#30
暗闇の中、自分の名前を呼ぶ声がする。
ここは、いったいどこなんだ。
当てもなく走り続けていると、一筋の光が見えてきた。
そこに向かって走る。
息が切れるまで走り続けると、暗闇から脱出できた。
茜色の空が広がる。
目の前は、眼下に高い波が打ち付けている崖だった。
何故、こんな所にいるのだろう。
今日は確か、学校祭の準備でいつもより帰りが遅くなってしまったんだった。
早く帰らねば。母と姉が、心配して待っている。
ほら、また声が。自分を呼ぶ、母の声がする。
でも、どうして母の声がするのだろう。母は、もう死んでしまったはずなのに――
「――っ!」
ハッと、湊の目が見開かれる。息が止まりそうなほど苦しくなり、目が覚めてしまったようだ。時計の針は七時を指していて、ちょうど朝だった。
……また、同じ夢を見た。――死んだ、母の夢を。
頭では忘れようと思っていても、身体はなかなか忘れようとしてくれない。つらくてつらくて息ができなくなるのに、頭の片隅にこびりついて離れない。荒々しい鼓動を、何とかして抑えた。
「また、母親の夢を見たの?」
頭上から降り注ぐ声に、顔も見ずに「あぁ」と返した。
階段を降りた所にある、小さな影になっているスペース。階段を降りてくる人には見えづらいこの一角に、湊は最近頻繁に訪れていた。嫌なことがあってもなくても、ここは誰にも見つかりづらいので落ち着く。にしても、彼女は何故、湊の朝の出来事がわかったのだろうか。
「やっぱりね。髪はいつもよりボサボサだし、ボタンはかけ違えてるし。明らかに乱れてる」
声はだんだんと近づき、言い終わると同時に彼女は湊の隣に腰かけた。
湊は隣の彼女――桃園花凛の横顔を、チラリと見た。二年の先輩で数少ない普通に話せる女あり、湊の過去を知る数少ない人物である。そんな花凛に、何度頼ったことか。
「……最近、よく見るんだよな」
「何でだろう。……学校祭が近づいてきたから、とか?」
湊が思っていたことと同じことを、花凛は口にした。俺もそう思ってた、と呟く。
「……学校祭、どうすっかな」
中学生の頃、学校祭類いの行事は、全て休んできた。行ったところで、何がある。ただ、過去のつらい記憶を思い出すだけだと、花凛に言われてきた。
「もちろん、休んだほうがいいに決まってるよ。どうせ行ったって、つらい記憶を思い出すだけだよ?」
今回も、やはりそう言われた。花凛が言うことも、確かなのである。思い出すだけで息が詰まりそうだ。
「私は……湊につらい思いをしてほしくないの」
花凛の悲しそうな声が、胸に響く。俯く花凛に、わかったと呟いた。




