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イツワリ  作者: 柏原ゆら
35/43

#35

 姉が言ったとおり、つらいことの後には幸せが待っていた。

 いつもどおり、遅く帰ってくる母を待っていた。すると、「ただいま」という声が玄関から聞こえてくる。その声がいつもと違っていた。いつもは疲れはてた声。今日もやはりそうだが、どこか喜びのようなものが混ざっていた。

 何故か気になり、玄関へ駆ける。俺の目には、母と、隣に見慣れない男の姿が映った。


「どうも、はじめまして。速水(はやみ)です」


 その男は口を開いた。俺と姉が首をかしげていると、母が補足説明をしてくれた。


「この速水さんは、お母さんがお付き合いさせていただいている方なの」


 どうやら、今の母のカレシらしい。速水は、よろしくねと微笑んだ。その笑顔は純粋なもので、柔らかな雰囲気を漂わせていた。

 その日から、速水は頻繁に家を訪ねるようになった。

 母は帰宅してすぐに、速水とリビングで会話をしていた。二人のいい雰囲気に、俺と姉は邪魔してはいけないとリビングから去った。

 二人は、リビングで仲良さそうに話していた。次第に、『結婚』という単語が、二人の会話から出てきた。


「ねぇねぇ、お母さんと速水さん、いつか結婚するのかな?」


 姉が楽しそうに訊ねてくる。もし二人が結婚したら、速水は父親になるのか。なんだか新鮮で、想像するだけで楽しい毎日が浮かんできた。

 姉の言葉に、「そうだといいね」と微笑んだ。

 ある日、母から嬉しい報告があった。


「お母さん、速水さんと結婚することにしたの」


 その報告に、俺達は喜びの声しか出なかった。これで、俺達の生活費の負担は少しは軽くなるだろう。何より、母が物凄く嬉しそうだった。


「色々払うお金とかあって、今までより大変になっちゃうけど、お母さん、速水さんと頑張るからね」


 母のその笑顔を見て、ずっと応援したいと思った。

 だが、その喜劇が、悲劇に変わるのは早かった。

 母も姉も帰ってきていなかったある日。独りテレビを見ていると、慌ただしく玄関のドアが開いた。この時間は姉だろう。姉は、バタバタ走りながらこちらへ向かってくる。バンッとリビングのドアが開かれたと同時に、息を荒らげた姉が入ってきた。


「お母さんは!?」

「まだ仕事だろ?」

「速水さんは!?」

「速水さんもだろ?」


 普通わかるような質問をしてくる姉を怪訝そうに見る。すると、姉は「大変なの!」と焦った様子で言った。


「私、見ちゃったの!」

「何を?」

「速水さんが、お母さんじゃない他の女性と歩いているところ!」


 一瞬、静止する。しばらくして冷静になると、「友達じゃねぇの?」という疑問が浮かんできた。


「違う違う! 絶対違う! だって、手繋いで、すごく仲良さそうにしていたし……」


 姉の言い分を聞く限り、その女性はただの女性ではなさそうだ。まさか、とは思ったが、俺達の中であるひとつの考えが浮かんだ。

 すると、母が帰ってきた。

 姉がすかさず玄関へ向かって走り出す。そのあとをついていく。玄関にいた母は、なんだかとても疲れきっていた。

 姉は躊躇せずに訊ねた。


「お母さん、あのね! 私、街中で見ちゃって。速水さんが――」


 そこまで言って、母は姉を止めた。一度頷いたその目は、「わかってる」と言っているように見えた。


「お母さん……」


 靴を脱いだ母は、猫背の状態で重たい身体をリビングまで運んでいた。

 後から知った話だが、どうやら姉が見た女性は、速水の本当の交際相手らしい。母と結婚するという話は真っ赤な嘘で、結婚を餌に大金を手に入れる、つまり結婚詐欺だったということだ。

 その事実を知った母は、失望した。仕事はうまくいかなくなり、帰ってきてからは酒に頼る日々。なかなか寝付けず、睡眠薬を服用しているらしかった。

 毎晩、酒を飲みながら泣いている母。その姿を見るのは、とても苦しかった。

 母は、どんどん壊れていったのだ。

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