肉食ウサギと草食ライオン④
思いの外、エッチな感じになってしまいました。
R15のラインは越えてないと思いますが、そっち方面苦手な方はご注意下さい。
分からない! どうしてこんなことになっているのか全然分からない!
「ぬ、脱ぐ必要……あるの!?」
「正確なサイズ……測りたいから」
そう言って、兎川さんが一歩前に出てくる。
「体操服の上からでも、そんなに差が出るとは思わないんだけど……!」
僕は一歩後ろに下がりながら、抵抗するように声を上げる。分かってるさ。狭い簡易更衣室の中で逃げたところで効果の程は知れているって。実際もう背中がついたてに当たりそうだし。
「そんな半端な仕事はしたくないの」
そう言って兎川さんが更に距離を詰める。僕の知る通り、彼女は完璧主義者だ。
まずい……コレはどう言おうと絶対折れてくれない……! ここでうだうだと時間を稼いでみろ。絶対に業を煮やした彼女は『じゃあ、あたしが脱がせてあげる……ほら、バンザイして?』みたいなことを言ってくる……! 確実に!
そしてソレは、彼女の嗜虐性に火を着けかねない……! 命取りになるぞ!
ならば……!
「コレで……いいの?」
僕は自らTシャツを脱いだ。
「……っ」
兎川さんが両手で口許を覆う。ネット広告か何かで見た自分の年収に驚くかのようなポーズだ。
コレはチャンスだ。男らしく振舞おう。上半身裸になって彼女の前で仁王立ち……やっぱ無理ぃ!
「こ、コレで……いいんでしょ?」
そう言って僕は、両腕と掴んだTシャツで自分の身体を覆うように隠した。な、情けない……!
「うん……ソレでいい」
兎川さんが嬉しそうに頷く。何だか目がキラキラしている。
「じゃあ……後ろ向いて」
「う、うん」
言われるままに僕は背を向ける。
……何だ。自意識過剰だったかな? 彼女はただ単に、仕事にひたむきに取り組もうとしていただけだったのかもしれない。何だか恥ずかしい……。
「肌……白いね」
すぐ後ろから、ほとんど耳元と言っても差し支えない距離から彼女の囁くような声がする。
「み、見ないでよ」
ち、近い……!
「全然、毛……ないね。剃ってるの?」
「剃ってないよ……見ないでってば……!」
「胸囲測るから……腕上げて」
「……うん」
僕が上げた腕の下から彼女の細く、しなやかな指が視界に入ってくる。
……まさか、胸に手をあてがったりしないよね? なんて考えていたら──
「……ひあぅっ!!」
──冷たっ! 何だ? メジャーか? 予期していなかった感覚に僕はパニックになった。
……ていうか、今の声、僕の口から出たの? あんな大きくて、高い、情けない声が……!
「ちょっと大丈夫~? すごい声したけど? 兎川さん?」
「だ、だ、大丈夫! メジャーが冷たくて、変な声出ちゃった!」
カーテンの外からのいぶかしむ声に、僕はバカ正直に慌ててそう答えた。おかしいことではないはずだ。メジャーが冷たければびっくりくらいするだろう、とそう考えて。
「え……てことは今の声、獅子堂の声なの!? うっそ! 兎川さんかと思った! まるっきし女の子の声だったよ~!?」
し、しまったぁぁああ! 墓穴を掘った! 確かに今の声は我ながら女みたいな声だった! 外の人達は今の声を僕の声だとは思っていなかったんだ! は、恥ずかしい!
「てか、メジャー冷たいって、もしかして裸でやってんの~?」
「んなワケないじゃ~ん! 獅子堂みたいなショタッ子脱がせてたら事案発生だよ!」
『あっはははは! ウケる!』
笑い声を聞きながら、僕は自分の間抜けさを恥じていた。
ていうか! やっぱり他の人達は服の上から測ってるんじゃないか!
僕が抗議の意を込めて首を曲げて背中側にいる兎川さんの方を精一杯睨むと──
「……敏感、なんだね」
──兎川さんは、妖しく微笑んでいた。
……やばい。アレは、火が着いた顔だ。スイッチが入った顔だ。
「獅子堂くん」
「は、はい……!」
兎川さんが僕の両肩に手を載せ、顔を寄せる。僕の顔のすぐ横に、彼女の顔がある……!
「あたし……アレがあってからずっと、あなたに聞きたかった」
「?」
聞きたかった……確かに彼女は目が合う度に、何か言いたそうな、何か聞きたそうな顔をしていた。僕の思い違いじゃなかったんだ。
……アレって、アレ……だよな。兎川さんがアレをアレして僕にアレしてきた時のことだよな……?
何だか動転していて、別に隠す必要のないことまでアレ呼ばわりしてしまった気がするが、しょうがないだろう! だって、こんなすぐ近くに、彼女が……
「獅子堂くん……」
「…………」
「……使った?」
「…………」
「…………」
……どうしろって言うんだ。
コレ、僕は何て答えるのが正解なんだ? 分からない。『使ったって、何に?』でいいのかな?
「…………」
いや、分かってるよ。彼女が何を言いたいのかは。僕だってそこまでそういう知識がないワケじゃない。
おそらく……十中八九彼女は、旧約聖書のオナンという人物が語源である行為にアレを使ったのか、と聞きたいのだろう。ソレは分かる。
分からないのは! 彼女がどんな意図でこんな質問をしてきたかだ! どんな答えを期待しているのかだ! 全然分からない!
「つ、使って……ないよ」
僕は正直に答えることにした。
「…………」
「…………」
「……そう」
……彼女の声のトーンと、その表情を見て、まずいと思った。
明らかに失望した、がっかりしたソレだった。興が削がれた反応だった。
「…………」
「…………」
彼女が黙々と、事務的に採寸を進める。
……何で僕、ちょっとへこんでるんだろ? この状況は僕にとってはありがたいはずなのに。
僕が意味不明な感情に内心戸惑っていると──
「兎川さん大丈夫? 獅子堂に襲われてたりしない?」
──またもカーテンの外から、からかうような声が聞こえてきた。
「ないない! 多分襲ってきても逆に押し倒せるって!」
「そっちのパターンか!」
『ぎゃはははは!』
「…………」
うるさいな。何でそんなことで笑えるんだ? 相手が不愉快な気分になるかも、とか想像もできないのか?
憤りを感じつつも、確かにその通りだけど、と納得している自分もいるせいで、僕は何も言い返せないでいた。
……情けない。情けないな。
……兎川さんはどんな顔をしているだろう? 彼女はどんな風に思っただろう、と僕はチラ、と彼女に視線をやった。
「……!」
……彼女は、明らかに怒っていた。眉間に皺を寄せて、ムスっとした顔をしていた。
「兎川さ──」
僕が驚きに思わず声を掛けかけたその時、
「ウエスト58センチ……グラビア女優並に細いね」
彼女が大きな声で、外に聞こえるようにそう言った。まるで邪魔するな、とでも言いたげに。
「……!」
「うそ……!」
カーテンの向こう側の人達が、絶句しているのが分かった。
やっぱり怒ってたんだ兎川さん……。
「な、何で、あんなこと言うの……?」
「ふふ、妬まれちゃうかもね」
いい気味だ、とでも言いたげに彼女が笑う。
「…………」
僕は心中穏やかじゃなかった。勝手におもちゃにされて、からかわれて、でも事実だから怒ったところで何も言い返せなくて──
──女の子に、守られて。
「やめてよ……変なこと言うの」
「え」
「大体……僕が男らしかろうがなかろうが……兎川さんには、関係ない……でしょ……!」
「関係……ない」
「そ、そうだよ」
言ってすぐに八つ当たりだと気がついた。兎川さんは僕に一言も『男らしくない』なんて言ってないのに。
まずかったかな? 謝るべきか? なんて僕が考えていると、
「ふぅん……ふぅーん」
今までに見たことのない表情をした兎川さんが、そう呟いた。
目を細め、口角が妖しく歪む。ソレは今までで、一番嬉しそうな表情だった。
怒っているワケじゃ……ないのか? などと考えられたのは一瞬だった。
「……んんっ!?」
首筋を撫でられ、僕は慌てて漏れそうになる声を噛み殺した。
「……ふぁ、んっ!」
そのまま両肩に指を這わされ、益々僕は混乱する。
「まつ毛も……長いね」
彼女が嗜虐的な瞳で、僕の目を覗き込んでいた。
「は、測ってない……じゃないか。メジャー……使ってないぃ……!」
言葉の途中で身体をまさぐられ、情けない声が出る。
「手で測ってるの」
「う、うそ……だあ」
そうか、分かってしまった。
あの時、あんなことをさせられたというのにどうして僕が嫌悪感を覚えなかったのか分かった。
彼女はあの時、僕を男をして扱ってくれていたんだ。
そして今も、僕を異性とみなしているからこんなことをしてくるんだ。
僕はソレが嬉しかったから、拒否しなかったんだ。今も拒否できないんだ。
「さっきから……女の子みたいな声出しちゃって……」
「うぅ……」
「……やっぱり、本当は女の子なんじゃない?」
「……!」
……胸を貫かれた気がした。
とどめを刺された気がした。何かを失った気がした。
「ソレなら……アレも使わないよね。ごめんね?」
「ふ、う……うぅ……」
僕はもう制御ができないでいた。漏れてしまいそうな声を、口を両手で覆って抑え込むことくらいしかできなかった。
「ダメ」
しかしソレも許さないとばかりに、彼女は僕の手首を掴んで持ち上げてしまう。
「な、何で……?」
「手首測るから」
そっけなく彼女が答える。
怖かった。もう安心感なんてどこにもなかった。
「兎川さっ……! 怒ってる……の?」
「……どうしてそう思うの?」
「だって……! 何か乱暴でっ……怖い……!」
「声……出ちゃいそう?」
彼女が僕の両手首を掴んだまま、耳に触れるんじゃないかってくらいギリギリまで唇を寄せて、囁いた。
「我慢できなかったら……出しちゃっていいから」
表面張力の限界を迎えた。涙が溢れ出る。
もう嫌だ……!
「やめ……もうやめて……謝るからぁ……」
完全に泣き声になっていたけど、僕は何とかそう言葉を絞り出した。
彼女は少し考えるようなそぶりを見せたあと、
「じゃあ……『反抗的な態度取ってごめんなさい』って……言って」
また僕の耳元で囁いた。
「ご、ごめんなさい……反抗的なっ、態度、取って……ごめんなさい」
僕が息も絶え絶えにそう口にすると、突然彼女の腕が僕を抱き締めた。
「~~っ!」
僕を抱き締めたまま彼女が息を震わせるような、細くて高い声音を発した。身体もブルルっ、と一瞬跳ねるように震える。
「……ふっ、ふぅ……」
「……? ……??」
兎川さんの息が荒い。
一体、どうしたんだろう? ワケが分からない。
分からないけど、とりあえず、終わったんだ……。
僕がそう思って安心した瞬間──
「いい子ね。リオンちゃん」
──彼女が僕の首筋に噛みついた。
「~~っ!!」
不意打ちに目がチカチカした。脚がガクガクと震え、膝が折れる。
「はっ……! はぁっ……!」
気が付いたら僕はへたり込んでいた。顔を上げると、涙で滲んで良く見えないけど、彼女が僕を見下ろしている。
「……お疲れ様」
そう言って彼女がいつかのように僕の涙をぺろ、と舐める。
「いや……だ……」
でもあの時とは違う。得体の知れない嫌悪を感じた。感じてしまった。
「え……?」
「リオンちゃん、とか……女の子とか……言わないでよ……! 僕のこと……男として……見てよぉ」
僕は両手で顔を覆い、泣きじゃくりながらそう言った。もう情けないなんてとうに追い越してる。最悪だ。
「──っ!」
彼女が息を呑む音がした。
「あ、あたし……何を……。ごめんなさい……あまりに、可愛かったから……本当に……ごめんなさい」
「う……うっ……」
「女の子とか言って、ごめんなさい……」
そう言って彼女が伸ばしかけた手が、途中で止まる。僕の頭を撫でようとしてやめたのだろう。
遅いよ。もう、遅すぎるよ。
「あ……」
彼女が何かに気づいたような声を上げる。
「……?」
「獅子堂くん……ちゃんと、男の子だね」
「?」
意味が分からずに彼女の視線が指している方を見る。
「……っ!」
僕の股間だった。
「な、何で……? 何で……!?」
すでに自尊心など欠片も残ってないと思ってたのに、まだ地獄は続くらしい。
そこは、有り得ないくらいに男らしさを主張していた。
「う、うわぁあああっ!!」
「あ、まっ──」
もう嫌だ。もう嫌だ。死にたい。死にたい!
僕はTシャツを着るが先か走り出した。
「はっ……! はっ……!」
行き先なんて考えてないけど、僕は足を止めることができなかった。体育の授業でもこんな必死に走ったことはない。
足を止めたら考えてしまう。走るのをやめたら、脳のリソースが、思考に費やされてしまう……!
「……っ!」
しかし無駄な努力だったのか、落涙の力が上回ってしまったのか、涙が溢れ、視界が覆われる。
「……ぐうぅっ!」
足を止めることが『負け』のような気がして、走りながら乱暴に涙を拭う。涙を拭いながら、走る。そうしていたら──
「わぁっ!」
「ぐわっ!!」
──冷静に考えれば当たり前だが、思い切り人にぶつかってしまった。
チャリーン、と小銭がぶちまけられるような音がした。
盛大に尻餅を付く。
……何やってんだ。僕は……。
「はぁ……はぁ……」
「あぁ──っ!! 俺の百円がぁぁ──っ!」
「?」
何やら叫び声が聞こえる。視線をやってみると──
「こんガキャーっ! お前がぶつかってきたせいで俺の百円玉……五十円玉かもしれないけど俺の百円玉が自販機の間に入っちまったじゃねーかっ!」
「ひぃいいっ!!」
──そこにいたのは、そこにいて僕に怒鳴りかかってきているのは──
黒くてモジャっとしたクセっ毛。
やたら長い前髪から、目を守るかのように掛けられたメガネ。
そしてそのメガネの下にギラつく瞳。すごい目つきの悪い瞳。
……間違いない。この学校一の危険人物。
中学時代には文化祭のステージジャックを敢行し、止めに入った教師をギターで殴り、
高校では空手部一の暴れん坊の先輩をケンカで負かし、土下座を強制し、
エッチな本を貸してくれなかったとかワケの分からない因縁をつけて暴れまくり停学になり、
極め付けには、球技大会の時に狂気の宿った叫び声を上げて僕にバットを投げつけてきた。
ゲス魔王。戸山秋色先輩だった。