#40
新しい家は、姉の高校に近い場所だった。
姉は高校二年生になり、俺は中学生になった。中学校は、もともと通うと決めていた所ではなくなった。伯母がそうしてくれたのだった。義理父が、突然いなくなった俺達を探すだろうからと。なんとも優しい伯母だ。『優しい』だけでは表現しきれない。
あの日伯母から受け取った手紙は、母からのものだった。内容は、こうなることを予想していたかのようなもの。このマンションも、母が決めていたのだとか。家計のほうも、手紙に書いてあった銀行からの引き出し方法をもとに、上手くやっていけていた。
「湊、ごはんだよ~!」
リビングから、姉の声が聞こえる。篠原家を出てから、食事は毎食姉が作っていた。
いただきます、と俺達は口を揃える。姉の手料理を一口食べると、何故だろうか。咳が出てきた。
「ちょっ……姉貴、これ、塩と砂糖間違えてない?」
「……はっ!! 本当だ!!」
姉は相変わらずおっちょこちょいであるが、篠原家にいた時より、笑顔の回数は格段に増えた気がする。それは、俺だって同じだ。
それでも、文化祭間近になると、俺達の顔から笑顔は消えていった。
嫌でも思い出してしまう、母のことを。母を失った悲しみを。
そんな時、花凛に出会った。
花凛は近所の家に住んでいて、学校帰りなどによく会っていた。
文化祭間近になると、彼女はこう言った。
「無理して行かなくていいんだよ。つらい過去を振り返ったって、いいことなんてないんだから。傷には触れずに、そっとしておくの。何もしなくていいの」
俺はいつだって、ひとつ歳上の花凛の言うとおりにした。文化祭類いのものは、全て欠席した。
それは、クリスマスの日のことだった。
「ねぇ、湊。服、どっちがいいと思う?」
中学三年ということもあり、受験勉強している俺に、姉が二着の服を持って訊ねてきた。何故、急にこんなことを。
「……あぁ、今日はカレシとデートだっけ?」
「そう! だから、服選んでるのーっ」
ねぇ、どっち? と姉は再び訊ねる。俺は適当に片方を指さした。
着替えをすませた姉は、俺に話しかけてきた。
「湊もカノジョ作んなよー?」
「……そんなの、いらねぇよ」
すっごく楽しいよ! と、姉は言う。周りの友達だって、徐々に恋人ができ、皆楽しいと口にしている。そんな中、俺は作ろうとしなかった。
「母さんを見てわかっただろ? 大切だと思ってた奴には、いつか裏切られんだよ」
それを、姉はわかっていない。裏切られた時の、悲しみを。それに、女なんてろくな奴はいない。人の気も知らずに、勝手に傷を抉ってくるんだ。そう、小学生の頃のように。
「えー、そうかな? まぁ、いいや。いってきまーす」
姉は、軽やかな足取りで家を出ていく。俺は、その後ろ姿を見送った。
だが、数十分後に、姉は帰ってきた。出かけた時の軽い足取りではなく、重い足取りで。
「姉貴? どうしたんだよ? もう、デートは終わりか?」
「……られた」
「は?」
「逃げられたの、彼にっ」
そう言う姉の目からは、涙か流れていた。姉は、わりと顔はいいほうだと思っている。いや、普通に美人の部類に入るはずだ。そんな姉をフるなんて、その男はアホだ。
「……いや、違う。姉貴が悪い」
「な……何で……?」
「言っただろ、大切な人にはいつか裏切られるって。母さんの失敗から、少しは学べよ!」
大声を出す俺に、姉は少し身を引いた。つい、熱が込もってしまった。
でも、俺は自分自身が言ったことは間違っていないと思っている。だから俺は、『大切な人』になるカノジョを、今まで一度も作らなかったんだ。




