35話:商店街と白衣の少女
鮮やかな洋服が立ち並ぶ店。妖しい香り。夜の商店街を照らす煙のような灯り。どこを見ても一面華やかな大人の彩り。シモンはくらくらとしていたが、大人のたしなみが分からない子供と思われないように少し気取って歩いた。今はブーティーのヒールが大人にさせてくれているのだ。
シモンがコツコツとリズミカルに足音を立てて歩いていると、どこからともなく「まあ素敵な和服の女の子! ちょっとこっちいらっしゃいな」と聞こえてくる。しばらく声の主を探すと、アクセサリーや石の並ぶ店の奥に女性が座っていた。ふくよかな年配の女性だが、派手な服装と妖しい瞳が彼女を美しくさせていた。シモンは誘われるままに店内に入り、女性の元へ寄る。
「大きな瞳ね! それに薄紅の可愛らしい袴。見れば見るほど可憐だわ」
「あっ······いえ、そんなことないわ······」
大人の女性にじっと見つめられたシモンは少しどきどきして、誤魔化すように店内を見る。プレートの上にネックレスやブレスレットが並べられている。そのどれも石が使われている。パワーストーンのお店だろうか。
「ゆっくり見ていってね。ああそう、私占いもやっているの。趣味でやってる程度だからタダよ、やっていかない?」
「占い······」
大人の響きだ。シモンは「お願いするわ」と思い切った。
「とても簡単よ。私の瞳を覗くだけよ······」
そう言われて女性の瞳を覗き込む。ブルーの瞳は果てしなく深く、深海といった未だ見たことない世界を見ているようだった。
シモンは女性の瞳から目が離せなくなった。その深淵が自分の心を映し出しているようにも見えてきたからだ。もっと見たいと思ったところで「いいわよ」と女性が言った。女性の瞳から目を離すと、今まで自分が遠い世界に行っていたような感覚に陥った。
「あなたの瞳、なんだか鏡のようで不思議だわ······」
シモンがそう言うと女性はにっこりと笑った。
「ふふっ、そんなところね! でもあなたの方が不思議だわ。まるであなたの中に二人の人物がいるような感じがするのよ」
「二人?」
「ええ。正確には一人をベースにしてあなたがいるって感じよ。何だろう、前世かしら。その前世の人かもしれない声を少し聞いたわ」
シモンは何がなんだか分からなかった。自分の中にいる前世の人の声を聞いたということだろうか。人よりずっと霊力が強い自分が、自分の中の前世の人を認識したことがないのだ。あまり簡単に信じられる話ではなかった。
「その人はね、誰かを深く愛しているようだわ。その愛に導かれて今のあなたがいるようなの。だからいずれ、その愛が何なのか分かるはずよ」
「とても抽象的な話ね······」
「今は分からなくても大丈夫よ」
誰かを愛するあまり、生まれ変わってもその心が自分の中に残ってしまったということだろうか。
シモンは女性の瞳を覗いたときの不思議な感覚を思い出す。あのとき女性の瞳に映った自分の心の中に、前世の人の心が混じっていなかっただろうかと思ったが、ただ使命を焦っている自分の顔が映っているだけだったような気がした。
「それとあなた、何か重い使命があるようね。あなたはそれを果たすために自分が生まれて、そのときに備えて努力をしてきたと思っているんじゃないかしら」
「ええ······」
「はっきりとしたことは分からないけど、これからあなたと仲間には凄まじい困難が降り注ぐわ。一人では耐えきれないと思う、それも備えだと思って仲間とは親交を深めておきなさい」
女性は確信を持った口調で、先程よりも強く言う。神秘的な目も今は、母が子供を言い聞かせるような鋭い目をしている。シモンはその迫力に気おくれしてゆっくりと頷いた。
シモンは凄まじい困難というのが少し怖かった。敵わないものと戦うことだろうか。それとも、もっと精神的なものかもしれない。例えば信頼していた誰かに裏切られるとか、大切な人がいなくなってしまうとか······。
シモンは次々と恐ろしいことを考え始め、次第に顔が真っ青になっていった。女性はシモンの様子を悟ったのか、カウンターに触れるシモンの手をぽんと叩いた。
「大丈夫よ、あなたなら乗り越えられる」
シモンが女性の励ますような目を見ると、笑顔はつくるものの暗い気持ちになった。実はこの人は、自分の身に何が起こるか全部見えていて、ショックを受けないように抽象的なことを言っているのではないか。きっとそうに違いない。
シモンは「ありがとう」と笑顔で言い店を後にした。
それから服屋や、骨董品屋から靴屋まで様々な店を見て回ったが、気が晴れることはなかった。商店街の中を川が蛇行するような足取りでふらふら歩いていると、ふと寂しさが込み上げてきた。賑やかで明るい街中だからこそ、自分だけが明るくなれなくて一人だけ取り残されているのだ。
もう宿屋に戻ろう。みんなが待っているわ。
シモンはとにかく宿屋に早く戻ろうと思い、身体を半回転させて急ごうと一歩踏み出した。それがいけなかった。その一歩で誰かと激突し、ガラスが割れるような大げさな音が商店街に響いたのだ。反射で閉じた目を開けると自分ではなく相手の方が倒れている。相手が普通に歩いているところに、自分が早歩きで突っ込んだのだ、相手が倒れこむのは当然だった。
「あっ、ごめんなさいっ! 」
シモンは慌てて謝った。
倒れた相手は「あいたた······」と腰あたりをさすっている。よく見るとシモンと歳が同じくらいの少女だった。マリーゴールドのような橙に近い金髪ショートの少女で、華奢な身体に真っ白な白衣がよく似合っている。白衣の少女は腰をさすりながら立ち上がり、シモンの目を真っ直ぐ見た。爛々とした瞳はみずっぽく、悪いものが一切混じっていないような感じだった。
「大丈夫ですよ! いきなり振り返ったので驚きました。お怪我はありませんか?」
怪我がないかと聞くのはシモンの台詞ではないかと思ったが、「大丈夫よ」と返事した。先程のガラスが割るような音が何だったのかと思い、ふと下を見てみると瓶が割れて液体が地面に広がっていた。ぶつかったときに相手が落としたものだろう。シモンが見ているのに気づいて白衣の少女は割れた瓶に気づく。
「ああっ······」
ぶつかっても冷静だった少女の顔が真っ青になっていく。余程大切なものだったのだろうと思いシモンは狼狽えた。
「ごめんなさい······弁償するわ」
少女は今にも泣き出しそうな表情でしゃがみこみ、瓶の破片を手のひらに拾い集める。液体は石畳の隙間にどんどん染み込み、どうすることもできなかった。少女は瓶の破片を大切そうにポケットに入れると、立ち上がってシモンを見る。
「これは普通に手に入るものではありませんので、弁償はできないと思います。······気にしないでください」
少女はそう言ったが、無垢な瞳が色を失っており明らかに動揺している。その瞳を見たシモンは、何としてでも弁償しなければならないと思った。
「ううん、弁償するわ。それはどこにあるの?」
少女はうつむき加減になって小さな声で「研究所······」と呟いたが、すぐにシモンの目を見た。
「弁償するのは絶対ダメです! これはとても危険な場所にあるんです、行ってしまったら生きて帰れません······」
シモンは研究所という言葉を聞き逃さなかった。危険な研究所というのはよく分からないが、そんなところに少女ひとりで行かせるわけにもいかない。
「危険なら尚更よ。あなたひとりで行くというの?」
「まあ······そうなりますね······」
シモンは腰の鞘に手を置いた。
「あたしは和王国の剣士。少しは役に立てると思うわ」
少女はその鞘を見ると、しばらく黙り込んで考えているようだったが、やがて決心がついたように頷いた。
「分かりました。ひとりではどうすることもできない事なので、よろしくお願いします」
少女がそう言うと、シモンは手を差し出した。
「あたしシモンっていうの」
少女は差し出された手を軽く握った。
「私はハルカといいます。見ての通り医術師です!」
ハルカは丸っこい瞳を三角形にさせて笑った。