#07
ひかりはその日から、勉学に励もうと決めた。
「千歳! 私に勉強を教えてください!」
お願い! と、顔の前で両手を合掌する。千歳は「え~?」と少々嫌そうな顔をした。千歳は、こう見えて成績優秀なのである。千歳の解答用紙を見せてもらったことがあるが、開いた口が塞がらなかった。そんな千歳に、「そこをどうか!」とひかりはお願いした。
「っていうか、何で急に?」
「それがね――」
ひかりは、昨日の放課後にあったことの一部始終を千歳に話した。
来週の中間テストで、湊とテストの順位を競うことになったこと。負けた者は、勝った者の言いなりになるということ。その賭けについて、詳細を話した。
「――という訳なの! だからさ、お願い! 負けたくないの! ねぇ、千歳様!」
「面倒くさ~い」
「千歳様~……」
安定の千歳は、笑顔でそう言った。ひかりは頭を垂れる。そんなひかりに、千歳は声をかけた。
「自分でなんとかしようと思いなさいよ」
「自分でなんとかできないことは、私の赤点のテストを見ればわかることでしょ……」
千歳は、ひかりの机に無造作に置かれているテストを拾い上げた。その点数を見て、「ありゃ、ホント」と声をあげる。これは重症ね~、と頭を抱えた。
「……しょうがないから、教えてあげる」
「千歳様!」
「そんなことより、ひかりがもし勝ったら何を頼むの?」
千歳の承諾に目を輝かせるひかりをよそに、千歳は問いかけてきた。その質問にギクリとしながら、「まだ決まってないかな~」と笑って誤魔化した。千歳は信じたみたいだが、本当は賭け始めた時から決まっている。
(それは……『イツワリ』の関係を終わらせてもらう!)
うんうん、と心の中で何度も頷く。それが一番だ、と自分自身思った。湊が何を願おうが、ひかりは全く気にならなかった。
(だって、私が絶対勝つんだから!)
あんなクール風に見せかけてすかしている男に負けるもんか、とひかりの意思は強かった。
「ひかり、最近勉強熱心だね」
休み時間に遊びに来た波瑠に、「でしょ!」と笑いかける。休み時間は自分のできる範囲で、放課後は千歳に教えてもらうかたちで、ひかりは少しずつ学力を上げていった。その姿は、前のスマートフォンばかりいじっていたひかりとはかなり違い、波瑠は驚きを隠せなかった。
「それにしても、どうして急にめっちゃ勉強し始めたの?」
「湊とある賭け事をしてまして」
ひかりの口から出た名前に、波瑠は敏感に反応した。
「……へぇ、相沢と。ひかり、最近あいつと仲良いよね」
「はっ、はぁ!? そんなことないよ!」
波瑠の妬みに、ひかりは全力で否定する。その姿が可笑しくて、波瑠は思わず笑みを溢した。
「ははっ、否定しすぎ。ひかりと相沢が付き合ったことくらい、俺の耳にも入ってるよ。恥ずかしがりやなんだね」
(……あぁ、そっか。波瑠には、私と湊がちゃんと付き合ってるってことになってるんだ)
いつの間にか、ひかりと湊が付き合い始めたという噂が流れていた。その噂を確かめようと、直接ひかりや湊に訊いてくる者もいた。勿論、『イツワリの関係』だということを伏せなくてはいけないので、ただただ頷いていただけだった。その日から、女子の目線が鋭くなった気もする。予想どおりだった。
(女子怖すぎだし、もうやんなっちゃうよ)
はぁ、とため息を溢しながらも、シャーペンを握る手を動かす。サラサラと動いていくそれを目で追いながら、波瑠はおもむろに口を開いた。
「……あ、あのさぁ、ひかり。今度の日曜って空いてる?」
波瑠の言葉に、シャーペンを動かす手を止める。「何で?」と、波瑠に問いかけた。
「いや、今度の日曜にさ、この前行けなかった映画を観に行かないかなーって。勿論、ひかりが相沢と付き合っているっていうのを知った上で――」
「ごめん! その日ダメだ」
ひかりの意外な答えに、波瑠は目を丸くする。波瑠が理由を訊くよりも早く、ひかりがそれを口にした。
「その日、千歳と勉強会する予定があってさ。ほら、賭けの為にも頑張らなくちゃだし!」
拳を作るひかりの笑顔が、波瑠の胸に刺さる。「また相沢か……」という呟きはひかりの耳には幸い届いておらず、何でもないよとはぐらかした。
「……勉強、頑張ってね」
無理矢理作った波瑠の微笑みに、ひかりは強く頷いた。