ。大人の魅力と少女のあどけなさを同時に内包させた天使さ」
……双子ってことは、同じ顔、なんだよな?
と言いたいのが顔に出ていたようだ。
「同じ顔の人を褒めると、とんだナルシスト発言に聞こえるだろうがそうではないよ。彼女は確実に僕よりも美しい」
彼は誇らしげにそう言った。
……この人、いわゆるシスコンと呼ばれる人種なのだろうか? さっきから度々情緒不安定になるのはお姉さんとやらが絡んでいたから?
……理解できない。僕が自分の姉に感じてる印象とかけ離れすぎてて。僕が姉に彼の感じている親愛の念を抱くとは到底思えない。女嫌いという点では話が合ったけど、この話題に関してはシンパシーを感じることはないなぁ。
……アレ? ということは、さっき話に上がった最低男がお姉さんに手を出しているのが、彼は気に入らないのか。何となく話が分かったような。
アレアレ? でも井上先輩の話じゃその人は中学の時の先輩が好きだったんじゃないのか? 今はマテリアル姉が好きなのか?
まぁ、中学の時の先輩が女だとは限らないし、好きっていうのも尊敬の意味でだったのかもしれない。ソレに、女だとしてもフラれた可能性もあるのか。
「姉さんは最高さ。お淑やかだし、優しいし。ソレだけではなくちゃんと叱ってもくれる」
「は──」
「僕は姉さんみたいになりたいんだ。誰にも分け隔てなく接し、困ってる人を見捨てない」
「──い」
「本人は助けたいから助けるだけのエゴイストだ、なんて言ってたけれど……その奥ゆかしさがたまらないだろう?」
「へえ、すごいで──」
「すごいんだ。キミにだったら姉さんを紹介してもいいよ。人畜無害そうだし」
「え、いいんですか?」
「うん。姉さんは時間が空くと大体は中庭にいるから」
「は、はぁ」
「ソレでもし害虫が寄ってきたら僕に代わって追い払って欲しい。……姉さんは、僕が中庭に行くと、口では構わないと言うけど……困ったような顔をするからね」
……完璧に手が止まってしまっているけど大丈夫なんだろうか? なんて僕が思っていると、やはり昼休み終了を告げるチャイムが鳴ってしまった。
慌てて作業に戻る先輩と手伝う僕。まぁ僕は自分のクラスの出し物には消極的なのでちょうどよかったのだが。




