東西冷戦に日本は、東西どちらに加わるのか?
まぁ、背景を設定していて思うのだが、エンターティメントとして考えた時に、日米対決が無い太平洋戦争というのは、実につまらない・・・読者の要望が無いような気がする。
日本人のための第二次大戦での太平洋戦争は、アメリカと戦うことで、凄まじいまでに記憶される結果になったように思う。また、結果として、現在の日本社会そのものが、アメリカと戦った結果として構築されている。
はてさて、日本がアメリカと戦わなかったという結果は、平和という意味合いとしては良いのかも知れないが、社会全体として良かったとは言えないと判断している。WWⅡから東西冷戦までの流れが大きく変わるのが、日露戦争の結果であり、昭和16年夏の結果なのだろう。
その2である。
その1では、
環太平洋連合VSによる東西冷戦
独伊ソ中VS日米英蘭仏
環太平洋を真っ二つ割るWWⅡ
日独伊ソVS米英蘭仏の対決
正直な話、これは、第二次大戦後の東西冷戦に日本は、東西どちらの陣営で戦うのかによって、ドラマの展開が変わってくる仮想歴史となる。
個人的には、次世代からみたWWⅡの感じとしては、東西冷戦が独伊ソ中VS日米英蘭仏の流れに向かった方が、良い結果になるとは思う。環太平洋を真っ二つに割る日独伊ソVS米英蘭仏の対決では、最終的に冷戦状態を含めて、太平洋を真っ二つに割りそうなので、現代日本人としてはあまり好みではない結末となる。
ただ、ドラマとしては、太平洋を真っ二つに割るWWⅡが、エンターティメントとしては良いのだろう。
正直な話WWⅡの歴史ifは、その次の歴史が持つ大きな流れである東西冷戦に、東西どちらの陣営に"日本"が加わるのかが焦点になると思う。
単純に、当時の外交努力の中で、達成できた内容としては、日独伊三国同盟と独ソ不可侵条約に日ソ中立条約である。ドイツとしては、背後の安全ということから結んだ一時的なモノであったとしても、それを出来る限り恒久的な流れとして、ヒトラーの方針を、ドイツの東方進撃ではなく、独ソ共同での中近東制覇という流れを造り、日独伊ソ四国同盟の締結が、当時の戦略構想として受け入れやすかったように思う。
この場合は、モンゴル、西涼、満州から日ソ連合軍による侵略戦争を開始するという流れができることとなる。この場合、ソ連の仲介を活用して、毛沢東と講和する可能性が出てくる。
この場合、東西冷戦における日本は、東に属して戦うこととなる。日米開戦が、真珠湾になるかどうかはともかく、この条件では、日米開戦は必須になる。
社会的には、面白くも無い状況となるが、戦争ドラマ的には、面白い展開になるかと思う。中近東に展開する独ソ連合軍、ソビエト船籍の輸送船団を使って、海上交通線を確保する日本。この歴史ifの中では、ニューギニア戦線でソ連製T-34やに乗って戦場を駆け抜ける西少佐率いる陸軍第26戦車連隊とかが描けるかもしれない。
歴史というのは、時間軸上に一つの連続体を構築していくものであり、一つのifは次のifを生み出し、世界の流れを歪めていくものとなる。たとえば、東西冷戦に日本が東側で参戦することにより、ソ連の崩壊ではなく、米ソの東西大戦から核兵器の射ち合い、世界の壊滅という結果となるかも知れない。
個人的に、第二次大戦後の日米同盟(一般に言う日米安保条約)という状況は、東西冷戦が冷戦であるための条件であったように判断している。東西冷戦は、ソ連を中心としたワルシャワ条約とアメリカを中心とした北大西洋条約機構は、一見すると互角に見える。しかしながら、圧倒的なチート国家アメリカ+スポンサー日本という状況を構築し、世界最強の軍事国家の支援下で、強大な経済力を生み出したと言える。
WWⅡ以降の仮想戦は、ワルシャワ条約軍とNATO軍の対決という流れになる。東西ドイツの緊張から来る戦い。冷戦当時の日本は、シーレーン防衛とか、北海道上陸戦といった仮想戦が描かれている。
この流れが、日本が東側についた日独伊ソ四ヵ国同盟からの東西冷戦という流れとなると、太平洋戦争の行方が、日本本土を盾とした、東西冷戦になるものと判断される。太平洋戦争中の大陸側の流れとして、蒋介石が毛沢東に敗北し、台湾が日本領なので、援蒋ルートを遡行して、ビルマからインドへ亡命することとなる。
満州国の独立をソ連と中国の黙認となって、中国との停戦が成立する。太平洋戦争そのものは、停戦の結果、東南アジア地域に対しては、中共軍との連携によって、インドネシア、マレーシア、ベトナム、ラオス、カンボジア等を独立国家としつつ、四ヵ国同盟から中国や東南アジア諸国、北アフリカ諸国家を含めて、国際同盟へ拡大し展開する。
これに対して、南北アメリカ大陸とオーストラリア等を含めた南太平洋国家群、南アフリカ諸国家からインドを含めた、国際連合へ拡大し展開する。
国際同盟VS国際連合による、東西冷戦構造が構築される。
太平洋戦争は、強大な軍事力を展開するアメリカ軍に対して、徐々に押されていくことから、硫黄島、トラック、ラバウルといった国防ラインでの消耗戦が展開される。ニューギニア戦線に関しては、中共軍との停戦時期から、様々な変化がシミュレート可能となる。大政翼賛会が、陸海軍の過激派による支援を受けて、一党独裁の全体主義体制へと移行することで、1942年中に中共軍の勝利と日本との停戦を実現する。
停戦が実現すると、南方方面への大規模な陸軍の移動が可能となり、ニューギニア戦線を含め、米英軍に対しかなりの消耗戦が展開できるようになる。中共軍が、蒋介石を追いかけて、ビルマ方面に展開すると、この傾向はさらに拡大する。
北アフリカから中近東での独伊ソ軍の展開と米英軍の展開によっては、米英軍は、非常に厳しい状況に追い込まれる可能性がある。
国際連合というのは、正史WWⅡにおける連合国による俗称でしかない。日独伊ソVS米英蘭仏という流れでWWⅡを戦うという流れでは、国際同盟と国際連合が人類を真っ二つに割った冷戦という展開になる。連合軍というのは、米英仏蘭となり、仏蘭がドイツに占領され、イギリス、アメリカ一国+豪州オセアニア、インド、南アフリカ、南米諸国家による国際連合となる。
これに、日独伊ソに中国を加え、満州、これに東南アジアと中近東、北アフリカ諸国家による国際同盟という流れとなる。
日本そのものは、常に太平洋上という最前線で戦い続けることとなる。
この状況では、日米の太平洋戦争そのものが、国際同盟と国際連合の対決の場となる。正史で言えば、WWⅡ後に生じる、東西冷戦下での朝鮮やベトナムでの代理戦争。1945年以降も続くようであればトラックやラバウルが陥落した後での、日本本土を舞台とした、航空消耗戦となり、ベトナム戦争のような状況となると、最終的に厭戦ムードが日米双方に発生し、停戦方向での調整が始まる。
米軍が消耗戦に対して、どの程度まで耐えられるかは、南北戦争における南北両軍の損害をWikiから参照すると、戦死:北軍11万、南軍9.3万、戦病死:北軍36万、南軍25.8万、戦傷:北軍27.5万、南軍13.7万以上となっている。南北両軍61.8万以上の戦死者(戦病死を含む)がでている。
正史のWWⅡの被害が、米軍:41.68万とすると、朝鮮戦争:4.5万、ベトナム戦争途中から、米国内の反戦運動が活性化することから、60万~70万で死傷者に耐えられなくなると判断される。
ベトナム戦争が1975年までとして、湾岸戦争が1990年からなので、15年間はアメリカが戦争ができなかったこととなる。
つまりは、正史のWWⅡ末期に戦争継続派が目指したのは、日本本土決戦で、米軍の戦死者を20万以上の損害として叩き出すことであった。
日独伊ソの四ヵ国同盟から、満州、中国等を加えた仮想世界の同盟軍は、1951年までに米軍に60万以上の戦死者を生じさせ、太平洋停戦協定が締結される。1950年代以降は、停戦終結後の冷戦状態となり、中近東から東南アジア諸国、アフリカ諸国での様々な内戦が、代理戦争のように継続される。
こういった状況下で、米国での核兵器開発の結果としては、最初の原爆投下はトラック島とラバウル島に対して強行される。
仮想史としては、1945年にトラック島とラバウル島へ原爆が投下され、日本軍南方方面軍の補給ラインが壊滅する。しかしながら、進駐した米軍が、原因不明の残留放射線による多数の戦病死が発生し、このあたりから米国内に反戦報道が情報統制下で徐々に生じてくる。1945年から1947年くらいまで日本軍は、戦力の回復と戦線の再構築をはかると共に、南方戦線から暫時転進を始める。
この南方戦線からの転進は、全力チートな米軍機動部隊からの攻撃を受け、フィリッピンが失陥する。
中共との停戦合意があるので、中国沿岸をからのシーレーン確保および上海や満州までの陸路を日本支援ルートとし、日本軍が中共軍の盾となる。
「判官びいき」という言葉がある。源義経に情を移した後世の人達による創作である。こういった話は、三国志演義や水滸伝といった作品にも表れているし、ヨーロッパでナポレオンについて描くところでも、皇帝まで登りつめて、囚人となった流れでもある。
WWⅡの日本についても、感情的になりやすい方々が多いのも、良いにつけ悪いにつけ、現在の社会体制や状況を日本人が許容していることにあるのだと思う。こうすれば、ああすれば、という歴史ifは、今の状況に対する不満という感情から来るものである。
「判官びいき」ではなく、日本が環太平洋連合の一角として、東西冷戦の最前線で戦う世界は、面白いかもしれないが、太平洋戦争としては微妙な展開となる。はてさて、それは面白いかなぁ・・・